No | 118823 | |
著者(漢字) | 松本,洋介 | |
著者(英字) | ||
著者(カナ) | マツモト,ヨウスケ | |
標題(和) | 熱容量測定による2次元ヘリウム3の強相関効果の研究 | |
標題(洋) | Heat Capacity Studies of Strong Correlation Effects in Two-dimensional 3He | |
報告番号 | 118823 | |
報告番号 | 甲18823 | |
学位授与日 | 2004.03.25 | |
学位種別 | 課程博士 | |
学位種類 | 博士(理学) | |
学位記番号 | 博理第4476号 | |
研究科 | 理学系研究科 | |
専攻 | 物理学専攻 | |
論文審査委員 | ||
内容要旨 | グラファイト表面上に物理吸着したヘリウム(He)原子は、基盤の強い吸着ポテンシャルに閉じ込められて低温で理想的な2次元単原子層を形成し、吸着量の増加とともにlayer by layerで成長することが知られている。特にフェルミ粒子である3Heの吸着第2層には、低面密度側から順に、フェルミ流体相、下地(第1層目)に対する整合相、不整合固相がそれぞれ存在し、超低温において数々の興味深い量子多体現象を示す。 2層目の整合相は4/7相と呼ばれ、図1に示すように1層目に対して4/7の密度比をもつ3角格子を形成していると信じられている[1]。この系は3角格子という幾何学的なフラストレーションに加えて、多体交換相互作用の競合のため、極めてフラストレーションの強い核スピン1/2の2次元量子スピン系である。過去に行われた熱容量測定[2]で、このスピン系が最低温度(90μK)まで有限温度相転移を示唆するような異常を示さず、特徴的なダブルピーク構造をもつこと等が観測され、4/7相の磁気的な基底状態としてギャップレスの量子スピン液体状態が提案されている。最近の帯磁率測定[3]もこれを支持する結果となっている。この系はまた、1層目を4HeやHD2層に変更することで、4/7相の格子間距離を変えることが実験的に可能という特徴もある(以後、これら異なる2次元3He系を3He/4He/gr、3He/HD/HD/gr等と表す)。 一方、流体相は低密度での理想的な2次元フェルミ気体から、密度の増加とともに、有効質量の増大した強く相互作用するフェルミ流体へとその振る舞いを変えることが知られている。この系の最大の特色は、電子系の諸物質と異なり、disorderを一切導入すること無しに、粒子密度すなわちキャリア濃度を広範囲に変えることができる点である。最近、3He/HD/HD/gr 系の流体相に対する熱容量測定が1 mKの低温まで行われ[4]、流体相から4/7相への相転移がMott-Hubbard型の量子局在転移としてよく記述できるとする主張がなされた(4/7相ごく近傍の密度では、流体相-4/7相に相分離するとの主張)。 本研究では、フェルミ流体相から4/7相への移行が、真に基底状態といえるような超低温度でどのように観測されるかを探るために、グラファイト上に1層4Heをプレコートした上に吸着した2次元3He(3He/4He/gr系)の熱容量を100μK≦T≦80mKの3桁弱におよぶ広い温度範囲で測定した。測定は低密度域から4/7相に至る広い密度範囲をこれまでにない細かいステップで行った。この系の有利な点は、他系と比べて4/7相の格子間距離が短いため交換相互作用が小さく、スピン交換相互作用に由来する熱容量と高温の運動の自由度に由来する熱容量の寄与がよく分離できることである。また、基盤の不均一部分にアモルファス状に吸着した3He原子が非磁性の4Heによって置換され、その影響を除去できるという効果もある。 図3、4に熱容量の測定結果を示す。300μK以上の温度域では断熱ヒートパルス法を、1mK以下の温度域では緩和法によって、それぞれ熱容量を測定した。ρ=5.70nm-2以下の低密度域(図2)では、充分低温で熱容量は温度によく比例しており、フェルミ縮退していることが分かる。ただし、その比例係数γは密度の増加とともに6倍まで大きくなる。2次元系ではγ値は密度には比例せず準粒子有効質量m*にのみ比例するので、実験結果は、密度とともに2次元フェルミ気体(図中破線)から相互作用の強い、すなわちm*の大きなフェルミ流体へと次第に移行することを示している。しかし、相互作用がm*に繰り込み可能という点で、この領域は“正常フェルミ流体相”ということができる。なお、ρ=5.70nm-2のときの熱容量のT-linear項に対する補正は、比較的広い温度範囲(10≦T≦80mK)でT2項で表すことができる。