学位論文要旨



No 118872
著者(漢字) 柳瀬,亘
著者(英字)
著者(カナ) ヤナセ,ワタル
標題(和) ポーラーロウの構造と力学に関する数値的研究
標題(洋) A Numerical Study on the Structure and Dynamics of Polar Lows
報告番号 118872
報告番号 甲18872
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4525号
研究科 理学系研究科
専攻 地球惑星科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 中村,尚
 東京大学 教授 新野,宏
 東京大学 教授 山形,俊男
 東京大学 教授 木本,昌秀
 東京大学 助教授 高薮,縁
内容要旨 要旨を表示する

1960年代に気象衛星による観測が開始されると、冬季高緯度の海洋上には水平スケール200〜1000kmの低気圧が頻繁に発生していることが明らかになった。このような低気圧は、polar low(以下PLと略す)と呼ばれている。PLは比較的に緯度が低い日本海でも発生し(Ninomiya, 1989)、強風による海難事故や豪雪など、日本でも社会的に大きな影響がある(例えば、1981年2月の6000t貨物船の沈没や1986年12月の余部鉄橋での列車転落事故など)。PLの雲パターンを衛星画像で見ると、あるものは熱帯低気圧のように数本のスパイラルバンドと眼を持ち(Nordeng and Rasmussen, 1992)、また、あるものは温帯低気圧のようにコンマ状の雲パターンを示す(Reed and Duncan, 1987)。その他にも、非常に多様な雲パターンが衛星観測により見つかっているが、冬季の荒れた海上のため観測例が少なく、詳細な内部構造や力学に関しては十分に理解されていない。中でも、「どのような環境場の違いによって、多様な形態を持つPLが発達するのか」という問題に関しては未だ良くわかっていない。

これまで、PLの発生・発達機構については多くの説が提案されている。第1の説は、熱帯低気圧と似たメカニズム(ここでは熱的不安定と呼ぶ)、すなわち、PL内部の積雲対流が放出する凝結熱による不安定(CISK; Rasmussen, 1979)や海面から供給される顕熱・潜熱フラックスによる不安定(WISHE; Emanuel and Rotunno, 1989)によるとするものである。また、第2の説は、温帯低気圧と同じメカニズムである傾圧不安定によるとするものである(Reed and Duncan, 1987)。この他にも、上層擾乱や地形の影響などの影響が指摘されている。PLの研究が進むにつれて、各メカニズムは単独で働くのではなく、複数のものが事例毎・発達段階毎にその寄与の度合を変えて作用していると考えられるようになった。特に、Sardie and Warner(1983)による積雲対流加熱をパラメタライズした線形解析では、熱的不安定と傾圧不安定との相互作用が重要なメカニズムであることが指摘されている。しかし、対流加熱のパラメタリゼーションには多くの仮定が含まれており、また、線形論では波型擾乱を仮定しているために雲パターンに見られるような眼やスパイラルバンドなどの内部構造の表現は不可能である。

本研究ではまず、PLの発達に本質的であると考えられる熱的不安定と傾圧不安定の相互作用に関して理想化した数値実験を行ない、PLが発達する典型的な傾圧性の範囲において、観測されるような多様な雲パターンを伴うPLが再現されるかを調べた。ここで、PLの構造・力学に重要である積雲対流を陽に表現するために、水平格子間隔5km/2kmという高解像の3次元非静力学モデルを利用した。その結果、観測されるようなPLの多様性が非常に良く再現できることがわかったので、次に、傾圧場の強さに対してどのような構造と力学を持つPLが発達するかを体系的かつ詳細に解析し、明らかにした。

数値実験には気象研究所/数値予報課統一非静力学モデル(MRI/NPD-NHM, Saito et al., 2001)を、理想化実験用に修正を加えて用いた。モデルの領域は1000km×1000km×10.42kmで、x方向には周期境界条件、y,z方向にはfree-slipでフラックスなし(地面のみ摩擦と顕熱・潜熱フラックスあり)という境界条件を用いた。水平格子間隔は標準実験では5kmであるが、詳細な内部構造を調べたい実験では2kmとした。雲物理は水蒸気・雲水・雨水・雲氷・雪を予報し、積雲対流のパラメタリゼーションは用いていない。海面からの顕熱・潜熱フラックスはバルク法により与えた。基本場は過去に観測された典型的な環境場を単純化しており、一様な東西風の鉛直シアとこれに温度風バランスした南北温位勾配からなる傾圧場を強さを変えて与えた。計算は、下層の領域中心に軸対称渦を与えることで開始した。実験の名称は、英文字と数字の1文字ずつでM0, D3などと表す。英文字のM(D)は凝結熱と海面熱フラックスを与える(与えない)Moist(Dry)の実験を示し、数字は傾圧場の強さ(東西風の鉛直シアの値;単位は×10-3s-1)を示す。観測されるPLの典型的な環境場を考慮して、実験はM0〜M4の範囲で行なった。

