学位論文要旨



No 118829
著者(漢字) 渡辺,伸
著者(英字)
著者(カナ) ワタナベ,シン
標題(和) X線分光観測による中性子星からのX線と相互作用する星風の研究
標題(洋) Spectral Study of Stellar Winds Interacting with X-rays from Accreting Neutron Stars
報告番号 118829
報告番号 甲18829
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4482号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 山本,智
 東京大学 教授 牧島,一夫
 東京大学 教授 森,正樹
 東京大学 助教授 江尻,晶
 東京大学 助教授 大橋,正健
内容要旨 要旨を表示する

はじめに

大質量X線連星 (HMXB) は、中性子星とO型、もしくはB型の巨星とで構成される連星系であり、OB型星が生み出す星風の一部を中性子星が重力的に捕獲し、降着させ、X線で明るく輝く天体である。HMXBには、中性子星近傍の強い重力場、強い磁場、中性子星からの強いX線放射というような、地球上では、実現不可能な極限環境が存在する。この連星系の内部の物理状態を探る、重要かつ強力な手段の一つが、X線分光観測である。OB型星から放出される星風や、その中から中性子星に向けて流れる物質は、中性子星からのX線によって照らされ、密度やX線強度の条件によっては高度に電離される。X線と物質との相互作用の際に、放出される2次X線は、その場の物理状態を反映し、観測されるX線スペクトル中に様々な輝線など特徴的な構造を作る。したがって、高い精度のX線スペクトルを得ることで中性子星の周辺の物理状態について、さらなる探査が可能になる。Chandra衛星に搭載されたX線分光器は、これまでにないエネルギー分解能により、初めて、X線スペクトル中の輝線の精密分光を可能にした。我々はその連星系内部の物質の電離構造、分布、星風のダイナミクスを議論する。また、この目的のために、モンテカルロ法に基づいた新しい解析手法を開発した。

Chandra衛星による観測

我々は、異なった特徴を示す2つのHMXB、Vela X-1とGX 301-2をChandra衛星のX線分光検出器 (HETGS) を用いて観測した。様々な見込み角のデータを得るため、それぞれについて、3同ずつ、異なった軌道位相にある時を選び、観測した。

Vela X-1の観測では、中性子星が相手の星に隠れる軌道位相 (φ=0.0) とその反対側のφ=0.5における観測で、E/ΔE=100-1000という極めて高いエネルギーにより多数の輝線を検出した。ほぼ中性のFe, Ca, Ar, S, Siからの蛍光X線に加え、Si, Mg, Neがヘリウム様や水素様電離されたイオンに起因する輝線も検出された。さらに、幅の狭い放射再結合連続成分 (RRC) の構造が観測され、その幅から、電子温度が6-8 eV(約10万K)であることが導かれた。特に、Siに関しては、中性に近い状態から水素様イオンまで、数多くの電離状態のイオンと関連がある輝線が極めて高い精度で検出された (Figure 1)。これらの観測結果から、Vela X-1では、中性子星からのX線により、光電離プラズマが形成されており、しかも、様々な電離度のものが存在していることが、観測的に初めて明らかになった。さらに、Vela X-1からは、(1) 観測された輝線の種類は、φ=0.5とφ=0.0ではほぼ同じであること、(2)φ=0.5とφ=0.0の輝線の強度比は5:1〜10:1であること、(3) 水素様イオン、ヘリウム様イオンの輝線からは、ドップラーシフトが検出され、φ=0.5では青方偏移、φ=0.0では、赤方偏移で、その差は300-600 km s-1であること (Figure 2)、が初めて明らかになった。

GX 301-2の観測では、3つのすべての軌道において、深い吸収を受けた連続成分に加え、中性に近いFe, Ca, Ar, S, Siから蛍光X線(Kα線)を検出した。Vela X-1とは対照的に、電離状態の高いイオンからの輝線は観測されなかった。鉄のKα線は、中性子星が近星点の手前にいる軌道で、最大の強度を示したが、その際、6.4 keVのKα線の低エネルギー側に~6.24 keVまでのびる「肩」のような構造を明確に検出した (Figure 3)。観測されたエネルギー分布は、ちょうど、6.4 keVのX線がコンプトン散乱されるときの分布に相当し、コンプトンショルダーと呼ばれる。これは、X線が電子と衝突する際、反跳電子放出分のエネルギー損失をするコンプトン散乱を、天体現象において、初めて検出したものである。

