学位論文要旨



No 118864
著者(漢字) 関口,美保
著者(英字)
著者(カナ) セキグチ,ミホ
標題(和) ガス吸収大気中における放射フラックスの算定とその計算最適化に関する研究
標題(洋)
報告番号 118864
報告番号 甲18864
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4517号
研究科 理学系研究科
専攻 地球惑星科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 今須,良一
 国立極地研究所 教授 山内,恭
 気象研究所 室長 柴田,清孝
 東京大学 教授 中島,映至
 東京大学 教授 高橋,正明
内容要旨 要旨を表示する

近年の研究の発展により、放射強制力は0.1W/m2のオーダーで求められるようになった。しかし、見落とされがちなのがそれを推定する放射コードの誤差である。約12年前に行われたICRCCM (Intercomparison of Radiation Codes used in Climate Models)では、referenceとなるLBL(line by line) モデルと比較して長波では15-30W/m2、短波では10W/m2程度の誤差を持つと見積もられた。これらは晴天大気での比較であり、雲の影響を考慮すると急激に精度が悪くなる。また、CCSR/NIES AGCMに用いられている放射コードmstrn8は約8年前に開発されたものであり、LBLモデルと比較すると10%程度の誤差を含む。本研究ではmstrn8の吸収過程の更新(mstrnX)において行った1.吸収線データの更新、2.扱う気体吸収帯の増加、3.積分点の最適化手法の改良について紹介し、その効果を解析した。また、中高層大気への拡張に向けて開発した手法についても紹介する。

現在、mstrn8に用いられている気体吸収データベースはHITRAN92、連続吸収計算プログラムはLOWTRAN 7から抜き出したものであり、これらについては改良・更新が重ねられている。そこで、それぞれ最新の気体吸収データベースHITRAN2000と連続吸収計算プログラム MT CKD 1 を導入し、その影響を評価した。その結果、長波領域では対流圏で0.3K/day程度の加熱率の誤差が存在し、波長別に見ると10-50μmにおいて大気上端上向きフラックスに差が見られた。このことから、長波領域においては主に水蒸気について改良が加えられたと考えられる。また、短波領域では成層圏で最大2.0K/dayの加熱率の誤差が存在し、加熱率が最大値を取る高度も低くなっている。波長別に見ると0.5 - 0.8μmにおいて地表面下向きフラックスに差が見られた。これらのことから、短波領域では主にオゾンのシャピュイ帯について大幅な改良が加えられたと考えられる。このことは連続吸収プログラムに含まれているデータからも確認でき、さらにシャピュイ帯の吸収係数の扱いが温度依存性を持つようになったことも重要であると考えられる。

mstrn8で取り扱っている気体吸収帯のみを考慮した状態だと、長波領域ではフラックスで1%、加熱率では5.2%程度、短波領域ではフラックスで1.2%、加熱率では3.6%程度誤差を生んでしまうので、mstrnXで取り扱う気体吸収帯について新たに考慮し直した。それぞれの気体吸収帯が持つ影響を定量的に評価するためにフラックスと加熱率の誤差からなる評価関数を導入し、あるしきい値以上の値を持つ吸収帯を取り扱うことにした。更に、影響が大きくない吸収帯の裾どうしが重なっている部分についてはバンド領域の境界を動かし最も誤差が小さいところに決定した。このようにして2種類の精度とバンド数(17, 18)を持つブロードバンドモデルのバンド領域と取り扱う気体吸収帯を決定した。取り扱う気体吸収帯の誤差は、18バンドモデルで大気上端と地表面フラックスの平均誤差が0.48(長波)、0.30W/m2(短波)であり、17バンドモデルで1.16(長波)、1.42W/m2(短波)である。

各バンドを積分する際、吸収係数を並べ変え滑らかな関数にして積分する(Correlated k-distribution 法)。積分点が多いほど精度が良いが、計算時間がかかる。また、バンド領域に取り扱う吸収気体が2種類以上存在する際 (overlapping) には積分が困難であり、様々な計算手法が研究されているが最適な計算手法はバンドによって異なる。このような理由から、mstrn8,Xともに精度良く高速に計算できるように、積分点と重みの決定に最適化手法を用いている。最適化には逐次二次近似法を用いている。目的関数はLBLを基準としたフラックスと加熱率の誤差を使用している。大気プロファイルにはAFGLの標準大気6種類を使用している。最適化に用いる加熱率の誤差は、mstrn8では30kmまでであったが、本研究では50kmまで拡張し成層圏での精度にも留意した。さらに、複数の気体吸収帯をバンド内で考慮している場合、mstrn8では完全に相関がある状態を初期値としていたが、この状態から最適化を行うことにより最小ではない極小の値を取る可能性が考えられる。これより、mstrnXではこの手法の他、完全に気体同士の相関がない状態から最適化を開始する方法も行った。また、加熱率プロファイルの重み付けの変更も加え、数種類の最適化条件を考案し、各バンドに適用した。しかし、どの条件で最も効率良く最適化されたかは各バンドや積分点数によっても異なった。これは、それぞれのバンドにおける加熱率プロファイルの違いによって最適な重み付けの方法が異なることや、反復が十分ではないこと、最小ではない極小値を選んでいる可能性が考えられる。これより、各最適化条件の結果を比較して目的関数が最小となった重みと積分点を選択してさらに最適化を行い、各バンド、積分点数での最適な重みと積分点が得られた。

