学位論文要旨



No 118886
著者(漢字) 南部,英
著者(英字)
著者(カナ) ナンブ,アキラ
標題(和) 内殻分光法における高速検出システムの開発
標題(洋) Development of fast detection systems in core-excitation spectroscopies
報告番号 118886
報告番号 甲18886
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4539号
研究科 理学系研究科
専攻 化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 太田,俊明
 東京大学 教授 岩沢,康裕
 東京大学 教授 浜口,宏夫
 東京大学 教授 柳下,明
 東京大学 助教授 吉信,淳
内容要旨 要旨を表示する

X線による内殻電子遷移を起源とする内殻分光法は表面敏感性と元素選択性,更に化学種の同定能力をも持ち合わせ,固体表面での化学反応追跡の有力な手段となりうる.軟X線領域の吸収端近傍微細構造法(NEXAFS)もこのような特性を持ち合わせるが,解析に耐えうるデータを得るための測定時間が比較的長く,表面反応追跡のような時間分解実験に適応された例はあまりない.この欠点を克服する試みとして,高エネルギー加速器研究機構放射光実験施設(KEK-PF)に設置された新たな軟X線分光器(BL7A)と位置敏感型半球静電電子分光器の組み合わせで,“スナップショット”でNEXAFSを測定する手法(軟X線分散型NEXAFS法;DNEXAFS)の開発を試みた.図1(a)にDNEXAFSの概念図を示す.BL7Aから得られる横方向にエネルギー分散したX線をサンプル表面に集光し,励起・放出される Auger 電子を位置情報を保ったまま位置敏感型半球静電電子分光器により測定する.検出器上の測定位置はX線のエネルギー分散方向と一致しており,Auger 電子強度の積分により,X線分光器・電子分光器を動かすことなく“スナップショット”で Auger 電子収量NEXAFSに相当するスペクトル測定が出来る.図1(b)にDNEXAFSの測定例を示す.これは超高真空下でチオフェン分子(C4H4S)がAu(111)表面に吸着していく様子を30秒ごとに測定したCK-edge NEXAFSである.測定条件は,基板温度140K,チオフェン分圧3×10-9 Torr. で in-situ 直入射条件で測定した.直線偏光度の高い放射光を用いることにより,チオフェン分子の膜成長過程における配向変化が2つの炭素ピーク強度比変化として観測されている.吸着の初期過程では,ピークAの強度はピークBの強度より弱いが,これはチオフェン分子が基板表面に対してその分子面を平行にして吸着していることに対応し,吸着量が増えるに従いその強度比の逆転が起こり,分子面が垂直に近い方向へと吸着分子の配向が変化したことが示されている.このように従来数分〜数十分かかっていたNEXAFSスペクトル測定時間を数十秒以下で可能にするシステムの開発に成功した.

DNEXAFSの開発により,NEXAFS測定時間を従来の数十分の1に短縮できたが,この時間分解能では表面反応のダイナミズムの追跡には必ずしも十分であるとはいえない.現在のDNEXAFSのシステムで時間分解の律速は位置分解型検出器の信号処理時間と考えられる.この信号処理系統の改良によって,時間分解は1スペクトル/1秒程度まで改善されたが,これ以上の改善には,検出器系統の抜本的改造が不可欠であった.このような考えから,米国 Lawrence Berkeley National Laboratory (LBNL)で開発中の超高速電子検出器と我々のDNEXAFSシステムを組み合わせることを提案し,開発プロジェクトに参加した.この検出器は,大チャンネル数の1次元位置分解能,検出器全体で2GHz程度の信号処理能力,100μ秒オーダーの信号読み出し速度等を目指して高速・高分解能XPS測定を念頭に開発されているが,その1次元位置分解能はDNEXAFSシステムにも適応可能である.図2に検出器の概念図を示す.検出器はMCP,検出電極,2種の専用集積回路(IC;CAFE-M, BMC)等で構成されている.MCPで増幅された電子は,ガラス基板上に蒸着された768本(48μm間隔)の電子検出電極により検出され,超高真空内に配置されたICにより増幅,弁別等の信号処理,デジタルデータへの変換が行われる.768という大チャンネル数は,ICの超高真空内への配置によって実現されるが,同時にICからの熱放出という問題を生じるため,検出器は水冷機構を具備し,長時間の安定な運転が可能である.また,120℃までの bake out に耐える設計で,超高真空条件下の実験に用いることができる.

