学位論文要旨



No 118895
著者(漢字) 武井,ゆき
著者(英字)
著者(カナ) タケイ,ユキ
標題(和) ショウジョウバエEXT遺伝子群によるモルフォゲン勾配制御
標題(洋)
報告番号 118895
報告番号 甲18895
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4548号
研究科 理学系研究科
専攻 生物化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 西郷,薫
 東京大学 教授 秋山,徹
 東京大学 教授 三浦,正幸
 東京大学 助教授 能瀬,聡直
 東京大学 教授 多羽田,哲也
内容要旨 要旨を表示する

序論

発生過程で均一な細胞集団から特定の構造が形成される機構はパターン形成と呼ばれる。パターン形成過程において細胞は各々の位置に応じた細胞運命を獲得し、分化することによって最終的な生物の構造を作り上げる。この際限局した領域から拡散しその濃度勾配によって組織に位置情報を与える分子をモルフォゲンと呼ぶ。モルフォゲンによるパターン形成は無脊椎から脊椎動物の発生過程まで多くの形態形成プロセスに見られるため、その勾配形成システムを理解することは形態形成研究の重要課題といえる。

本研究ではショウジョウバエ翅形成をモデルシステムとし、モルフォゲン勾配形成に影響する変異体のスクリーニングを行った。その結果 EXT 遺伝子群の新規変異体ではモルフォゲン勾配形成が阻害されることを明らかにした。EXT 遺伝子群は糖蛋白のヘパラン硫酸鎖を合成する糖転移酵素をコードしていたことから、細胞表面または細胞外のヘパラン硫酸プロテオグリカンがモルフォゲン勾配形成の基盤となることを明らかにした。

ショウジョウバエEXT変異体の単離

ショウジョウバエの翅形成過程において、分泌因子 Hedgehog(Hh)、Wingless(Wg)、Decapentaplegic (Dpp) はモルフォゲンとして機能し数十細胞の距離を拡散する。しかし活性型の Hh および Wnt ファミリー蛋白は脂質修飾を受けることがわかっており、また Wg と Dpp のほ乳類ホモログである TGF-βは細胞外マトリクスに結合するなど、生体内で単純拡散するとは考えにくい性質を持っている。このためモルフォゲンがどのように細胞間を拡散し勾配を形成するのかは謎のままであった

本研究ではモルフォゲン勾配形成に影響を与える分子を、EMS による点変異導入とクローン技術を組み合わせたスクリーニングにより探索した。その結果変異細胞領域が欠失して前後軸方向に縮まったような表現型を示す3つの変異体を得た。相補性テストや配列決定の結果これらは新規変異体 brother of ttv (botv)、sister of ttv (sotv)、および既知の遺伝子 tout-velu (ttv)の新しいアリルであることが明らかになった。前二者はホモロジー検索から遺伝子の存在が予測されていたものの、これまでは変異体がなかったため生体内での機能は不明であった。Botv、Ttv、Sotv は、糖蛋白のヘパラン硫酸鎖合成に必要なヒトEXTL3、EXT1、EXT2 にそれぞれ相同性が高く、またほ乳類 EXT 遺伝子群に共通の三つのドメイン(N 末端の膜貫通ドメイン、糖転移酵素に特徴的な DXD モチーフ、C 末端の活性ドメイン)を持っていた。三者間では互いにアミノ酸レベルで26-32%の相同性を持ち、特にC末端側で相同性が高かった。in situ ハイブリダイゼーションにより発現パターンを調べた結果、いずれも翅成虫原基においてユビキタスに発現していた。

EXT遺伝子群はヘパラン硫酸合成に必須である

新規変異体 botv および sotv のヘパラン硫酸合成に与える影響を検討するため、これらの変異細胞群を持つ翅成虫原基をヘパラン硫酸に対する抗体で染色した。その結果野生型の翅成虫原基では一様な染色が観察されたのに対し、変異細胞群を持つ翅原基では変異細胞群で細胞自律的にヘパラン硫酸レベルが著しく低下していた。ttv 変異体についてはすでに変異胚でヘパラン硫酸レベルが著しく低下することが報告されており、本研究でもこれを確認した。EXT 遺伝子群はどの一つが欠けてもヘパラン硫酸合成不全を引き起こしたことから、互いに高い相同性を持つにも関わらず相補性を持たないことが明らかになった。これまでに遺伝子の配列から予測された botv を培養細胞で発現させると、ヘパラン硫酸合成の開始を司る酵素活性を示すことが報告されている。一方 Ttv と Sotv のヒトホモログである EXT1 と EXT2 にはこの活性がないが、かわりにヘパラン硫酸鎖の伸長を司る。しかし二者はヘテロ複合体を形成して初めて高い活性を得るため、互いの相補性は非常に低いことが報告されている。ショウジョウバエでも同様に、Botv は他の二つと異なる活性を持つため、また Ttv と Sotv は活性を互いの存在に依存するために、相補性を示さないのだと考えられる。

