学位論文要旨



No 118891
著者(漢字) 真野,弘明
著者(英字)
著者(カナ) マノ,ヒロアキ
標題(和) ゼブラフィッシュにおける松果体特異的な遺伝子発現の分子メカニズム
標題(洋) Pineal Photoreceptor Cell-Specific Gene Expression in the Zebrafish
報告番号 118891
報告番号 甲18891
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4544号
研究科 理学系研究科
専攻 生物化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 宮島,篤
 東京大学 教授 西郷,薫
 東京大学 教授 武田,洋幸
 東京大学 助教授 河村,正二
 東京大学 教授 深田,吉孝
内容要旨 要旨を表示する

松果体の光受容細胞は、外節構造を持った細胞形態やオプシンをはじめとする一群の発現遺伝子など、多くの点において網膜視細胞と類似性を示す。一方で、松果体と網膜の生理機能は大きく異なっており、前者は概日リズム形成と内分泌、後者は視覚機能において主要な役割を果たす。松果体と網膜の類似性や、それぞれの特異性を規定する分子メカニズムの解明は、“いかにして脳の特定の領域・細胞がアイデンティティーを確立するのか”という脳神経科学の重要課題につながるとともに、両組織の進化的な関係を推測する上で非常に興味深い。最近になって、網膜視細胞と松果体細胞の双方において機能する転写因子として Crx(cone-rod homeobox) が同定された。Crx は、光受容細胞に特異的な多数の遺伝子の活性化を担っており、両細胞の類似性の形成に大きく寄与するものと考えられる。これに対し、網膜または松果体それぞれに特異的な遺伝子発現の制御機構についてはほとんど明らかになっていない。特に、松果体の生理機能および遺伝子発現の分子メカニズムに関する知見は乏しく、両組織を比較解析する上でのボトルネックとなっている。

私は、遺伝学的モデル生物のゼブラフィッシュを用いて、松果体特異的な機能発現の分子メカニズムに迫ろうと考えた。硬骨魚類の松果体の光受容分子は未知であったため、まずゼブラフィッシュ松果体に存在する光受容蛋白質の検索を行った。その結果、ゼブラフィッシュ松果体には、ロドプシンと類似の新規オプシンが発現していることを見出した。私はこのオプシンを、眼球外(extra-ocular)に発現するロドプシンという意味でエクソロドプシン(exo-rhodopsin; exorh)と命名した。分子系統学的解析から、exorh遺伝子は、硬骨魚類の進化初期にロドプシン遺伝子が重複して生じたと推測された。この考えは、種々の脊椎動物ゲノムを用いたサザンブロットと、他の硬骨魚から exorh 相同遺伝子を単離することによって裏付けられた。

exorh 遺伝子とロドプシン(rh)遺伝子は、分子進化学的に非常に近縁でありながら、松果体と網膜にそれぞれ特異的に発現している。このため、exorh 遺伝子の転写調節領域は、松果体特異的な遺伝子発現メカニズムの解析に適しているのみならず、進化学的な観点からrh遺伝子の網膜特異的な発現機構と比較解析を行える点において優れたモデルとなる。そこで私は、exorh 遺伝子のプロモーター領域を単離し、ゼブラフィッシュのトランスジェニック技術を利用した機能解析を試みた。まず、ゼブラフィッシュのゲノムDNAから、exorh 遺伝子の上流配列1055-bpをクローニングした。単離した上流配列が組織特異的プロモーターとして機能することを確かめるために、下流にレポーター遺伝子EGFPを連結した発現ベクターを構築し、これを用いて独立多数のトランスジェニック系統を樹立した。蛍光顕微鏡下においてトランスジェニック個体を観察した結果、いずれの系統においても松果体特異的なEGFP発現を確認することができた(図1)。

次に、松果体特異的な発現に必要なプロモーター領域を絞り込むために、exorh 遺伝子の上流配列を段階的に欠失させたコンストラクトを作製し、上記と同様の解析を行った。その結果、翻訳開始点から上流側147-bpの領域のみで松果体特異的な遺伝子発現を誘導できることが明らかになった。この147-bpの領域内には、3箇所のCrx/Otx結合配列が存在していたが、rh遺伝子の上流配列内で高い保存性を示すNrl結合配列(NRE)は見出せなかった。先行研究により、網膜のrh遺伝子はCrxとNrlにより協調的に転写活性化を受けることが示されている。この知見をもとに類推すると、松果体においてはCrxと(機能的にはNrlに対応する)未知の転写活性化因子の組み合わせによって、組織特異的な遺伝子発現が誘導されると考えられる。私は、この仮説を検証するために、exorh 遺伝子プロモーターのより詳細な解析を試みた。まず、exorh 上流配列147-bpの内、TATAボックスより上流の88-bpの領域に、それぞれ11-bpの欠失を持つ8種類のコンストラクトを作製した。これらをゼブラフィッシュ胚に遺伝子導入し、一過的なEGFP発現を解析した結果、上述の3箇所のCrx/Otx結合配列に加えて、既知の配列を含まない22-bpの領域の欠失によっても松果体での発現が消失することを見出した。そこで次に、この22-bpの領域内の塩基対を3-4塩基ずつ体系的に置換した7種類のコンストラクトを作製し、上記と同様の解析を行った。その結果、松果体における遺伝子発現に必要な領域を12-bpまで絞り込むことができた。私は、この12-bpの新規配列をPIPE(pineal expression promoting element)と命名した。

