学位論文要旨



No 118825
著者(漢字) 村上,健次
著者(英字)
著者(カナ) ムラカミ,ケンジ
標題(和) トロポニン三者複合体のNMR分光法による構造解析
標題(洋) The structural analysis of the troponin ternary complex by NMR spectroscopy
報告番号 118825
報告番号 甲18825
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4478号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 陶山,明
 東京大学 教授 佐野,雅己
 東京大学 助教授 能瀬,聡直
 東京大学 教授 豊島,近
 東京大学 教授 宮下,保司
内容要旨 要旨を表示する

脊椎動物骨格筋,心筋における筋収縮は,細いフィラメントのカルシウムによる構造変化で制御されている。脊椎動物骨格筋,心筋において,細いフィラメントはアクチン,トロポミオシン,トロポニンから構成される。トロポニンはTnT(トロポミオシン結合サブユニット),TnC(カルシウム結合サブユニット),TnI(アクトミオシンATPase阻害サブユニット)の3つのサブユニットから構成される三者複合体タンパク質である。TnIはカルシウム結合条件ではアクチンに結合しないが,カルシウム解離条件ではアクチンに結合し,アクトミオシンATPaseを阻害する。それゆえ筋収縮の制御メカニズムを理解するためには,TnIのアクチン結合領域の構造は非常に重要である。細いフィラメントのクライオ電子顕微鏡構造解析において,カルシウム解離条件ではトロポニン本体からアクチン結合領域が分岐しているのが観察された。この分岐している領域は'トロポニンアーム'と名付けられた。そしてカルシウム結合条件では'トロポニンアーム'が観察されなかったことから,'トロポニンアーム'はトロポニン本体にドッキングしていると考えられた。しかし電子顕微鏡の構造解析では分解能が限られているため,詳細な構造を得ることはできなかった。一方,カルシウム結合型トロポニンT2CI複合体の結晶が解かれたが,原子のディスオーダーによってアクチン結合領域は観察されなかった。このディスオーダーはおそらくアクチン結合領域のフレキシビリティーが原因であると考えられた。この博士論文では,トロポニンT2CI複合体(分子量52 K)中におけるTnIを安定同位体標識し,NMR分光法によって構造解析した。現在のNMR分光法において,分子量52Kのタンパク質は構造解析できる分子量限界を超えている。しかしTnIの中のアクチン結合領域であるC端領域(トリ骨格筋K131-S182)に由来するピークを観察することができた。NMRによる解析から,C端領域はトロポニン本体とC端領域の間に存在するヒンジ領域のディスオーダーによって高い運動性をもたらされていると考えられた。さらにNOESYスペクトルの解析から,TnIのC端領域の立体構造を決定したところ,C端領域の中にはドメイン (V143-S182) が存在していることがわかった。TnIのC端領域構造内には,カルシウムによる大きな内部構造変化はなかったが,カルシウムによる化学シフト変化がTnIのC端領域構造の片側に観察された。電子顕微鏡解析の結果を考慮すると,TnIのC端領域は立体構造を保ったままカルシウム依存的にトロポニンの中で位置を変えていることが示唆された。さらに得られたTnIのC端領域構造をカルシウム解離型細いフィラメントのクライオ電子顕微鏡構造解析密度マップにフィッティングしたところ,TnIのC端領域はトロポニンアーム領域とぴったりであった。TnIのC端領域構造は電荷分布に特徴的な偏りを持っているが,フィッティングの結果,その電荷分布はアクチンのC端領域などの電荷分布と相補的であることがわかった。これによって,筋収縮の制御メカニズムには非常に重要なTnIとアクチンの相互作用について原子レベルでの知見を得ることができた。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は4章からなり、第1章は序論、第2章は実験材料と方法、第3章は結果、第4章は考察について述べられている。

