No | 118847 | |
著者(漢字) | 梅澤,有 | |
著者(英字) | ||
著者(カナ) | ウメザワ,ユウ | |
標題(和) | 大型藻類の窒素安定同位体比を用いた 熱帯・亜熱帯沿岸域における陸起源窒素影響域の時空間変動とその要因の解析 | |
標題(洋) | Nutrient Dynamics in Tropical and Subtropical Coastal Ecosystems Assessed by δ15N in Macroalgae | |
報告番号 | 118847 | |
報告番号 | 甲18847 | |
学位授与日 | 2004.03.25 | |
学位種別 | 課程博士 | |
学位種類 | 博士(理学) | |
学位記番号 | 博理第4500号 | |
研究科 | 理学系研究科 | |
専攻 | 地球惑星科学専攻 | |
論文審査委員 | ||
内容要旨 | はじめに サンゴ礁、海草帯、マングローブ林といった生産性が高く他の生物の生活基盤を作り出すことが出来る大型の一次生産者は、熱帯・亜熱帯の沿岸域に特有の生態系を構成している。陸域での人間活動の発展に伴って、海域への窒素負荷量が増加していくことが想定されるこれらの地域において、生態系へ流入窒素の起源とその影響について明らかにすることは、この生態系のみならず、既に富栄養化が進行した温帯海域では得にくい窒素循環の多様なプロセスについて、さらに富栄養化とのリンクが想定される構成生物種の変化に対しても多くの有益な情報をあたえる。しかしながら、系外からの低栄養塩負荷に加え、河川、地下水や湧昇流という時空間的に不均一な栄養塩の供給形態が卓越するこれらの海域では、発達した一次生産者が無機栄養塩の大きな吸収(放出)源として存在しており、さらに生物地形によって生み出される複雑な海水流動が水質の不均一性を作り出している。そのため従来の栄養塩モニタリングや窒素収支計算では、系内の栄養塩環境の時空問変動を捉え、さらに発達した生物相への実際の影響を評価することは困難であった。 これらの課題を解決する手法として1990年代半ばになると、海藻体内の化学成分がその生育期間中の時間平均的な現場での栄養塩環境を反映し、また実際に海藻が受けている影響を示すという点に着目し、体内の窒素 (N)・リン (P) の含量から、環境場の時空間的な栄養塩環境を把握する研究がなされてきた。 本研究では、窒素安定同位体比 (δ15N) が窒素源特定に利用できる可能性に着目し、先ず、タイ南西部のマングローブ林に隣接した海草帯において海域に分布する大型藻類のδ15Nの時空間変動から、海域の一次生産者の窒素源の時空間変動とそれを規定している要因について明らかにすることを試みた。しかしながら、用いた大型藻類の海藻種別の窒素取り込み時の生理特性の不確実性や、また現場海域での陸水のδ15N値等の環境因子の情報が乏しいこと等により、広いエリア間での窒素源の違いに関する断片的な解析に限られた。そこで、大型海藻の窒素取り込み時の環境に応じた同位体分別の影響、また生長量の季節変化など、調査現場に卓越して分布する藻類の特性を明らかにするために、複数の培養実験を行った。これらの実験結果をもとに、各窒素源のエンドメンバーが有意に異なりまた陸域からの窒素負荷が異なることが想定される海域が隣接しているサンゴ礁生態系として、沖縄県石垣島サンゴ礁において同様の調査を行うことで、海域の一次生産者の窒素源の時空間変動とそれを規定している要因について、より詳細な解析を試みた。 方法・結果 環境勾配が大きく同一種の海藻を全調査海域で用いることが困難なタイ南西部のマングローブ河口域海草帯において、栄養塩環境に対する応答に共通性を持つと報告されている形態の類似した海藻(糸状・枝状)を併用してδ15N値の時空間分布を調べた。海藻採取地点での採水によるDIN濃度は低く、地点間、季節間による違いは殆ど見られなかったが、都市域や養魚場等からの間欠的な栄養塩負荷が推測される海域では、河川のDINより重たい海藻のδ15N値が観測されたのに対し、比較的自生のマングローブ林の広がる河口域では軽いδ15N値が観測され、分布する海藻の種類からも、大気からの固定や堆積物から溶出した窒素を利用していることが示された(図1)。