学位論文要旨



No 118843
著者(漢字) 千喜良,稔
著者(英字)
著者(カナ) チキラ,ミノル
標題(和) 中期完新世の緑のサハラに関する数値的研究 : 非混合層起源対流のインパクト
標題(洋) A numerical study on the green Sahara during the mid-Holocene : an impact of convection originating above boundary layer
報告番号 118843
報告番号 甲18843
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4496号
研究科 理学系研究科
専攻 地球惑星科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 木本,昌秀
 東京大学 教授 住,明正
 東京大学 助教授 中村,尚
 東京大学 助教授 松本,淳
 東京大学 助教授 高薮,縁
内容要旨 要旨を表示する

はじめに

花粉・動植物化石・湖の水位などの証拠により、6000〜9000年前のサハラ砂漠は湿潤化し、植生が大きく広がっていたと考えられている。一方、当時の軌道要素・植生分布・SSTの変化を考慮した大気大循環モデル (GCM : General Circulation Model) による実験が多数行なわれてきたが、ほとんどのGCMでは、サハラに植生を維持するほどの降水量をもたらすことができていない。

Ding and Randall (1998) は、予報型 Arakawa-Schubert (AS) 積雲対流スキームを非混合層起源対流 (COA: Convection originating from aloft) に拡張するスキームを開発した。これをGCMに組み込んだ結果によると、夏の北アフリカでは非混合層起源対流が卓越している。このことを観測的に示した研究はまだないが、サヘル地域(ニジェール)の雨量計データによると、この地域では、混合層が発達していない夜から朝にかけて降水が卓越すること (Shinoda et al., 1999)、最近の北アフリカの夏の集中観測プロジェクトの結果によると、この地域で混合層より上に高い相当温位を持った空気が存在すること (Taylor et al., 2003) などから、北アフリカにおいてCOAが重要ではないかと推測できる。

本研究では、COAを表現するASスキーム (MCB: Multiple Cloud Base) を作成し、これをGCMに組み込むことで、6000年前の実験で8-9月のサハラの降水量が大きく増加することを示す。総降水量は、サハラの南部と北西部で植生を維持しうる量となる。これまで、多くのGCMではCOAについて簡単な取扱いしかなされてこなかった。CCSR/NIES AGCM5.6で用いられている簡易ASは、混合層起源の対流しか考慮しておらず、COAは別の枠組みで処理されている。しかしそれも浅い対流しか表現できないため、非混合層起源の深い対流を表現することができない。

MCBの定式化

定式化は基本的には Ding and Randall (1998) に準ずる。これは、予報型ASスキームにおいて、混合層より上の層でも、その層を起源とし、異なるエントレインメント率を持った複数の雲タイプを考慮したものである。本研究では、CCSR/NIES AGCMの物理過程と適合するように、緩和型ASスキームをベースにする、境界層の取り扱いを変更するなどの修正を加えている。MCBは混合層・非混合層を区別せず、浮力を持つすべての層からマスフラックスを発生させる。簡易ASでは、混合層の高さをモデル最下層の空気の持ち上げ凝結高度で診断的に求めていた。MCBでは、様々なタイプの湿潤対流を一つの枠組みで表現することが可能になるとともに、夜から朝にかけて地表付近に逆転層が形成されている際、簡易ASがフィクションの混合層を仮定してしまう問題を回避することができる。

実験設定

CCSR/NIES AGCM5.6をフルオプションで使用する。解像度はT42L20。便宜的なトリガリング条件を使用する。基本実験として表1の通り、4つの実験を行なった。6000年前の植生分布は、Hoelzmann et al.(1998)に基づいてサハラとアラビア半島が植生で覆われた状態を仮定する。すべての実験でSSTは現在に固定する。積分は6年間行い、最初の1年をスピンアップとした。

また、植生の影響を分離するために、表2の通り、追加実験を2つ行なった。ここでは、植生分布は変えず、軌道要素のみを6000年前のものとしている。その他の設定は基本実験と同じである。

現在の実験結果

MCBを組み込んだGCMは現在の気候をよく再現できる。MCBは簡易ASの欠点の多くをそのまま引き継いでいるが、変化の傾向は概ね結果を観測に近づける方向にある。モデルの結果では、COAは主として陸上と中緯度のストームトラックで卓越している。COAは、中緯度の前線、インドモンスーン地域、北米の半乾燥地域などで存在が観測的に知られているが、モデルの結果もこの地域で卓越するとの結果となっている。

6000年前の実験結果

AS6kでは、8-9月のITCZの北端がAS0kに比べて北上し、サハラ南部に降水帯が進入する。このとき、軌道要素の違いによって北半球の夏の日射が強まること、植生の広がりを仮定したことでアルベドが低くなったことから、サハラの地表気温は大きく上昇している。地表気圧が低くなり、北アフリカ西岸からの水蒸気輸送は大きく増加する。混合層内では水蒸気のサハラへの進入が強まっている。また、中層の偏東風ジェット、上層の上昇流の位置も北に移動する。

MCBの導入により、AS6kで見られた変化の傾向がさらに強まり、サハラ北西部の降水量が大きく増加する。潜在植生を診断するモデル (Prentice et al., 1992) を用いると、サハラの南部と北西部に植生が広がる。このとき、COAによる降水はITCZの北半分の領域で卓越しており、ITCZのサハラへの侵入を強める方向に作用している。一方、現在の実験では、8月のCOAによる降水のピークの緯度はITCZの降水のピークの緯度とほぼ一致している。