脊椎動物の骨格筋及び心筋における筋収縮は、細いフィラメントのカルシウムによる構造変化により制御される。細いフィラメントはアクチン、トロポミオシン、トロポニンから構成され、トロポニンはさらに、トロポミオシン結合サブユニットであるTnT、カルシウム結合サブユニットであるTnC、アクトミオシンATPase阻害サブユニットであるTnIという3つのタンパク質サブユニットから構成されている。TnIはカルシウム結合条件ではアクチンに結合しないが、カルシウム解離条件ではアクチンに結合してアクトミオシンATPase活性を阻害する。このことから、筋収縮の制御メカニズムを理解する上で、カルシウムイオン濃度に依存したトロポニンの構造変化、特にTnIのアクチン結合領域の構造変化が非常に重要であると考えられた。

そこで、細いフィラメントのクライオ電子顕微鏡構造解析により、トロポニンの構造変化が調べられた。その結果、カルシウム解離条件では、トロポニンアームと名付けられたトロポニンのアクチン結合領域がトロポニン本体から分岐していることがわかった。一方、カルシウム結合条件では、トロポニン本体から分岐したトロポニンアームは観察されず、トロポニンアームはトロポニン本体にドッキングしていると結論された。しかし、電子顕微鏡の構造解析の空間分解能は限られているため、構造変化の詳細は不明のままである。一方、X線構造解析により、カルシウム結合型トロポニンT2CI複合体の3次元構造が解かれた。しかし、原子のディスオーダーのため、アクチン結合領域の構造は決定できなかった。恐らく、このディスオーダーはアクチン結合領域のフレキシビリティーが非常に高いためであると考えられる。

以上のような研究背景の下に、本論文ではNMR分光法を用いて、カルシウムイオン濃度に依存したトロポニンの構造変化を原子レベルの分解能で明らかにする研究が行なわれている。トロポニンT2CI複合体中のTnIを安定同位体で標識し、NMR分光法によりその構造の決定が行なわれた。T2CI複合体の分子量は52Kで、NMR分光法で構造解析できるタンパク質の分子量の限界を超えている。しかし、TnIの中のアクチン結合領域であるC端領域(トリ骨格筋K131-S182)に由来するピークが明瞭に観察された。これは、トロポニン本体とC端領域の間に存在するヒンジ領域のディスオーダーによって、C端領域が高い運動性を有しているためと考えられる。さらに、NOESYスペクトルの解析により、TnIのC端領域の立体構造が決定された。その結果、C端領域の中にはドメイン (V143-S182) が存在していること、カルシウムイオン濃度を変えてもドメイン構造の大きな変化がないことなどが明らかにされた。また、カルシウムイオン濃度に依存した化学シフトの変化が調べられ、大きな変化がTnIのC端領域構造の片側に集中していることが示された。これらの結果と細いフィラメントのクライオ電子顕微鏡解析の結果を合わせ、論文提出者はTnIのC端領域は立体構造を保ったままでカルシウム依存的にトロポニンの中で位置を変えていると考えた。そこで、NMR分光法により得られたTnIのC端領域構造を、カルシウム解離条件で得られた細いフィラメントのクライオ電子顕微鏡構造解析密度マップにフィッティングすることが行なわれ、TnIのC端領域がトロポニンアーム領域によくフィットすることが示された。TnIのC端領域構造は電荷分布に特徴的な偏りを持っているが、フィッティングの結果、その電荷分布がアクチンのC端領域などの電荷分布と相補的であることがわかり、トロポニンアームのアクチンへの結合に静電相互作用が大きく寄与していることが示唆された。

本論文の研究で得られた以上の結果により、筋収縮の制御メカニズムにとって非常に重要なTnIとアクチンの相互作用について、原子レベルでのはじめての知見が得られたと言える。

なお、本論文は湯本史明、田之倉優、大木進野、若林健之との共同研究であるが、論文提出者が主体となってトロポニン複合体タンパク質の調製、その活性などの生化学的測定、NMRデータの解析と構造決定、電子顕微鏡密度マップへのフィッティング解析及び得られた結果の考察を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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