学位論文要旨



No 118842
著者(漢字) 田力,正好
著者(英字)
著者(カナ) タジカラ,マサヨシ
標題(和) 第四紀後期における東北日本弧の地殻変動
標題(洋) Vertical crustal movements of the northeast Japan arc in late Quaternary time
報告番号 118842
報告番号 甲18842
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4495号
研究科 理学系研究科
専攻 地球惑星科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 佐藤,比呂志
 東京大学 教授 木村,学
 東京大学 教授 松浦,充宏
 東京大学 助教授 須貝,俊彦
 東京大学 助教授 池田,安隆
内容要旨 要旨を表示する

はじめに

東北日本弧は北アメリカ(またはオホーツク)プレートと太平洋プレートの衝突境界に位置し,典型的な島弧-海溝系をなしている.東北日本弧の下には太平洋プレートが約8-9cm/yrの速度で沈み込み,島弧を東西に圧縮変形させていると考えられている.東北日本弧においては様々な方法で地殻変動速度が測定されているが,測地学的に得られる短期間(100年以下)のデータと地形・地質学的に得られる長期間(数1000〜数100万年)のデータの間には顕著な食い違いがみられる.東北日本弧の水平歪み速度は,測地学的時間スケールでは10-7/yrのオーダー,地形・地質学的時間スケールでは10-8/yrのオーダーであり,およそ一桁の違いがある.この不一致は垂直変位速度においても認められ,三陸海岸においては測地学的時間スケール(100年)では数mm/yr〜10mm/yrの沈降,地形学的時間スケール(約125kyr)では0.1〜0.5mm/yrの隆起となり,正反対の結果を示す.その不一致の原因として考えられるのは観測の誤差の他に,周期が測地学的時間スケールより長いサイクリックな(したがって長期に渡って蓄積しない)変動の存在である.島弧-海溝系の形成・変形メカニズムを理解する上で,地殻変動速度は最も基礎的なデータでの一つである.近年,技術の進歩(GPSなど)に伴って測地学的データは充実しつつあり,垂直変動速度も面的に得られるようになっている.しかし,長期的な(地形・地質学的時間スケールの)データが存在するのは海岸部と活断層近傍のみで,内陸部の地殻変動像は未だに充分に明らかになっていない.

本研究の第1の目的は,河成段丘を用いて,内陸部を含む東北日本弧全体の垂直変動速度を広域的・面的に求めることである.次に,得られた変動速度データとその他の地質学的・地球物理学的データを基に,東北日本弧の形成過程と変形メカニズムを考察した.

河成段丘を用いた内陸部の地殻変動量推定法

河成投丘は,上流から中流では主に気候条件の変化に,下流では主に海面変化に対応して形成され,同様な気候・海面高度の時期に形成された段丘は,良く似た河床縦断形を示す.深海底コアの酸素同位体比の研究から,酸素同位体ステージ(以下,MISと略称)5e(約125ka)は現在と同程度の温暖期・高海面期,MIS2(約20ka)およびMIS6(約140ka)は互いに同程度の寒冷期・低海面期であり,第四紀中期以降は氷期-間氷期のサイクルが繰り返されていることが明らかになっている.従って,MIS2とMIS6の河床縦断形,および現河床とMIS5eの河床縦断形はほぼ同様な形態となっていた可能性が高い.そのような仮定をおけば,MIS2とMIS6の段丘の比高(TT値),現河床とMIS5eに形成された海成段丘の比高(FS値)はそれぞれの期間の垂直変位量を表すと判断される.

以上のような考えに基づいて,東北日本の各河川において写真判読および現地調査により段丘面の分類・対比を行ない,隆起量(TT値・FS値)を求めた.

結果および考察

得られた垂直変位量分布から,東北日本弧の隆起量分布の特徴として以下の点が挙げられる.