これら一連の解析結果は、PIPEが松果体特異的な遺伝子発現を担っている可能性を示唆する。一方で、PIPEを介した転写活性化は組織特異的なものではなく、単に遺伝子発現の強度を上昇させている可能性も考えられる。これらの可能性を検証するために、網膜特異的な遺伝子発現を誘導するrh遺伝子プロモーターにPIPEを導入する実験を行った。具体的には、rh遺伝子プロモーター内に存在するPIPEと相同性を示す領域に対して4塩基の変異と1塩基の挿入を行うことにより、外来性のPIPEを持つ発現ベクターを構築した(図2A, B)。これを用いてトランスジェニック個体を作製した結果、網膜に加えて松果体においてもEGFP発現が観察され、他の組織においてはEGFPの発現誘導は認められなかった(図2F)。この結果は、PIPEが松果体特異的な活性を持つシスエレメントであることを強く支持する。さらに、rh遺伝子プロモーターの5'側にPIPEを付加したコンストラクトを用いても、同様に松果体におけるEGFP発現が確認され、上述した松果体における発現誘導がrhプロモーター配列の変化によるものではないと結論できた。以上の結果から、松果体の光受容細胞に特異的な遺伝子発現においては、PIPEとCrx/Otx結合配列の組み合わせが中心的な役割を果たしていると考えられた(図3)。

脳神経系の研究において、特定の神経細胞の純粋な集団を単離することができれば、さまざまな分子生物学的アプローチが可能になる。私は、上記の研究において作製したトランスジェニック個体では、松果体の光受容細胞あるいは網膜桿体が特異的にEGFPでラベルされている点に着目し、蛍光セルンーターを利用してこれらの細胞を分取する実験系の確立を試みた。その結果、松果体細胞および網膜桿体それぞれについて、非常に高純度の細胞集団を単離することに成功した。このようにして分取した松果体細胞および網膜桿体からRNAを調製し、Ordered Differential Display 法を用いて両者の遺伝子発現プロファイルを比較した。総数7,073本の増幅バンドのうち、263本が松果体細胞に、294本が網膜桿体にそれぞれ特異的もしくは非常に強く発現している遺伝子の増幅バンドとして検出された。これらのうち、松果体の光受容細胞に選択的に発現している遺伝子断片の塩基配列を決定し、ESTおよびゲノムデータベースの検索を行った結果、73個の遺伝子に関して既知遺伝子との相同性が確認された。光情報伝達に関連する遺伝子として、exorh 遺伝子に加えて、松果体細胞に選択的に発現する2種類のリカバリン遺伝子を同定した。また、cGMPホスホジエステラーゼおよびcGMP感受性チャネルのそれぞれに関して、(網膜)錐体型のサブユニット遺伝子が松果体細胞に発現していることを見出した。この結果は、松果体の各々の光受容細胞内には桿体型(exorh)と錐体型の遺伝子産物が共存しており、それらが松果体独自の光情報伝達経路を形成している可能性を示唆する。光情報伝達系の因子以外にも、メラトニン生合成系酵素やイオンチャネル、トランスポーターなど、さまざまな機能的カテゴリーに属する遺伝子が松果体に選択的に発現していることを明らかにした。これらの遺伝子のさらなる解析は、松果体と網膜の機能的差異を生み出すメカニズムの解明につながると考えられる。また、同定した遺伝子群の周辺ゲノム配列を詳細に解析することによって、松果体における遺伝子発現に関与するシスエレメントに関してより多くの情報が得られると期待される。

松果体特異的な遺伝子発現を担うシスエレメント、および松果体特異的な生理機能を形成する候補遺伝子群を同定した本研究の一連の成果は、松果体の分子生理学的研究に遺伝子レベルでの基盤を提供するとともに、光受容器官の多様性形成メカニズムの解明に向けて重要な知見を与えるものである。

exorh 上流配列による松果体特異的なEGFPの発現誘導(A)レポーターコンストラクトの模式図(B)トランスジェニック個体(成魚)(C)トランスジェニック個体(稚魚)の松果体拡大像。光受容細胞に特有の外節様構造が確認できる。

