学位論文要旨



No 118848
著者(漢字) 北村,祐二
著者(英字)
著者(カナ) キタムラ,ユウジ
標題(和) 成層乱流におけるエネルギーカスケードに関する数値的研究とそのメソスケール大気への適用
標題(洋) Numerical study on energy cascades in stratified turbulence with the application to the atmospheric mesoscales
報告番号 118848
報告番号 甲18848
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4501号
研究科 理学系研究科
専攻 地球惑星科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 新野,宏
 東京大学 教授 高橋,正明
 東京大学 教授 日比谷,紀之
 東京大学 助教授 中村,尚
 東京学芸大学 教授 松田,佳久
内容要旨 要旨を表示する

飛行機観測により,対流圏での10kmから数百kmでのエネルギースペクトルが-5/3乗の水平波数依存性を持つことが知られている (Nastrom et al.; 1984, Nastorm and Gage; 1985など).また,Koshyk and Hamilton (1999) は高解像度GCMを用いてメンスケールでの-5/3乗のスペクトルの再現に成功しており,彼らの結果は,この波数領域において鉛直渦度成分と水平発散成分のスペクトルの振幅が同程度であることを示唆している.一方で,このようなスペクトルを形成維持するメカニズムについて,主に密度成層流体中の乱流の立場から議論されており,その原因を3次元乱流的な小スケールへのエネルギーカスケードとする意見と2次元乱流的なエネルギー逆カスケードとする意見とがある.これらの議論の妥当性を成層乱流の数値実験を通して検証した研究は Metais and Herring (1989) をはじめとしていくつか存在しているが,一連の研究によって得られた知見は,非現実的な回転を与えない限りエネルギー逆カスケードが起こらないという否定的な結果に留まっており,結局のところ得られている観測事実を解釈するものとはなっていないのが現状である.これは,これらの研究が逆カスケードの実現性にのみ注目していたことに起因するように思われる.本研究では,単純な力学モデルを用いた成層乱流の数値実験を行い,力学過程の範囲で観測から知られているベキ乗則をどの程度説明し得るかを検討し,エネルギー輸送過程についての解析を行った.また,用いた乱流パラメタリゼーションによって見積もられるエネルギー輸送がグリッドスケールで陽に表されるエネルギー輸送と整合するかを検討した.

数値モデルの概要

本研究では Boussinesq 近似を施したf面上の3次元非静力学モデルを用い,400×400×10(km) の領域で計算を行った.水平方向の境界条件は周期境界条件で,上下にはいずれも剛体壁を仮定した.エネルギー逆カスケード,エネルギーカスケードの両者について注目する目的で,水平スケール20kmにスペクトルのピークを持つ力学的強制(以下Type Iの強制),400kmにピークを持つ強制(Type IIの強制)について数値実験を行った.初期状態は静止大気とし,15日間の積分を行い,解析にはほぼ定常に達した最後の5日分を用いた.渦粘性項は Smagorinsky 型のスキームに基づいて決定し,成層の効果を Richardson 数の関数を用いることで陽に表現した.ここでは,成層の効果を表す関数の形は Ueda et al. (1981) の境界層の観測および風洞実験から得られた半経験式に基づいて決定した.

結果

まず,Type Iの強制を用いたときに得られるエネルギースペクトルとエネルギー輸送が回転と成層にどう依存するかを調べた.その結果,成層が強くなるほど3つの渦モードからなる相互作用を通じて低波数側へのエネルギー逆カスケードが起こるものの,0≦f≦2Ωの範囲では回転の効果はほとんど現れず,-5/3乗のスペクトルを形成するのに十分なエネルギー輸送は得られなかった.図1左および中央のように,現実的なパラメターレンジでは低波数域で渦度成分が卓越するものの,-5/3乗のスペクトルは形成されない.また,Metais (1994) らの結果の検証のために生f=20Ωとした数値計算も行った.この場合は図1右のように低波数側に-5/3乗に近いスペクトルがエネルギー逆カスケードを通じて形成される.これらの結果は過去の数値実験の研究結果と整合する.