現在の実験では、8月に下層で湿潤静的エネルギー (MSE) が最大となる緯度は、上昇流が卓越する緯度とほぼ一致している。一方、6000年前の実験では、8月に上昇流が卓越する緯度は現在の実験と比べてわずかしか変化しないのに対し、下層の水蒸気のピークの位置は大きく北上する。このため、6000年前の8月のITCZは、南半分では小さなMSE、北半分では大きなMSEで特徴づけられる南北非対称な構造となっている。MSEの高い領域では、夜から朝にかけて混合層の高さが低くなるため、混合層の上で高いMSEを持つ空気が存在し、COAを形成する要因となる。6000年前の実験においてITCZの北半分でCOAが卓越するのはこのような理由による。

AS6knoveg, MCB6knoveg においても、以上のような南北非対称な構造が見られるがAS6k, MCB6kに比べると小さい。すなわち、以上の構造は植生の存在によって強められている。また、植生があることにより、MCBのサハラの降水へのインパクトが植生がない場合よりも強められている。

夏のITCZの北限はサハラ南部で停滞するが、アフリカ波動に伴う低気圧がサハラの西側で北上し、中緯度の高気圧の切れ目とつながった状態になりやすい。これにより、サハラの北西部にも水蒸気が運ばれ、多くの降水がもたらされている。弱いながら現在でも以上のような傾向が見られ、6000年前の実験では夏のITCZが現在より北に移動するため、こうしたプロセスが強化されることになっている。サハラの西側に植生が進出しやすいのは、このような理由によっている。

MCB6kは、サハラの南部と北西部で植生を維持しうる量の降水をもたらしている。仮定した植生分布と気候値から診断された植生分布が一致するには至っていないが、本研究により、6000年前の緑のサハラのメカニズムについて有益な洞察を得ることができた。

基本実験の設定

追加実験の設定

審査要旨 要旨を表示する

古気候データによると、6000〜9000年前のサハラ砂漠は湿潤で植生が大きく広がっていたと考えられている。いわゆる「緑のサハラ」である。これまで、当時の軌道要素と植生分布を与えた大気大循環モデル (GCM) によるシミュレーションが多数行われてきたが、そのほとんどがサハラに植生を維持できるほどの降水量を再現できておらず、再現できたとする少数例においてもそのプロセスは明らかではなかった。

申請者はGCMによる「緑のサハラ」シミュレーションの困難さの原因の一つが、モデル内での積雲対流の表現の未熟さにあると考え、地表近くの混合層より上空を起源として起こる「非混合層起源対流」を表現する計算スキームを開発した。さらに、そのスキームを用いることにより「緑のサハラ」の再現が著しく向上することを示し、そのプロセスについても明らかにした。

第1章において上記のような研究の現状をレビューした後、第2章において混合層より上空を雲底とする対流を扱うことのできる積雲対流のパラメタリゼーションスキームが提案される。パラメタリゼーションとはモデルの格子点以下のスケールで起こる現象の格子点スケールへのフィードバック効果を格子平均量で表す計算法の総称で、大気大循環モデルにとってもっとも重要な部分である。本研究で提案された非混合層起源対流のパラメタリゼーションは、Arakawa-Schubert の方法を多重雲底に拡張したもので、類似の先行研究が一編あるが、申請者の用いる東大気候システム研究センター/国立環境研究所共同開発によるGCMで用いられている多層大気境界層過程および積雲対流の平衡条件の計算法の扱い等に整合的にすべく独自に定式化されたものである。

第3章において、現在および6000年前条件での数値実験設定がなされる。過去の研究によって、6000年前の海面水温分布は現在と有意に異ならないことが示されているので、現在値を用いるが、植生については古気候学的証拠をもとにサハラやアラビア半島をサバンナやステップで覆う。

第4章においては現在気候における新パラメタリゼーション導入のインパクトが示される。非混合層起源対流の扱いが可能になることで、陸上夜間の安定化による境界層厚さが薄くなったときの対流や、中緯度温暖前線付近の対流などの表現が向上する。全般に降水量分布の誤差も減少する方向に働くことがわかった。

第5章においては、新パラメタリゼーションの導入によって「緑のサハラ」再現に成功したことが報告され、それをもたらした気象学的過程についての解析がなされる。まず、新パラメタリゼーションを用いた場合は、6000年前を現在と比較すると、サハラ砂漠南方に位置する熱帯収束帯の降水が北上し、アフリカ大陸西部を中心に現在の砂漠域が湿潤化する結果が得られた。旧パラメタリゼーションを用いた実験では湿潤域北上の度合いは小さく「緑のサハラ」再現に成功したとは言いがたい結果であった。このことは、再現された気候要素から地表植生を診断するモデルを用いても確認された。実験の成功の要因は、予想されたとおり、夜間の薄い混合層上空を雲底とする対流の表現にあることが確認された。また、降水の増加は、総観気象学的にみると、暖候期にアフリカ波動と呼ばれる偏東風擾乱によって熱帯収束帯から水蒸気が北へ輸送される過程を通じて起こっており、これは現在の気候下で観測されているサハラでの降水過程と類似している。新パラメタリゼーションを用いた6000年前の実験では熱帯収束帯、偏東風擾乱域がともに北上する。また、6000年前の地表植生条件のインパクトについても数値実験によって確認された。植生の北への広がりは境界層の湿潤化をもたらし、非混合層起源対流によって降水が増強される。

以上のように本研究は「緑のサハラ」が、非混合層起源対流という新しいプロセスの導入によって大気大循環モデルで再現が可能になることを示すもので、その成果は、気象学、気候学の研究に重要な貢献を為すものと判断する。

なお、本論文第2章、第4章は住 明正との、第5章は阿部彩子、住 明正との共著論文として投稿される予定であるが、論文提出者が主体になって研究を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

よって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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