学位論文要旨



No 118849
著者(漢字) 栗原,純一
著者(英字)
著者(カナ) クリハラ,ジュンイチ
標題(和) ロケット実験で観測された下部熱圏の構造とエネルギー収支
標題(洋) Energetics and structure of the lower thermosphere observed by sounding rocket experiment
報告番号 118849
報告番号 甲18849
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4502号
研究科 理学系研究科
専攻 地球惑星科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 岩上,直幹
 宇宙航空研究開発機構 助教授 今村,剛
 東京大学 助教授 早川,基
 通信総合研究所 グループリーダー 村山,泰啓
 東京大学 教授 向井,利典
内容要旨 要旨を表示する

下部熱圏の鉛直温度分布は、複雑なエネルギー収支の上に成り立っており、この領域における力学過程の理解にとっても非常に重要だが、測定が極めて難しいため、MSISモデルに代表される経験的な大気モデルでは簡単な関数で代用されている。また、この高度領域では過去にロケット観測で中性大気温度よりもはるかに高い電子温度が観測されており、その熱源として振動励起された窒素分子 (N2) が寄与している可能性が1970年代より示唆されている。

そこで、2002年2月6日19:30JSTに鹿児島宇宙空間観測所で行なわれたS-310-30号機ロケット実験において、改良した窒素振動温度測定器を用いて高度100-150kmにおける窒素分子の振動温度・回転温度・数密度の測定を行なった。

本研究では、(1)窒素分子の振動温度測定による電子温度上昇の解明、(2)観測データの乏しい下部熱圏の中性大気温度構造の検証、(3)ロケット観測における空力効果の定量的な評価、を目的としている。

窒素振動温度測定器は電子線蛍光法を応用した測定器で、大気中の窒素分子を電子ビームによって電離励起した際に得られる蛍光スペクトルが振動温度・回転温度・数密度の関数としてあらわされることを利用している。測定器には、(1)ビーム電流値を5倍、(2)レンズ口径を2倍、(3)ミラーを4枚から1枚に減らす、などの改良を施すことでS/N比にして5.2倍の向上を実現した。また、スペクトルの解析手法上の欠点を見直すことで、より信頼性の高い回転温度推定が可能になった。

観測された振動温度の高度プロファイルを図1に示す。振動温度はMSISモデルの中性大気温度よりも数100K以上高いことが有意に示された。過去の研究と比較すると、Pavlov[1994]による振動温度のモデル計算と高度100km付近で同程度の温度である。この Pavlov[1994]によるモデルでは電子温度も計算しているが、中性大気温度より数100K程度高い振動温度では電子温度の上昇を引き起こせないという結果が得られている。したがって、今回の観測結果は励起された窒素分子が電子温度上昇にほとんど寄与していないことを示しており、電子温度上昇の問題については他の原因を考える必要があると言える。

回転温度の高度プロファイルを図2に示す。観測された回転温度はMSISモデルの中性大気温度とは大きく異なり、その差は高度115kmで最大となり、150Kにも達している。さらに、図3に示した数密度の高度プロファイルも回転温度と同様にMSISモデルからかけ離れていて、高度115kmでMSISモデルの50%である。

一方、数密度のプロファイルに見られる周期的な変調はスピン周期と一致しており、これがロケットの飛翔に伴う空力効果によるスピン変調であると推測される。そこで、この変調を平滑化した値との相対的な密度変動をスピンの位相に対して解析すると、ロケット前面のram側で高く、背面の wake 側で低いことがわかった。

このような空力効果を定量的に解析するため、希薄気体における分子運動のシミュレーション手法であるDSMC (Direct Simulation Monte Carlo) 法を用いて、ロケット周囲の3次元密度場の再現を試みた。これまでDSMC法をロケット観測結果に応用した研究では2次元計算が限界とされており、3次元特有の現象であるスピン変調を再現することは初めての試みである。その結果、図4のように再現されたスピン変調は観測結果とよく一致し、今回の応用が妥当であったことが示された。この再現結果を利用して測定数密度を補正し、絶対数密度に変換することが可能となった。

下部熱圏から中間圏の領域では、数密度測定から静水圧平衡の関係を用いて温度を求める手法が落下球観測などで良く利用されている。図5は静水圧平衡の式に上記で求めた絶対数密度を代入して得られた温度と回転温度観測結果の比較で、両者は非常に良く一致した。これはこの温度構造が実在することを示している。