さらに、mstrn8では計算効率を向上させるため、吸収係数を温度・圧力の二次関数で近似し、係数を読み込んで計算させていた。この手法を用いて18バンドモデルで計算を行うと大気上端と地表面フラックスの平均誤差は長波領域で7.1W/m2にもなってしまう。計算に用いる記憶領域は必要だが、計算時間の面ではほとんど差がないのでこれまでの計算で行ってきた吸収係数をテーブル化して温度・圧力で内挿する手法を実際の計算でも用いることにした。また、mstrn8では連続吸収帯は太陽入射光・プランク関数で重みづけ平均した吸収係数を用いて各バンドで一度だけしか計算していない。これによってバンド内の吸収が平均化されてしまうので、吸収係数が大きく変化するところでは誤差が大きくなってしまうと考えられる。これより、mstrnXでは連続吸収帯についても線吸収と同様に相関k-分布法を適用することにした。

以上の更新を取り入れたmstrnXの大気上端と地表面フラックスの平均誤差は18バンドモデルで1.17(長波)、1.00W/m2(短波)、17バンドモデルで1.88(長波)、2.43W/m2(短波)となった。加熱率についてもmstrn8で見られた誤差は大幅に減少した。更に、最適化を行う高度を50kmに拡張したことで30km以上での誤差が長波領域で1.0K/day以下、短波領域で0.2K/day以下となった(図1)。ただし、ここで示している誤差は最適化に用いているAFGL標準大気6種類の平均である。最適化を行っていない大気に対しては長波領域での再現性が悪く、最適化の限界がある。二酸化炭素の倍増実験に対しても、精度良く推定するためには二酸化炭素を倍増させたプロファイルを最適化に用いるなどの工夫が必要である。また、このようにして改良されたmstrnXを大気大循環モデルに導入すると圏界面で見られた低温バイアスが大幅に改善された。

中高層では吸収線の形が鋭く変化するため、今までは精度よく計算するには積分点を増加せざるを得なかった。本研究では低層と中高層で積分点の位置を変化させ、短時間で精度良く計算する手法を開発した。低層の積分では地表から放射の寄与がほぼ無くなる高度(透過率がほぼ1)まで計算し、それより上層では吸収が無いとして計算する。積分範囲のうち最も光学的厚さが厚い部分では透過率が0とみなせる高度まではプランク関数として扱う。それより上層では分割して積分点を増加して計算することで吸収線の急激な変化に対応できるようにした。この手法は必要な精度に合わせて積分点数を変更させられる自由度を変わらずに持つこと、積分点の位置を変化させても単色性を失わないことなどの特色を持つ。この手法について中高層で加熱率のプロファイルへ大きな影響を持つと考えられる二酸化炭素の15μm帯で精度の検証を行った。二酸化炭素のみの吸収を考慮した場合において、この手法を用いて計算した結果と、二次のガウス積分で計算された結果を比較すると、同じ点数で計算した場合で加熱率プロファイルはほぼ同じ精度を持ち、計算時間は4割削減された。さらに、この手法と最適化を組み合わせその他の気体吸収帯を考慮に入れても、同じ点数で計算した場合より精度が良いことが分かった(表1)。下層ではまだ誤差が大きいところもあるが、積分点数の配分や最適化法の条件を工夫することで解消されると考えられる。また、この手法は本研究で改良を加えてきたブロードバンドモデルだけでなくナローバンドモデルにも応用できると考えられる。

長波領域(左図)と短波領域(右図)における加熱率の誤差プロファイルの比較(0-50km)。白四角、黒四角は本研究で改良したmstrnXの18バンドモデル(40点積分)と17バンドモデル(33点積分)の誤差を示し、黒丸はmstrn8を示す。大気状態はAFGL標準大気の夏期中緯度大気を用いた。

610-820 cm-1の領域において水蒸気、二酸化炭素、オゾンの吸収を考慮したときの、中高層拡張手法と最適化を組み合わせた結果と最適化のみの結果の比較。評価関数は領域内のフラックスと加熱率の相対誤差の和を示し、flux errorは大気上端上向きフラックスと地表面下向きフラックスの平均誤差、htr errorは加熱率の層平均誤差。最適化はどちらも70kmまで行っている。

審査要旨 要旨を表示する

近年の地球温暖化現象や環境変化の問題に関するモデリングや観測的研究は、高性能の放射伝達コードを要求するようになってきた。たとえば、地球温暖化現象の研究では、人為起源の温室効果ガスやエアロゾルと言った様々な汚染物質が作り出す放射強制力を0.2W/m2程度の精度で求めることが要求されている。また、雲と放射の相互作用を同様の精度で計算することも要求されている。本研究はこのような大気大循環モデル (AGCM) などの力学計算で必要な波長積分されたブロードバンド放射エネルギーフラックスと加熱率を精度良く、かっ高速に計算するためのブロードバンド型放射伝達コードの改良を目的としている。