Hh、Dpp、WgシグナルはEXT変異細胞群で低下する

モルフォゲンシグナルに与える影響を調べるため、EXT の変異細胞群における各シグナルの標的遺伝子の発現を観察した。既知の遺伝子 ttv についてはすでに、Hh シグナルに選択的に寄与し Wg や FGF といった他の成長因子のシグナルには寄与しないことが報告されている。そこでまず Hh シグナルに対する sotv および botv の寄与を調べた。その結果、Hh の標的遺伝子 Ptc の蛋白レベルおよび dpp の発現レベルは変異細胞群のほとんどの領域で低下していた。また変異細胞群よりも前部に位置する野生型の細胞群においても Hh シグナルが低下していたことから、Hh 蛋白の拡散が変異細胞群により阻害されている可能性が示唆された。モルフォゲン産生領域に最も近い一列の変異細胞群ではシグナルはむしろ増強されていたが、この機構は不明である。Dpp の標的遺伝子 Sal および細胞内シグナル伝達因子のリン酸化 Mad のレベルも、これらの変異細胞群で低下していた。このことは ttv を含む EXT 遺伝子群が Hh 以外のモルフォゲンシグナルにも寄与する初めての証拠となった。Wg についてもこれまでの報告と異なり、標的遺伝子 Dll や Vg のレベルが若干低下していた。以前の報告で使用されたものを含む複数のアリルで同様の結果が得られたため、EXT 遺伝子群は Wg シグナルにも寄与していることが明らかになった。Wgに対する寄与は三つのシグナルの中でもっとも弱いため、これまでは見過ごされてきたと考えられる。以上の結果から、ショウジョウバエ EXT 遺伝子群は三つのモルフォゲンのシグナルに寄与することが明らかになった。

モルフォゲン蛋白レベルはEXT変異細胞群で低下する

これらのモルフォゲン蛋白自体に対する抗体を用いて蛋白量または勾配形成に与える影響を観察した。Dpp については感度の高い抗体がないため、生物学的に活性を持つことが確認されている Dpp-GFP 融合蛋白も必要に応じて用いた。その結果これらのモルフォゲン蛋白は、モルフォゲン発現領域でも受容領域でも、EXT 変異細胞群で減少していることが明らかになった。

モルフォゲン発現領域では、Hh 蛋白量は細胞自律的に激減していた。hh の発現量は減少していないことから、蛋白がヘパラン硫酸の減少によって不安定化されたか、細胞表面に効果的に捕捉されなくなったと考えられる。一方 wg と dpp については発現レベルも蛋白レベルも減少していた。dpp は Hh の標的遺伝子であるため、EXT の変異細胞群で発現が低下するのは容易に理解できる。これに対して wg の発現量の低下に関しては、wg と同じく Notch シグナルのターゲットである Cut のレベルが下がっていなかったことから現時点では説明できない。Wg は Notch の下流でヘパラン硫酸に依存した未知の機構でも発現を制御されている可能性がある。モルフォゲンの受容領域では三つのモルフォゲン全てが EXT 変異細胞群の中で著しく減少していた。この減少の機構として以下の二つの互いに矛盾しない可能性が考えられた。すなわち、1)EXT の変異細胞群で不安定化されたか、細胞表面上に効果的に捕捉されなくなったため三次元的に拡散した可能性、あるいは2)EXT の変異領域に効果的に拡散できなくなった可能性である。Hh 抗体を用いて蛋白の分布を注意深く観察した結果、EXT のモルフォゲン勾配形成における機能を示唆する興味深い知見が得られた。野生型の翅成虫原基では Hh 蛋白は後部コンパートメントで産生され、前部コンパートメントに緩やかな勾配を描いて拡散する。しかし EXT 変異細胞群が前部コンパートメントの前後境界に接して形成されると、Hh 蛋白は変異細胞群の手前側に蓄積した。このことは Hh が EXT 変異領域に拡散できなくなり、その結果後部コンパートメントに蓄積することを示している。同様に Dpp-GFP や Wg 蛋白質も、Hh の場合ほど顕著ではないが変異細胞群の手前に蓄積した。これらの結果から HSPG 依存的な拡散は三つのモルフォゲンの勾配形成過程において共通の機構であると結論した。

