学位論文要旨



No 118881
著者(漢字) 久米,晶子
著者(英字)
著者(カナ) クメ,ショウコ
標題(和) アゾ置換ビピリジン遷移金属錯体の光異性化と電子移動反応の機能連動による新規光-電子応答性分子材料の創製
標題(洋) Creation of Novel Photo-electro-responsive Molecular Materials by Synchronization of Photoisomerization and Electron Transfer in Azo-substituted Bipyridine Complexes
報告番号 118881
報告番号 甲18881
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4534号
研究科 理学系研究科
専攻 化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 西原,寛
 東京大学 教授 塩谷,光彦
 東京大学 教授 長谷川,哲也
 東京大学 助教授 岩田,耕一
 東京大学 講師 後藤,敬
内容要旨 要旨を表示する

【序】ナノテクノロジーの究極的な目標は、分子ひとつをいかに操作し、分子内のプロセスを介して、外部に多様な応答を返すことが出来るかということにある。このような機能性分子を設計する際、既知の分子コンポーネントをうまく連動することによって、望みの応答性を作り上げることができる。生体分子はこのような連動系において効率のよいエネルギー変換・情報変換を実現しているが、従来の人工のmolecular machineでは分子操作に重点が置かれ、分子から有効なoutputを引き出すという観点からの研究例が殆どない。そこで、本研究では光に応答して可逆にトランス・シス光異性化反応を行うアゾベンゼンと、電子に応答して可逆なレドックスを示す遷移金属錯体を素材とし、従来の分子では実現できなかった光-電子応答性が、各コンポーネントが分子中で様々な形式で相関することで可能となることを実証した。具体的には、アゾベンゼン部位と錯体部位を電子的に相関させることで、従来紫外光と可視光の2色光で可逆制御されていた光異性化反応を、紫外光と酸化還元反応によって制御できることを示した。また、アゾベンゼン部位と錯体構造を立体的に相関させることで、光異性化によって誘起される構造的なエネルギーを電子のエネルギーに変換して外部に取り出すことに成功した。

【コバルトの酸化還元による光異性化制御-光励起状態における遷移金属錯体の影響】

Fig. 1に示したコバルト錯体[Co(mAB)3]3+/2+について、酸化還元反応に伴う異性化挙動の変化を追跡し、酸化還元反応によるトランス・シスの構造制御に成功した。

コバルトの価数が2価と3価の錯体に対して、その紫外光照射に対する異性化挙動を比較すると、2価の錯体では60%程度シス体に変換するのに対し、3価の錯体では10%のシス体を生じた時点で光定常状態に達した。フェムト秒過渡吸収スペクトル測定から、コバルト3価の錯体においてアゾ基のS1励起状態がコバルト錯体部位へのπ共役系を介した電子移動あるいはエネルギー移動過程が生じて失活していることがわかった。この異性化挙動の違いを利用して、Scheme 1に示すように、レドックス反応と紫外光照射を交互に行うことで、トランス・シスの構造変化を可逆に起こすことができた。

【銅錯体による光異性化制御-配位子交換反応を介した光異性化と電子移動の連動】

Fig. 2に示した銅錯体[Cu(dmpAB)3]2+/+について、錯体部位がレドックス応答性だけではなく、可逆な化学反応である配位子交換反応も起こすことに着目し、レドックス→配位子交換→光異性化という3連型の連動系を作ることで可逆に異性化を制御できることを見出した。

この銅錯体はCu(II)/Cu(I)のレドックス活性を示すが、紫外光照射によるシス体の生成比率が銅1価で14%、銅2価では18%と、どちらも効率よくシス型に変換することができなかった。コバルト錯体と同様にアゾ基の励起状態が失活することがその理由として考えられる。これらのコバルト、銅錯体における結果は、遷移金属錯体の電子状態やレドックス活性とアゾベンゼンの電子状態の相関が、効率的なシス体の生成の点では不利になりやすいことを示唆している。そこで、アゾ配位子に対して金属中心を可逆に脱着できれば、金属中心の影響を受けずに異性化を進行させ、かつトランス-シスに構造変換した錯体を得る経路ができると考え、配位子交換反応を系に適用することを考えた。