これは特定の波数モードをもたない2次元強磁性スピン揺らぎを乱雑位相近似で取り入れた数値計算[5]と一致する。 ところが、ρ=5.70nm-2以上の高密度域を調べてみると状況がかなり異なることが分かった。すなわち、γ値の増加は頭打ちになる一方、30mK以上の高温の熱容量の大きさが急速に小さくなるのである。それと歩調を合わせるように、低温部(T〓1mK)に緩やかなピークが成長してくることも分かった。1mKというのはスピン自由度に由来する交換相互作用程度の温度である(以下、これをスピン熱容量と呼ぶ)。このスピン熱容量の寄与が密度の増加とともに大きくなる一方で、30mK付近には依然として大きくなだらかなピークが、4/7相の密度(ρ4/7=6.85nm-2)近傍、少なくともρ=6.78nm-2までは存在し続けるという実験事実は、これまでの実験的および理論的知見からすると大変異常な振る舞いである。以下、この5.70≦ρ≦6.85nm-2の領域を“異常流体相”(あるいは臨界領域)と呼ぶ。従来この領域は、詳しい密度依存性が調べられていなかったにもかかわらず、ある密度の正常フェルミ流体相と4/7相の2相共存域(相分離域)と考えられていた。しかし、図3を見れば、我々のこの領域の熱容量データが両者の線形結合ではまったく表せない、つまり、従来考えられていたような単純な2相共存では説明できないことは明らかである。 本研究では、4/7相をhalf filledのMott局在相として捉え、これより少し低密度の領域(異常流体相)がMott局在相に空格子をドープした状態と見なし、系の自由度が空格子のホッピングによって記述できることを提案する。すなわち、異常流体相は一様相で相分離しておらず、この系では正常フェルミ流体相→異常流体相→4/7Mott局在相という連続的な移行が実現しているという考えである。この場合、Mott-Hubbard模型のオンサイト斥力Uは3He原子間の剛体球斥力であり、その大きさは4/7相のorder-disorder転移温度(=1K)[6]程度と見積もられる。一方、スピンの交換相互作用Jの大きさは約1mKであるから、ホッピングtはt〜〓UJ/2〜16mKと見積もることができる。つまり、この系はU/t〜60と非常に相関の強い系であることが分かる。また、高温側の異常流体相のなだらかな熱容量ピークの温度(〜30mK)はtの値と符合する。 このような強相関極限に適用可能な理論の確立は、銅酸化物高温超電導の発見以来、急務となっているが、現在のところ決定的なものはない。しかし、強相関極限で比較的良く成り立つとされるt-J模型を3角格子系に適用して、その熱力学量を高温展開の手法で計算した最近の結果[7]によると、Mott絶縁相にホールドープすると系のフラストレーションが緩和されて、スピンエントロピーが高温側に移動することが指摘されている。これは我々の異常流体領域のデータで、ρ4/7から密度を下げる程(すなわち空格子ドープ量を増す程)スピン熱容量のピーク温度が高温側に徐々にシフトすることと定性的に合致している。ただしt-J模型の範囲では、実験で見出された30mKの緩やかな熱容量ピークの存在は説明できないようである[8]。 一方、3角格子上Hubbard模型に対する最近の経路積分繰り込み群計算[9]によれば、Mott局在相の磁気基底状態はU/t〓5.2の強相関域でギャップレススピン液体となり、2D3Heの実験結果と符合する。この手法によるホールドープ域の熱力学量の計算が待たれるところである。 図4は1〜10 mK以上の我々の高温データから求めたm*の密度依存性である。正常フェルミ流体領域では、3He/4He/gr系の4/7相の密度ρ4/7(=6.85nm-2)に向かってm*は発散的に増加する傾向をみせている。一方、3He/HD/HD/gr系ではρ4/7の値が5.2nm-2と小さいので、より低密度で発散傾向が見られる[4]。したがって、本研究の実験データはMott-Hubbard転移のシナリオを強く支持している。 これに対し異常流体領域では、系が一様相であるとの仮定の下で高温側の熱容量の山のγ値より求めたm*は、発散的な挙動からずれ始め、6.32nm-2で極大値をとり、その後は4/7相に向かって急速に減少している。この異常な振る舞いが、低温になるにつれスピンと運動の自由度を同時に失ってゆく正常フェルミ流体相から、スピン自由度のみ生き残ったスピノン流体相へ移行する過程に対応するのか、あるいは2次元の“スピン−質量分離”(1次元強相関電子系で見出されているスピン−電荷分離に相当)を示すものなのか、今後のさらなる実験、理論両面の研究を待たねばならない。