学位論文要旨



No 118866
著者(漢字) 戸丸,仁
著者(英字)
著者(カナ) トマル,ヒトシ
標題(和) 南海トラフ、ハイドレートリッジおよびマッケンジーデルタにおけるガスハイドレートの産状と安定性に関する地質学的、地球化学的研究
標題(洋) Geological and Geochemical Studies on the Occurrence and Stability of Natural Gas Hydrates in Nankai Trough, Hydrate Ridge and Mackenzie Delta
報告番号 118866
報告番号 甲18866
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4519号
研究科 理学系研究科
専攻 地球惑星科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 浦辺,徹郎
 東京大学 教授 松本,良
 東京大学 教授 徳山,英一
 東京大学 助教授 増田,昌敬
 産総研 総括研究員 奥田,義久
内容要旨 要旨を表示する

ガスハイドレートは、自然界では低温高圧な条件を満たす海底や湖沼、永久凍土地域の堆積物中に広く分布している。天然のガスハイドレートにはしばしば大量の炭化水素ガスが包接されており、次世代の天然ガス資源として研究が行われている。また、ガスハイドレートの分解によって引き起こされる海底斜面の不安定化、メタンの放出に伴う環境変化、ガスの湧出現象や、それに伴う化学合成群集の発達など、地質学的研究も進められている。

天然のガスハイドレート量を見積もることは資源量評価としてだけでなく地質学的にも重要であるが、ガスハイドレート層の層厚、飽和率、分布など、正確に求められているデータが少なく、不明確な点が多い。ガスハイドレートの水平分布は反射法地震波探査などで広く調べられているが、空間的な分布は掘削などの直接的な調査を行う必要があるため、その事例は限られており、どのようにガスハイドレートが生成、発達したのかは明らかになっていない。

ガスハイドレートの分布や飽和率はガスハイドレート含有層から採取された間隙水が示す低塩濃度異常、同位体組成比の正の異常を用いて求めることができる。またこれらの値は地質環境やその変動を反映するため、ガスハイドレートの発達史を解明する手がかりとなる。本研究では特に南海トラフ、ハイドレートリッジ、マッケンジーデルタにおける堆積物間隙水の地化学分析をもとにガスハイドレートの空間的な分布、飽和率を決定し、その詳細な分布を規制する地質学的、地化学的な要因を解明することを目的としている。

南海トラフにおける堆積物間隙水の塩素イオン濃度は約530mM、酸素同位体組成は約0‰でほぼ一定であることから海水起源の間隙水が卓越しているといえる。ガスハイドレート生成時の塩の除去効果、同位体分別効果による、低塩素イオン濃度異常(〜100mM)、酸素同位体組成の正異常(〜5‰)は、特に砂岩層から採取された間隙水に見られることから、砂岩層にガスハイドレートが卓越していることがわかる。

また、酸素同位体組成はガスハイドレートが卓越する深度(170〜270mbsf)で、塩素イオン濃度異常が見られない泥岩、シルト岩中でも約1‰高くなる異常が見られる。これはダブルBSRの発達から示唆されるように、ガスハイドレート安定深度の上昇(安定領域の減少)によってガスハイドレートが分解し、構造化した水が残留したためであると考えられる。構造化した水の同位体組成はガスハイドレート時の状態を保つが、塩素イオンは自由に流通するので、周囲の間隙水と濃度が等しくなり、塩素イオン濃度と同位体組成の変動が一致しない。このことから少なくとも170mbsfまでBSRが上昇し、ガスハイドレートが分解した後、再び現在の深度まで安定領域が低下し、現在見ているような集積体が発達したことが示唆される。また、これらの分析結果にもとづき、基準となる塩素イオン濃度、酸素同位体組成比(ベースライン)からの変動幅によって求められたガスハイドレートの飽和率は、BSR直上の砂岩層(260 mbsf)では約80%に達することが明らかになった。