銅錯体は、銅1価(四面体形)、銅2価(平面形)によって取り易い配位構造が異なるため、レドックス反応に伴って、配位サイトにおける置換基の立体効果が錯体構造の安定化に及ぼす寄与が変化すると考えられる。アゾ配位子と無置換のビピリジンと競合させたところ、アゾ配位子のビピリジン6,6'位のメチル基の立体効果によって銅2価ではビピリジンが、銅1価ではアゾ配位子が選択的に銅中心に配位した。また、サイクリックボルタモグラムにおいてCu(II)/Cu(I)酸化還元反応を繰り返し行うと、追随して配位子交換が可逆に起こることが確かめられた。ビピリジン共存下において、紫外光照射におけるシス体の生成比率は銅2価で72%、銅1価で25%と、アゾ配位子が銅から脱離する銅2価において大幅な効率の改善が見られ、かつアゾ配位子が銅に配位している銅1価の錯体との異性化挙動の違いを増大できた。結果として、この系ではコバルト錯体とは酸化体・還元体の紫外光に対する異性化効率の大小関係が逆になり、逆回りの形式で紫外光とレドックスによる異性化制御ができる(Scheme 2)。

【光異性化による銅のレドックスポテンシャル制御-視覚システムの分子モデル】

Fig. 3に示す銅錯体[Cu(oAB)2]+において、アゾ基の光異性化による構造変化を銅錯中の構造的なエネルギーとし、配位子交換反応を介することでCu(II)/Cu(I)のレドックスポテンシャルを変化させることができた。すなわち、光のエネルギーを分子連動系において電子のエネルギーに変換し、外部応答として出力した。

酸化還元反応を光異性化によって制御するという点で、Fig. 1のコバルト錯体では光異性化に伴う酸化還元電位の変化は見られなかった。したがって、π共役を介した電子的相互作用という点では、トランス・シスの違いはレドックスポテンシャルを変化させるほど大きくないことがわかる。そこで、トランス・シスによる立体構造の変化に着目し、アゾ基を配位サイト近傍に配置することでその立体効果と銅中心の反応性と相関させることを考えた。ビピリジンの6,6'位にアゾベンゼンの置換した配位子oABおよびその銅1価の錯体[Cu(trans2-oAB)2]を新規に合成した。この銅錯体の結晶構造は、アゾ基を含まない類縁体に比べて全体的に平面型に歪んでおり、配位子同士のπ-stackingが、トランス型のアゾ基がπ平面に加わることで強まると考えられる。アゾ基がシス型に折れ曲がった場合にはπ-stackingは阻害されることが予想でき、実際に1H-NMRからは、一方のoABのアゾ基と他方のoABとがトランス型にくらべ離れることが示唆された。しかし、このπ-stackingによる構造の違いにもかかわらず、トランス型・シス型錯体のCu(II)/Cu(I)のレドックスポテンシャルにはほとんど違いがなかった。π-stackingは、主に配位子同士の相互作用によって錯体構造を安定化する効果を持つと考えられ、これをエネルギーの差として取り出すためには、配位子同士が離れる反応、すなわち配位子交換反応が有効であると考えられる。さらに、配位子交換に伴って銅のレドックスポテンシャルが変化するように、交換する配位子を選択することができる。交換配位子として無置換の2,2'-ビピリジンを選択し、cis2-oABと[Cu(bpy)2]BF4を混合して微分パルスボルタモグラムを測定すると、平衡は[Cu(bpy)2]+(側に偏り、[Cu(cis2-oAB)2]+に由来する酸化還元波はほとんど観測されなかった(Fig. 4)。この系に可視光を照射し、cis2-oAB をか trans2-oAB に変換すると、[Cu(trans2-oAB)2]+が[Cu(cis2-oAB)2]+よりも構造的に安定であるために配位子交換の平衡が移動し、[Cu(trans2-oAB)2]+に由来する酸化還元波が増大した(Fig. 4)。すなわち、構造的にエネルギーの高い[Cu(cis2-oAB)2]+は、そのエネルギーを配位子交換に利用して、よりレドックスポテンシャルの高い[Cu(bpy)2]+を生成することができる(Scheme 3)。