結論

以上、本研究ではショウジョウバエ EXT 遺伝子群の新規変異体を同定し、これらがヘパラン硫酸合成に必須であること、互いに相補性を持たないことを示した。また EXT 変異細胞群ではショウジョウバエの翅形成に働く三つのモルフォゲンのシグナリングおよび蛋白の拡散が阻害されることを明らかにした。

EXTの機能モデル(上)野生型の組織では、モルフォゲンは緩やかな勾配を描いて拡散する。(下)モルフォゲン受容領域でEXT変異すると、細胞膜上/外のヘパラン硫酸(青色)が失われ、ヘパラン硫酸に依存して拡散するモルフォゲンは変異細胞群の手前に蓄積する。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、ショウジョウバエ EXT 遺伝子群の新規変異体の同定と、変異体を用いた機能解析、特にモルフォゲンの勾配制御における寄与について述べられている。

武井はモルフォゲン勾配形成に影響を与える分子を、EMS による点変異導入とクローン技術を組み合わせたスクリーニングにより探索した。その結果新規変異体 brother of ttv (botv) と sister of ttv (sotv)、および既知の遺伝子 tout-velu (ttv)の新しいアリルを単離した。Botv、Ttv、Sotv は、糖蛋白のヘパラン硫酸鎖合成に必要なヒト EXTL3、EXT1、EXT2 にそれぞれ相同性が高く、またほ乳類 EXT 遺伝子群に共通の三つのドメイン(N 末端の膜貫通ドメイン、糖転移酵素に特徴的な DXD モチーフ、C 末端の活性ドメイン)を持つことを示した。三者間では互いにアミノ酸レベルで26-32%の相同性を持ち、特にC末端側で相同性が高いこと、またいずれも翅成虫原基においてユビキタスに発現していることを示した。変異細胞群を持つ翅原基では変異細胞群で細胞自律的にヘパラン硫酸レベルが著しく低下していたことから EXT 遺伝子群はヘパラン硫酸合成に必須であることを明らかにした。またどの一つが欠けてもヘパラン硫酸合成不全を引き起こしたことから、互いに高い相同性を持つにも関わらず、相補性は殆どないことを示した。

さらにHhの標的遺伝子Ptcの蛋白レベルおよびdppの発現レベルは変異細胞群のほとんどの領域で低下することを明らかにした。これまでに、既知の遺伝子 ttv についてはHhシグナルに選択的に寄与し、WgやFGFといった他の成長因子のシグナルには寄与しないことが報告されている。しかし武井は Hh に対する寄与に加えて、Dpp の標的遺伝子 Sal および細胞内シグナル伝達因子のリン酸化 Mad のレベルも、これらの変異細胞群で低下することを示した。このことは ttv を含む EXT 遺伝子群が Hh 以外のモルフォゲンシグナルにも寄与する初めての証拠となった。Wgについてもこれまでの報告と異なり、標的遺伝子DllやVgのレベルが若干低下する事を示した。さらにFGFシグナルについても、botvの変異によりFGFシグナル依存的なトラキオブラストの増殖と伸長が阻害されることを示した。以上の結果から、ショウジョウバエEXT遺伝子群は三つのモルフォゲン、および FGF のシグナルに寄与することを明らかにした。

またモルフォゲン蛋白自体に対する抗体を用いて蛋白量および分布を調べ、モルフォゲン発現領域ではwgとdppは発現レベルも蛋白レベルも減少することを示した。一方 hh は発現量に変化はなく、蛋白量のみが細胞自律的に激減する事を示した。さらにこの影響は、膜結合蛋白 Disp により膜から切り離された Hh にのみ見られ、disp の非存在下では見られなかったことから、蛋白の安定化に普遍的に機能するのではなく、遊離型の Hh のみを捕捉している可能性を示した。

さらに、モルフォゲンの受容領域では三つのモルフォゲン全てが EXT 変異細胞群の中で著しく減少することを明らかにした。この原因として、Hh 抗体を用いた蛋白の分布パターンの解析から、Hh 蛋白が拡散の際に変異細胞群の手前側に蓄積していること見いだした。同様にDpp-GFPやWg蛋白質も、Hhの場合ほど顕著ではないが変異細胞群の手前に蓄積することも示した。これらの結果から、EXTの変異によるシグナルの低下は、モルフォゲン分子の拡散が阻害されるためであることを明らかにした。またこうしたHSPG依存的な拡散は三つのモルフォゲンの勾配形成過程において共通の機構であることを示した。

理論、実験の組み立てば十分高い水準にあり、得られた実験結果は、モルフォゲン勾配形成機構の解明に資するところが大きい。なお、本論文は小沢豊彦氏、佐藤純博士、渡辺晃氏、多羽田哲也博士との共同研究であるが、論文提出者が主体となって解析を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、本研究は博士(理学)の学位に値するものと考える。

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