PIPEによる松果体特異的な発現誘導 rhプロモーターに変異を導入し、異所的なPIPEを作り出した(A, B)。rhプロモーターは本来、網膜桿体に特異的な発現を誘導するが(D)、PIPEを導入したコンストラクトは本来の発現部位に加え、松果体においてもEGFPの発現を誘導した(F)。

松果体と網膜の光受容細胞における遺伝子発現のモデル

審査要旨 要旨を表示する

松果体の光受容細胞は、外節構造を持った細胞形態やオプシンをはじめとする一群の発現遺伝子など、多くの点において網膜視細胞と類似性を示す。一方で、松果体と網膜の生理機能は大きく異なっており、前者は概日リズム形成と内分泌、後者は視覚機能において主要な役割を果たす。松果体と網膜の類似性や、それぞれの特異性を規定する分子メカニズムの解明は、“いかにして脳の特定の領域・細胞がアイデンティティーを確立するのか”という脳神経科学の重要課題につながるとともに、両組織の進化的な関係を推測する上で非常に興味深い。論文提出者は、遺伝学的モデル生物のゼブラフィッシュを用いて、松果体特異的な機能発現の分子メカニズムへのアプローチを試みた。

硬骨魚類の松果体の光受容分子は未知であったため、論文提出者はまずゼブラフィッシュ松果体に存在する光受容蛋白質の検索を行った。その結果、ゼブラフィッシュ松果体には、ロドプシンと類似の新規オプシンが発現していることを見出した。論文提出者は、このオプシンを眼球外 (extra-ocular) に発現するロドプシンという意味でエクソロドプシン (exorh) と命名した。分子系統学的解析から、exorh 遺伝子は、硬骨魚類の進化初期にロドプシン遺伝子が重複して生じたと推測された。この考えは、種々の脊椎動物ゲノムを用いたサザンブロットと、他の硬骨魚からの exorh 相同遺伝子の単離により裏付けられた。

次に、論文提出者は exorh 遺伝子のプロモーター領域を単離し、ゼブラフィッシュのトランスジェニック技術を利用した機能解析を試みた。まず、ゼブラフィッシュのゲノムDNAから、exorh 遺伝子の上流配列1055-bpをクローニングした。単離した上流配列が組織特異的プロモーターとして機能することを確かめるために、下流にレポーター遺伝子EGFPを連結した発現ベクターを構築し、これを用いて独立多数のトランスジェニック系統を樹立した。蛍光顕微鏡下においてトランスジェニック個体の観察を行い、いずれの系統においても松果体特異的なEGFP発現が誘導されていることを確認した。松果体特異的な発現に必要なプロモーター領域を絞り込むために、exorh 遺伝子の上流配列を段階的に欠失させたコンストラクトを作製し、上記と同様の解析を行った。その結果、翻訳開始点から上流側147-bpの領域のみでも松果体特異的な遺伝子発現を誘導できることを明らかにした。論文提出者は exorh 遺伝子プロモーターの詳細な欠失・変異実験を行い、既知の配列を含まない12-bpの領域が松果体における遺伝子発現に必要であることを見出した。論文提出者は、この12-bpの新規配列をPIPE (pineal expression promoting element) と命名した。さらに、PIPEに松果体特異的な遺伝子発現を誘導する能力があることを確認するために、網膜特異的に発現を誘導するrh遺伝子プロモーターにPIPEを導入する実験を行った。具体的には、rh遺伝子プロモーター内に存在するPIPEと相同性を示す領域に対して4塩基の変異と1塩基の挿入を行うことにより、人工的なPIPEを持つ発現ベクターを構築した。これを用いてトランスジェニック個体を作製した結果、網膜に加えて松果体でもEGFP発現が観察されたが、他の組織においてはEGFPの発現誘導は認められなかった。この結果は、PIPEが松果体特異的な活性を持ったシスエレメントであることを強く支持する。さらに、rh遺伝子プロモーターの5'側にPIPEを付加したコンストラクトを用いても、同様に松果体におけるEGFP発現が確認され、松果体における発現誘導がrhプロモーター配列の変化によるものではないと証明できた。以上の結果から、論文提出者はPIPEが松果体特異的な遺伝子発現を担うシスエレメントであると結論付けた。

論文提出者はさらに、これらEGFPトランスジェニック個体から、蛍光セルソーターを用いて松果体の光受容細胞および網膜桿体視細胞を極めて高純度に分取する実験系を確立した。分取した細胞の遺伝子発現プロファイルをディファレンシャルディスプレイ法を用いて比較した結果、松果体細胞に選択的に発現する遺伝子を多数同定することに成功した。

松果体特異的な発現を担うシスエレメント、および松果体特異的な生理機能に寄与する候補遺伝子群を同定した本論文の成果は、光受容器官の多様性形成メカニズムの全容解明に向けて重要な基盤を提供すると考えられる。

なお、本論文は浅岡洋一・小島大輔・深田吉孝との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析および検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

UTokyo Repositoryリンク