次に,Type IIの強制を用いたときの結果を示す.この場合は,中立成層の場合を除き,水平発散成分の寄与が大きく,スペクトルの傾きは回転や成層に大きく依存する結果となった.水平波長10-100kmの範囲でのエネルギースペクトルの傾きを最小二乗法を用いて推定した結果を図2に示した.この図から,回転のない場合には成層度の依存性が強く,成層が強い程スペクトルは急勾配になるのに対し,fが大きくなるにつれて,スペクトルの傾きは成層に依存しなくなっていくのが見て取れる.中立成層の場合にはどの場合でも傾きは-1程度であり,成層を含む場合にはf≧Ωでは-1.9〜-2.1の範囲に収まっている.これらの結果から考えると,中高緯度ではメンスケール大気のエネルギースペクトルが成層乱流のエネルギーカスケードによって説明し得ることを示唆している.一方,低緯度側ではスペクトルの傾きが成層度に強く依存するため,本研究の枠組では観測されるような普遍的なスペクトルを得ることは難しいと考えられる.このときのエネルギー輸送に着目すると,図3にあるようにエネルギー輸送は成層が強い程小さくなり,回転が含まれると高波数域でのエネルギー輸送が増大する傾向が見られた.また,この高波数領域へのエネルギー輸送は1つの渦モードと2つの発散モードを通じて主に行われており,回転の効果はこのタイプの相互作用にのみ表れることが分かった,スペクトルの傾きが-2前後となったケースでのエネルギー輸送量は10-5[m2s-3]のオーダーとなっており,これはLilly (1983) の見積もりとほぼ一致する.

さらに,乱流パラメタリゼーション(渦粘性モデル)によって評価されているサブグリッドスケールとの相互作用の見積もりを行い,それがグリッドスケールでの主要な非線型相互作用やエネルギー輸送と整合し得るかの検討を試みた.その結果,グリッドスケールではkl≪km〓khのような波数空間で非局所的な相互作用が卓越するが,実質的にはkmからkhの局所的なエネルギー輸送がほとんどであることが分かった(図4a).一方,パラメタライズされた相互作用は,非局所的な波数の組合せが主要部である点は同じであるが,低波数域でのエネルギー散逸が過大評価されており,結果的に想定されるエネルギー輸送は図4bのようなklからkhへの非局所的な成分が卓越することになる.このような不整合は成層が強くなるほど顕著に現れる結果となり,成層流体中の乱流パラメタリゼーションのさらなる改善が必要であることを示唆している.

まとめ

本研究では,成層流体での乱流の立場から観測から知られているメンスケール大気のエネルギースペクトルの解釈を試みた.一連の数値実験の結果,従来行われてきた成層乱流の数値実験の研究結果との整合性を得るとともに,低波数域からのエネルギーカスケードによってメンスケールでの-5/3乗則に近いエネルギースペクトルが得られることが分かった.しかしながら,観測や高解像度GCMとの結果と比較すると,今回の結果では低緯度側では普遍的なスペクトルの傾きが得られないことや,水平発散成分が卓越する点に違いが見られる,本研究の枠組では,大規模擾乱からの寄与は仮想的な強制によってのみ表現されているに過ぎないので,現実的な大気の再現という点では不十分な部分も多く存在するが,本研究によって初めて力学モデルから観測結果の解釈を支持し得る結果が得られたことは,より複雑なモデルでの結果を解釈する上での指針となるものと思われる.また,グリッドスケールでのエネルギー輸送過程の特徴が示されたことは,乱流パラメタリゼーションの寄与を検討する上で有用な情報となるといえる.大規模擾乱からの寄与を直接与えるためにより規模の大きな数値計算を行うことや,より適切な乱流パラメタリゼーションを検討することなどが力学的枠組において考えられる課題である.

Type Iの強制を用いたときの15日後でのエネルギースペクトル.実線は鉛直渦度成分,破線は水平発散成分,点線は位置エネルギーを表す.ブラントバイサラ周期はともに20分で,左からコリオリパラメターが0,2Ω,20Ωの場合を示している.ただしΩは地球の自転佃速度である.

Type IIの強制を用いたときに得られた,水平波長10-100kmでの最小二乗法から推定されるエネルギースペクトルの傾き.エラーバーは傾きの標準偏差の推定量の2倍で表している.

Type IIの強制でのエネルギーフラックスの10日目から15日目までの時間平均.左はブラントバイサラ周期が20分の場合,右は5分の場合で,実線はf=0の場合,破線はf=2Ωの場合をそれぞれ表している.図において,エネルギーフラックスは正の値がダウンスケールのエネルギーカスケードとなるように定義されている.

グリッドスケールでの主要なエネルギー輸送(a)と乱流パラメタリゼーションによって表されたサブグリッドスケールとの主要なエネルギー輸送(b)の概念図.いずれも波数の組合せは非局所的であるが,主要なエネルギー輸送は両者で異なっている.