検出器の性能評価は専用の超高真空チャンバーに検出器を装着して行った.このチェンバーには性能評価用のスリット,電子銃,紫外線ランプ等が具備されている.図3(a)に検出器の位置敏感性を示す.これは2枚1組(25μm, 8mm間隔)のスリットを通して検出器のMCP上に当たったUV光励起で得られた電子像である.スリットは検出器の検出電極と平行に配置されている.検出器とスリット間の距離等からMCP上に照射されるUV光の幅は50μm以上と計算され,検出電極のおよそ2チャンネル分相当の像が得られると考えられる.得られた電子像ピークの Gaussian フィットで得られた半値幅(FWHM)はおよそ3チャンネルであり,期待出来るほぼ最良の値となっている.このことから,チャンネル間の信号の混信はほぼ無視できると考えられ,1次元位置敏感検出器としての性能の高さを示している.次に線形応答性についてのデータを示す.線形応答性は電子銃の放出電流の関数として検出器の出力を測定した.図3(b)がその結果である.1チャンネルあたり出力がほぼ1.4MHzに達するまでは,入射電子線量に対しほぼ比例しており,非常に高い線形性を持っているといえる.この1チャンネルあたり,1.4MHzの出力は検出器全体(768チャンネル)としてはおよそ1.1GHzに相当する.

更に,この検出器をSCIENTA社製電子分光器SES-200に組み込んで,初めての利用実験も行った.まず,検出器の高速データ取得のデモンストレーションとして,高速X線光電子回折(XPD)実験を単結晶MnO(001), とAl Kα(1466.5eV) 線を用いて試みた.図4(a)にXPSの測定例を示す.■はスナップショットモードにより1秒で,○は同じく50ミリ秒で取得されたMn2pのスペクトルである.50ミリ秒という短い測定時間でもほぼ満足できるスペクトルが得られている.通常X線励起で放出される電子は,放出原子の周囲にある原子によって弾性散乱を受ける.よって,規定された試料表面から得られるXPS強度は表面構造を反映して試料方位角によって異なる.これが方位角依存XPDであり,図4(a)の測定条件でMn2pピーク強度の方位角依存を測定したXPDが図4(b)である.■は試料を1分で360度回転させながら,○は5秒で360度回転させながら,それぞれ取得時間1秒,50ミリ秒のスペクトルを連続測定した.どちらの場合も,MnO(001)結晶表面の4回対称性が見事に観測されており,この検出器を用いることで通常の約1/100〜1/1000の時間でのXPD測定が出来ることが示された.

最終的な目標である表面反応追跡への適用の第一歩として高分解能/高速XPS連続測定によるCO分子のPt(111)表面への吸着過程のその場(in-situ)観察実験を行った.この系では,高分解能XPS測定により,清浄な表面第一層原子と分子が吸着することで異なった化学状態に置かれた表面第一層原子のそれぞれに対応するピークが観測される.実験はLBNL内の放射光施設ALSのBL4.0.2で行った.図5(a)に基板温度300K,CO分圧1×109Torr., 励起X線エネルギー380eVの条件で測定されたPt4fスペクトル変化を示す.各スペクトルの測定時間は1分である.また図5(b)にCO分圧1×10-8Torr. で,スペクトル測定時間50ミリ秒のスナップショットモードを用いて行った同様の実験結果を示す.スペクトルは比較の為,図5(a)と図5(b)でCO暴露量が同程度のものが選ばれている.図5(a)ではCO暴露量が増えるに従い,明らかにピークの低結合エネルギー側の清浄なPt表面原子の成分が弱くなり,高結合エネルギー側にPt原子のon-topサイトにCO分子が吸着した成分が生じているのが観測される.また,on-topサイトだけでなく,bridge サイトにCO分子が吸着した成分も,バルクPtの低結合エネルギー側に観測できる.図5(b)ではエネルギー分解能はよくないものの,図5(a)と比較することで,暴露量が増えるに従い,ピーク全体が高結合エネルギー側にシフトする傾向は見て取れる.先述のXPDの例と合わせこの50ミリ秒でのXPS連続測定は現在までの報告例の中では最も早い時間分解XPS測定例の1つである.実際にはよりよいエネルギー分解能での測定も可能であり,将来的には更なる高エネルギー分解能,高時間分解能でのXPS測定が達成できる.

以上のように内殻分光での表面反応観測を目指し,DNEXAFS, 超高速電子検出器の2つの高速測定システムを開発した.これにより,NEXAFSでは数秒,XPSでは50ミリ秒程度の時間分解能のスペクトル連続測定が可能になり,双方とも現時点では世界最高の時間分解能NEXAFS, XPS測定システムである.特に,超高速電子検出器の性能としては,150マイクロ秒でのスペクトル連続測定は可能であるが,現時点では検出器を制御するコンピュータシステムの処理速度が検出器の時間分解能を制限している.これを克服するためのシステムの改造が現在進行中であり,近い将来1ミリ秒以下でのXPSの連続測定が現実となる,更に,この検出器の位置分解能はそのままでDNEXAFSシステムに組み込むことが可能で,この場合もXPSと全く同じ時間分解能でNEXAFSの連続測定が十分可能となる.この1ミリ秒以下の時間分解能を持つ内殻分光報法は,表面反応の実時間その場観察を可能とし,今後の表面科学研究に新たな知見をもたらすことが期待できる.

