学位論文要旨



No 118887
著者(漢字) 松尾,敬子
著者(英字)
著者(カナ) マツオ,ケイコ
標題(和) 有機鉄を触媒とする新規炭素-炭素結合生成反応の開発
標題(洋) Studies on Iron-Catalyzed C-C Bond Formation Reactions
報告番号 118887
報告番号 甲18887
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4540号
研究科 理学系研究科
専攻 化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 中村,栄一
 東京大学 教授 奈良坂,紘一
 東京大学 教授 川島,隆幸
 東京大学 教授 塩谷,光彦
 東京大学 助教授 市川,淳士
内容要旨 要旨を表示する

序論

鉄は,多様な酸化状態を有し反応性に富んでいるため,適切な反応制御を見出すことが出来れば,パラジウムやロジウム等の現行の触媒を凌ぐ高活性な触媒が創出できる可能性を秘めている.また,鉄のような廉価かつ低毒性な遷移金属を用いる触媒反応の開発は,社会的にもその重要性が広く認められている.しかしながら,これまでに有機鉄を用いた触媒反応は,反応性の高さからカップリング反応などが数例報告されているのみで,精密有機合成反応を指向した研究例は限られており,いまだ未開拓な分野として残されている.

そこで筆者は,鉄を触媒とする炭素-炭素結合生成反応の開発を試み,反応系へのジアミン類の添加が,反応制御に有効であることを見出した.例えば,β-水素脱離の副反応の為に通常困難である第2級ハロゲン化アルキル類と有機金属化合物とのクロスカップリング反応において,テトラメチルエチレンジアミン存在下でのみ望みの生成物を選択的かつ高収率で得ることが出きる.例えば,オキサビシクロアルケン類に対する有機マグネシウム試薬の付加開環ならびに還元開環反応は,上記ジアミンの存在下,立体選択的かつ位置選択的に進行する.また,これら,いずれの反応においても,現行の遷移金属では成しえなかった,選択性および反応性が実現されている点は注目に値する.以下,これらの反応の概略をそれぞれ述べる.

ハロゲン化アルキル類のクロスカップリング反応

筆者はオキサビシクロアルケン類に対する開環反応の検討の際,ハロゲン化アルキルとグリニャール試薬とのカップリング反応において,適当な添加剤の添加により,目的とするクロスカップリング体が高収率で得られることを明らかにした.

添加剤を加えずに触媒量の塩化鉄の存在下,臭化シクロヘプチル1とフェニルグリニャール試薬の反応を試みたところ,目的生成物であるクロスカップリング体2の収率は5%に留まり,β-水素脱離の進行により生成したと考えられるシクロヘプテンが主に生成した (Table 1, entry 1).添加剤を種々検討したところ,2座のアミン配位子であるTMEDAを用いることで,β-水素脱離を抑え,クロスカップリング体2が高収率で得られることを見出した (Table 1, entry 4).

次に,鎖状の第2級および第1級ハロゲン化アルキルを基質に用い,フェニルグリニャール試薬とのカップリング反応を同様の条件下試みた.その結果,目的の交差カップリング生成物がそれぞれ良好な収率で得られ,環状のハロゲン化アルキルだけでなく鎖状のハロゲン化アルキルに対しても本反応が有効で有ることを明らかにした (Table 2, entries 1 and 2).さらに,エステル基を有する第1級ハロゲン化アルキルを基質に用いた場合も反応は進行し,目的としたカップリング体を91%収率で与え,エステル基への攻撃よりもカップリング反応が優先することが判った (Table 3, entry 3).

続いて,様々なアリールグリニャール試薬と臭化シクロヘキシルの反応を検討した (Scheme 2). その結果,立体障害を有するO-トリルグリニャール試薬および1-ナフチルグリニャール試薬との反応においても,カップリング体4および5が高収率で得られた.また,電子供与性基を有するp-メトキシフェニルグリニャール試薬では,99%収率で目的物6が得られたが,電子不足アリールグリニャール試薬であるp-トリフルオロメチルフェニルグリニャール試薬との反応では,グリニャール試薬の自己カップリング反応が競合し,目的生成物7の収率は70%に留まった.

オキサビシクロアルケン類の付加開環反応および還元開環反応

オキサビシクロアルケン類は,開環反応により種々の天然物合成に利用可能な多置換シクロヘキセノール骨格を与えることから,その位置および立体選択的な開環反応に対する研究は Lautens らによって精力的に行われ,ニッケル,パラジウム,ロジウムなどの後周期遷移金属が良好な結果を与えることが知られている.それに対し筆者は,TMEDAの存在下,触媒量の鉄塩を加えることで,グリニャール試薬によるオキサビシクロアルケン類の付加開環および還元開環反応が円滑にかつ立体選択的に進行することを見出した.

式1に示すようにグリニャール試薬に対し1.5当量のTMEDAの存在下,オキサビシクロアルケン1aとフェニルグリニャール試薬のTHF溶液に5mol%の塩化鉄(III)を加え反応を行った.その結果,対応する付加開環体2aが74%収率で得られた (eq 1).GC及びNMR測定により異性体の生成は確認されず,本反応が位置選択的かつ立体選択的に進行することが判った.

次に,β-水素脱離の進行により反応が阻害されると考えられるアルキルグリニャール試薬を用いて反応を試みた.非常に興味深いことに,第1級アルキルグリニャール試薬と8aを用いて反応を行った場合,他の金属では生成しない,アルケニル基が付加した開環体11が生成することが明らかになった (Scheme 1).また,イソプロピルグリニャール試薬との反応では,還元開環反応が選択的に進行し,化合物12のみを高収率で与えた.

