学位論文要旨



No 118824
著者(漢字) 三宅,章雅
著者(英字)
著者(カナ) ミヤケ,アキマサ
標題(和) 量子多体エンタングルメント : 分類と量子情報における効用
標題(洋) Quantum Multipartite Entanglement : Classification and Use for Quantum Information
報告番号 118824
報告番号 甲18824
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4477号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 村尾,美緒
 高エネルギー加速器研究機構 助教授 筒井,泉
 総合研究大学院大学 教授 井元,信之
 東京大学 教授 樽茶,清悟
 東京大学 教授 小林,孝嘉
内容要旨 要旨を表示する

量子論が自然の基本法則として認識されるようになり1世紀にもなるが,それが現在の(古典的と呼ばれるべき)情報処理のやり方の可能性を広げたり,革新的に改善し得ることに私達が気付いたのはごく最近のことであり,活発な研究がなされている.「量子情報」と呼ばれるこの学際的分野は,例えば量子テレポーテーションと呼ばれる量子特有の現象の発見や,量子コンピュータ上での多項式(つまり,実行可能な)時間の因数分解アルゴリズムの提案とそれに呼応した自然法則により無条件に安全が保証されるような量子暗号を作ろうとする機運,そしてなにより,従来は量子論の思考実験と思われていたような原理的な実験をも可能にする実験技術の進歩など,によって牽引され発展してきた.これらの革新の源と思われているのが,「エンタングルメント」と呼ばれる,量子系に内在する非局所的な性質を示す相関である.量子論の研究初期からこの相関は不思議として議論され,哲学上の世界観などにも大きな衝撃を与えてきたが,同時に私達が自然の根本を捉えきれていないことを如実に示してもいた.

そこで私達の大きな目標は,自然の基本法則である量子論が,(特に身の回りの古典的手法に比べて)どのような情報処理を可能にしたり禁止したりするのを明らかにすると共に,量子論の記述する世界像を真に理解することである.特にここでは,私達は2体系に限らず多体系一般でのエンタングルメントのあり方と,それの量子情報処理への効用に興味がある.私達の情報化社会がネットワークを根底にしていることを考えると,エンタングルメントの非局所的性質はこのような多体系の状況でこそ,おもしろく重要な働きをすると期待できる.また例えば,量子コンピュータは当然量子多体系で構成されるので,それの優れた能力の源を調べて,デコヒーレンスなどから守られた安定運用を図るためにも多体エンタングルメントの研究は必須である.加えて,これらの研究が伝統的な分野である統計力学などにも新しい視点を与えていることも意義深い.

私達の困難は,2体系のエンタングルメントの構造は簡明な一方かなり特殊であり,そこで有効な手法は多体系に単純に適用できないことにある.これは本論文で明らかになるように,2体系が通常の(2次元の)行列の変換性を調べるのに相当するとすれば,多体系は多次元の「超行列」(つまり,テンソル)の場合に相当すると言える.例えばエンタングルメントを特徴付ける鍵となる不変量として登場する行列式は通常の行列に対しては平易だが,超行列に拡張された「超行列式」は現代数学においても重要な話題であり,近年の代数幾何の発展と共に洗練されつつあることは驚きに値する.多体エンタングルメントの持つ深遠さは物理学に留まらず普遍的な意義を持つように思われる.一方,多体系は2つのグループに様々に分割してみることで捉えられると一見思うかも知れないが,私達が興味あるのは純粋な多体効果であり,例えば多体系でのエンタングルメントの制限された共有性が挙げられる.これは,多体間に任意にエンタングルメントを分配することはできず,(Bell対となることで)排他的となる制限が生じることで,見方によっては量子テレポテーションなどもこの「法則」に基づいている.古典多体系に内在する多体相関にはこのような制限が付かないので,これは量子多体系の本質の一面を示唆しており,もちろん応用も期待される.