モンテカルロ法に基づくシミュレータ

Chandra衛星による高いエネルギー分解能の観測結果は、従来行われてきた単純な仮定(幾何学的に対称な構造、一様な密度、光学的に十分に薄い、など)に基づく解析的モデルでは、説明できない。そこで我々は、非対称な物質分布、連続的に変化する密度、電離状態を扱い、モンテカルロ法でX線光子の輸送過程を一つ一つ追い、そこからのX線スペクトルを再現するシミュレータを構築した。そして、このシミュレーションの結果と観測データを比較し、物理状態を探るという手法をとった。

Vela X-1の物質分布、電離構造の探査

Vela X-1内部の物質の分布、光電離による電離構造がどうなっているかを調べるため、Vela X-1の3つの軌道の観測結果をすべて、矛盾なく説明するような条件をシミュレータを用いて求めた。まずは、OB型星の星風の速度構造として、Castor, Abbott & Kleinによって提唱された星風モデル(CAKモデル)を仮定し、中性子星からの輻射による電離構造を求め、その電離構造から観測されるX線スペクトルをシミュレーションで求めた。そして、φ=0.5とφ=0.0の時の輝線の強度比を、SiのLyαを用いて、観測とシミュレーションで比較することにより、Vela X-1の物質の分布、イオン化の構造を得た。その電離構造に基づくシミュレーション結果は、3つ観測の連続成分の強度と多くのラインの強度を高い精度で説明できる。

しかしながら、星風の運動速度に起因すると考えられるドップラーシフトの大きさに関しては、観測のほうがシミュレーションより小さいと結果になった (Figure 2)。これは、得られた電離構造は現実の姿に近いものの、星風の速度構造は、最初に仮定したCAKモデルとは異なることを意味する。CAKモデルは単独のOB型星の星風を考慮しており、中性子星からのX線の影響は考慮されていない。実際にX線による光電離の影響により、水素様イオンやヘリウム様イオンからの輝線が多く発生するような場所の星風の速度は、CAKモデルの1/2から1/3になりうることを我々は計算により示した。その結果は観測されたドップラーシフトのずれの速度と近い。得られたような電離構造を維持したまま、ドップラーシフトも観測と合うような星風の速度構造は存在するはずで、そのパラメータを求めるには、さらなる詳細な計算が必要となるが、今回得られたドップラーシフトのずれという結果は、Vela X-1系内部の星風がX線放射の影響を受けていることの確かな証拠と考えられる。

GX 301-2の物質分布、状態の探査

コンプトンショルダーは、鉄のKα線を生成している領域の物理状態を表し、そのフラックスは物質の量や組成比を、形は散乱電子の温度などを反映する。そこで、我々はモンテカルロシミュレーションを用い、それらのパラメータを数量化して、観測されたコンプトンショルダーと比較した。この結果、中性子星の全体を覆う均一な雲を仮定したとき、コンプトンショルダーを生成している散乱物質の厚みは、水素柱密度にして、NH〜1×1024 cm-2であり、電子温度は3 eV以下であることが示された。散乱物質の金属組成比(原子番号Z>2)は、宇宙組成比のそれの0.75倍で観測をよく説明できることが分かった。

コンプトンショルダーで得られたパラメータは、全体のX線スペクトルをも良く再現する。したがって、中性子星の全体を覆うような、濃く冷たい物質がGX 301-2には存在することが示唆される。CAKモデルによる星風と、中性子星の周りを取り囲む冷たい雲という物質分布でモンテカルロシミュレーションを行ったところ、連続成分の形、鉄のα線とそのコンプトンショルダーだけでなく、Si, S, Ar, Caの蛍光X線の強度も3つ軌道位相の観測結果、すべてに対して良く合うことが分かった。また、このような雲の存在は、高い電離度からの輝線が観測されないというGX 301-2の特徴もよく説明できる。

本論文により、新しい高精度の観測データをもとに、大質量X線連星系の内部の物理状態を探る新しい手法が確立され、2つの異なるタイプの系に対して、その違いを形作る物理状態を特定した。この観測、解析から示唆されるVela X-1とGX 301-2の連星系の内部構造について、概念図をFigure 5に示す。Vela X-1では、中性子星は直接、星風を照らしているが、GX 301-2では、冷たく濃い雲が中性子星を囲んでいる。この差は、重力的に捕獲した星風を中性子星に降着させるメカニズムの違いによってもたらされることが考えられるが、現在の観測データだけからは、制限がつかない。X線分光観測とともに、高感度の硬X線、ガンマ線ミッションが期待される。

