学位論文要旨



No 118852
著者(漢字) 鈴木,理映子
著者(英字)
著者(カナ) スズキ,リエコ
標題(和) インド洋の大気海洋相互作用における季節変動と経年変動の関係
標題(洋) Relationship between ocean-atmosphere coupled phenomena and seasonal changes in the Indian Ocean
報告番号 118852
報告番号 甲18852
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4505号
研究科 理学系研究科
専攻 地球惑星科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 中村,尚
 東京大学 教授 山形,俊男
 東京大学 教授 遠藤,昌宏
 東京大学 助教授 高薮,縁
 東京大学 助教授 升本,順夫
内容要旨 要旨を表示する

インド洋は季節で風向きが逆転するモンスーンの影響を強く受けており、年平均では風が弱く温度躍層も深いため、従来、モンスーンに対する海洋応答の他には力学的・熱力学的な固有の変動を持たず経年的には太平洋のENSOなどの影響を受けて受動的に変動すると考えられてきた。しかし近年になって、熱帯ダイポールモード(Saji et al., 1999)や亜熱帯ダイポールモード(Behera et al., 2001)などに代表される経年変動現象が発見され、それらが太平洋の現象とは別にインド洋固有の現象として起こりうることが明らかになった。これらのインド洋の大気海洋現象が世界の気候へ与える影響は大きく、気候研究コミュニティーのインド洋への注目度が高まっている。インド洋では、インドモンスーンにより風系、潜熱フラックス、海流は強い季節性を示し、それに伴って海洋現象も顕著な季節変動を呈する。また、上記2つのダイポールモードについても出現時期が季節にロックされていることがわかっている。すなわち熱帯ダイポールモードは北半球の夏に成長し、亜熱帯ダイポールモードは南半球の夏に最盛期を迎える。本研究ではこのようなインド洋独特の興味深い現象に着目し、インド洋の季節変動と上記2つの経年変動現象の相互関係について調べた。

インド洋の亜熱帯ダイポールモード(IOSD)は、Behera et al.(2001)が観測データを用いた解析によって初めてその存在を明らかにした。この現象は南緯30度付近に現れる海面水温偏差のダイポール構造に代表される経年変動現象である。南西部の暖かい海面水温偏差(マダガスカル島東沖)と南東部の冷たい海面水温偏差(オーストラリア西沖)のパターンを正のダイポール、逆符号のケースを負のダイポールと定義する。正のダイポールの発生時には南アフリカの南東部の国々の降水量が例年より多くなる傾向が見られ、これらの農業国にとって降水量の経年変動を知るための貴重な現象として注目され始めている。本研究では防災科学技術研究所の大気海洋結合モデルの50年分600ヶ月の月平均データセットを用いて現象が再現されているかどうかの解析を行った。インド洋亜熱帯域の南半球の夏の大気の平均的な気候状態では、南緯40度付近に海洋性高気圧であるマスカリン高気圧が存在し、強い南東貿易風が吹く。これはモデルでよく再現されていることがわかった。

次いでデータの全期間の海面水温偏差のパターンを見ていくつかのIOSDイベントを確認した。それらのイベント例からポールの位置を決定し、ダイポールの強度を示すIOSD指標 (SDI) を計算した。この指標は南西ボックス内の平均海面水温偏差から南東ボックス内の平均海面水温偏差を引いた時系列を標準偏差で規格化したものである。SDIが1より大きいものを正のイベント、-1より小さいものを負のイベントとして、それぞれ8つの主要なイベントを抽出した。これらは実際の現象と同様にすべて南半球の夏に発生していた。またSDIの大きさとイベントの続いた期間も、Behera et al.(2001) の観測データ解析と類似した特徴を示した。

さらにIOSDイベントの成長衰退の様子を各物理パラメータの合成図を作成して調べた。ダイポールの発展の様子(図1)は観測結果から得られたものと非常に類似したものであった。熱フラックスを支配する潜熱フラックスの偏差は、海面水温偏差と同じ位置にダイポール構造を持ち、IOSDの形成に重要な役割を果たしていることが明らかになった。以下、正のIOSDイベントについて述べる(負の場合はすべて逆符号で考えればよい)。イベントの前年の南半球の秋ごろから南緯45度付近にマスカリン高気圧を南西部で強める順圧性の高気圧偏差が存在しており、風偏差は高気圧性の循環を示す。南西ポール上では風偏差が気候値の風を弱め、南東ポール上では風偏差が気候値の風を強める方向となるため、潜熱フラックスによって海面水温が南西ポールでは暖められ南東ポールでは冷やされ、1月のピークに向かってIOSDは成長していく。IOSDが十分に発達すると、南西部の暖かいポール上では、大気の応答として傾圧性の低気圧偏差が出現し、風偏差もこれに伴って低気圧性循環となる。南西ポールでは西から気候値の風を強める南東風偏差が現れ主に潜熱フラックスにより海面を冷却してゆく。したがって低気圧偏差は東進してIOSDを成長させてきた風系を破壊し、IOSDイベントは4-5月に終焉を迎える。