本論文では第1章の量子情報,第2章のエンタングルメントについての導入に続いて,第3章では多体系エンタングルメントの分類するための数理的アイディアが与えられている.鍵となる超行列式はそれまで3量子ビット(2×2×2型超行列)の場合に限りエンタングルメントの共有性の議論を通じて3-tangleの名で知られていたが,多体エンタングルメントの指標として様々な型の超行列式が母関数のような中心的役割を果たし,それを用いて分類の一般論を構成し得ることを示したことが主な成果である。ここでは,そのアイディアを概観しよう.n体の部分系から成るヒルベルト空間〓上の量子純粋状態(正確には、それのヒルベルト射影空間〓上の射線),〓が持ち得るエンタングルメントを分類することを考えよう.近年の量子情報の概念上の進展は,大きな1つのヒルベルト空間と言うよりも,このように複数の部分系(登場人物)からなるヒルベルト空間を考えて,エンタングルメントの基本的性質として,局所変換や古典情報の通信 (LOCC: Local Operations and Classical Communication) の下で、平均として増やすことができない「量子的」な相関だと認識した点にある.つまり,エンタングルメントを分類して性質を調べることは,このLOCCの下での量子状態が振舞いを考察することである.

私達は確率的LOCC(SLOCC: Stochastic LOCC)と呼ばれる状況での分類を考えたい.このSLOCCの下で分類を考える際は,2つの純粋状態|Ψ〉と|Ψ'〉がLOCCの操作の下で非零の確率で両方向に遷移できたら,それらは同じ性質のエンタングルメントを持っていると見なすことにする.それはその2つの状態は量子情報処理の資源として,成功確率は異なるけれど同じ働きを担うことができると考えられ,ある処理が(成功確率は別として)可能であるか不可能であるかが,重要だと考えられるからである.ただのLOCC分類の場合は,2つの状態がLOCCの下で確率1で互いに遷移することができるものを同じエンタングルメントを持つ状態と見なすことと比べるとSLOCCはより本質的な違いを抽出するための大まかな分類だと分かる.数学的に定式化すると,2つのSLOCC同値なエンタングル状態|Ψ〉と|Ψ'〉は可逆な局所操作,〓で互いに変換される.ここで,Miはi番目の部分系に作用する可逆,つまり行列式が零でない,任意の演算子である(ただし,規格因子と全体位相を気にしない射線を考えているので,Miを特殊線型群SL(ki, C)の要素として良い).よって,SLOCCの下でのエンタングルメントの分類は,〓の作用の下での軌道の分類を行うことを意味する.

まず2体系(簡単のためk1=k2=k)の場合を考えてみる.可逆局所変換G=M1〓M2によって,状態|Ψ〉の係数行列Ψ=(ψi1i2)はΨ→M1ΨMT2と変換されるので,SLOCC分類は,2体系の場合は「両側からSL(k)を作用させた時の行列の基本変形」に他ならないことが分かる.この変換での不変量は,Ψのランク(これはSchmidt分解におけるSchmidtの局所ランクでもある)であることが分かる.つまり,ランクrsで区別されるエンタングルメントのクラスOrsがk個(rs=k,…,1)あることが分かる.今の場合,クラスを分類するエンタングルメントの指標,つまりSLOCC不変量,がランクだとすぐ分かったので簡単であったが,一般化のために次に注意する.ランクがあるrs以下の状態Ψは閉じた集合を形成しランクrsのクラスの閉包〓で与えられる.そして次の閉包〓(ランクrs-1以下の集合)はそれの特異集合となっているタマネギのような構造をしている.このように見ると逆にこの閉包によって異なるエンタングルメントのクラスは〓のように識別されていると言える.実は,この閉包らのタマネギ構造は多体系の場合にも普遍的に成立するのである.

次に,これらk個のクラスの非可逆な(ランク落ちしたMiを含む)局所操作の下での互いの関係を考える.定義により,ある2つの異なるクラスは一方向のみ遷移可能か,両方向に遷移できないかのどちらかである.今の場合非可逆な局所操作でランクは必ず減少することに注意すると,k個のクラスは全順序の構造にあることが分かる.特に,ランクkのクラスは他のどのクラスにも非可逆な局所操作で遷移できるが他からは移ってくることができないので最もエンタングルした状態のクラスと見なせる.一方,ランク1のクラスは最もエンタングルしていない,実際積に分離可能な,状態の集合であると分かる.