河川由来の直接のDIN/P供給量は少ないものの海草とマングローブ林由来の大量の有機物供給を受ける浅海域では、間隙水中に豊富な窒素 (e.g.,50-100μM-NH4+) が含まれており、低潮位時の潮汐流・風波による物理撹乱も加わった拡散によって100〜400μmol-N/m2 day水中への溶出が推定されることなど、低栄養塩海域における海藻の低いδ15N値から示唆される窒素供給源と矛盾しない結果が得られた (Chapter 3)。 対象とするサンゴ礁海域に時空間的に広く分布するために現場への応用性が高いと判断された Padina australis, Hauck(ウスバウミウチワ)(図.2)を材料とし、異なる水温・光量・栄養塩環境において、15Nで標識した硝酸 (15NO3-) と通常のNO3-添加による1-2週間の培養実験、および生長量測定実験を行った。食用資源である Laminaria spp.(コンブ科の一種)や富栄養化指標でもあるUlva spp.(アオサ科の一種)等と比較して研究例の殆どないウミウチワ類において、15NO3-添加実験の結果から、藻体全体で窒素を取り込み、生長に応じて体内に蓄積していくメカニズムを明らかにした。この結果、藻体全体を試料とすることで、その化学成分が海藻の生育期間である2〜3ヶ月の時間平均的な情報を有することが確認された。また、体内の無機態窒素 (DIN) プールの大きさは窒素供給量に依存し、窒素の枯渇条件下では限りなく小さいことも示唆された。一方で、NO3-添加実験から、海藻のN含量が2.0%に達するN飽和条件下では植物プランクトンと同様にδ15N値も軽い方へ移行した。また培養装置内に共存している、窒素の取り込み速度の速い浮遊性藻類・付着藻類による軽い窒素の選択的な取り込み反映して、大型藻類のδ15N値が逆に重い方へ移行する傾向も見いだされた(表1)。 しかしながら、1) 体内での窒素の活発な細胞間移動の存在、2) 栄養塩枯渇条件下において、細胞内に入ったDINの速やかな細胞有機窒素への同化、3) 栄養塩供給量と他の成長量に関する因子(光量・水温)の相対的な供給量に応じての、体内のchl.a量の調整、などの特徴から、少なくとも現場の条件下のウミウチワ類はおいては、成長量や栄養塩供給量の時空間変動に伴う窒素の同位体分別は、比較的生じにくいメカニズムをもっていることが明らかとなった (Chapter 3)。 次に石垣島周辺のサンゴ礁海域において Padina spp. を面的に高密度で採取し、藻体のδ15N分布の地域別特徴(図.3)及び同一海域での季節変化(図.5a)を、陸域の土地利用、海域地形、流入窒素濃度やδ15N値、更に海藻のN含量(図.5b)やδ13C値との比較・検討を行った。その結果、海域の一次生産者の窒素源としての陸域窒素の利用は、全般的には陸から離れるにつれて減少するものの、その寄与率の空間変動は、窒素負荷量のみならず、流入形態(河川水・地下水)と海域地形で決まる海水交換での希釈効果、降水量に左右される流入する窒素濃度、海水流動方向、系内の他の降水量に左右される流入窒素濃度、海水流動方向、系内の他の一次生産者による窒素利用などの複合的要因によって決まることが明らかとなった。採水によって求められたNO3-分布(図5c,d)は、海藻のδ15N値(%。)分布(図5a)や窒素含量(%)分布(図5b)、さらには、陸起源硝酸の流入フラックスから推定された海域での硝酸濃度分布とも異なる傾向を示していた。熱帯・亜熱帯海域において、δ15Nをはじめとした海藻の化学成分を指標として用いることによって、従来の栄養塩モニタリングや窒素収支計算では得られなかった一次生産者の時間平均的な窒素供給環境とその起源について、生物分布に即したスケールで把握することができた (Chapter 4)。 まとめ・考察 有機物の無機化によるDIN供給が広い範囲で卓越することが示唆されている熱帯のマングローブ林隣接の海草帯において、海藻のδ15N値から陸起源の窒素供給および、生態系内でのPOMおよびDINの二次的な供給に関しての時空間変動が、地形的・物理的側面からの複合的な規定要因を含めて示された。一方、陸域からはNO3-としての窒素負荷が卓越するサンゴ礁においては、培養実験によって得られた基礎データを応用し、海藻のδ15N値の面的分布から、数ヶ月の時間軸を含んだ陸起源窒素の影響域がその規定要因を含めて詳細に明らかにすることが出来た。