学位論文要旨



No 118841
著者(漢字) 今中,宏
著者(英字)
著者(カナ) イマナカ,ヒロシ
標題(和) タイタン大気中の有機物エアロゾル及び凝縮雲に関する実験的研究
標題(洋) Laboratory Simulations of Titan's Organic Haze and Condensation Clouds
報告番号 118841
報告番号 甲18841
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4494号
研究科 理学系研究科
専攻 地球惑星科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 永原,裕子
 東京大学 教授 松井,孝典
 東京大学 助教授 阿部,豊
 横浜国立大学 教授 小林,憲正
 東北大学 教授 五十嵐,丈二
内容要旨 要旨を表示する

はじめに

タイタンは、窒素とメタンを主とする分厚い大気をもつ土星の衛星である。今日まで、10種以上の有機物が大気中に検出されている。全球を覆っている“もや”は、光化学や放射線化学による活発な有機化学反応によって生成されていると考えられている。大気上層で生成される複雑な気相生成物は、成層圏下層で凝縮雲を形成する。これら大気中で形成された有機物エアロゾルと凝縮雲は最終的には表層に堆積し、そこでは、さらなる有機化学反応が生じる可能性がある。このタイタンは、惑星・衛星スケールで起こる有機化学反応を理解する場として、非常に重要である。タイタンの有機化学に関する知見は、原始地球上での生命の起源を理解する手がかりを与える。2004年に到着するカッシーニ・ホイヘンス探査により、タイタン大気・表層の詳細が明らかにされる予定である。

本研究の目的は、タイタン大気の様々な高度における現象(図1)を包括的に実験シュミレーションし、タイタン大気・表層の有機化学を理解することである。本研究は、以下の4部から構成される。

1)大気中の複雑な有機化学(単純な気体から有機物エアロゾルへ)。2)有機物エアロゾルの光学・化学特性。3)成層圏下層での凝縮雲の性質。4)表層での有機物生成反応。

複雑な有機化学 (Chemical Network)

ヴォイジャーなどの探査により、タイタン大気中には、炭素と窒素の数が4、(C+N)4、までの有機物が観測されており、光化学モデルや低圧での室内実験によって比較的良く再現されている。しかしながら、単純な気体から有機物エアロゾルにいたる複雑な有機化学反応は、ほとんど理解されていない(図2上)。本研究では、タイタン大気中の反応を模擬した実験により、(C+N)4以上の複雑な気相生成物を初めて分析した。低圧(0.26mbar)で行った実験の結果、芳香族や窒素を含むヘテロ環など、多重結合を持った不飽和な化合物が主として検出された。これらの芳香族化合物は、有機物エアロゾルを生成する複雑な化学反応において重要な役割を担っていることが示唆される(図2下)。

有機物エアロゾルの光学・化学特性

複雑な有機化学反応によって生成した有機物エアロゾルの光学特性は、タイタン大気の温度構造を支配している。しかしながら、過去の模擬実験によって生成した有機物エアロゾル(“ソリン”)の光学定数の虚部kには、10倍程度の不確定性が残っており、それらの化学的性質はほとんど理解されていなかった。本研究では、タイタン大気中の反応の模擬実験から生成したソリンの化学的・光学的性質と、その圧力依存性を系統的に調べた。その結果、ソリンの光学定数kは、実験時の圧力によって変化することが初めて明らかにされた。この結果、過去の研究におけるkの違いが説明できる。低圧(0.26mbar)で生成された赤褐色のソリンはより窒素を含んだ芳香族化合物を多く含み、高圧(23mbar)で生成された淡黄色のソリンはより水素に飽和していることが示された(図2下)。これは、非局在電子をもつ窒素を含んだ多環芳香族化合物が有機物エアロゾルの光学定数kを決定していることを示唆する。低圧で生成されたソリンの光学的性質により、観測されるタイタンの幾何アルベドや温度構造は良く説明できる。このことは、低圧で生成されたソリンが、タイタン大気中の有機物をよく模擬しており、タイタン大気中のエアロゾルには、窒素を含んだ多環芳香族化合物が含まれていることを示唆する。

