学位論文要旨



No 118882
著者(漢字) 佐瀬,祥平
著者(英字)
著者(カナ) サセ,ショウヘイ
標題(和) 5配位リン原子を含む3員環化合物の合成、構造および反応
標題(洋) Syntheses, Structures, and Reactions of Three-membered Ring Compounds Containing a Pentacoordinate Phosphorus Atom
報告番号 118882
報告番号 甲18882
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4535号
研究科 理学系研究科
専攻 化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 川島,隆幸
 東京大学 教授 奈良坂,紘一
 東京大学 教授 中村,栄一
 東京大学 教授 小林,昭子
 東京大学 助教授 村田,滋
内容要旨 要旨を表示する

3員環化合物は大きな環歪みを持つことから、構造、反応性に興味が持たれ、盛んに研究されてきた。第三周期以降のリン、ケイ素のようなヘテロ原子を環内に持つ3員環化合物についても近年様々な知見が得られており、3員環を形成する結合はp性の高い湾曲した結合であることが明らかにされてきた。一方、第三周期以降の典型元素は高配位状態を容易にとり、その典型元素といくつかの置換基との結合は分極した3中心4電子結合からなることが知られている。高配位典型元素を環内に有する3員環化合物は、その典型元素と環を構成する元素との結合が両者の特徴をあわせもつと予想され、従来にない新しい性質、反応性を持つと期待される。しかし、これまで高配位元素を環内に有する3員環化合物についての報告は限られており、結合の性質や反応性についてほとんど明らかにされていない。筆者は修士課程において、高配位化合物の安定化に実績のある Martin リガンドを活用することにより、5配位セレナホスフィランを合成・単離し、X線構造解析によりその構造を明らかにした。本研究ではその反応性を明らかにすると共に、その硫黄類縁体である5配位チアホスフィランおよび5配位リンと二つの炭素からなる3員環化合物を合成し、その溶液中での構造、性質を明らかにすることを目的として検討を行った。

5配位チアホスフィランの合成および構造

5配位チアホスフィランの合成はセレン類縁体と同様の手法で行った。すなわち、アルキリデンホスホラン1に対し1当量の単体硫黄を低温下作用させたところ、5配位チアホスフィラン3が得られた。X線構造解析を行ったところ、リン原子は5配位でリン原子周りは非常に歪んだ三方両錐構造をとっており、セレン類縁体2とほぼ同様の構造をとっていることが分かった。また、2および3それぞれの密度汎関数法 (B3PW91) を用いた最適化構造は、結晶中の構造をよく再現した。

5配位カルコゲナホスフィランの性質

31P NMRでは、2 [δp-26.6 (C6D6)]および3 [δP-48.5 (C6D6)]はいずれも5配位化合物に特徴的な高磁場領域にシグナルが観測され、溶液状態でもリン原子は5配位であることが分かった。密度汎関数法 (B3PW91) によりNMRの化学シフトを予測したところ、いずれの場合も溶液中 (C6D6) のシフト値をよく再現し、溶液中の構造が結晶中と近いことが示された。また1H NMRでは、Haのシグナルが低磁場領域に観測され、C-Ha結合の近傍に分極したリン-カルコゲン結合が存在することが明らかとなった。各種溶媒中におけるNMR測定では、31Pおよび77Se NMRのシフト値と溶媒の acceptor number に粗い相関が見られ、2および3のいずれの場合も溶液中で負に帯電したカルコゲン原子と溶媒の間の相互作用の存在が明らかになった (Table 1)。また、溶媒による31P NMR化学シフトの変化は3の方が小さくなっており、リン-硫黄結合の方が分極の度合いが小さいことが分かった。

次に、5配位カルコゲナホスフィランの反応性を明らかにするべく各種試剤との反応を行った。求電子試剤であるメチルトリフラートとの反応では、いずれの場合もカルコゲン原子がメチル化された化合物が得られ、カルコゲン原子が負に帯電していることを反映した結果を与えた。2と水などのプロトン源との反応ではセレンが脱離した化合物が得られ、ベンズアルデヒドとの反応ではセレンを含まない5配位オキサホスフェタンが得られた。いずれの場合も、アルキリデンホスホラン1とそれぞれの試剤との反応における生成物と一致したことから、セレナホスフィラン2とこれらの試剤との反応では、2と平衡にある1を経由して反応が進行しているものと考えられる。トリフェニルホスフィンとの反応では、セレナホスフィラン2が室温で即座に脱セレン化されてアルキリデンホスホラン1とトリフェニルホスフィンセレニドを与えたのに対し、硫黄類縁体ではほとんど反応しなかった。