オレゴン沖のハイドレートリッジはガスの湧出や塊状ガスハイドレートが海底面上に広がっていることで知られており、活発にガスハイドレートが生成している場であると考えられている。リッジの東側斜面のサイトでは、深度とともに最大で塩素イオン濃度は約420mM、酸素同位体組成比は約-1‰、水素同位体組成比が約-10‰まで減少していることから、天水を起源とする水が卓越していると考えられる。また、リッジの頂部では酸素同位体組成比のみが深度とともに減少しており、斜面とは異なる水の起源や循環システムの発達が示唆される。

ハイドレートリッジでは深部の堆積物中に間隙充填型のガスハイドレートが発達していることが間隙水の地化学分析などから明らかになった。塩素イオン濃度の低下から求められる間隙充填型ガスハイドレートの飽和率は砂質層中で10%以下であり、飽和率、分布深度ともに非常に限られているが、リッジ頂部から東側斜面にかけてBSRの分布に対応して広く分布している。一方、塊状ガスハイドレートはリッジ頂部のガスの湧出口やその周囲の透水性の高い砂質火山灰層の付近の、海底面から約10mbsfまでのごく浅い堆積物中に発達している。このことからガスの湧出そのものや透水性の高い層を移動した高濃度ガスの広がりが塊状ガスハイドレートの生成に重要な役割を果たしていると考えられる。

また、塊状ガスハイドレートにはさまれる堆積物から採取された間隙水は通常観察される変化とは逆に塩素イオン濃度の上昇 (〜1368mM)、同位体組成比 (δ18O:-0.75‰、δD:-5.6‰) の低下が確認された。これは、この深度で、高塩濃度、低同位体組成比の残留水の拡散する速度よりも、ガスハイドレート生成速度のほうが速い状況を示唆している。また、これらの同位体組成比は、塩素イオン濃度の上昇率から予想される値よりも大きい(変化率が小さい)。これはガスハイドレート生成速度が同位体分別効果の速度を上回っていたことを反映していると考える。

マッケンジーデルタでは永久凍土 (0〜890m)、およびその下の堆積物中 (890〜1108m) にガスハイドレートが分布しており、本調査では永久凍土の下のガスハイドレート層から採取された間隙水の地化学分析を行った。ガスハイドレートを含まない層の間隙水の塩素イオン濃度や酸素・水素同位体組成比(ベースライン)はガスハイドレートの安定領域浅部では低く(C1-:300mM、δ18O:-16‰、δD:-11O‰)、深部に向かって増加している(Cl-:560mM、δ18O:-8‰、δD:-80‰)。これは河川水起源の低塩素イオン濃度、低同位体組成比の地層水が永久凍土やガスハイドレートの生成に伴って残留水を作るとともに、BGHS以深の透水性の高い地層中を流入してきた高塩素イオン濃度、高同位体組成比の海水起源の水と混合しているためであると考えることができる。

また、ガスハイドレートを含まない初生的な間隙水の酸素・水素同位体組成のベースラインの変動は少なくとも6個のブロックに分けることができた。それぞれのブロック内で深度とともに同位体組成が重くなる傾向が見られ、ブロック間の境界では不連続である。このような不連続な変動は、その境界が過去のBGHSを示しており、BGHSの上ではガスハイドレートの生成による組成変化が、下では流入してきた海水との混合が起き、間隙水の組成が不連続になっているためである。

間隙水中の塩素イオン濃度の低下と同位体組成比の増加は砂岩層で顕著に見られた。これはガスハイドレート生成時の塩除去効果と同位体分別効果によるものであり、砂岩層にガスハイドレートが濃集していることを表す。マッケンジーデルタでは間隙充填型のガスハイドレートが砂岩層に発達しており、その飽和率は最大で90%に達し、全深度に渡って非常に高い飽和率を示す。