赤外分光法による凝縮雲の性質

タイタン大気中の複雑な有機化学反応によって生成される気体成分は、温度が180Kから70Kに冷却される成層圏下層で凝縮雲を形成しうる。本研究では、コールドプラズマによって生成される気相生成物を様々な温度で凝縮し、その凝縮物を赤外分光法によって測定した。その結果、150Kでシアン化アンモニウムを初めて同定した。この結果から、タイタン大気高度100km付近にNH4CNの凝縮雲が存在することが示唆される。さらに低温では、HCNやC2H2,HC3Nなどの氷が確認された。室内実験では、気相中にアンモニアが検出される。しかしアンモニアは、これまでタイタン大気中では検出されていない。このことは、タイタン大気中では、複雑な有機化学反応によって生成されるアンモニアが、HCNと反応して蒸気圧の2桁小さいNH4CNとして存在している可能性を示唆する。

タイタン表層での有機物生成反応

タイタン大気中において形成された有機物エアロゾル及び凝縮物は最終的にはタイタン表層に達すると考えられる。この有機物に富んだ表層の氷が、衝突現象や火成活動によって暖められた場合に進行する有機化学反応を模擬して、氷混合物をゆっくり暖める実験を行った。この結果、白い氷が温度200から250K付近で黒色の有機物固体に変化することが観察された。この黒色有機物のGCMS分析から、アデニンやピリミジン塩基などの形成に重要な中間体であるHCNの4量体などが検出された。以上の結果は、カッシーニ・ホイヘンス探査によって、タイタン表層に黒色のクレーター・火口が発見される可能性を示唆する。

まとめ

本研究をもとにしたタイタンの有機物エアロゾルと凝縮雲のモデルを図3に示す。これらの一連の有機化学反応を水素の挙動に着目して統一的に理解することを試みた。本研究の低圧実験によれば、メタンの分解によって生じた余剰な活性水素Hは、炭素と結合せずに、気相生成物ではNH3に(凝縮してNH4CNに)、有機物ソリンではアミン基(NH,NH2)に含まれることが示唆される。このことはタイタンで観測される不飽和な気相生成物や有機物ソリンの光学的性質と調和的である。以上から、活性な水素原子が、タイタン大気上層から散逸するだけではなく、窒素と結合することにより、有機物エアロゾル・凝縮物としてタイタン大気から表層へ運ばれるという新たな物質循環が提案される。

タイタン大気に関する物理と化学。高層大気では、窒素とメタンを主とする大気に、紫外線などが照射することにより、複雑な気相生成物や有機物エアロゾルが生成される。この有機物エアロゾルの光学特性は、大気の温度構造を支配している。生成された気相生成物は、成層圏下層では凝縮雲を形成する。有機物エアロゾルと凝縮雲は表層に堆積し、そこでは、さらなる有機化学反応が生じる可能性がある。

本研究によって得られた知見。タイタン大気中を模擬した低圧コールドプラズマ実験(0.26mbar)による気相生成物・有機物ソリンには、芳香族をはじめとする不飽和な化合物が存在する。生成物中に含まれる芳香族成分は、有機物エアロゾルを形成する反応に重要な役割をし、その光学定数を支配していることが示唆される。一方、高圧実験(23mbar)では、気相・固相ともに飽和した炭化水素が主として含まれる。今日までの観測によって得られているタイタン大気組成の不飽和成分や幾何アルベド・温度構造は、低圧実験がタイタン大気中の複雑な有機化学をより良く模擬していることを示唆する。低圧実験において生成されるNH3はHCNと反応して、低温ではNH4CNの凝縮物として存在する。

本研究によって得られたタイタンにおける有機化学のモデル。タイタンの高層大気では、複雑な化学反応によって、窒素に富んだ多環芳香族化合物を含んだ有機物エアロゾルが生成される。有機物エアロゾルの形成には、芳香族化合物が重要な役割を果たしている。それらが、降下していく際に、シアン化アンモニウムが高度100km付近で凝縮し、さらにシアン化水素やプロパン・アセチレンなどが凝縮する。これらの混合物が最終的に表層に達する。表層に堆積した氷の混合物は、衝突や火山によって暖められると、黒色の有機物を形成する。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は4章からなり、第1章は、大気中の複雑な有機化学(単純な気体から有機物エアロゾルへ)、第2章は有機物エアロゾルの光学・化学特性、第3章は成層圏下層での凝縮雲の性質、第4章は表層での有機物生成反応について述べられている。