しかし、本研究が示した強相関2次元フェルミオン系の新たな一面は、その本質を理解するために大きな手がかりになるに違いない。 本研究で明らかになった別の重要な知見として、3He/4He/gr系でも3He/3He/gr系と同様に4/7相のスピン熱容量のダブルピーク構造が観測されたことが挙げられる。このことから、系が異なっても4/7相の基本的な磁気的性質は変わらないこと、つまりダブルピーク構造が4/7相に本質的なものであることが分かる。また図4を見ると、3He/3He/gr系と比較してスピン熱容量の山が全体的に低温側に4割程度シフトしているが、これは剛体球系における交換相互作用|J|の密度依存性からも定量的に理解できる。 なお本論文の前半では、2次元3Heの熱容量測定を含む種々の超低温実験を可能とする、銅の一段核断熱消磁冷凍機の設計と製作について詳述した。この装置は、全長が高さ方向に1.7mとコンパクトであるにもかかわらず、直径160mm、高さ190mmの十分な大きさの実験空間を確保しているのが特徴である。 3He-4He希釈冷凍機を使って2日で核ステージを8Tの磁場中で14mKまで予冷した後、断熱消磁冷却したときの核ステージ温度と熱容量セル温度の時間推移を示したのが図5である。このときの核ステージの到達最低温度は51μKで、熱スイッチを介して冷却する熱容量セルの最低温度は71μKであった。核ステージへの熱流入は2nW程度で、200μK以下の超低温度を保ちつつ、1週間以上にわたって熱容量測定や核磁気共鳴測定などの物性実験を行うことが可能である。これらの数字は、本装置が世界でも有数の高性能核断熱消磁冷凍機であることを示している。 4/7整合相。灰色の丸が吸着第1層で格子模様が吸着第2層。破線は単位胞を示す。 2次元3Heの正常Fermi流体領域における熱容量の測定結果。破線は2次元のフェルミ気体の熱容量。グラフォイル吸着基盤の表面積は559m2。 2次元3Heの異常流体領域および4/7Mott 局在相の熱容量。一点鎖線は3He/3He/gr系の4/7相の熱容量[2]を本実験の表面積(559m2)にスケールしたもの。 熱容量測定から求めた3He準粒子有効質量m*の面密度依存性。縦軸に平行な3本の直線は、種々の系で4/7相が完結する密度(点線 : 3He/HD/HD/gr,一点差線 : 3He/3He/gr,破線 : 3He/4He/gr)。灰色の帯状の部分は異常流体領域。 建設した核段熱消磁冷凍機が最低温度を発生した際の冷却曲線。 | |
審査要旨 | 本学位論文は6章からなり、1章は強相関フェルミオン系についての序論、2章は2次元液体ヘリウムの研究の背景、3章は実験装置の設計と製作、4章は実験方法、5章は実験結果と考察、6章は結論を述べている。 液体ヘリウムの物理は、量子効果が本質的である量子液体状態として、さらに超流動という著しい現象を示す物質として、物性物理学における基本的な分野の一つをなし発展してきている。また、ヘリウムには4Heと3Heという二種類の同位体があり、前者はボゾン、後者はフェルミオンであり、その統計性の違いが表れるという点でも顕著な物質である。 通常の3次元空間における液体ヘリウムに対しては、実験・理論ともに長年の歴史があり、概ね理解されている。一方、空間次元を変えた場合、特に低次元にした場合に、一般に量子系における量子効果が著しくなることが期待され、最近の物性物理学の中心的なテーマとなっている。ヘリウム原子においても、グラファイト等原子レベルで平坦な基板の表面上に吸着させることにより、2次元ヘリウム系を実現でき、これも精力的に調べられている。 この2次元ヘリウム系における興味は二つある。第一は、ヘリウム原子は典型的な希ガス元素であり、原子は硬いボールのようなハードコアと呼ばれる強い相互作用をしている。一般に、強い相互作用している系を強相関系と呼ぶが、銅酸化物高温超伝導体を典型とする固体は強相関電子系であるのに対して、ヘリウム系は強相関原子系である。このような系を低次元に閉じ込めたときに、相関効果がどのように効くのか、というのが第一の興味である。 第二の、より物質に即した興味は次の点である。基板に吸着されたヘリウムは、吸着量の増加とともに一層毎に成長することが知られているが、特に第2層は、強く吸着力をもつ基板ではなく同じヘリウム層の上に乗っているために、第2層のヘリウム面密度を増やすにつれて、流体相、整合相(第1層目に対して簡単な整数比をもつような格子定数をもつ結晶格子の相)、不整合相が順次生じ、超低温において数々の興味深い量子多体現象を示す。 