熱収支解析(図2、3)によると、2つのポールのボックスの上層85m内の温度変化は潜熱フラックスの寄与が最も大きい。また、この潜熱フラックスによる温度変化はイベントの前年の4月より継続的に進行していることも明らかになった。9ヶ月間にわたってIOSD形成を支える大気海洋システムが存在しているということは、大気から海洋への一方行の作用ではなく、大気と海洋の相互作用の重要性を示唆している。

混合層の気候値は、夏に浅く冬に深い典型的な季節変動を示す。これは夏には太陽からの短波放射が強く成層が強くなり、また風も弱く海洋混合が弱まることに起因している。経年変動現象のIOSDの形成が潜熱フラックスの偏差に因ることと併せて考えると、IOSDが南半球の夏に顕著になる主要な理由は、9ヶ月間にわたって持続した潜熱フラックスの効果が混合層が薄い夏に大きく出現するためである、と考えることができる。また南西ポール上では風の気候値が1月以降に方向が変わり、潜熱損失を促していた風のアノマリーとの関係が消滅することから、大気側の季節変動にもIOSDが1月に顕著になる要因があると考えられる。現象を再現する結合モデルの結果を解析することによって詳細な成長、消滅過程が明らかになった。

インド洋熱帯ダイポール (IOD) は熱帯域に現れる海面水温偏差のダイポール構造を指す。西部(ソマリア沖)に暖かい海面水温偏差、東部(スマトラ沖)に冷たい海面水温偏差のパターンを正のダイポールと呼ぶ。正のダイポールは世界に広い範囲で異常気象をもたらすことが最近明らかにされた。インド洋熱帯域は特にインドモンスーンの影響を強く受け、赤道上や北半球部分で一年周期や半年周期で変動する海流の存在が多く知られている。ここでは、1981年以降の海面水温、フラックス、風応力、上層125mの蓄熱量の種々の月平均の観測データを用いて、この領域における季節変動を理解し、IODやENSOとの関係を明らかにする解析を行った。全期間のデータを元に作成した季節の気候値から年平均値を引いたものを「季節偏差」、元のデータから年平均値を引いたものを「全偏差」と呼ぶことにする。

年平均値は、まず、赤道東部には28度を超える暖かい海面水温を示す warm pool 領域が見られる。これはこの領域の風が弱く潜熱損失が少ないことと、赤道を跨ぐ低気圧性循環によるエクマン沈降に起因していると考えられる。warm pool 上では対流性の雲が発達するため降水量が多く、太陽からの短波放射は雲に遮られて少ない。

次いで季節偏差に調和解析を施し、海洋表面と海洋内部の季節変動を抽出した。海面水温の年周期変動には、太陽高度の変動に伴う南北勾配とモンスーンの変動に伴うソマリア沖の潜熱損失に起因するパターンが見られる。半年周期変動についても夏のモンスーンと冬のモンスーンの差による半年周期変動、それに伴うソマリア沖の潜熱損失に起因するパターンが導かれた。一方蓄熱量については、年周期変動はソマリア沖のモンスーンの年周期変動成分による湧昇/沈降によって生成される冷水塊/暖水塊が赤道上をケルビン波として伝播しスマトラ沖へ到達する様子が明らかになった。これは過去の研究で言及されていないインド洋熱帯域の季節変動の新しい発見である。半年周期変動は、モンスーン休止時(5月、11月)の赤道上の東風によって励起される赤道ケルビン波と赤道ロスビー波を見事にとらえている。

全偏差に対して複素経験直行関数 (CEOF) 解析を行った結果、海洋表面の第1、2モードは年周期、半年周期を示すことが明らかになり、調和解析から導かれた年周期、半年周期成分に対応するパターンが得られた。これらの経年変動にはENSOとの正の相関が強くみられた。海洋内部については第1、2モード共に年周期、半年周期、準2年振動の混合であった。これらのモードの時系列に Wavelet スペクトル解析を施すと、IODの起こった1994、97年には年周期、半年周期変動が弱まっている事実が明らかになった。年周期成分については、IODの始まる5月にソマリア沖でモンスーンによって生成され8月にスマトラ沖に到達する暖水塊が弱められることを表している。半年周期成分については、5月のモンスーン休止時に赤道上の東風によって励起されスマトラ沖に到達する暖水塊の赤道ケルビン波が弱められることを意味しており、Vinayachandran et a1.(1999) の1994年のIODイベントにおける発見と一致している。このように、年周期、半年周期成分はモンスーンに関連した変動を通して理想的なIODの状態へ変動している。本研究はIODの予測の可能性に関わる非常に興味深い結果を示した。

インド洋にはまだ多くの興味深い大気海洋現象が存在している。気候変動の予測技術を高め、社会の種々のニーズに応えるためには、モデルや大気海洋観測システムをさらに充実させ、我々の理解を深めていくことが必要である。