審査要旨 要旨を表示する

地表から高度10-15kmを占める対流圏の大気擾乱のエネルギースペクトルは、水平スケールが10kmから数百kmのメンスケール領域で、緯度に依らず水平波数のほぼ-5/3乗に比例していることが航空機観測等から知られている。最近、高解像度の大気大循環モデルによって同様のスペクトルが得られたとの報告もあるが、何故このようスペクトルが形成されるかについては現在もわかっていない。メンスケール領域では密度成層の効果が重要となると思われるが、これまで-5/3乗スペクトルの形成機構としては、成層流体中でも3次元乱流的な小スケールへのエネルギーカスケードが起きるとする説と成層流体における鉛直運動の抑制効果により2次元乱流的なエネルギー逆カスケードが起きるとする説とがあった。このうち、後者の可能性が数値実験により探られているが、非現実的に大きな回転を与えない限り逆カスケードが起こらないという否定的な結果に留まっている。

論文提出者は、この-5/3乗スペクトルの形成機構を解明するために、単純化した設定の回転成層流体の数値実験を行った。用いたモデルはブシネスク近似を施したf平面上の3次元非静力学モデルである。計算領域は水平方向400km×400km、鉛直方向10kmで、水平境界では周期境界条件、上下境界はfree-slipの剛体壁を用いた。渦粘性項には成層の効果を考慮した Smagorinsky 型のスキームを用いた。エネルギーのカスケード・逆カスケードの両方の可能性について調べるために、積乱雲を意識した水平スケール20kmにスペクトルのピークを持つ力学的強制(以下タイプIの強制)と大規模運動からのエネルギー注入を意識した400kmにピークを持つ強制(タイプIIの強制)を与えた場合について、様々な成層と回転に対する実験を行い、定常状態で得られたエネルギースペクトル形とその中でのエネルギー輸送の実態を詳細に解析た。

その結果、タイプIの強制を用いたときには、成層が強くなるにつれて、渦モド間の相互作用を介したエネルギー逆カスケードが起きるものの、コリオリ係数fが0〜2Ω(Ωは地球の回転角速度)という現実的な回転の範囲では-5/3乗のスペクトルは形成されず、このようなスペクトルを得るためには地球の10倍程度の回転が必要であることがわかった。

次に、タイプIIの強制を用いたときには、水平発散を伴うモードの寄与が大きく、中立成層の場合にスペクトルの傾きがほぼ-1となることを除き、スペクトルの傾きは回転や成層に大きく依存することがわかった。すなわち、低緯度の状況にあたる回転の効果が小さい場合には、成層への依存性が特に大きく、成層が強い程スペクトルは急勾配になる。一方、中高緯度の状況にあたる回転の大きな場合には、スペクトルの傾きはほぼ-2と成層に依存しなくなることがわかった。この際、高波数域へのエネルギー輸送は主として1つの渦モードと2つの発散モードを通じて行われており、回転と共に増大することもわかった。

なお、主要な数値実験では渦モードと水平発散を伴うモードに均等にエネルギーを強制しているが、この比率を変えても上述の主要な結果はほとんど影響を受けないことも確認されている。

論文申請者は更に、数値実験で陽に計算された格子スケールの運動と渦粘性モデルでパラメタライズされたサブグリッドスケールの運動との相互作用の見積もりを行い、渦粘性モデルが格子スケールでの非線形相互作用やエネルギー輸送と整合し得るかを調べた。その結果、今回用いた渦粘性モデルは高波数域でエネルギーの溜まりを生じない点では合理的であったものの、低波数域から高波数域への直接的なエネルギー散逸を過大評価しており、この傾向は成層が強くなるほど顕著となることが明らかとなった。この結果は、成層流体中の乱流パラメタリゼーションの研究の必要性を明確に示したものとなっている。

以上のように、論文提出者の研究は、観測されるメンスケール大気の普遍的なエネルギースペクトルが、回転の効果の大きい中高緯度では成層乱流のエネルギーカスケードによって説明できる可能性が高いことを初めて明確に実証したもので、優れた研究と評価できる。一方、回転の効果の小さい低緯度側ではスペクトルの傾きが成層に強く依存し、本研究で考慮されていない何らかの効果が普遍的なスペクトルを得るためには必要であるという結果も、今後のメンスケール乱流スペクトルの研究に重要な糸口を与えるもので、高く評価できる。

したがって、論文提出者に博士(理学)の学位を授与できると認める.

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