橋頭位に置換基を有する8bや[3.2.1]オキサビシクロアルケン8cとフェニルグリニャール試薬の反応も位置選択的かつ立体選択的に進行し,付加開環化合物9bおよび9cを良好な収率で与えることが判った (Table 3).

現在のところ,本反応の詳細な反応機構は明らかになっていないが,塩化鉄と還元剤である有機金属試薬から生成する1価の有機鉄を鍵中間体とし,カルボメタル化またはπ-アリルの形成を経由して反応が進行していると考えている.

結論

筆者は,有機鉄を触媒としたオキサビシクロアルケン類の開環反応およびハロゲン化アルキル類のクロスカップリング反応において,ジアミン類の添加が,反応制御に有効であることを見出した.これらは,鉄触媒を用いた精密有機合成反応へと展開する上で新たな知見を与えるものであり,今後さらに,現行の触媒を凌ぐ高効率的かつ高選択的な反応の開発が期待される.

Effect of Additives a) GC yield. b) NMP=1-Methyl-2-pyrrolidinone

Reaction of Alkyl Halidesa a) Reaction was performed with FeCl3 (5 mol%), PhMgBr (1.2 equiv) and TMEDA (1.2 equiv) in THF unless otherwise noted. b) Reaction was performed with FeCl_3 (5 mol%), p-CH3OC6H4MgBr (1.2 equiv) and TMEDA (1.2 equiv) in THF (p-CH_3OC6H4=Ar).

Reaction of Cyclohexyl Bromide with ArMgBr

Reaction of Oxabicycloalkenes with PhMgBr a) isolated yield. b) Reaction was performed with FeCl3 (5 mol%), PhMgBr (2.0 equiv), TMEDA (3.0 equiv) in THF.

審査要旨 要旨を表示する

本論文は,4章から構成されており,有機鉄触媒を用いた新規炭素-炭素結合生成反応の開発研究について述べられている.第1章では,有機鉄触媒を用いた炭素-炭素結合生成反応の背景,ならびにその重要性について述べられている.本研究では,多様な酸化状態を有し反応性に富んでいる有機鉄を適切に反応制御することで,現行の触媒反応を凌ぐ,精密有機合成反応を指向した触媒反応の開発を目的としている.

第2章では,ハロゲン化アルキルとグリニャール試薬とのクロスカップリング反応について述べられている.ハロゲン化アルキルを求電子剤とするクロスカップリング反応は,酸化的付加の進行が困難であることやβ-水素脱離などの副反応が容易に進行するため,困難な課題である.本研究では,種々添加剤の検討により2座のジアミン配位子であるテトラメチルエチレンジアミンを用いることで副反応を抑え,目的とするクロスカップリング反応が効率良く進行し,高収率でクロスカップリング体が得られることを明らかにしている.従来求電子剤として利用困難であった塩化物を含む,環状及び鎖状の第1級,第2級のハロゲン化アルキルも本反応に適用可能であることを見いだしている.これは,現行の遷移金属触媒では成しえなかった反応性が実現されている点で注目に値する.さらに本研究では,カルボニル基やシアノ基などの官能基が共存可能であり,多様な基質が本クロスカップリング反応に適用できることを明らかにしている.また反応機構に対する検討において,ラジカル種を経由して反応が進行していることを明らかにしており,分子内に適当な不飽和結合を有するハロゲン化アルキルを基質とした場合,ラジカル環化/カップリング反応が進行することを見いだしている.さらに本研究では,大量合成への応用にも成功しており,廉価,低毒性かつ入手容易な鉄触媒を用いたクロスカップリング反応は,新たな工業プロセスへの展開を示唆するものである.

第3章では,オキサビシクロアルケン類に対する付加開環反応について述べられている.オキサビシクロアルケン類は,立体選択的な合成が容易に可能であり,その開環反応により,種々の天然物合成への利用が期待されるが,求電子剤として有機マグネシウム試薬を用いた場合,選択性が良くないといった問題点がある.本研究では,鉄触媒を用いることにより,有機マグネシウム試薬とオキサビシクロアルケン類の付加開環ならびに還元開環反応が,ジアミン配位子の存在下,立体選択的かつ位置選択的に進行することを明らかにしている.種々グリニャール試薬を用いて検討を行っており,立体障害を有するアリールやビニルグリニャール試薬との付加開環反応が進行することを見いだしている.また,アルキルグリニャール試薬を用いると,他の金属では生成しない,アルケニル基が付加した開環体が生成することを見いだしており,有機鉄触媒がこれまでに知られていない反応性を示したことは,興味深い.本研究では,橋頭位に置換基を有する [2,2,1] オキサビシクロアルケンや[3,2,2]オキサビシクロアルケンとの反応も位置選択的かつ立体選択的に進行し,付加開環化合物を良好な収率で与えることを明らかにしている.

最後の第4章では,鉄触媒を用いた新規炭素-炭素結合生成反応開発という観点から,ハロゲン化アルキルのクロスカップリング反応およびオキサビシクロアルケン類の付加開環反応についてのまとめと今後の展望について述べられている.

なお,本論文の第3章は,井上俊弘氏との共同研究であるが,論文提出者が主体となって検討を行ったもので,論文提出者の寄与が十分であると判断する.

本研究は有機鉄触媒の反応性を制御することにより,新たな炭素-炭素結合生成反応の開発に成功したものであり,有機金属化学,有機合成化学の分野に多くの知見を与えた.したがって,本論文は博士(理学)を授与できる学位論文として価値のあるものと認める.

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