今回観測された経験的モデルから乖離した下部熱圏の大気構造はTrinks et al. [1978]の質量分析計による観測などと類似の点が多いが、これまではこの高度領域で卓越する重力波や潮汐波の大気波動による擾乱として説明されることが多かった。しかし、Rapp et al. [2001] の電離真空計による観測結果の統計的な傾向に見られるように、高緯度において経験的モデルが不正確であることが明らかになってきている。本研究は、中緯度においてもその可能性があることを示すものである。この結果はNOやCO2などの微量成分の混合比を求める際に大きく影響するため、下部熱圏のエネルギー収支を考える上で重要な要素となりうることを示唆している。

振動温度観測結果と Pavlov [1994]によるモデル計算.

回転温度観測結果.

数密度観測結果.

観測された数密度の相対的なスピン変調とDSMC法による再現結果との比較.

密度観測から静水圧平衡の関係を用いて得られた温度と観測された回転温度との比較.

審査要旨 要旨を表示する

「ロケット実験で観測された下部熱圏の構造とエネルギー収支」と題するこの論文は6章より成り、これまで下部熱圏で用いられてきた経験モデルが重大な誤りを含んでいることを明らかにした。第1章では、この研究の背景としての熱圏構造・エネルギー収支およびそれらに対する窒素分子振動温度の役割がまとめられている。第2章では、電子線蛍光法による窒素分子密度・振動温度・回転温度の測定原理・測器開発・較正が記述され、第3章では2002年2月に行なわれたロケット実験と、得られたデータの解析が詳述されている。第4章では、ロケット飛翔に伴う衝撃波に起因する測定誤差を、モンテカルロ法に基づくシミュレーシヨンによって補正している。第5章では得られた大気密度・温度分布を吟味した結果、現在広く用いられている経験モデルに修正を迫り、第6章でまとめかつ将来を展望している。

下部熱圏の温度分布・エネルギー収支は測定が困難なこともあり、不明の点が多い。1970年代に高度100km付近の電子温度が中性大気温度に比べ数100K高いことが指摘され、その加熱源として振動励起した窒素分子が考えられた。この振動温度を測定して高い電子温度の謎を解こうとしたのが、この研究の当初の動機だった。電子線蛍光法に基づくプロトタイプによるロケット実験は1996年に行なわれて成功したが、データのS/N比が足らなかったため、有意な振動温度の上昇を捕らえることはできず、電子温度の謎に答えをだすことはできなかった。論文提出者は装置のS/N比を5倍改良して再実験にのぞみ、窒素分子振動温度に関しても100-150kmで中性大気温度よりも数100K有意に高いという結果を得た。これは中低緯度において窒素分子振動温度の有意な上昇を示した初めての観測である。しかし、別の研究者によるシミュレーションとの比較から、数100Kの電子温度上昇を結果するには不足と著者は結論している。

当初の目的は否定的な結果となったが、同時に得られた窒素分子密度・回転温度に重要な情報が含まれていることを論文提出者は見逃さなかった。両者は標準大気モデルから著しくはずれた波状構造を示していたため、初めは衝撃波の影響を受けた質の悪いデータと思われた。しかし、著者はモンテカルロ法に基づくシミュレーションにより衝撃波の影響を除いてデータの信頼性を向上させかつ両者間に静水圧平衡の関係が成り立つことを示して、その波状構造が測定誤差ではなく、実在することを示した。現在の標準的経験モデルであるMSISからの偏差は、115kmにおいて温度については150Kにも達し、密度については50%にもなった。このような大きな偏差は大気波動による変調では説明しきれず、経験モデルそのものが誤っている可能性が高いことを著者は指摘した。この高度域のモデルは150km以上での質量分析結果と90km以下のレーダー観測結果などより補間により決定されたものであり、積極的な根拠がないものであった。同様の指摘は極域・中緯度域両方においてなされた例がある。

このように、本研究は窒素分子振動温度の有意な測定に初めて成功して、その大気圏物理における役割を見極めた点に意義がある。さらに、同時に得られた密度・温度結果から、経験モデルが下部熱圏で誤っている可能性を指摘した意義は大きい。

本論文の2-3章は小山孝一郎博士などとの共同研究であるが、いずれの場合でもその多くが論文提出者の創意・工夫と努力によるものと判断する。

以上に示したように、本研究は地球惑星科学とくに大気圏物理学の進展に輝ける貢献を成しており、提出論文は博士(理学)の学位請求論文として合格と認める。

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