学位論文要旨



No 118889
著者(漢字) 吉川,元起
著者(英字)
著者(カナ) ヨシカワ,ゲンキ
標題(和) 高度に制御されたヘテロ構造による新奇物性の発現とその解明
標題(洋) Revelation and elucidation of novel physical properties achieved by highly controlled heterostructures
報告番号 118889
報告番号 甲18889
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4542号
研究科 理学系研究科
専攻 化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 斉木,幸一朗
 東京大学 教授 太田,俊明
 東京大学 教授 西原,寛
 東京大学 教授 長谷川,哲也
 東京大学 教授 上田,寛
内容要旨 要旨を表示する

超高真空下、原子レベルで高度に制御されたヘテロ構造は、自然界では実現し得ない究極の人工物と言えよう。しかしながら、そこで発現する様々な新奇構造・物性に関しては、まだまだ未知の部分が多い。これまで、半導体/半導体など同じ化学結合の物質によるヘテロ構造はよく研究されているが、異種化学結合物質によるものの研究は充分ではなく、詳細な構造および電子状態は明らかになっていない。そこで本研究では、大きく分けて2つの複合ヘテロ系「イオン結晶/半導体」、「有機物/金属」に着目し、研究を行った。

イオン結晶として着目したアルカリハライドは、その多くが電子親和力1eV以下であり、光電子を放出しやすく、その収率も大きいという非常に興味深い性質をもっている。そこで、アルカリハライド単結晶薄膜の光物性、特に光電子放出現象について研究を行った。本研究では、光電子増倍管など様々な光電子放出デバイスにも応用されているCsに着目し、その化合物であるCsClについて研究を行った。格子不整合が大きくても層状に成長するというアルカリハライドの特性を利用し、NaCl/GaAs(001)上にCsClをヘテロエピタキシャル成長させることで、帯電することのないCsCl単結晶薄膜を得ることに成功した。

このCsCl薄膜は、紫外光を照射することにより、可視光領域での光電子収率が大幅に増加するという特異な現象が観測された(Fig. 1)。CsClはバンドギャップが8.3eVと大きく、可視光のような高々2〜3eV程度のエネルギーの光では、光電子放出は起こりえないはずである。この異常な可視光光電子放出現象を解明するため、可視光光電子収率測定を行った。その結果、紫外光照射によって光電子が放出されることで、CsCl薄膜中に欠陥が生成され、その欠陥に捕らえられた電子が可視光によって放出されるというモデルを得ることができた。しかしながら一方、同じアルカリハライドであるNaCl薄膜ではこのような現象は見られなかった。これはUPS測定から、電子親和力に起因する現象であることが明らかになった。NaCl薄膜の電子親和力は0.9eVであったのに対し、CsCl薄膜は-1.4eVと負の電子親和性 (NEA) を示したのである。つまりCsClの伝導帯の底は真空準位よりも高いエネルギーにあるため、可視光によって欠陥準位から伝導帯に励起され表面近傍に到達した電子が、エネルギー的な障壁なく容易に真空中に放出されたのである(Fig. 2)。

このように、高度に制御されたヘテロ構造を作製することにより、特異な光電子放出現象を見出し、また、各種光電子分光の詳細な解析により、その現象の由来を明らかにすることに成功した。

次に着目したのは、金属単結晶基板上に成長した有機半導体超薄膜の構造および電子状態である。柔軟、軽量、大面積といった、従来の無機半導体にはない特徴を持つ有機半導体は、有機LEDや、EL素子、有機電界効果トランジスタなどへの応用が進められており、実用段階を迎えつつある。しかしながら、これら有機半導体も、実用を考える上で重要となる、その薄膜、特に表面・界面における基礎的な物性に関しては不明な部分が多く残されている。

そこで本研究では、移動度が高く、次世代FET材料や偏光LED材料として注目されているオリゴチオフェンのなかで、最も応用が期待されているα-sexithienyl (6T) (Fig. 3)をモデル有機半導体として取り上げ、超高真空下で、金属単結晶規整表面上に成長させることにより、6T薄膜の詳細な構造および電子状態を明らかにすることを目的とした。

試料の作製から測定まで、すべて3×10-8Paの超高真空槽内で行うことにより、原子レベルで高度に制御された表面・界面の作製・評価が可能となった。6T分子は、Fig. 3に示すように、分子長軸方向にσ*軌道が、また分子面垂直方向にπ*軌道が広がっている。この直交する2つの軌道への遷移に着目し、偏光依存性S-K edge 吸収端近傍 X 線吸収微細構造(NEXAFS)を用いることで、分子の配向を決定した。S-K edge NEXAFSおよびS-1s XPSは、高エネルギー加速器研究機構物質構造科学研究所放射光実験施設(KEK-PF)のBL-11Bにて測定を行った。