トランス・シス光異性化によって誘起できるレドックスポテンシャルの差をを外部応答として取り出すために、Cu(II)/Cu(I)の混合状態における平衡電極電位変化を利用した。3元溶液系trans2-oAB/[Cu(bpy*)2]+/[Cu(bpy*)2]2+(bpy*=4,4'-tert-butyl-2,2'-bipyridine)で、紫外光/可視光を順次照射してトランス・シス変換を行うと、それに伴い系の平衡電極電位が可逆に変化した(Fig. 5a)。また、このトランス型・シス型でのそれぞれの電位の中間に電極電位を設定して回路を閉じると、アゾ基がトランス型ではカソード電流、シス型ではアノード電流がそれぞれ流れ、異性化を繰り返すと何度も同様な応答を得ることが出来た(Fig. 5b)。これらの応答性をScheme 4に示す。これらの実験は一連のサイクリックな過程を可逆な光異性化によって回すことで、光エネルギーを分子系内部に蓄積し、電気の形で外部に出力できるということを示している。このようなoutput mediaをもつ人工的な分子機械の報告例はこれまでにないものである。またこの系は、光異性化で誘起される分子のコンフォメーション変化から化学反応を連鎖することで、光信号を電気信号に変換するという、天然における視覚の機構を非常にシンプルな分子系で達成しているといえる。

【結論】アゾベンゼンとビピリジン遷移金属錯体を分子内で電子的・立体的に連動させることで、光異性化の酸化還元による制御、酸化還元挙動の光異性化による制御に成功した。また、可逆な配位子交換反応を中間過程に組み込んで、分子機能の連動を多段階で行い、分子機能の発現が有効かつ多様に行われることを示した。

[Co(mAB)3]n+ (n=2,3)

[Cu(dmpAB)2]n+ (n=1,2)

[Cu(oAB)2]+

Differential pulse voltammograms of a sample containing cis2-oAB (1x10-3 M) and [Cu(bpy)]BF4 (5x10-4 M) in 0.1 M Bu4NBF4 solution (CH2Cl2) under condition of darkness (solid line) and after visible irradiation of> 420 nm for 3 min (dotted line).

Time-course rest potential changes (a) and electrolysis currents (b) of a photoirradiated sample containing trans2-oAB (l x 10-3 M), [CuI(bpy*)]BF4 (5 x 10-5 M)[,]and [CuII(bpy*)](BF4)2 (5 x 10-4 M) in 0.1 M Bu4NBF4 solution (CH2Cl2). Sequential photoirradiation was carried out with monochromatic UV light (365±30 nm) and visible light (436±30 nm). The electrolysis potential applied in (C) was set at 0.20 V, which is [the midpoint value between the trans and cis rest potentials (denoted by the red dotted line in (B)).

審査要旨 要旨を表示する

本論文は5章からなり、第1章に序論、第2-4章に研究結果と討論、第5章に全体の総括が記されている。以下に各章の概要を記す。

第1章では研究の背景と目的について述べている。ナノテクノロジーの究極的な目標は、分子ひとつをいかに操作し、分子内のプロセスを介して、外部に多様な応答を返すことが出来るかということにある。このような機能性分子を設計する際、既知の分子コンポーネントをうまく連動することによって、望みの応答性を作り上げることができる。本研究では光に応答して可逆にトランス・シス光異性化反応を行うアゾベンゼンと、電子に応答して可逆なレドックスを示す遷移金属錯体を素材とし、各コンポーネントが分子中で様々な形式で相関することで従来の分子では実現できなかった光-電子応答性を実現することを目的とした。

