学位論文要旨



No 118838
著者(漢字) 続,唯美彦
著者(英字)
著者(カナ) ツヅキ,ユミヒコ
標題(和) クェーサーの広輝線領域におけるFe/Mg組成比
標題(洋) Fe/Mg Abundance in the Broad Line Region of Quasars
報告番号 118838
報告番号 甲18838
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4491号
研究科 理学系研究科
専攻 天文学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 小林,尚人
 東京大学 教授 野本,憲一
 国立天文台 教授 小林,行泰
 国立天文台 教授 藤本,眞克
 東京大学 助教授 土居,守
内容要旨 要旨を表示する

イントロダクション

クエーサーから放射される鉄とマグネシウムの輝線強度比Fe II/Mg IIはクエーサー母銀河の年齢や母銀河での最初の星形成の時期をはかる時計として注目されている。母銀河において鉄のほとんどはIa型超新星で生成され、マグネシウムはII型超新星で生成されることが標準的な星の進化論から予見されており、このような生成メカニズムの違いからマグネシウムに対する鉄の増加には遅れがある。Fe II/Mg IIを観測し、クエーサーの鉄とマグネシウムの組成比Fe/MgがII型超新星起源のFe/Mgを越えていれば、少なくともそのクエーサー母銀河は鉄の遅延時間より長く存在していると言える。

1996年に赤方偏移3.6のクエーサーのFe II/Mg IIが宇宙時計の目的で観測されて以来、クエーサーのFe II/Mg II測定は現在も続いている。国内外数グループによってFe II/Mg IIを赤方偏移の関数として求める試みがなされているが、予想に反してFe II/Mg IIの赤方偏移依存性は見つかっていない。その理由のひとつはFe II/Mg IIの測定方法に起因している可能性がある。もうひとつは、Fe II/Mg IIがFe/Mgだけに依存しているのではなく、Fe/Mg以外の要素、例えばクエーサー放射場の性質や放射領域のガス密度、ガスの乱流といった要素に依存している可能性がある。

本論文は2つの章から成り立つ。第2章では低赤方偏移クエーサーについてFe II/Mg IIを正確に測定し、そのX線光子指数Γやクエーサー光度に対する依存性を調べる。第3章ではクエーサーの広輝線領域のモデルを光電離コードを用いてシミュレーションし、Fe II/Mg IIの放射場やガス密度、乱流に対する依存性を調べる。またFe II/Mg IIからFe/Mgを求める変換則を求めクエーサーのFe/Mgを得る。

クエーサーのFe II輝線強度の測定

Fe II輝線やMg II輝線といったクエーサーの広輝線を調べるために、波長1200Aから6200Aをカバーし、Signal to Noise Ratio (SNR) が20以上の良質のスペクトルをハッブル宇宙望遠鏡 (Hubble Space Telescope) のアーカイブで検索した。条件を満たすクエーサーは3天体存在した。10天体については紫外スペクトルのみが存在したため、うち7天体については米国立キットピーク天文台 (Kitt Peak National Observatory) で可視分光観測を行った。残りの3天体については文献の可視スペクトルをデジタル化した。また赤方偏移0.6のクエーサーについては、近赤外分光観測をすばる望遠鏡で行った。以上の紫外、可視、赤外スペクトルを合わせ、SNRが20以上で1200-6200Aの波長を持つスペクトルを得た

クエーサーのFe II輝線はMg II輝線など他の輝線と混合している。それらの強度を正確に測定するために、Fe II輝線の強度が強く、輝線幅が狭い狭輝線セイファート1銀河、I Zw 1のスペクトルからFe II輝線テンプレートを作成した。Fe II輝線テンプレート作成は以下手順をふんだ。紫外スペクトルはHSTのアーカイブデータから取得し、それより長波長のデータについてはKPNOで Laor らによって得られたスペクトルと、Issac Newton グループのアーカイブからスペクトルを取得し、各波長域のスペクトルをつなげ波長1100-6700Aを持つスペクトルを得た。次に得られたスペクトルから巾乗連続光の差引きを行った。巾乗連続光の強度は巾乗連続光の窓と呼ばれる巾乗光以外の成分の寄与が少ない波長帯、具体的には紫外域にある1280-1290Aと1430-1460A、可視域にある5600-5800Aと5970-6200A、Hαλ6563の長波長側で正確に決定した。さらに220のバルマー連続光テンプレートを計算し、1430-1460Aで強度が無くなるテンプレートを選択し、バルマー連続光以外の成分の寄与が比較的少ない3625A付近で強度を決定し差し引いた。巾乗連続光、バルマー連続光を引いたスペクトルからさらにFe II輝線以外の輝線を除去し、その残りのFe II輝線を数百のガウシアンプロファイルでフィットした。ガウシアンプロファイルの中心波長は約5A間隔で与え、幅はMg II輝線の値で固定し、強度をフリーパラメータとした。