さて多体系一般に適用できるアイディアを述べよう.私達は積に分離可能な状態の集合と縮退したエンタングル状態の集合の間にある双対性,ある種のLegendre変換,に注目する.ある状態|Ψ〉は状態空間内の点に相当し,その状態に直交する状態の集合は超平面〓で与えられ,それらは1対1対応(双対)にある.完全に積に分離できる状態(点)の全体集合(図2におけるX)を考え,各点で接する超平面との対応を通じて,双対集合Xvを(双対空間に)得ることができる.多体系で完全に積に分離可能な,全くエンタングルしていない状態の集合Xは閉じた最も小さい部分集合であったのに対して,一方それの双対集合Xvが通常最も大きな部分集合となっていて全ての縮退したエンタングル状態を含んでいる.実際2体系の場合(図1)では,Xは確かにランク1以下(つまりランク1)の最も小さい部分集合〓であり,それの双対Xvはランク落ちしている(つまり,detΨ=0の)縮退したエンタングル状態全体からなる最も大きな部分集合〓となっている.驚くことに,このXとXvの間の双対性は多体系一般の場合にも成立し,Xvが2体の時から類推されるように超行列式DetΨ=0で与えられる.完全にエンタングルメントの分類を遂行するには,2体の時同様に超行列式に関連した特異集合を調べていくこととなる.また,この超行列式の大きさはその型の一般的エンタングルメントの量を表すので,3量子ビットの場合にそうであったように多体間のエンタングルメントの共有性を定量化する議論で重要な働きをすると期待できる.

第4章では以上のアイディアに基づき,多体エンタングルメントの分類を様々な場合で例解している.ここでは,2量子ビットとその他の(2×2×l)系のエンタングルメントについて取り上げたい.この場合は双対の対応が少し込み入っているが,多体量子情報処理のある基本的な状況を与え,2量子ビットの混合状態の純粋化に相当する.加えて従来,エンタングルメントの分類は3量子ビットと部分的に4量子ビットの場合に限られていたので,これらの系統だった解析は貴重な上とても興味深い.

私達は図3のように,エンタングルメントは9個のクラスに分かれ,非可逆な操作の下で5段階の構造をとることを明らかにした。分類で現れたクラスの代表元は,異なる物理的性質を持ちそれに応じた量子情報処理への応用が考えられることが知られている.例えば,GHZ状態|000>+|111>は2×2×2型の(3-tangleとも呼ばれる)超行列式で計られる,3量子ビットの一般的な3体エンタングルメントのみを内在し,Bellの不等式を最大に破る意味で最も非局所性の強い状態である.さらに,3体中任意の2体の間に確率1でBell対をひとつ取り出せる性質を持つので,多体間での量子テレポテーションを行うのに充分な資源ともなる.一方,W状態|001>+|010>+|100>は上述の一般的3体エンタングルメントは一切持っておらず,2体的エンタングルメントを3体の間に張りめぐらすことで3体がが絡まっている状態である.この性質のため,このWクラスに含まれる状態は,あるひとつの量子状態を二つに複製する(量子クローニングの)際に最も効率良く行うことができる.

著しいことに,この系では,最大次元の一般的エンタングルメントを含むクラスが,半順序構造の最上位にある唯一のクラスであり,どのようなクラスに含まれる状態も確率的には作ることができる万能な資源となることができる.この状況は,多体系の一般的状況,例えばn(n≧3)量子ビットの場合では,エンタングルメントの半順序構造の最上位に複数の互いに移りあえないクラスがあることとは極めて対照的である.さらに図3のような多体エンタングルメントの構造は多体間の量子情報処理の様々な可能性を示唆している.例えば,最大次元の一般的エンタングルメントを含むクラスの代表元が3体の中にAliceとClare, BobとClare,と言ったようにBell対をひとつずつ分配した状態,つまり(|00)+|11>)AC1〓(|00)+|11>)BC2であることに注意しよう.この時,最上位のクラスからB3と書かれるClareに対して分離可能なクラスへの非可逆操作の流れは,AliceとBob間に局在した2体エンタングルメントを作る操作,つまりいわゆるエンタングルメントスワッピング,と理解できる.同様に,最上位クラスからGHZクラスへの流れは,2体エンタングルメントを3量子ビットの3体エンタングルメントに変換している操作と理解できる.このように,多体エンタングルメントの構造がさらに明らかになれば,それを利用した多体間の量子情報処理を考えるのに多くの示唆をも与えてくれるだろう.

第5章の結論にまとめられているように,日進月歩の実験技術の進歩により私達は量子多体系を制御できるようになりつつあり,それに応じて多体エンタングルメントの理論も進展することが量子情報のさらなる発展に繋がると期待できる.本論文で明らかにされた多体エンタングルメントの分類および性質は,そのための基本的な知見を提出していると考えられる.

