学位論文要旨



No 118876
著者(漢字) 佐々木,啓孝
著者(英字)
著者(カナ) ササキ,ヒロタカ
標題(和) 膜タンパク質再構成系を指向した生体膜モデルとしてのバイセルに関する研究
標題(洋) Studies on Bicelles as a Model Membrane System for Reconstitution of Membrane Proteins
報告番号 118876
報告番号 甲18876
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4529号
研究科 理学系研究科
専攻 化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 橘,和夫
 東京大学 教授 奈良坂,紘一
 東京大学 教授 川島,隆幸
 東京大学 助教授 田中,健太郎
 東京大学 教授 嶋田,一夫
内容要旨 要旨を表示する

膜タンパク質は全タンパク質の約1/3を占め、シグナル伝達などの媒体として生命活動に深く関与し、その分子レベルでの機能解析は非常に大きな意義を持つ。本来であれば細胞膜に発現している膜タンパク質の機能を直接解析するのが理想的であるが、細胞膜は他の膜タンパク質を含む多くの構成成分から成る。従って目的とする膜タンパク質の機能についての純粋な知見を得ることは困難であり、より単純化された系への再構成が必須である。しかしながら生体膜中以外の条件下では、膜タンパク質の高い疎水性に由来する活性消失という困難が膜タンパク質機能研究の進展を阻んでいる。その解決策としてベシクルやミセルといった脂質成分(または脂質疑似成分)から成る生体膜モデルに対して膜タンパク質を再構成する手法が広く用いられてきたが、集合体のサイズが大きいことから磁場中での短い回転相関時間が要求される溶液NMR分光に適さない、二重膜構造が欠如している可溶化状態で高次構造が異なるなど、各々の形状に由来する様々な欠点が指摘されている。一方、バイセルは脂質二重膜を構成するリン脂質と二重膜の端を覆う界面活性剤を特定の割合で混合することで形成されるディスク状分子集合体であり(図1)、磁場配向の性質を利用して共存する溶質分子を配向させNMRによって磁気異方的情報を抽出することに従来用いられてきた。最近の研究においてバイセルはその平面構造が最も小さな生体膜モデルとして考えられベシクルやミセルで見られた欠点を克服する特徴を有すると期待されているが、その応用例は非常に少なく検討すべき課題が多く残されている。筆者は生体膜作動性チャネル形成ペプチドとして知られるメリチンをプローブとして・生体膜モデルとしてのバイセルの物性を調べた。さらに膜タンパク質であるバクテリオロドプシンをバイセル中に再構成して膜タンパク質再構成系としての評価も行なった。

生体膜モデルとしてのバイセル

メリチンによるバイセルの状態変化

31P NMRを指標としてメリチンの添加に伴うバイセルの状態変化を観測した結果、バイセルは生体膜やベシクルと同様に膜構造崩壊が誘起される事が明らかとなった(図2A)。さらに31P NMRおよび動的光散乱を用いて膜構造崩壊後のバイセルの状態変化を観測した結果、膜融合に起因する巨大な球状分子の形成が確認された。続いてバイセル共存下でのメリチンの構造情報をNMRによって得ることを試みた。メリチンとバイセルの共存系を考える場合、バイセルが保持されている状態と崩壊している状態が考えられる。膜構造の不安定性から測定下限濃度のメリチンをバイセルと共存させることは実現不可能であったが(図2A)、コレステロール添加で約10倍の安定化が実現されバイセル系中でのメリチンの構造情報取得が可能となった(図2B)。

メリチンのバイセル系中での状態

コレステロール添加の有無により同一のメリチン濃度下でバイセル保持および崩壊系を作ることができるようになったので、これら二つの系におけるメリチンの状態の比較をNMRを用いて行なった。NMRシグナルの感度向上のために部位特異的同位体標識メリチンを固相合成し、両系におけるHSQCスペクトルの測定を行なった。バイセル崩壊系においてはミセル中および遊離メリチン由来と推定されるシグナルを観測することができたのに対してバイセル保持系のメリチンからは明瞭なシグナルが確認されなかったことから、バイセルの膜構造が保たれている場合、メリチンがバイセルに対して貫入した強い結合状態にあると結論した(図3)。すなわち、コレステロール含有バイセルを用いることによって初めてNMRスペクトル上でバイセルの二重膜に対するメリチンの配向情報を取得した。

膜タンパク質再構成系としてのバイセル

メリチンの実験によってバイセルが膜親和性ペプチドに対しての有用な生体膜モデルであることを証明したので、次に膜タンパク質への応用を試みた。すなわちバクテリオロドプシンをコレステロール含有バイセル中に再構成し、その性質を紫外可視分光を用いて評価した。ミセル中とバイセル中のバクテリオロドプシンの比較を行なった結果、バイセル中における吸収極大がミセル中に比べて長波長側にシフトし、古細菌の細胞膜である紫膜中での吸収極大波長にほぼ一致する結果を得た(図4)。両生体膜モデル中での脂質分子の脂肪鎖近傍でのパッキングの相違が再構成されたバクテリオロドプシンの性質に影響を与えたと考察し、ピレン導入脂質蛍光プローブを用いてパッキングの比較を行なった。ピレンのモノマーに対するエキサイマーのピーク強度比は温度に対して次式で表されるが、IE/IM=BP(T)Texp(-Ea/RT) IE:エキサイマー由来ピーク強度 IM:エキサイマー由来ピーク強度 B:定数 P(T):立体因子(パッキングに関連) T:温度 R:気体定数 Ea:エキサイマー形成時の活性化エネルギー 観測結果に対しArrheniusプロットをとったところ直線回帰に良い一致を示した事から(図5)、P(T)=Poexp(D/T) Po, D:定数と近似され、それぞれの回帰直線の傾きおよび切片の値からバイセルがミセルよりもパッキングの度合いが5〜9%減少していることが明らかとなった。すなわち紫外可視分光の実験結果と併せれば、バイセル形成に伴うバクテリオロドプシンの性質の変化は脂質分子間のパッキングが減少してタンパク質分子が本来の三次元構造をとることを許容したことに由来すると判断した。