海面水温偏差の正のIOSDイベントの合成図。イベント前年の9月からイベント年の5月までを示した。等値線の間隔は0.2℃。負の領域には影を示した。

(a)海面水温の鉛直断面の季節進行。西のポール(左)、東のポール(右)内で平均したもの。単位は℃。(b)西のポール(左)、東のポール(右)の上層85m内の温度傾向(実線)、熱フラックス(点線)、潜熱フラックス(破線)、太陽短波放射(破点線)。

図2と同様で、正のIOSDイベントの合成の偏差の場合を示す。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は4章から成る。第1章は導入部で、インド洋における大気海洋結合変動現象に関する今日までの研究の進展が概観されている。特に、本研究の対象となる熱帯ダイポールモード (IOD) と亜熱帯ダイポールモード (IOSD) という経年変動現象が最近相次いで発見されるまで、インド洋はモンスーンに対する季節的な海洋応答以外に固有の変動を持たず、赤道太平洋で起こるエル・ニーニョ/南方振動 (ENSO) 等の遠隔影響でただ受動的に経年変動するだけと広く信じられてきたこと。さらに、それらインド洋固有の経年変動現象が、周辺の広範な地域の気候状態にまで有意な影響を与えることが述べられている。そして、IOD・IOSD両モードの発達が、季節変動の特定の位相に固定されるという科学的に興味深く、かつ予測上も重要な特徴を有しながらも、そのメカニズムが未解明であることが、研究の動機として述べられている。

第2章では、本研究で用いられた大気海洋結合大循環モデル (CGCM) の概要が記され、その長期積分で再現されたインド洋域の季節進行が現実的なことが確認されている。そして、その長期積分にて現実的に再現された顕著なIOSDイベントの合成図解析に基づき、IOSDに伴う大気海洋偏差の構造や附随する大気海洋相互作用が詳細に記されている。特に、観測データからはその全貌が捉え難い海洋内部の水温偏差の構造とその時間発展が明らかにされたことは意義深い。解析の結果、数カ月に及ぶIOSDの成長期においては、南インド洋に等価順圧構造を持つ対流圏循環偏差が停滞し、附随する海上風偏差が海面の蒸発偏差をもたらすことが主要因となって、亜熱帯南インド洋の東部と西部の海洋混合層内に互いに逆符号の水温偏差が形成される過程が示された。そして、IOSD最盛期が盛夏期に固定される傾向は、季節進行に伴い盛夏期に向けて強まる太陽光入射と弱まる海上風との影響の下、海洋混合層深度が季節的に減少し、それに連れて水温偏差が増幅することの反映であることが初めて明らかにされた。さらに、亜熱帯南インド洋上に停滞するマスカリン高気圧の季節的な強化に伴い、平年の中緯度海上風の向きが盛夏期に変化することも、蒸発量偏差の符号反転を通じてIOSD最盛期の盛夏期への固定に寄与することが示された。そして、海面水温偏差の増幅に伴い形成された逆符号の大気循環偏差が成長することで、混合層水温偏差が減衰して行く過程も明らかにされた。

第3章では、最近20年分の観測データに含まれる季節変動と経年変動とを予め分離せず、一括して複素経験直交関数 (CEOF) 展開を施すという斬新な切り口から行なったインド洋の大気海洋結合変動の解析が論じられる。その結果、海洋表面の変動では1年・半年の各周期成分が各々CEOFの第1・第2モードとして分離できるのに対し、海洋上層の蓄熱量変動に卓越する両モードには1年・半年・準2年の3つの周期成分が混在することが示された。これは調和解析に基づく伝統的手法では得られない結果である。そして、蓄熱量変動の年周期成分では、モンスーン変動に伴いソマリア沖で形成された偏差が、赤道ケルビン波としてスマトラ沖まで達するという季節変動の特徴が初めて示された。これら蓄熱量変動モードの各時系列に施された Wavelet 解析から、IODの顕著な(正の)イベントがその年周期・半年周期変動の弱化に伴って起こるという事実が明らかにされた。即ち、年周期成分では、IOD発生期(5月)にソマリア沖で形成された後東へ伝播する暖水偏差の弱まりであり、半年周期成分では、5月のモンスーン休止時に赤道上の東風が励起する暖かい赤道ケルビン波の弱まりである。これらの重要な成果は第4章にまとめられ、今後の発展への展望が述べられている。

以上のように、本論文では、CGCMの出力結果の詳細な解析を通じ、IOSDの時間発展に与る大気海洋相互作用の全体像が明らかにされ、IOSDの最盛期が盛夏期に固定されるメカニズムも解明された。加えて、斬新な発想に基づくデータ解析により、モンスーンに伴う熱帯インド洋内部の季節変動の新しい側面が見出された他、IODの時間発展と季節変動成分の経年的な変調との関連が明らかにされた。これらは、最近発見されたインド洋固有の経年変動現象のメカニズムの解明と予測へ向けて、今後の新しい研究の展開を促し得る重要な学問的成果と認められる。

なお、本論文の第2章については、山形俊男教授、Swadhin K. Behera 博士、並びに飯塚 聡博士との共同研究に基づくが、論文提出者が主体となって数値実験やデータ解析および考察を行なったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断される。

従って、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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