第1章においては、土星の衛星タイタンの高層大気における、原子数4以上の複雑な分子の形成についての実験的研究結果が示された。窒素とメタンの1:4の混合ガスにコールドプラズマを照射した結果、低圧では芳香族や窒素を含むヘテロ環など、多重結合を持った不飽和な化合物が、一方高圧では飽和化合物が形成されることを示した。低圧ほど多量のエアロゾルが形成されることから、エアロゾルの形成には、低圧における不飽和化合物の形成が重要であることが初めて示された。原子数4以上の複雑な気相分子の同定、それらの形成に関する圧力依存性、エアロゾル形成量など、すべて、本研究のために装置を作成し、初めて測定されたものである。

第2章は、タイタン大気における複雑な有機化学反応によって生成した有機物エアロゾルの光学特性について述べられている。それらはタイタン大気の温度構造を支配しているが、過去の模擬実験によって生成した有機物エアロゾル(“ソリン”)の光学定数の虚部kには、10倍程度の不確定性が残っており、それらの化学的性質はほとんど理解されていなかった。本研究では、タイタン大気中の反応の模擬実験から生成したソリンの化学的・光学的性質と、その圧力依存性を系統的に調べた。その結果、ソリンの光学定数kは圧力によって変化することが初めて明らかにされ、過去の研究におけるkの違いが説明された。観測されるタイタンの幾何アルベドや温度構造は、低圧で生成されたソリンの光学的性質により良く説明できる。このことは、低圧で生成されたソリンが、タイタン大気中の有機物をよく模擬しており、タイタン大気中のエアロゾルには、窒素を含んだ多環芳香族化合物が含まれていることを示唆する。

第3章では、コールドプラズマによって生成される気相生成物を様々な温度で凝縮し、その凝縮物を赤外分光法によって測定した。その結果、150Kでシアン化アンモニウムを初めて同定した。この結果から、タイタン大気高度100km付近にNH4CNの凝縮雲が存在することが示唆された。さらに低温では、HCNやC2H2, HC3Nなどの氷が確認された。室内実験では、気相中にアンモニアが検出される。しかしアンモニアは、これまでタイタン大気中では検出されていない。このことは、タイタン大気中では、複雑な有機化学反応によって生成されるアンモニアが、HCNと反応して蒸気圧の2桁小さいNH4CNとして存在している可能性を示唆した。

第4章では、大気中の気相生成物が地表に沈殿してできる有機物に富んだ表層の氷が、衝突現象や火成活動によって暖められた場合に進行する有機化学反応を模擬して、氷混合物をゆっくり暖める実験を行った。この結果、白い氷が温度200から250K付近で黒色の有機物固体に変化することが観察された。この黒色有機物の GCMS 分析から、アデニンやピリミジン塩基などの形成に重要な中問体である HCN の4量体などが検出された。以上の結果は、カッシーニ・ホイヘンス探査によって、タイタン表層に黒色のクレーター・火口が発見される可能性を示唆した。

これらの一連の実験をもとに、有機化学反応を水素の挙動に着目して、タイタン大気における元素の挙動を統一的に理解することが可能となった。すなわち、メタンの分解によって生じた余剰な活性水素Hは、炭素と結合せずに、気相生成物ではNH3に凝縮してNH4CNとなり、有機物ソリンではアミン基(NH,NH2)に含まれることになる。タイタンで観測される不飽和な気相生成物や有機物ソリンの光学的性質はこれに由来する。したがって、活性な水素原子が、タイタン大気上層から散逸するだけではなく、窒素と結合することにより、有機物エアロゾル・凝縮物としてタイタン大気から表層へ運ばれるという新たな物質循環が示された。

なお、本論文第2章は、B. N. Khare, J. E. Elsila, E. L. O. Bakes, C. P. McKay, D. P. Cruickshank, S. Sugita, T. Matsui との共同研究であるが、論文提出者が主著者であり、主体となって実験・解析・検証をおこなったものであり、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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