石垣島サンゴ礁での P. australis. のN含量分布(外洋側で高め)とδ15N値分布(陸側で高め)の不一致や、海草帯での海草上の付着藻類現存量とDIN/Pフラックスの関係からも示唆されるように、これら海域における固着性の一次生産者への窒素供給は、陸域からの間欠的な高濃度の陸起源窒素流入だけでなく、外洋水由来および系内での無機化による低濃度の窒素供給 (Miyajima et al.in prep.) のそれぞれが、局所的に固有の物理場のもとで大きな影響力をもっており、生態系内の一次生産者への実際の窒素源寄与率や窒素供給量の空間分布を決めていると考えることが出来た。 全球的に見た場合、底層や中層での脱窒や表層での植物プランクトンによる取り込みを経て重たくなったδ15N値を持つDINの湧昇流による供給のため、δ15N値からでは沿岸海域における窒素の供給源やフローのメカニズムを掴むことが困難と思われる海域も存在する(例:西部インド洋・熱帯赤道域・東部太平洋)。熱帯・亜熱帯地域は、陸域の土地利用やその気候条件も含めて、陸起源窒素のδ15N値がそれほど重たい値はとらないと考えられるものの、赤道域を除いて、東シナ海や Andaman 海を含めたこれらの外洋海域では窒素固定が活発で外洋水起源のDINのδ15N値が低い特性から、本研究と同様に海藻のδ15N値により、細かな空間スケールでの窒素源の違いを把握することができると考えられる。一方で、熱帯赤道域においても、本研究で得られたDIN供給の時空間分布とそれを決定する規定要因の関係に着目して、それぞれの規定要因を細かく解析することで、沿岸生態系における窒素循環の理解に応用することができるであろう。 近年問題となっているサンゴ礁や海草帯での栄養塩負荷と微細・大型藻類の繁茂との因果関係については、従来の水柱の栄養塩観測や窒素収支計算のみでは正しい評価ができなかった。海藻のδ15N値やN含量を用いて、一次生産者とっての実際のN起源と Flux の時間平均的な栄養塩環境を把握することで、双方の因果関係を正確に把握することができる。今後、生物相の時空間変動を合わせて解析し、また、培養実験を通して、異なる生長量・栄養塩吸収特性等を持つ複数の海藻種を様々な環境指標として用いることが出来るようになれば、栄養塩環境が関係する主要生物種の移行及び付随する生元素循環の変化の予測や制御が可能になっていくであろう。 乾季初期 (Dec.) の陸起源窒素の影響が大きいと思われる地域(●)と他起源の窒素の影響が大きいと思われる地域(○)の海藻及び周辺のPOMの,δ15N、δ13C値(乾季後期は本文中) Padina australis 培養(12日間)終了後の環境条件別の藻体のδ15N値と単純希釈からの期待δ15N値および培養終了後の藻体色の変化。他の培養結果からDarkのchl.aは10.0mg/cm2, Lightは6.0mg/cm2程度と推定 異なる4地域における陸域からの距離に応じた海藻のδ15N値分布(本文中では8地域)。河川水流出海域では直線に地下水流出海域では曲線回帰され、低負荷域では岸近くで収束する。 石垣島白保サンゴ礁800m×800mの範囲(上図)に分布するPadina spp. の a) δ15N値(%。)、b) N含量(%)の季節変化、および同時採水した海水の[NO3-](μM)を、c) 各海域の最大 range にて、および d) 対数表示にてプロットしたもの。夏季・秋季は低濃度のDINを含んだ陸水の流入や系内の一次生産量の影響が見られる(秋季は分別効果の影響の可能性もある)。 | |