第2章では、コバルトの酸化還元による光異性化制御-光励起状態における遷移金属錯体の影響について述べている。アゾベンゼンを4位に置換した新規ビピリジン配位子mABのコバルト錯体[Co(mAB)3]3+/2+について、コバルトの価数が2価と3価の錯体に対して、その紫外光照射に対する異性化挙動を比較すると、2価の錯体では60%程度シス体に変換するのに対し、3価の錯体では10%のシス体を生じた時点で光定常状態に達した。フェムト秒過渡吸収スペクトル測定から、コバルト3価の錯体においてアゾ基のS1励起状態がコバルト錯体部位へのπ共役系を介した電子移動あるいはエネルギー移動過程が生じて失活していることがわかった。この異性化挙動の違いを利用して、レドックス反応と紫外光照射を交互に行うことで、トランス・シスの構造変化を可逆に起こすことができた。

第3章では、銅錯体による光異性化制御-配位子交換反応を介した光異性化と電子移動の連動について述べている。銅錯体は、銅1価(四面体形)、銅2価(平面形)によって取り易い配位構造が異なるため、レドックス反応に伴って、配位サイトにおける置換基の立体効果が錯体構造の安定化に及ぼす寄与が変化すると考えられる。6,6'位にメチル基、4位にアゾベンゼンを置換した新規ビピリジン配位子dmpABと無置換のビピリジンと競合させたところ、アゾ配位子のビピリジン6,6'位のメチル基の立体効果によって銅2価ではビピリジンが、銅1価ではアゾ配位子が選択的に銅中心に配位した。また、サイクリックボルタモグラムにおいてCu(II)/Cu(I)酸化還元反応を繰り返し行うと、追随して配位子交換が可逆に起こることが確かめられた。ビピリジン共存下において、紫外光照射におけるシス体の生成比率は銅2価で72%、銅1価で25%と、アゾ配位子が銅から脱離する銅2価において大幅な効率の改善が見られ、かつアゾ配位子が銅に配位している銅1価の錯体との異性化挙動の違いを増大できた。結果として、この系ではコバルト錯体とは酸化体・還元体の紫外光に対する異性化効率の大小関係が逆になり、逆回りの形式で紫外光とレドックスによる異性化制御ができる。

第4章では、光異性化による銅のレドックスポテンシャル制御-視覚システムの分子モデルについて述べている。6,6'位にアゾベンゼン、4,4'位にトリル基を持つ新規配位子oABの銅錯体[Cu(oAB)2]+において、アゾ基の光異性化による構造変化を銅錯中の構造的なエネルギーとし、配位子交換反応を介することでCu(II)/Cu(I)のレドックスポテンシャルを変化させることができた。すなわち、光のエネルギーを分子連動系において電子のエネルギーに変換し、外部応答として出力した。このようなoutput mediaをもつ人工的な分子機械の報告例はこれまでにないものである。またこの系は、光異性化で誘起される分子のコンフォメーション変化から化学反応を連鎖することで、光信号を電気信号に変換するという、天然における視覚の機構を非常にシンプルな分子系で達成しているといえる。

最後に、以上の結果を総括し、今後の研究展望を述べている。

以上、本論文は、希土類複核錯体の構造制御した合成を行うとともに、磁気的性質、発光特性について新しい結果を記述しており、錯体化学、物性科学の研究におおきなインパクトを与えたオリジナルな研究として評価できる。なお、本論文第2章は栗原正人、村田昌樹、玉井尚登、西原 寛、第3章は栗原正人、西原 寛、第4章は村田昌樹、尾関智二、西原 寛との共同研究であり、一部は既に学術雑誌として出版されたまたは出版予定のものであるが、論文提出者が主体となって実験および解析を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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