以上筆者はバイセルがメリチンに対して生体膜と同様の環境を与え、生体膜モデルとして有用であることを明らかにした。その過程で膜構造の不安定性が問題となったが、コレステロールを添加することによって解消できることを見い出した。さらにバイセル中に再構成したバクテリオロドプシンの性質を解析した結果、膜タンパク質再構成系としてもバイセルが有効であるという知見を得た。

バーセルの模式図

メリチンの添加に伴う31P NMRスペクトルの変化 A:コレステロール非含有バイセル B:コレステロール含有バイセル

部位特異的ラベル化メリチン(左)を用いた各生体膜モデル中での1D-HSQCスペクトル(観測可能なシグナルはラベル化したGlyのアミドプロトン由来)両系中においていずれも[メリチン]=0.6mM

バクテリオロドプシンの紫外可視領域吸収スペクトル

ピレンのエキサイマー/モノマーピーク強度比に対するArrheniusプロット T=298K〜318K

審査要旨 要旨を表示する

本論文は序論、本論第1〜3章、本論文提出後に得られた新知見により追加した補遺、および結論の各章により構成されている。本論各章はさらに個々の報告内容に関しての序論、実験の部、および結果と考察の3節からなり、読者による追試と用いた化合物の同定がすべて可能となっている。

序論では本研究を開始するに至った背景と、これを踏まえて行なった本論文研究での新規な知見の範囲、および用いた実験手法の出典が述べられている。加えて、ここでの研究対象である生体膜モデルリン脂質分子集合体バイセルの構造に関して本論文提出後に他研究機関により報告された新知見を踏まえた本研究実験結果の解釈に関する再検討を、補遺として追加した旨が述べられており、本論文の構成が明確になっている。

本論文第1章では、まず本研究でその研究目的である生体膜結合分子の構造解析媒体としての有用性を検証しているバイセルに関し、既報内容の追試を含めて、以下の実験に用いるこの分子構成および温度の範囲をリン原子核磁気共鳴により確定している。続いてこの実験条件を適用して、生体膜構造を撹乱することが知られるハチ毒ペプチドであるメリチンにより、従来生体膜モデルとして多用されているベシクル同様にバイセルの集合体構造撹乱が観測されることで、後者を生体膜モデルとして用いることの妥当性を述べている。さらにバイセル構成分子として動物生体膜成分の一つであるコレステロールを添加することで、メリチンによる集合体構造撹乱作用への耐性が一桁以上向上するという新知見が述べられており、これにより外来分子を含めた生体膜での集合体構造の解析にバイセルが有用であることが示唆されている。

第2章では生体膜における機能分子である膜タンパク質の構造研究にバイセルをその媒体として用いることの妥当性を検証する目的で、研究例の多い好塩古細菌の主たる膜タンパク質である光受容分子、バクテリオロドプシンをバイセルに再構成させ、光吸収特性を観測した結果が述べられている。ここで、集合体サイズが大きいため構造研究媒体としては障害の多いベシクルに替えて頻用されているミセルでの本タンパク質の高次構造に比較して、バイセル中での構造が古細菌細胞膜中でのそれをよりよく反映しているとの実験結果を得た旨が述べられている。さらにこれがバイセル中でタンパク質が高次構造を形成する際での運動性において、ミセル中に比べてより高い自由度を持つためであると推定し、バイセル、ミセル両媒体に関して蛍光プローブを用いた実験によりこの理由付けが妥当であると結論している。

第3章ではリン原子核磁気共鳴と光散乱による第1章での実験結果に関して、熱分析を加えた追加実験の結果とそれを踏まえた考察が述べられている。ここで、本論文提出後に他機関より報告されたバイセルの構造に関する新たな知見を踏まえ、これが考察されている。加えて第1,2章での実験結果に関して、上記の他機関による新知見を踏まえて改めて考察した結果、この新知見が本研究での実験結果をより適切に説明しうる旨が補遺において述べられている。

以上、本論文の研究内容は生体膜中での構成分子の構造情報取得の手段として、バイセルが有望な媒体であることを多様な手段により検証したものであり、この成果は今後の個々の生体膜構成分子による生物現象、および外来分子によるこの摂動等における分子構造レベルでの機構解明研究に活用されるものと判断でき、本研究分野への貢献は大きい。なお、本研究で用いた試料は共同研究者により調製されたものを一部含むが、大部分の試料調製、測定と結果の解析、実験計画立案と実施、および結果の考察は本論文提出者が自ら行なっており、その寄与は十分である。

よって、本論文提出者である佐々木啓孝は、博士(理学)の学位を授与される資格があるものと認める。

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