間隙水の低塩素イオン濃度異常から、1m2の柱状の堆積体に含まれるガスハイドレート量は南海トラフで合計9.5m3 (SMI〜BSR)、そのうち7.8m3が砂岩層に発達している。マッケンジーデルタではガスハイドレート量の合計は37.3m3 (890〜1108m) であり、そのうち32m3が砂岩層に発達している。また、ハイドレートリッジでは非抵抗測定から海底面〜10mbsfに塊状ガスハイドレートが5.1 m3、間隙水の塩素イオン濃度異常から10〜112mbsf (BSR)に間隙充填型ガスハイドレートが1.2 m3存在していることが明らかになった。これらの計算から、間隙充填型のガスハイドレートは間隙の大きな砂岩に特に濃集すること、塊状ガスハイドレートの分布は浅部に偏っており、その量も間隙充填型に比べて少ないことがわかる。

南海トラフではダブルBSRの発達、および、塩素イオン濃度と酸素同位体組成比の不一致から、隆起、または底層水の温度上昇によってBSRが上昇し、ガスハイドレートが分解したことが明らかになっている。BSRの上昇によるガスハイドレートの分解は放出されたガスが再び安定領域に上昇移動することによって、ガスの濃度を高める効果があり、ガスハイドレートの飽和率の分布を不均質にする。

マッケンジーデルタでは酸素・水素同位体組成比の深部へ向かっての上昇が階段状であり、その変化が過去のBGHSの深化に対応している。永久凍土地域では温度変化だけでなく、氷床の発達が圧力条件を支配するので、ガスハイドレートは複雑に生成・分解を繰り返し、それに伴って、ガスを集積、放出するため、分布、飽和率を不均質にする。また、階段状の同位体組成比の変化は、過去のガスハイドレート安定領域の下限を示す、という点で南海トラフに見られるダブルBSRと同様にその発達史を地質学的に記録しているとみなせる。

BGHSの深部、または浅部への移動に伴うガスハイドレートの生成・分解はガスの移動・再集積の原因となる。そのため一旦ガスハイドレートが堆積した後の安定条件の変化はガスハイドレートの分布と量の分布を不均質にする主要な原因といえる。

また、ガスハイドレート飽和率が砂岩中よりも、泥岩やシルト岩中で小さいことが、これらの地域で共通して見られる。これは間隙の小さな堆積物ではキャピラリー効果によってガスハイドレートが生成しにくくなっているためである。逆に、間隙の大きな堆積物は透水性が高いため、ガスを含む流体の積極的な移動経路としてガスの濃度を高めていると考えられ、このような堆積物の分布がガスハイドレートの分布そのものにも強く影響するといえる。

塊状ガスハイドレート中のメタン量は、その層準の間隙水に溶存しているメタン量よりも30倍以上になることが計算で求められた。ハイドレートリッジでの塊状ガスハイドレートの生成速度が間隙水の移動速度を上回っていることから、大量のガスがバブルとして供給されること、もしくはガスを含む流体が非常に速い速度で移動し、脱ガスを繰り返すことが、塊状ガスハイドレートの発達には不可欠であると考えられる。そのため、そのガスを供給する流体、ガスの通路としての間隙の大きな堆積物や断層面の分布が、ガスハイドレートの産状、分布を規制しているといえる。プレート収束帯においてしばしば塊状のガスハイドレートが見られるのは、ガスの通路の形成と関係していると考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