Vela X-1のSiのKライン領域 (1.7-2.1 keV) のX線スペクトル。複数の電離状態が確認できる。

Vela X-1のSi Lyα(左)とMg Lyα(右)のラインプロファイル。ヒストグラムが観測データで、曲線で表されているのは、検出器のレスポンスをかけたシミュレーションの結果。赤が軌道位相φ=0.0のときで、青が軌道位相φ=0.5のとき。シミュレーションより、観測データのほうがドップラーシフトが小さいことが分かる。

GX 301-2で検出された鉄のKα線とコンプトンショルダー

Vela X-1のφ=0.5のときの観測データとシミュレーション結果の比較。(上)NeとMgの領域 (0.85-1.80 keV),(下)Siの領域 (1.50-2.45 keV)。それぞれのパネルで上が観測データ、下が検出器のレスポンスをかけたシミュレーション結果。

今回の観測、および解析と考察で得たVela X-1、GX 301-2の連星系内部の物理状態。

審査要旨 要旨を表示する

本学位論文は、大質量X線連星 (HMXB) を対象にして、大質量晩期型星からの星風と中性子星からのX線の相互作用をChandra衛星の高いスペクトル分解能を生かして観測的に調べたものである。本論文は全体で9つの章から構成されている。

第1章での総論的導入の後、第2章でHMXBに関する研究の背景とX線分光学の有用性をレビューしている。第3章は観測に用いたChandra衛星の概要と、高いスペクトル分解能を実現しているX線分光器 (HETGS) の基本性能をまとめている。

第4章と第5章は、それぞれ代表的なHMXBであるVela X-1とGX301-2についての観測結果である。Vela X-1については、中性子星が3つの異なる軌道位相にある場合についてのX線スペクトルを測定した。その結果、低電離状態からヘリウム様電離状態、水素様電離状態までの種々の電離状態にある様々な元素(S、Si、Mg など)のスペクトルをよく分解して捉えた。また、異なる軌道位相で比べたとき、スペクトル線のドップラーシフトがヘリウム様、水素様に電離したNe、Mg、Siについて明瞭に観測された。一方、GX301-2についても3つの軌道位相にある場合のX線スペクトルを測定した。Vela X-1の場合と異なり高電離状態の元素からのスペクトルは見られず、低電離状態にあるFe、S、Si、Mg、Caからの蛍光X線が観測された。また、Fe輝線の低エネルギー側にコンプトン散乱に伴う160 eV程度の幅をもつ構造(コンプトンショルダー)が明瞭に見られた。この結果は、コンプトンショルダーを天体現象において捉えた初めての例である。

第6章では、得られた観測結果を定量的に吟味するために開発したスペクトル線シミュレーションのコードについて述べている。HMXBの構造を考慮し、各元素のイオン化状態の空間分布を計算するとともに、モンテカルロ法によって観測されるスペクトルを求めるようになっている。第7章、第8章では、このコードを用いて、それぞれ免Vela X-1、G301-2についての議論を行っている。Vela X-1については、星風の構造のモデルとして輻射圧による加速に基くCAK(Castor Abbott & Kkein)モデルを仮定してシミュレーションを行った。その結果、3つの軌道位相にある場合のそれぞれについて、連続波強度、スペクトル線強度ともによく再現することができた。これから、質量放出率が求められ、また、中性子星を部分的に覆う雲(水素原子の柱密度にして1.7×1023 cm-2)が存在することが確認された。一方、スペクトル線のドップラーシフトに関して、シミュレーション結果は観測値よりも系統的に大きかった。その原因として水素様、ヘリウム様に電離したイオンが存在する中性子星近傍では、星風の速度構造がCAKモデルからずれている可能性を議論している。GX301-2については、コンプトンショルダーの解析から、中性子星全体を覆う密度の高い低温の雲(電子温度にして3 eV以下)の存在が明らかになった。この描像は、GX301-2で観測されるX線スペクトルの特徴とも矛盾しない。第9章はこれらの結果のまとめを述べている。

以上のように、本研究では2つの代表的なHMXBについて、X線領域の高分解能分光観測によってそれぞれの構造を解明したものである。得られた結果はもちろんのこと、X線分光観測の新しい可能性を示した点でも非常に高い学術的意義がある。本研究は、論文提出者が共同研究者の助言の下で自ら着想し実行したものであり、論文提出者の寄与は十分と判断できる。

従って、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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