はじめに、M0〜M4の全体的な特徴を調べた。図1は各実験における運動エネルギーの時間発展を示す。傾圧場がない場合も含めて全ての傾圧場においてPLが発達し、傾圧場が強いほど発達率(曲線の傾き)が大きいことがわかる。またPLの発達率は、傾圧場の強さとともに連続的に変化し、急激なレジームの変化は存在していない。図2に3つの実験の雲パターンを示す。傾圧場が無い場合(M0)にはスパイラルバンドと眼を伴う雲パターン(図2左)、傾圧場が弱い場合(M1)には軸対称性がやや崩れた雲パターン(図2中)、傾圧場が強い場合(M3)にはコンマ状の雲パターン(図2右)が形成された。これらのことから、観測される典型的な傾圧場の範囲で、観測されるような多様な雲パターンを伴うPLが発達することが示された。数値実験で得られた傾圧場の強さと雲パターンとの関係は、過去に行なわれた事例研究における観測結果とも良く対応していることがわかった(図略)。擾乱場の有効位置エネルギー(〓;〓は変数Aの東西平均場,A'は偏差場を表す)の生成には、平均場〓からの生成[〓,P']と、凝結熱による生成[Q,P']が主に寄与していた。傾圧場のないM0では[Q,P']だけがPLの発達に重要であるが(図3左)、傾圧場の強いM3ではM0と同程度の[Q,P']に加えてほぼ同じ大きさの[〓,P']がある(図3右)ために発達率が大きくなっている(図1)ことがわかる。

次に、異なる傾圧場で発達したPLの特徴を3つの実験(M0,M1,M3)について詳細に調べた。第1に、傾圧場のないM0では、図2左に示したように熱帯低気圧に似たスパイラルバンドを伴うPLが再現された。このPLの軸対称構造を図4に示す。接線風の最大値はγ〓30kmの下層にあり、PLの中心にはそれと温度風バランスするような暖気核構造が見られる(図4上)。また、下層での強い吹き込み、半径30km〜70kmでの上昇、上層(z〓5km)での吹き出しという、熱帯低気圧と似た2次循環構造が見られる(図4下)。中心付近に見られる下降流(図4下)は、暖気核と雲のない眼の構造を作り出している。いくつかの感度実験の結果から、M0では地表面摩擦が積雲対流を組織化して中心気圧を深める役割をしていること、初期渦が弱いとPLが全く発達しないことなどがわかった(図略)。

第2に、強い傾圧場のM3では、低気圧中心の東側に雲域がある(図2右)ことから、基本的には傾圧不安定波に似た性質を持っていることがわかる。そこで、D3(同じ強さの傾圧場のDry実験)で発達する純粋な傾圧不安定波と比較しながら構造を解析した。D3(図略)とM3(図5)のPLに共通して、メソαスケール(水平スケール200〜2000km; PL全体のスケール)で見ると、トラフ軸が高度とともに西に傾き(図5上)、トラフの東側に上昇流(図5上)と暖気(図5下)が存在するという傾圧不安定波の特徴が見られた。一方、M3では凝結熱によりメソβスケール(水平スケール20〜200km; PLの内部構造のスケール)で低気圧の構造が変形され、トラフ東側で上昇流の幅が狭くなること(図5上)や、PL中心付近におけるトラフ軸の直立(図5上)、下降流(図5上)に伴う暖気核(図5下)の構造が見られた。このようにM3のPLには、メソαスケールとメソβスケールの階層構造が存在することがわかった。また、M3でランダムノイズを与えて実験を開始すると、コンマ状の雲パターンへと発達する前の段階で擾乱が北西-南東方向に傾くという、非地衡流近似の湿潤傾圧不安定に関する線形解析の結果(Yanase and Miino, 2003)と似た特徴を示すことが確かめられた。

第3に、弱い傾圧場のM1では、中心に顕著な暖気核を持つというM0に似た構造が見られた(図略)。一方で、その東側に弱い暖気があるというM3に似た構造も見られ、M0とM3の中間的な性質を持つということがわかった。しかし、M1特有の特徴として、PLが北へ移動するという性質も見られた(図2中)。これは、弱い傾圧場の影響でPLの北側に強い対流が起こり(図2中)、その下層で渦が引き伸ばされて渦が北側へ伝播するというメカニズムによることがわかった。

本研究では、PLの基本的な力学・構造・発達機構が主として熱的不安定と傾圧不安定との相互作用により包括的に理解できることを初めて示した。衛星画像で見られるような多様な形態を示すPLの形成には、PLが発達する時の環境場における傾圧性の強さが大きな影響を与えている。また、環境場の傾圧性が与えられた時にどのような性質を持つPLが発達するか(あるいは発達しないか)という本研究での理解は、PLという社会的に大きな影響を持つ現象を予報する上でも有用である。