本論文では、始めに、メタンガスと水から成るガスハイドレートの基本的性質と自然界における分布や産状とそれを規制する要因について詳細に解説されている。その上で、ガスハイドレートの資源としての重要性および地球史的な意義について述べられている。天然のガスハイドレートには大量の炭化水素ガスが包接されており、近年、次世代の天然ガス資源としての研究が盛んであることが紹介される。一方、ガスハイドレートの分解によって引き起こされる海底斜面の不安定化、ガスの湧出現象、メタンの放出に伴う環境変化など、地質学的意義も強調される。このような視点に立って現在の海底哀惜物のガスハイドレートを見ると、ガスハイドレート層の層厚、飽和率、分布など、正確に求められているデータが少なく、不明確な点が多い点を指摘する。そして、(1)堆積物中のガスハイドレートの分布と量を明らかにすること、(2)そのような産状と分布を決定付けた地質条件が何であったのか、ガスハイドレート生成の地質モデルを提示すること、が本研究の目的であるとしている。ガスハイドレートの分布の概要は、地震探査によって示されるが、地質モデルの構築に必須は、実際の3次元的広がり、集積帯の分布などを明らかにするには、掘削によって試料を採取分析する必要がある。申請者の着目点は妥当であり、ガスハイドレートへの理解を深めるものである。申請者は、深部掘削によりガスハイドレートを含む堆積物がほぼ連続的に回収された南海トラフ、カスカディアマージンのハイドレートリッジ、およびカナダ・マッケンジーデルタの試料を堆積学的、地球化学的に分析し、結果を比較検討している。分析の手法は正確で信頼出来、質の高い大量のデータを扱うことにより、議論と結論の説得性が増している。

南海トラフにの砂岩層では、ガスハイドレート生成時の塩の除去効果、同位体分別効果による、低塩素イオン濃度異常 (〜100mM) と酸素同位体組成の正異常 (〜5‰) を確認し、ガスハイドレートの飽和率が約80%に達することを明らかにした。注目すべきは、塩素イオン濃度異常のないガスハイドレートの存在が確認されない堆積物にも拘わらず、酸素同位体組成のみ、シルト岩中で約1‰高くなる異常の発見である。申請者はこれを、ハイドレート化した水のメモリー効果と解釈する。つまり、ハイドレート化に際し水は篭状に構造化されるが、この時の水は周りの構造化していない水より同位体的に重くなる。ガスハイドレートの分解によってガスが失われた後も構造化した水が残ると、この付近の水の同位体はハイドレートが無いにも拘わらず、重くなると予想される。このような異常に注目することにより、過去のハイドレートの生成と分解の歴史を復元することが出来る。南海トラフのデータは、この地域ではガスハイドレートの安定領域が大きく変動したことを示唆する。

一方、オレゴン沖のハイドレートリッジはガスの湧出や大きな塊状ガスハイドレートで特徴つけられていることを明らかにした。塊状ガスハイドレートにはさまれる堆積物から採取された間隙水は通常観察される変化とは逆に塩素イオン濃度の上昇 (〜1368mM)、同位体組成比(δ18O:-0.75‰、δD:-5.6‰)の低下が確認された。これは、ハイドレートの生成によってはき出された塩分が海洋に拡散せずに堆積物中にとどまったためと解釈する。このように活発なガスハイドレートの生成は、メタンの供給が高いためであるとし、リッジ頂部付近では、断層は粗粒堆積物を通路として大量のメタン、エタンが供給されている証拠を見つけている。つまり、ハイドレートリッジ頂部では、ガスの供給が大きすぎるため堆積物中をバイパスしてしまい、その結果、堆積物中での生成はごくわずかで多くは海底付近の塊状ハイドレートになったと考える。

マッケンジーデルタでは、酸素・水素同位体組成比深度プロファイルが階段状であること、その変化は過去のガスハイドレート安定基底の深化に対応していること、という、2つの重要な発見をした。ハイドレートの安定性は深度に大きく依存する。これから、マッケンジーデルタでのステップ状パターンは、氷期における氷床の発達と消滅に対応する圧力変化が関係していると主張する。

3つの地域を通じて、その表れ方は異なるが、ハイドレートの分布を集積の変化は、(1)基本的には海底の隆起・沈降や氷床の消長による圧力変化、(2)テクトニックな要因による割れ目系の発達と深部ガスの上昇が、ガスハイドレートの集積を促進していることを明らかにした。

本研究は膨大はデータに基づき正確な議論と斬新なアイデアを提案しており、学位(理学)の学位を授与できると認める。

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