本学位論文の研究目的は、強い相互作用と低次元性のために量子効果が大きいと期待される2次元ヘリウム系に対して、特にフェルミ流体相から整合相にかけての状態を実験的に、極低温に至るまで測定することである。流体相から整合相にかけての状態が興味深い理由は以下の通りである。先ず、整合相は三角格子を形成していると考えられ、幾何学的なフラストレーションをもつ三角格子上の多体交換相互作用のために、Heのもつ核スピンが、特徴ある多体交換相互作用をもつ2次元量子スピン系をなす。本学位論文の指導教官である福山のグループにより数年前に明らかにされたように、熱容量測定から見たこのスピン系は極低温(90μK)まで相転移を示さず、熱容量に二重ピーク構造をもち、この系が、量子効果のために磁気秩序を阻まれた量子スピン液体と呼ばれる状態であることが提案されていた。 他方、流体相は低密度での理想的な2次元フェルミ気体から、密度の増加とともに、粒子の有効質量が増大したような、強く相互作用するフェルミ流体へ変化することが知られている。最近、HDの上に吸着した流体相に対する熱容量測定が1 mKの低温まで行われ、流体相から整合相への転移が、相関効果による相転移(Mott-Hubbard転移と呼ばれる)として記述できるとする主張がなされた。 本研究では、フェルミ流体相から整合相への移行を、熱容量をより低温で(詳しくは、100μK<T<80 mKという、約3桁におよぶ広い温度範囲で)観測することにより、この転移の物理的性質を明らかにした。このような低温実験を可能とするために、本学位請求者は銅の核断熱消磁冷凍機を設計・製作し、世界的にも有数の装置を実現した。具体的に、200μK以下の超低温度を保ちつつ、1週間以上にわたって熱容量測定や核磁気共鳴測定などの物性実験を行うことが可能である。用いた試料としては、上記のように低温ではスピン自由度が重要であると期待されるので、グラファイトを1層の4Heで覆った上に吸着した2次元3Heである。この系を選んだ理由は、3HeやHDの上の系にくらべて、原子間距離が短く、そのためにスピン交換相互作用のエネルギー・スケールが小さくなるので、他の自由度との分離が明確になることが期待されるためである。熱容量は断熱ヒートパルス法および緩和法によって測定した。 実験結果は以下の通り。低密度域では、熱容量は温度に比例し、フェルミ縮退しているが、その比例係数(∝粒子有効質量m*)は密度の増加とともに6倍まで大きくなる。つまり密度とともに相互作用の強い(m*の大きな)フェルミ流体へと移行する。整合相に近づくと、30mK以上の温度での熱容量は急速に減少するものの整合相近傍まで存続し、一方T<1mKに緩やかなピークが成長してくることが見出された。1mKというのはスピン交換相互作用程度の温度である。従来この領域は、詳しい密度依存性が調べられておらず、フェルミ流体相と整合相が共存する(相分離)と漠然と考えられていた。しかし、本結果では熱容量が両相の足し算では表せないので、単純な2相共存では説明できない。従って、ここで示唆されるのは、相分離はしていないが、熱容量に二重のピーク構造を与えるような相の存在である。 本学位論文の考察の部分では、以上の実験結果を、三角格子に対するHubbard模型やt-J模型(相関電子系の模型)のスピン状態の理論計算と比較して、部分的に説明されるところはあるが、より詳しい理論が待たれる、と結論した。 以上のように、本学位論文で新に得られた知見として、2次元3He系において、流体相から結晶相に至る領域で、強く相互作用したフェルミ液体相から、スピン自由度に絡むと思われる特徴ある熱容量の振る舞いをもつ相が、下地の詳細に依らず存在することが明らかになった。これは、博士学位論文に十分値する重要な結果といえる。さらに、強く相互作用するフェルミオン系の物理学は銅酸化物高温超伝導体により発展をとげている一方で、フェルミオンであるという点で電子と3Heは共通しているので、電子系とヘリウム系の類似点、相違点を探ることは興味深い。He系の特徴は、ここで示されたように、不規則性を導入すること無く粒子密度を変えることができる点や、温度を極低温に至るまで何桁にも亘って測定できる点にあり、これにより相関粒子系の物理の発展に今後も寄与することが期待される。 なお、本論文の一部は福山寛助教授、村川智、Christopher Bauerle、辻太輔、本蔵耕平、神原浩の各氏との共同研究であるが、論文提出者が主体となって研究したものであり、論文提出者の寄与が十分であると判断する。 したがって、審査員全員により、博士(理学)を授与できると認める。 | |
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