5配位リンと二つの炭素からなる3員環化合物の構造と性質

3配位ホスフィレン4aおよび4bに対し、トルエン中室温で1当量のo-クロラニルを作用させたところ、中程度の収率で対応する5配位ホスフィレン5aおよび5bがそれぞれ得られた。次に、飽和な3員環を有する5配位ホスフィランを合成するべく、3配位ホスフィランとo-クロラニルとの反応について検討した。1-フェニルホスフィランと1当量のo-クロラニルとの反応では複雑な混合物となった。一方、1-(9-アントリル)ホスフィラン6とo-クロラニルとの反応を行ったところビニルホスフィン酸エステル7が得られ、目的の5配位ホスフィランは観測されず、3配位ホスフィレン4が同様の反応により5を与えたことと対照的であった。5配位ホスフィレン5aはX線構造解析により、リン原子周りが非常に歪んだ正方錐構造であることが分かった。31P NMRでは5a [δp-95.2 (C6D6)] および5b [δp-91.3 (C6D6)]のシグナルは5配位リン化合物に特徴的な高磁場領域に観測され、溶液状態でもリン原子が5配位状態を保っていることが示された。5aの31P NMR化学シフトは各種溶媒中で溶媒依存性がほとんど見られず、大きく分極したリン-カルコゲン結合を有する5配位カルコゲナホスフィランで顕著な溶媒効果が見られたのとは対照的であった。5配位ホスフィレン5aおよび5bの3員環をなすリン-炭素間の結合定数 (1JPC) は3配位ホスフィレン4aおよび4bに比べ減少しており、3員環をなすリン-炭素結合が正方錐構造における高いp性を帯びたベイサル結合であることを示している。特に、5bではTMS基が置換した炭素核とリン核とのカップリングが観測されず、5bが非常に高いp性を帯びたリン-炭素結合を有することが分かった。5aはベンゼン中60℃で加熱しても分解せず熱的に安定であり、また加水分解に対し比較的安定であった。一方、5bは室温で徐々に還元的脱離反応が進行し、亜ホスホン酸エステル9と対応するアセチレンを与えた。また、5bは水と直ちに反応し、3員環が位置選択的に開環したホスフィン酸エステル8を与えた。このように、5配位ホスフィレンの安定性は3員環上の置換基により大きく変化することが分かった。

次に、5配位ホスフィレンと各種試剤との反応を行った。まず、Diels-Alder 反応を検討した。2,3-ジメチル-1,3-ブタジエン (80℃, 60h, toluene) およびDanishefskyジエン (100℃, 36h, toluene) を、5aとともに加熱したが、いずれの場合も全く反応が進行しなかった。また、5aとBH3・THFとの反応も進行せず、5配位ホスフィレンの3員環内の二重結合は化学的に不活性であることが示唆された。また、5aは求電子試剤であるメチルトリフラートと全く反応しなかったことから、3員環内のリン-炭素結合の分極はそれほど大きくないことが分かった。

以上、筆者は博士課程において5配位リン原子を含む3員環化合物の合成、単離に成功し、その興味深い性質を明らかにすることができた。

Selected NMR spectral data of chalcogenaphosphiranes in various solvents and acceptor numbers of the solvents.

審査要旨 要旨を表示する

本論文は4章からなり、第1章は序論、第2章は5配位カルコゲナホスフィランの合成と構造、第3章は5配位カルコゲナホスフィランの反応、第4章は5配位リン原子と二つの炭素からなる3員環化合物の合成、構造および反応について述べている。

第1章では、3員環化合物の一般的な性質を示し、リン原子を含む3員環化合物についてこれまでに得られている知見について説明している。さらに、5配位リン原子を含む化合物の特徴を述べている。本論文では、これまでにほとんど合成例のなく、高度に分極しp性の高い結合を有すると予想され、興味深い化合物であると考えられる5配位リン原子を含む3員環化合物の合成、構造および反応性を検討し、その性質を明らかにするという研究目的が述べられている。