2つのk準位(k×k)量子系のエンタングルメントのSLOCC分類(左),およびそれらの非可逆操作の下での構造(右).

完全に積に分離可能な状態の集合Xと,それの双対集合で縮退したエンタングル状態の集合であるXvの間の双対性,および超行列式.

2量子ビットとその他からなる3体(2×2×l)系におけるエンタングルメントのSLOCC分類(左)とそれらの非可逆局所操作の下での構造(右).

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、全5章からなり、第1章は量子情報についての導入(introduction)と研究動機の提示、第2章はエンタングルメントに関する導入と要約、第3章は本研究論文の核となるアイディアである双対性と超行列式の量子情報への導入と数理的な分類の定式化、第4章が第3章の定式化を用いた量子多体エンタングルメントの例解および解析、そして第5章が結論という構成である。

エンタングルメントは、量子系に内在する非局所的な性質を示す相関である。量子論に基づいた新しいタイプの情報である「量子情報」を用いることで、従来の古典力学に従う情報(古典情報)を用いた情報処理では不適当や不可能なタスクを実行しようとする「量子情報処理」が近年活発に研究されるようになったが、量子情報処理を可能とする本質的な量子系の性質がエンタングルメントであると考えられている。多体エンタングルメントの性質を明らかにすることは、自然の基本法則たる量子論の新たな理解という点からも、量子情報処理の更なる可能性を探るためにも、非常に重要である。これまでに得られているエンタングルメントに関する研究成果は、2体エンタングルメントが中心であり、多体系におけるエンタングルメントの性質の理解は、取り扱うヒルベルト空間の次元の大きさに由来する自由度の指数的増加効果により、単純に2体系での研究成果を一般化することが不可能であり、従来の方法論を超えたブレークスルーが必要とされていた。

本論文では、エンタングルメントを特徴づける鍵となる不変量として超行列式を導入している。超行列式は、現代数学においても発展途上の重要な話題の一つでもあり、最近の数学的成果も本論文に取り入れられている。超行列式は、3つの量子ビット(量子2準位系)からなる系のエンタングルメント共有性を議論する際に発見法的に見つけられていた3-tangleの一般化とも考えることができるが、本論文では、共有性の議論に限らず、多体エンタングルメントの指標としてさまざまな型の超行列式が母関数のような中心的役割を果たすことを示し、エンタングルメントの系統的分類の一般論を構成した点が独創的である。

第3章では、エンタングルメントを局所的変換と古典情報通信の下で平均として増やすことのできない相関ととらえ、この視点から、量子純粋状態からなる2つの多体エンタングル状態に関して、どちらの状態からどちらの状態へ推移可能かという観点からのクラス分類を行った。多体に対するクラス分類を行うために、積に分離可能な状態の集合と縮退したエンタングル状態の集合の間にある双対性に注目し、それぞれのクラスにおける超行列式に関連した特異集合を解析した。そして、状態の推移性に関する上下関係を見出すことで非常に一般的なクラス分類を得ることができた。更に、超行列式の大きさは一般的な多体間エンタングルメントにおける共有性を定量化する議論で重要な働きをすることを示した。

第4章では、第3章の定式化で得られた双対性と超行列式を用いた量子多体エンタングルメントの分類を、さまざまな多体系に関して例解して示した。ここで取り上げられた具体例には、2つの量子ビットと1つの量子多準位系からなる系や、4っの量子ビット系等これまでに解析されたことのない系が含まれており、多体エンタングルメントに関する新たな知見がもたらされた。更に、得られた分類を基にしてエンタングルメントスワッピング等の具体的な量子プロトコルにおける多体エンタングルメント構造の寄与を考察した。

以上のように、本論文は、双対性と超行列式という量子情報の分野では知られていなかった全く新しい方法論を用いることによって、これまで3体の場合など発見法的かつ部分的にしか知られていなかった多体エンタングルメントの構造と性質に関して、非常に見通しの良い一般論を与えており、この分野の発展に強く寄与する結果を得た。また、この結果は、国際的にも高い評価を得ている。

なお、本論文の第3章の主要部分および第4章の前半部分は和達三樹教授、4章の後半部分はFrank Verstraete 博士との共同研究であるが、問題提起から問題解決の核となるアイディアにいたるまで論文提出者が主体となって研究を遂行したものであり、論文提出者の寄与が中心的であったと判断する。

したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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