擾乱場の運動エネルギーの時間発展

M0(60hr; 左),M1(60hr; 中),M3(30hr; 右)の雲パターン(鉛直積算した全凝結水;影)と地上気圧(線;3hPa毎)。M0は中心付近500km×500kmの領域を示し、M1とM3は全計算領域を示す。M0のみ水平格子間隔2kmの実験の雲パターンを示す。

M0(左)とM3(右)の有効位置エネルギーの主な生成項の時間発展。

M0のPLの動径鉛直分布(接線方向に値を平均した軸対称構造;時間は60-70hrで平均)。上:温位(影)と接線風(線;5ms-1毎)。下:相対湿度(影;単位は%)と動径風(白線1ms-1毎)と鉛直風(黒線;0.03ms-1毎)。実線は正の値、破線は負の値を示す。

M3のPLの鉛直断面。上:鉛直流(影;ms-1)。下:温位偏差(影;K)。実線は気圧偏差(3bPa毎)。図の中心に低気圧中心がある。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、日本海を含む中高緯度海洋上の寒気内にて寒候期に頻繁に発現・発達し、時には強風や豪雪等による被害をもたらす低気圧、いわゆる「ポーラーロウ」の力学を本質的に明らかにした初めての研究である。この種の低気圧は通常の総観規模低気圧よりも水平規模が小さく(数百km)、人工衛星から雲画像が撮影されるようになり初めてその存在が認識されたもので、個々の事例により多様な分布の雲群を伴うことが観測的に知られている。しかし、低気圧の内部構造や発達のメカニズム、特に、多様な雲パターンの形成が環境場の如何なる特性を反映したものかについては、納得し得る説明が従来全く与えられてこなかった。

本論文は5章と補遺から成る。第1章は導入部で、ポーラーロウに関する観測事実、並びに従来の理論的、数値的研究に基づく解釈が広汎にレビューされている。続く第2章では、本研究で行なわれた数値モデル実験の詳細が記されている。特に、用いた数値モデルには雲物理過程が含まれ、その高い水平解像度(2km乃至5km)は対流性雲群の分布を表現するに十分なことが述べられている。

第3章では、背景の偏西風に伴う傾注性の強度を系統的に変更しつつ繰り返された数値実験の結果が概観され、初期渦の時間発展、特に低気圧に伴って形成される雲パターン、低気圧中心の発達率やその南北方向の移動が、背景場の傾圧性強度に依り系統的に変化する傾向が明瞭に示された。即ち、傾圧性が著しく弱い場においては、熱帯低気圧のように中心域の「眼」とそこから伸びる数本の螺旋状の雲群とに特徴付けられる軸対称性の高い雲パターンが形成される。傾圧性の高まりに連れて雲パターンの軸対称性は徐々に崩れ、傾圧性が特に著しい場においては、「コンマ」状の雲群パターンが形成されることが示された。また、傾圧性の高まりに伴う低気圧の発達率の増大には、背景場からの有効位置エネルギー変換の増大のみならず、西風鉛直シア中の擾乱による下向き西風運動量輸送に伴う背景場からの運動エネルギー変換の増大も寄与することが示され、非地衡風レジームの(湿潤)傾圧不安定擾乱の性質を帯びることが確認された。さらに、比較的弱い傾圧性の場においてポーラーロウが極方向へ移動する傾向は、低気圧極側前面で特に顕著な対流に伴う渦管の伸長に因るものと解釈された。続く第4章においては、過去の研究と照らし合わせ、上記の結果に地球流体力学的な様々な観点から総合的な議論が加えられている。さらに、成層度や平均温度など、傾圧性以外に背景場を特徴付けるパラメータに対するポーラーロウの構造の依存性も、付加的な数値実験にて調査され、その解釈も示されている。

これらの重要な成果は第5章にまとめられ、過去の観測的研究にて示された個々の雲パターンの多様性が、各事例で推測される背景場の傾圧性を考慮すれば、本数値実験の結果に基づき定性的に解釈できることも確認された。さらに、補遺として、非地衡風レジームにおける湿潤大気の傾圧不安定に関する線型解析の結果を掲げ、強い傾圧性を有する西風中にて発達中の「ポーラーロウ」が示す北西から南東方向へと傾く気圧軸の特徴的構造が、線型解析の結果と整合的であることも論じられている。

以上のように、本論文では、よく練られ系統的に実施された複数の数値実験とその出力結果の詳細な解析や深い理論的考察とを通じ、観測されるポーラーロウの3次元構造とそれに附随する雲群分布の多様性が、背景場の傾圧性への依存性の現れとして統一的・系統的に解釈可能なことを初めて提唱し、その多様性の背後にあるポーラーロウ発達のメカニズムの本質を解明することに成功した。その学問的成果は高く評価されるべきである。

なお、本論文の第1章から第5章にかけてと補遺は、新野宏教授(東京大学)との共同研究に基づくが、いずれも論文提出者が主体となって数値実験や理論解析および考察を行なったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断される。

従って、博士(理学)の学位を授与できると認める。

UTokyo Repositoryリンク