第2章では、硫黄、セレンを3員環内に含む5配位カルコゲナホスフィランの合成、構造について述べている。カルコゲナホスフィランの合成は、Martin リガンドを有するリンイリドと単体カルコゲンとの反応により行い、それぞれX線構造解析により結晶構造を明らかにし、リン-カルコゲン間が十分な相互作用を持つことを示している。また、いくつかのモデル系に対して密度汎関数法による理論計算を行うことにより、3員環の構造が5配位リン原子周りのリガンドによらないことを明らかにしている。固体および溶液中のNMR実験から、両相における構造がほぼ同じであり、溶液中でもリン-カルコゲン間が十分な相互作用を持つことを見出している。さらに、カルコゲナホスフィランは分極したリン-カルコゲン結合を持ち、溶液中では、負に帯電したカルコゲン原子と溶媒との相互作用が重要であるという興味深い知見を得ている。

第3章では、5配位カルコゲナホスフィランの反応について述べている。求電子試剤であるメチルトリフラートとの反応では、カルコゲンがメチル化された化合物が得られ、反応性からも負に帯電したカルコゲン原子が存在することを明らかにしている。また、各種プロトン源との反応から、3員環に含まれるカルコゲン原子によって、溶液中の挙動が異なることを見出している。すなわち、セレナホスフィランは溶液中リンイリドとセレンとの平衡が支配的であるのに対し、チアホスフィランはそのような平衡の寄与はなく硫黄上がプロトン化されて生ずるホスホニウム塩との平衡の寄与が支配的であることを示している。また、セレナホスフィランはトリフェニルホスフィンにより室温で容易に脱セレン化されるのに対し、チアホスフィランは同様の条件では脱硫反応は全く進行せず、求核性の高いトリブチルホスフィンとも反応せず、カルコゲンの種類によりホスフィンに対する反応性も大きく異なることを見出している。

第4章では、5配位リン原子と二つの炭素原子からなる3員環化合物の合成、構造および反応について述べている。3員環内に炭素-炭素二重結合を含む5配位ホスフィレンは、3配位ホスフィレンとo-クロラニルとの反応で合成している。なお、飽和な3員環を有する5配位ホスフィランについても5配位ホスフィレンと同様の手法を用いて合成検討を行ったが、合成には至っていない。5配位ホスフィレンについてはX線構造解析を行うことにより、リン原子周りが非常に歪んだ正方錐構造を有していることを示している。また、3配位、4配位ホスフィレンの3員環内の構造パラメータとの比較から、5配位ホスフィレンの3員環内において、アピカル結合の反結合性軌道と炭素-炭素二重結合のπ軌道との間の相互作用、すなわちσ*-π interaction による非局在化が存在することを提唱している。また各種NMR実験より、5配位ホスフィレンが溶液中でも正方錐構造をとっていることを示し、リンと3員環をなす炭素との結合定数の値から、それらのなす結合が高いp性を有していることを見出している。5配位ホスフィレンの反応性については、熱分解反応およびプロトン源との反応の結果より、3員環の炭素上の置換基によりその挙動が大きく変化することを見出している。さらに、通常の炭素-炭素二重結合と容易に反応することが知られている1,3-ジエンおよびボランとの反応は全く進行しないことから、5配位ホスフィレンの3員環内の炭素-炭素二重結合は化学的に不活性であることを示し、σ*-π interaction の存在を裏付ける結果を得ている。

以上、硫黄、セレンを含む5配位カルコゲナホスフィランの合成に成功し、そのリン-カルコゲン結合が高度に分極しており、負に帯電したカルコゲン原子と溶媒との間に相互作用が存在するという興味深い性質を明らかにしている。また各種試剤との反応を行うことにより、3員環内に含まれる元素により溶液中の挙動が大きく変化することを示している。さらに、5配位ホスフィレンの合成に成功し、その構造、反応性から3員環内において非局在化が存在することを示している。これらの成果は、高配位典型元素の化学という観点のみならず、特に前者においては、結合の分極が溶媒の電子受容能に依存するというこれまでの高歪み化合物にはない性質を見出したという点で意義深い。

なお、本論文は川島隆幸・狩野直和との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析および検証を行ったものであり、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、博士(理学)の学位を授与できるものと認める。

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