審査要旨 要旨を表示する

本論文は6章よりなる。第1章は序論であり,表面化学反応がどのような分光法によって調べられてきたか,特に時間分解法としてこれまでどのような方法が開発されてきたかについて述べている。その中にあって,内殻分光においては時間分解分光法が遅れていること,その開発の重要性が述べられている。

第2章では内殻分光法の中で光電子分光法とX線吸収分光法の原理について述べ,更に,光源としてのシンクロトロン放射,電子分光器の問題についても触れている。

第3章ではエネルギー分散型軟X線吸収分光法(DNEXAFS)の開発について述べている。これはエネルギー分散した軟X線を試料面に照射し,その各地点から放射する電子を位置敏感型電子分光器で検出する。オージェ電子ピークの場合,その強度はX線の吸収強度に比例しているので,その和を取ることによって同時にあるエネルギー範囲の吸収スペクトルを測定することができる。これは表面NEXAFS法の測定時間を従来の5分から数秒までに短縮したmので,表面での化学反応の実時間測定を可能にするものである。具体的な応用例として,金表面上にチオフェン分子を蒸着させていったとき膜厚の増加とともに,寝ていた分子が次第に立ち上がる様子を実時間で測定することに成功している。

第4章では米国カリフォルニア大学バークレイ校先端放射光施設での研究成果について述べている。ここでは,X線光電子分光法の測定短縮化の目的で,位置敏感型電子分光器用の超高速検出器を開発している。この検出器は,大チャンネル数の1次元位置分解能,検出器全体で2GHz程度の信号処理能力,100μ秒オーダーの信号読み出し速度等を目指して主に高速・高分解能XPS測定を念頭においたものである。冷却機構の考案,放電対策などをいろいろ講じることによってこの検出器を完成させた後,性能評価を行っている。そして,十分高い位置分解能を持ち,線形応答性も高く,1チャンネルあたり,1.4MHzの出力を得ることに成功した。これは検出器全体(768チャンネル)としてはおよそ1.1GHzに相当する。

第5章では,この超高速検出器を具体的な光電子分光実験,光電子回折実験に応用した結果について述べている。その結果,実験室光源Al Kαを用いて,1スペクトルの測定に50ミリ秒,光電子回折実験では従来より100倍の速さで測定できることを示した。

第6章は結論と要約である。

以上のように,本論文では,内殻分光学的手法での表面反応観測を自指し,DNEXAFS, 及び超高速電子検出器という2つの高速測定システムを開発した.これにより,NEXAFSでは数十秒程度,XPSでは50ミリ秒程度の時間分解能でのスペクトル連続測定が可能になり,これら双方とも現時点では世界で最も速い時間分解能をもつNEXAFSまたはXPS測定システムとなった.特に,超高速電子検出器の性能としては,150マイクロ秒でのスペクトル連続測定は十分可能であり,,近い将来1ミリ秒以下でのXPSの連続測定が可能になる.更に,この検出器の位置分解能はそのままでDNEXAFSシステムに組み込むことが可能で,この場合もXPSと全く同じ時間分解能でNEXAFSの連続測定が十分可能となる.この1ミリ秒以下の時間分解能は,Pt(111)面上でのCOの酸化反応や,Si(111)面のアクティブ酸化過程等の重要な表面反応系の反応時間と同程度かそれより速く,これらの系に超高速XPS(或いはDNEXAFS)を適応することで,表面反応の実時間その場観察を可能とし,今後の表面科学研究に新たな展望を開くことが十分期待でき,表面科学に大きな貢献をしており,博士(理学)に値する。

なお,本論文はその前半は太田俊明,雨宮健太,近藤 寛,横山利彦,岩崎正興,中井郁代との共同研究,後半は米国カリフォルニア大学のグループC. S. Fadley, Z. Hussain, H. Spieler, G. Zizka, G. Meddeler, M. West, B. Turko, M. Press, B. A. Ludewigt, N. Mannella, A. W. Kay, M. Watanabe, B. C. Sell, J/-M. Busset らとの共同研究であるが,論文提出者が主体となって装置開発,性能評価,及び考察を行ったものであり,論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって,博士〈理学〉の学位を授与できると認める。

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