(1)隆起量は,地形と調和的な分布を示す.これは,現在の地形が,基本的には最近約15万年間の地殻変動と同様な空間的パターンで形成されてきたことを示唆する.(2)背弧側では隆起量の空間的変化が大きく,前弧側で小さい.(3)既知の活断層の近傍で隆起量が急激に変化する.このことは,断層付近の隆起量の違いは,主に断層活動によってもたらされることを示している.(4)活断層が認められない地域(火山地域)でも活断層が分布する地域と同様に,東西方向に隆起量が波長50kmほどで増減するというパターンがみられる.これは,活断層が地表で認められない地域(火山地域)でも,地下では活断層が存在する地域と同様なパターンの地殻変動が起こっていることを示している.また,相違点としては,活断層が存在する地域では相対的低下側は海水準に対しても沈降するが,火山地域では相対的沈降側でもわずかに隆起していること,が挙げられる.この地殻変動の成因としては,地下の伏在断層の活動,あるいは高温により極端に薄くなった弾性的地殻のバックリング,が考えられる.

隆起量の分布から,東北日本弧では,幅10-50km程度の短波長の変形と島弧スケール(150-200km程度)の長波長の変形が重なり合っていることが分かる.短波長の変形は,主として活断層の変位に起因すると推定される.その理由として考えられるのは,第1に,前述のように隆起量が急変する箇所が既知の活断層の位置と一致し,隆起量の変化が活断層の変位速度と同程度であること,第2には,通常の弾性的厚さを持つ地殻の場合,波長10-50km程度の短波長の変形は起こり得ないと考えられることである.長波長(島弧全体)の変形の原因として考えられるのは,(1)地殻の厚化および(2)地表面の削剥によるアイソスタティックな隆起,(3)火山噴出物の荷重によるアイソスタティックな沈降,および(4)太平洋プレートの定常的沈み込みによって生じる隆起,である.地殻の厚化の原因としては,地殻の短縮変形,および火成活動によるマグマの underplating との二つが考えられる.北上山地(外弧)のドーム状の隆起(曲隆)は主としてプレート沈み込みの効果によると考えられ,その隆起は外弧側の海岸付近に限られると思われる.東北日本弧においては,背弧側の上部地殻は活断層により短縮変形し,一方,下部地殻は粘性流動により短縮変形し,地殻を厚化させていると考えられる.火山域の下部地殻では,マントルウェッジ内の上昇流によりマグマの underplating が起こっていると推定される.

隆起速度を島弧の東西断面で平均すると,0.24-0.32mm/yrとなる.この値から削剥によるアイソスタティックな隆起の寄与(山地の削剥速度から推定)および火山噴出物の荷重による沈降の寄与(火山噴出物の体積から推定)を差し引くと,平均隆起速度は0.21-0.31mm/yrとなる.この値から,地殻の厚化速度は1.3-1.7mm/yrと求められる.島弧に沿った方向の変動や体積変化が無く,地殻の厚化が島弧地殻の短縮変形のみに由来すると仮定すると,東北日本弧の過去約15万年間における平均短縮速度は6.6-8.5mm/yr, 水平歪み速度は4.1-5.6×10-8/yrと算出される.但し,これはマグマの underplating や太平洋プレートの沈み込みに起因する隆起を考慮していないので実際の短縮速度・水平歪み速度はこれより小さくなる可能性がある.ここで求められた水平歪み速度は,地形・地質学的時間スケールの水平歪み速度(10-8/yrのオーダー)と調和的で,鮮新世以降,第四紀を通じて東北日本弧の変動速度はほぼ一定であったことを示唆している.また,短縮速度は太平洋プレートの収束速度(約8-9cm/yr)の約1割程度のみが東北日本弧内部に永久変形(塑性変形)として蓄積していることを示している.

審査要旨 要旨を表示する

本論文は,東北日本弧を研究対象地域として,河成・海成段丘を用いて隆起量(速度)分布を面的かつ広域的に求め,地殻変動様式を明らかにし,その結果を基に島弧の変形メカニズムを考察したものである.

本論文は全6章で構成されている.第1章では,研究の背景として,東北日本弧における測地学的変動速度と地形・地質学的変動速度の不一致とそれを説明する仮説について述べている.第2章では,研究対象地域である東北日本弧の地震活動や地形・地質を概観している.

第3章では,本研究で用いた手法について論じている.まず,従来の手法(侵蝕小起伏面を用いた手法)の問題点を指摘し,それに代わる手法として河成段丘の比高を用いる方法の考え方を提示している.さらに,河成段丘を用いる手法の適用限界や精度・問題点を論じ,上流部や流域の狭い河川では段丘が発達しないためこの方法が適用できないこと,上流部では隆起量が過小評価される可能性があること,年代資料の不足のために隆起量の見積もりの信頼性が劣る場合があること,などを指摘している.また,東北日本弧を含む中部地方以東の日本の河川において,氷期-間氷期サイクルに対応して形成された段丘に特徴的な分布形態が多く認められることを述べている.