はじめに、金属基板表面に対して面直方向における6T薄膜の配向構造を、偏光依存性 NEXAFS を用いて調べた。基板温度を300Kに保って、Ag(110), Ag(111) 基板上に6Tを成長させた場合の結果をFig. 4に示す。2472.4eV, 2473.3eVのピークがそれぞれσ*軌道およびπ*軌道由来のピークに対応する。いずれの場合も、明瞭な偏光依存性が見られ、直入射(90°)においてσ*ピークの、また斜入射(15°)においてπ*ピークの強度が強くなるという結果が得られた。これにより、6T分子はAg単結晶基板上では、面方位にかかわらず、分子軸を表面平行方向に揃えた状態(Flat-lying mode)で成長し、膜厚が増加してもこの配向を保ったまま成長することが明らかになった。

次に、金属基板表面に対して面内方向における6T薄膜の配向および吸着構造を、RHEEDおよび偏光依存性NEXAFSを用いて調べた。Fig. 5は、Ag(110)およびAg(111)上に6Tを一層成長させたときのRHEED像であり、それぞれ[001]および<110>方面においてのみこのようなシャープな回折像が得られ、膜厚が増加しても変化はなかった。これは、6T分子が基板に対して特定の方向に整列していることを示唆しており、ストリーク間隔から計算すると、6Tはそれぞれ5.70A、6.46Aの間隔で整列していることが明らかになった。

この面内配向構造をより詳細に観察するため、面内の偏光依存性NEXAFS測定を、6T/Ag(110) に対して行ったところ、分子軸平行方向に伸びているσ*軌道由来のピーク強度が、大きな面内回転角度依存性を示した。このσ*ピークの強度を、面内回転角度に対してプロットすると、Fig. 6のようになり ([110]方向を0°とし、それと垂直な[001]方向を90°とした)、6Tが、分子軸を[001]方向に揃えて、一次元的な構造を形成していることが明らかになった。これまで報告されている、Pentacene/Cu(110)や、n-C44H90/Cu(110)などの系では、いずれの場合も有機物は分子軸を、表面金属原子列と平行な[110]方向に揃えて一次元構造を形成しているのに対し、本研究ではこれまで報告例のない[001]方向にπ電子系有機物が一次元的構造を形成することを見出した。

以上、NEXAFSおよびRHEEDの結果を総合すると、Fig. 7のような吸着構造モデルが考えられる。RHEED像解析から得られた、6T分子の間隔および、6T分子内の隣り合うチオフェン環の間隔は、Ag(111)、Ag(110) どちらの面についても、表面Ag原子間隔とよく一致し(Fig. 7A-D)、チオフェン/metal系の報告の場合と同様に、6T分子はAg表面上においてそのS原子をAgの bridge-site に整合性よく整列させることが可能である。また、Ag原子とS原子との適度な相互作用も、このように安定した新奇構造を形成させる一因になっていると考えられる(非常に活性なNi(111)上に6Tを成長させると、6Tの一部が解離してしまい、6T分子は Standing mode をとるという結果を得ている)。また、AFM、STM測定により、局所的な表面構造および6T薄膜の成長様式が明らかになった。

Fig. 8, 9はそれぞれ、6T/Ag(111), 6T/Ag(110)におけるS-1s XPSおよびUPSの結果である。6T/Ag(111) のXPSにおいて、S-1sピークが、低膜厚時に低エネルギー側ヘシフトしており、また、6T/Ag(110)のUPSにおいては、低膜厚時において、6TのHOMOピークの、低結合エネルギーシフトや形状変化が見られ、界面においてバルクとは異なる電子状態にあることが明らかになった。またARUPS測定において、特定出射角度においてのみHOMOピークが観測されたが、この現象は、IAC計算により、光電子の干渉効果によるものであることが明らかになった。

このように、超高真空下で、規整金属表面上に6Tを成長させることにより、Flat-lying mode や、擬一次元構造など特異な構造が発現することを明らかにした。また、6Tの電子状態を測定し、特に界面において特有な電子状態にあることを明らかにした。これにより、π電子系有機物を成長させる基板として、単結晶の規整金属基板を用いることにより、バルクとは異なる新たな構造および電子状態を発現させることが可能であることを示した。

以上、本研究において、異種化学結合物質の原子レベルで高度に制御されたヘテロ構造を作製することに成功し、バルク結晶にはない様々な新奇構造および物性を発現することを見出し、その由来を解明した。これにより、ヘテロ構造による、NEA アルカリハライド可視光応答現象やその応用デバイス、Flat-lying 6Tなどのバルクとは異なる新奇構造有機薄膜、偏光LEDへの指針となる擬一次元構造など、今後の基礎科学・応用両面における、様々な可能性を示すことができた。