得られたFe II輝線テンプレートをクエーサースペクトルに適用する前に、それぞれのクエーサーについて巾乗連続光の差引きを行った。このスペクトルに対し、バルマー連続光テンプレート、Fe II輝線テンプレート、Mg II輝線ガウシアンプロファイルをフィットしてFe II輝線とMg II輝線の強度を測定した。この際、Fe II輝線テンプレートは6つの波長域、1800-2200A, 2200-2660A, 2660-3000A, 3000-3500A, 4200-5100, 5100-5600Aに分割され、それぞれの波長域ではガウシアンプロファイルの相対強度がI Zw 1のスペクトルから得られた値で固定したが、各波長域間での相対強度は変動可とした。

測定したクエーサーのFe II輝線強度と電波、X線の性質との関係を調べた。過去の観測からFe II輝線強度とX線光子指数Γ(観測されるX線光子PE photons s-1 keV-1をPE=C×E-Γでフィットしたときの巾で、Cは銀河間吸収)との関係が示唆されてきた。本研究においても、Fe II (optical)/HβとΓとの間に95%の確かさで相関が見られた。またFe II(UV)/Mg IIとΓの相関が報告されているが、本研究では確認されなかった。しかしながらこれは本研究のサンプルがΓ=1.5-3.0と報告されているサンプルのΓ=1.7-4.3に比べて範囲が狭いためであると考えられ、実際このΓとFe II輝線との関係は次章のシミュレーションから明らかになった。さらにFe II/Mg IIと絶対等級との関係を調べた(図1の上)。サンプル全体では相関係数は0.30であるが、RQサンプルでは0.79となった。また12のクエーサーが存在するΓの範囲(2から3)から1つだけ外れたクエーサー (Γ=1.5) をサンプルから除外するとRLサンプルでは相関係数0.77、全体でも0.74となり95%以上の確かな相関となった。

モデルスペクトルとの比較

ここでは371のエネルギーレベルを持つFe+イオンモデルが組み込まれた光電離コードを用いて広輝線領域から出るスペクトルのシミュレーションを行い観測結果との比較を行った。このコードは広輝線領域におけるFe+の衝突、放射過程の扱いを可能とした最初のコードである。水素密度HはlogH=9、10、11、イオン化パラメータUはlogU=-3、-2、-1、乱流速度はvturb=0、5、10 km s-1、柱密度は1023 cm-2、元素組成比は太陽値でシミュレーションを行った。その結果、バルマー連続光の巾乗連続光からの超過に相当する量、バルマージャンプは水素密度に、またC IV/C III]はイオン化パラメータに敏感であることがわかった。これをもとに観測スペクトルからバルマージャンプ、C IV/C III]を測定し、各クエーサーの水素密度、イオン化パラメータを見積もった。モデルスペクトルと観測スペクトルを比較し、約8割の天体が (logH、logU、vturb)=(10、-1、5) であることがわかった。以上の結果をもとに、モデル (logH、logU、vturb)=(10、-1、5) の元素組成比を2倍、4倍、8倍、16倍、32倍の太陽値に変えて計算し、Fe II/Mg II輝線強度比のFe/Mg組成比への変換則を得た。この変換則を用いてクエーサーのFe/Mg組成比を求める前に、観測で見つかったFe II輝線のX線光子指数Γに対する依存性を調べた。モデル (logH、logU、vtur6)=(10、-1、5) についてΓを1.5から4.5まで変えてシミュレーションを行った。この結果Γに対するFe II輝線の正の相関が明らかになった。これは大きなΓを持つクエーサーでは、Fe+イオンを壊す硬X線光子が減り、軟X線光子が相対的に増えることでFe+が存在する部分電離領域が拡大しFe+による冷却率が大きくなるためである。得られたFe II/Mg IIからFe/Mgへの変換則を用い、低赤方偏移クエーサーのFe/Mgを求め、絶対等級との関係を調べた。95%以上の確かさで相関が見られた。またX線光子指数Γ、イオン化パラメータ、水素密度、乱流速度の依存性を補正したFe/Mgでも相関が95%以上の確かさで見られ、光度とFe/Mgの相関は確かめられた。この関係をさらに理解するために、クエーサー光度とHβのFWHMからクエーサーの中心質量を見積もった。図1(中、下)に求めた質量と光度の関係、Fe II/Mg IIと質量の関係を示す。いずれも95%の確かさで相関があり、銀河の研究で見つかっている質量とメタリシティの関係に類する現象である。重い銀河では重力ポテンシャルが深いためメタリシティが高くなっても超新星によってガスは飛ばされないが、低質量銀河では高いメタリシティに達する前にガスが飛ばされると考えられている。

結論

低赤方偏移クエーサーの1200Aから6200Aという広い波長域をカバーしたスペクトルからFe II/Mg IIを測定した。得られた値はクエーサー光度、クエーサー中心質量と相関があった。これは銀河の研究において知られる質量とメタリシティの関係がクエーサーの観測から得られたものであり、本研究で行ったFe II/Mg IIの測定方法の確かさが示された。さらにモデルシミュレーションから、強度比から組成比への変換則を得て、低赤方偏移クエーサーのFe/Mgが1.51+0.36-0.31、組成比以外の要素効果を考慮した結果でも2.06±1.66といずれにしても約2倍の太陽値であることを示した。