第4章では,空中写真判読と現地調査(堆積物の層相,テフラ,ローム層の記載など)に基づいて,研究対象地域の各河川について詳細な地形分類図を作成している.それを基に,段丘の平面的分布および河床・段丘の縦断形の特徴を述べ,段丘の形成過程を推定している.さらに,河床・段丘の縦断形から隆起量を求め,その信頼性を論じている.なお,ここで求められた隆起量とは,酸素同位体ステージ(MIS)6と2の間,またはMIS5eと1の間の約12.5万年間の隆起量のことである.また,沈降域については,年代が特定されている地層の深度分布(既存の資料から推定)から沈降速度を求めている.

第5章では,第4章で得られた隆起量(速度)の分布を平面図と東西断面図として図示し,東北日本弧の地殻変動の特徴を以下のように述べている ;(1)隆起量は,地形と調和的な分布を示す.これは,現在の地形が,基本的には最近約15万年間の地殻変動と同様な空間的パターンで形成されてきたことを示唆する.(2)背弧側では隆起量の空間的変化が大きく,前弧側で小さい.(3)既知の活断層の近傍で隆起量が急激に変化する.(4)活断層が認められない地域(火山地域)でも活断層が分布する地域と同様に,東西方向に隆起量が波長50kmほどで増減するというパターンがみられる.これは,活断層が地表で認められない地域でも,地下では活断層が存在する地域と同様な地殻変動が起こっていることを示している.

さらに第5章では,第4章で得られた隆起量分布パターンから,以下のように東北日本弧の変形メカニズムを論じている;東北日本弧では島弧の走向と平行な幅10-50km程度の短波長の変形と島弧スケールの長波長の変形が重なり合っているとみなせる.短波長の変形は,主として活断層の変位に起因すると推定される.長波長(島弧全体)の変形の原因として考えられるのは,(1)地殻の厚化(地殻の短縮変形およびマグマの underplating による)および(2)地表面の削剥によるアイソスタティックな隆起,(3)火山噴出物の荷重によるアイソスタティックな沈降,(4)太平洋プレートの定常的沈み込みによって生じる隆起,である.また,アイソスタシーが成り立ち,島弧に沿った方向の変動や体積変化が無く,地殻の厚化が島弧地殻の短縮変形のみに由来すると仮定すると,島弧の東西断面における平均隆起速度0.24-0.32mm/yrから地表の削剥や火山噴出物の荷重によるアイソスタティックな隆起・沈降の寄与を差し引くことによって,東北日本弧の平均短縮速度は6.6-8.5mm/yr, 水平歪み速度は4.1-5.6×10-8/yrと算出することができる.この短縮速度は太平洋プレートの収束速度(約8-9cm/yr)の約1割程度が東北日本弧内部に永久変形(塑性変形)として蓄積していることを示している.但し,以上の見積もりはマグマの underplating や太平洋プレートの沈み込みに起因する隆起を考慮していないので,実際の短縮速度・水平歪み速度はこれより小さくなる可能性がある.

第6章では,結論として第1〜5章の記述を簡潔にまとめている.

島弧-海溝系の変形メカニズムを包括的に理解する上で,地殻変動速度は最も重要なデータでの一つであるにもかかわらず,これまでは内陸部の長期的な(地形・地質学的時間スケールの)隆起速度データが乏しく,内陸部の地殻変動を論ずるに足るものではなかった.本論文は,河成段丘の高度分布を用いて内陸部の隆起量を広域的に求めたもので,世界的にもほとんど前例がなく,初めて内陸部の地殻変動を面的かつ定量的に論ずることが可能になったという点で画期的である.また,島弧の地形学的時間スケールにおける短縮変動速度が推定されたことも今までに前例が無いことで,これは島弧の変形現象のみならず,島弧内の地震と沈み込み帯のプレート境界地震との関係などを理解する上でも重要な貢献をするものと考えられる.

以上のようなことから,本論文は地球惑星科学,とくに地形学・地震学の新しい発展に寄与するものと考えられ,博士(理学)の学位を授与できると認める.

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