NaCl/GaAs(001)上に成長したCsCl薄膜の光電子収率スペクトル。

各種光電子分光測定によって得られた、CsCl薄膜のエネルギー・ダイアグラム。

6T分子の構造および電子状態。

6Tを(a) Ag(110), (b) Ag(111)上に成長させたときのNEXAFSスペクトル、およびその膜厚依存性。

6Tを(a) Ag(110), (b) Ag(111)上に4A成長させたときのRHEED像。それぞれ(a)[001], (b)<110>から観測。

6T/Ag(110)の面内NEXAFS測定のσ*(分子軸平行)強度プロットおよび配向構造モデル。

(a) 6T/Ag(110), (b)6T/Ag(111)の吸着構造モデル。

6T/Ag(111)のXPS。

6T/Ag(110)のUPS。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は7章からなる.第1章は序論であり,本論文の主題である「高度に制御されたヘテロ構造による新奇物性の発現」についての研究の意義が述べられている.また.本論文で着目した,異なる化学結合をもつ物質による二つのヘテロ構造系「イオン結晶/半導体」,「有機物/金属」について,分子線エピタキシー (MBE) によるヘテロエピタキシャル薄膜を中心に,その背景となるこれまで行われてきた様々なヘテロ構造の研究について述べている.

第2章では,本研究で用いられた実験手法の原理について述べており,各手法によって得られる情報などについて,その基になる理論とともに述べている.また,第3章では,本研究で実際に測定などを行う際の詳細な実験手順・条件や,用いた装置の特徴,および検出限界などの性能評価も行っている.

第4章では,今後,光放出デバイスなどへの応用が期待できるCsCl単結晶薄膜からの可視光による光電子放出現象について述べている.イオン結晶性の絶縁体であるCsClを,NaCl/GaAs (001)上に成長させることにより,光電子分光測定において帯電の影響のない単結晶薄膜を作製することに成功した.このCsCl薄膜は,UV光照射後に,エネルギー的にみて本来起こりえない,可視光による光電子放出が確認された.詳細な光電子収率測定により,これは UV 光照射によって薄膜中に導入された欠陥に由来する現象であることが明らかになった.一方NaCl薄膜ではこのような現象が観測されなかったことから,この可視光光電子放出現象が発現するには,その物質が負の電子親和性を示すことが必要条件であることが,UPS測定などにより明らかにされた.

第5章では,Ag(110),Ag(111)面上でのα-sexithienyl (6T) 分子の配向およびその詳細な吸着構造を,偏光依存性S原子K-edge 吸収端近傍X線吸収微細構造 (NEXAFS) と反射高速電子線回折 (RHEED) 測定によって調べた結果について述べている.本研究では,超高真空下でよく制御された金属規整表面上に6Tを成長させることにより,従来の多くの報告とは異なる,Flat-lying mode で6Tが成長することが明らかになった.また,6T/Ag(110) においては,基板に対して[001]方向に伸びる,6Tの一次元的構造の発現が,偏光依存性NEXAFSを面内に適用することで明らかになった.また,詳細なRHEED解析により,この特異な構造が,基板と6Tとの整合性に由来するものであることが明らかになった.

第6章では,6T/Ag(110) 系について,その詳細な表面モルフォロジーや6T薄膜の成長様式について,AFM, STMを用いて調べた結果について述べている.6Tは,100nm程度の大きさのグレインが密集している比較的平坦な膜を形成することや,その上に比較的サイズの大きい多角形ドメインを形成する様子が明らかになった.

第7章では,6T薄膜の電子状態を,X線光電子分光 (XPS) や紫外光電子分光 (UPS) などを用いて測定した結果について述べている.S原子1sピークのシフトや,6Tの最高被占分子軌道 (HOMO) ピークシフトおよびフェルミ準位付近での状態密度の増加など,電荷移動や化学結合といった界面特有の電子状態を示唆する結果が得られた.また,角度分解光電子分光 (ARUPS) において観測されたHOMOピーク強度の出射角度依存性が,光電子の干渉によるものであることが,IAC近似計算を行うことにより明らかになった.

以上述べたように,本論文では,高度に制御されたヘテロ構造における新奇物性を観測し,各種測定・解析によりその起源を明らかにした.これらの結果は,基礎科学的な知見を得るだけにとどまらず,今後の様々な応用の可能性を示唆するものであり,表面化学発展への寄与は大きい.

なお,本論文のうち第4-7章は,斉木幸一朗氏,木口学氏,小間篤氏,島田敏宏氏,上野啓司氏,池田進氏との共同研究であるが,論文提出者が主体となって実験,解析,考察を行ったものであり,論文提出者の寄与が十分であると判断する.したがって,博士(理学)の学位を受けるのに十分な資格を有すると認める.

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