このような力学計算用のブロードバンド型放射伝達コードには、東京大学気候システム研究センターと国立環境研究所が共同開発した大気大循環モデルCCSR/NIES AGCMに用いられている放射伝達コードmstrn8があるが、これは約8年前に開発されたものであり、もっとも正確なライン・バイ・ライン (LBL) 放射伝達コードと比較して加熱率に10%程度の誤差を含むことが知られている。本研究ではこのmstrn8放射伝達コードの光吸収過程の改良を行った。本論文の第一章では、研究のための背景と研究の目的を議論し、2章では用いたモデルとデータについて説明し、3章では新しい吸収線パラメーターデータ・気体吸収帯の導入、4章では吸収計算法の改良と最適化法について詳細に説明し、その効果について考察している。5章では3、4章で検討した改良点をmstrn8に導入したmstrnXコードを作成し、その性能を検討した。さらにmstrnXをCCSR/NIES AGCMに導入してその影響を評価した。6章では中高層大気への拡張手法について検討し、7章でまとめと全体の考察を行っている。

まず、論文では、mstrn8に用いられていたアメリカ空軍地球物理科学研究所の気体吸収線データベースHITRAN92とLOWTRAN-7に基づく連続吸収係数を、最新のHITRAN2000と連続吸収計算プログラムMT CKD 1によるものに変更した。その結果、10μmから50μmの波長域における水蒸気による光吸収の改訂に伴って対流圏で0.3K/day程度の赤外放射加熱率の改良が見られた。

大気組成ガスが作り出す非常に変化の激しい放射吸収スペクトルを含む放射伝達方程式を精度良くかつ高速に波長積分するために、mstrn8および本研究では相関k-分布法を用いている。この方法において、それぞれの気体吸収帯が持つ影響を定量的に評価するためにフラックスと加熱率の誤差からなる評価関数を導入し、あるしきい値以上の値を持つ吸収帯を取り扱う客観的な選択則を導入した。更に、影響が大きくない吸収帯の裾どうしが重なっている部分についてはバンド領域の境界を動かし最も誤差が小さいところに決定した。さらに、本研究では波長求積点の位置、点数、重みを客観的に最適化するために逐次二次近似法を利用したアルゴリズムを提案した。目的関数はLBLを基準としたフラックスと加熱率の誤差を組み合わせたものを利用し、より一般的な初期値からの最適化も考慮した。また、放射コードの最大適用高度はmstrn8では30kmまでであったが、本研究では50kmまで拡張し中層大気での精度にも留意した。その際、吸収係数をテーブル化して温度・圧力で内挿する手法を導入することにより内挿誤差を軽減した。さらに、mstrn8では連続吸収帯をバンド内で平均して取り扱っていたが、新しいアルゴリズムでは吸収係数の波長変化を取り込むように連続吸収帯についても線吸収と同様に相関k-分布法を適用することにした。

以上のアルゴリズムを基に開発された新しい放射伝達コードmstrnXをLBL放射伝達コードと比較したところ、大気上端と地表面フラックスの平均誤差は18バンドモデルで1.2W/m2(長波)、1.0W/m2(短波)、17バンドモデルで1.9W/m2(長波)、2.4W/m2(短波)に減少した。加熱率についてもmstrn8で見られた誤差は大幅に減少した。更に、最適化を行う高度を50kmに拡張したことで30km以上での誤差が長波領域で 1.0K/day 以下、短波領域で 0.2K/day以下となった。このようにして改良されたmstrnXをCCSR/NIES AGCMに導入したところ、圏界面で見られた低温バイアスが大幅に改善された。

中上層大気では吸収線の形が鋭く変化するため、今までのブロードバンド型放射伝達コードで精度よく計算するには積分点を増加せざるを得なかった。本研究では低層と中上層で積分点の位置を変えたハイブリッド型k-分布パラメーター法を導入することで吸収線の急激な変化に対応した。この時、解くべき放射伝達問題の単色性を失わないように考慮した。この手法を二酸化炭素の15μm帯で検証した所、加熱率プロファイルはほぼ同じ精度を保ち、計算時間を4割程度削減することができた。

本論文によって提案されたアルゴリズムは、力学計算に必要なブロードバンド型放射伝達コードをより高効率・高精度化するために有効と言える。特に、これまで職人技を必要としてきたk-分布パラメーターの決定をほぼ客観的に行えるようにしたことが評価できる。研究の過程において、最適化を行っていない大気や二酸化炭素の倍増大気に対しては長波領域で誤差が大きいことも明らかになったが、これは、最適化過程にこれらのより多くの大気モデルを導入すれば良いので、提案されたアルゴリズムの本質的な欠点ではない。世界のブロードバンド型放射伝達コードにおいてこのような手法を採用しているものは存在せず、その意味において独創性とインパクトの高い研究になっている。従って、本論文は博士論文として十分なレベルに達していると結論できる。

UTokyo Repositoryリンク