審査要旨 | 本論文は5章からなり、第1章は熱帯・亜熱帯域の沿岸の卓越する珊瑚礁やマングローブ・海草帯における窒素循環に関するこれまでの研究、特に陸源窒素の影響とその広がりについての研究手法などについての検討、第2章はタイ南部のマンゴローブ林に隣接した海草帯への各種海藻中の窒素安定同位体 (δ15N) を指標とした陸域窒素負荷の解析、第3章は沖縄・石垣島の礁湖に卓越する海藻、Padina の窒素の取り込み特性と、取り込みに伴うδ15Nの分別に関する実験室および生育現場での解析、第4章は沖縄・石垣島の裾礁珊瑚礁において Padinaの化学成分、特に窒素のδ15N値を指標とした陸源窒素の流入の時空間的変動の解析、第5章は陸源窒素の沿岸域への広がりを解析する指標としての海藻のδ15Nの利用の有効性の議論およびこの手法の世界の熱帯・亜熱帯沿岸域における有効性の検討、熱帯・亜熱帯沿岸生態系における生物群集の劣化と窒素循環との関係が議論されている。 本研究で明らかにされた新しい知見は以下の通りである。第2章においては、無機窒素栄養塩の濃度はいずれも低く、地点間、季節間による違いは殆ど見られなかったタイ南西部のマングローブ河口域の海草帯において、河川による陸域からの間欠的な栄養塩負荷が起きている海域では、異種の海藻や水中の懸濁態有機窒素のδ15Nに高い値が見いだされた。一方、未開のマングローブ林の広がる河口・沿岸域では低いδ15N値が観測され、懸濁態有機窒素の同位対比や海藻の種類などから大気からの固定や堆積物から溶出した窒素を利用していることを示し、海藻におけるδ15Nの有効性を明らかにした。 第3章においては石垣珊瑚礁の礁湖内に広く分布する Padina australis, Hauck(ウスバウミウチワ)を主な材料とし、NO3-利用の際の取り込みの特性、成長パターン、同位体分別について異なる水温・光量・栄養塩環境において検討した。現場海域で見られるほぼ最大 (40μM) と中程度 (2μM) の15NO3-の取り込み実験の結果、分裂組織を体の周辺部に持つウミウチワは、藻体全体でNO3-を取り込んでいること、その成長速度から藻体の化学成分は海藻の成育期間である2〜3ヶ月の時間平均的な情報を有していることが示された。又、40μMのNO3-の条件下では体内窒素の10-20%が体内の無機態窒素プールとして存在するが、2μMの条件下で無機窒素プールは1-2%と僅かであることが推定された。一方、NO3-の取り込み時の同位体分別は、冬季条件の40μでのみ有意に検出された。また藻体の窒素含量は硝酸イオン取り込み時における同位体分別と関連があり、藻体窒素含量が2%を越すと窒素供給過多で同位体分別が生じることが明らかになった。これらの結果と併せて 1) 体内での窒素の細胞間移動、2) 成長速度に関する栄養塩と光量・水温などの複数の因子の相対的な供給量に応じて、体内のch1.a量を変化させるなどの特性をこの藻類は持ち、比較的貧栄養であるフィールド条件のもとでは、窒素取り込みにおける同位体分別を起こしにくい仕組みがあるということを明らかにした。 第4章においては石垣島周辺のサンゴ礁海域において Padina spp. のδ15N分布の地域別特徴および同一海域での季節変化を面的に調べ、その三次元分布の変動がどのような因子に支配されるかを解析した結果、底生の海藻への窒素源としての陸域窒素は、陸から離れるにつれて減少するものの、その寄与率の空間変動は、窒素負荷量のみならず、流入形態(河川水・地下水)と海域地形で決まる海水交換での希釈効果、降水量に左右される流入窒素濃度、海水流動方向、系内の他の一次生産者による窒素利用などの複合的要因によって決まることが明らかとなった。現場採水によって求められたNO3-分布の季節変化は、海藻のδ15N値分布や藻体N(%)分布とは異なる傾向を示しており、一次生産者に与える時間平均的な陸源のN供給とその広がりを、熱帯・亜熱帯地域の生物分布に即したスケールで把握するためには、海藻のδ15Nを用いることが非常に有効な手段であることが確認された。以上の研究成果は、海藻による窒素の代謝とその際起こり得る同位体分別プロセスの条件を明らかにした上で、浅海域での陸源窒素の底生植物への影響を時空間的に詳細に明らかにした初めての研究であり、その成果は博士論文として充分なものと判断される。 なお、本論文第2章は小池勲夫、山室真澄、および第4章の一部は宮島利宏、山室真澄、茅根創、小池勲夫との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析および結果の検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。 従って、博士(理学)の学位を授与出来ると認める。 | |
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