(上)Fe II(UV)/Mg II輝線強度比と絶対等級の関係。白印はradio-queit(RQ)、黒印は radio-loud(RL)。(中)クエーサー中心質量と絶対等級の関係。クエーサー中心質量は、5100Aの光度λLλ(5100A)とHβのFWHMからリバベレーション測定で得られている関係式を用いて求めた。Hβを広輝線成分のみでフィットできなかった3つのクエーサーはサンプルから除外している。相関係数は0.58で95%以上の確かな相関を示す。(下)Fe II(UV)/Mg II輝線強度比と中心質量の関係。Fe II(UV)/Mg II輝線強度比はイオン化パラメータ、乱流速度、X線光子指数Γによる影響を考慮した値。相関係数は0.73で95%以上の確かな相関を示す。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は4章からなる。

第1章では、まず高赤方偏移における「鉄とマグネシウムの元素組成比」の宇宙時計としての重要性が述べられている。続いて、クェーサーの広輝線領域 (Broad Line Region) から放射される、一回電離した鉄およびマグネシウム輝線を用い、この組成比の赤方偏移による変化を調べた過去の試みが、簡潔にまとめられている。数多くのクェーサーについて観測が行われたにも関わらず、輝線強度比の赤方偏移に対する明確な増加もしくは減少傾向は示されていないが、論文提出者はその理由として、1) 観測されてきたスペクトルの波長範囲が十分広くなかったために、クェーサーの連続光のフラックスが正確に求められておらず、その連続光の上に足し合わさる形で観測される鉄とマグネシウムの輝線の強度が正しく測定されていない、2) 鉄マグネシウム輝線比は、広輝線領域のイオン化パラメータ、水素密度、および乱流速度など組成比以外の要素にも依存するため、元素組成比をそのまま反映しているわけではない、という2つの大きな可能性を指摘している。本論文は、鉄マグネシウム組成比の導出に当たって存在するこの2つの不定性を考察し、正確な組成比を求める手法を確立することを主題としている。

第2章では、まず、連続光のフラックスによる不定性を除くために、静止系で紫外線から可視光までの広い波長域 (1000-7000A) を覆うS/N比の高いスペクトルのサンプルを、低赤方偏移 (z<0.6) の13個のクェーサーについて揃えたことが記述されている。紫外線のデータはハッブル望遠鏡のアーカイブデータを、また、可視波長域のデータは主に、論文提出者が独自にアメリカアリゾナ州キットピーク天文台において観測して取得したデータを用いている。これにより、原子輝線がない複数の波長域のデータから連続光のフラックスレベルを正確に求める解析が可能となり、不定性のない鉄マグネシウム輝線比が導出された。さらに、論文提出者は、この輝線比とクェーサーの他の物理パラメータとの相関を全サンプルについて調べ、過去の観測において相関が見いだされていなかった、鉄マグネシウム輝線比とクェーサーの絶対等級との間の強い相関を見いだした。

第3章では、第2の不定性である、鉄マグネシウム輝線比に対する元素組成以外の広輝線領域の物理パラメータ(イオン化パラメータ、水素密度、乱流速度)の影響を調べるため、最新の鉄イオンモデルが組み込まれた光電離コードによって作成されたモデルスペクトルと、観測データとの比較考察が行われている。まず、CIV/CIII] 輝線比とバルマー・ジャンプの強度からイオン化パラメータと水素密度のおおよその範囲が見積もられた後に、スペクトルフィッティングにより、上記3パラメータの値が求められた。続けて、鉄マグネシウム元素組成比をパラメータとしたスペクトルフィッティングが、鉄マグネシウムの輝線の存在波長範囲 (2200-3600A) について行われた結果、最終的な元素組成比が求められた。こうして求められた組成比とクェーサーの絶対等級との間には、ふたたび強い相関が見いだされた。論文提出者は、さらにこの関係を理解するために、クェーサーの絶対等級とHβ輝線の輝線幅からクェーサーのブラックホール質量を導出し、組成比との相関を調べた。その結果、相関係数が0.8以上の明瞭な正の相関を見いだした。

最後に第4章では、本論文の要約が簡潔に述べられている。

本論文は、クェーサーの鉄マグネシウム輝線比から、元素組成比を初めて定量的に求めたものである。その結果、鉄マグネシウム組成比とクェーサーの絶対等級との相関をも明らかにした。独自の観測によって取得したデータをもとに、広波長域を覆ったスペクトルのサンプルを用意して、連続光フラックスの不定性を取り除いた点、および、最新の鉄イオンモデルが組み込まれた光電離コードにより組成比以外の要素の影響を明らかにし、真の組成比を高い精度で求めた点が高く評価できる。今後この手法を用いて、高赤方偏移のクェーサーについても、正確な鉄マグネシウム組成比が導出されることが期待できる。

なお、本論文は、大薮進喜、田邊俊彦、吉井譲、川良公明との共同研究であるが、論文提出者が主体となって観測、解析、計算、および議論を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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