学位論文要旨



No 118898
著者(漢字) 横山,一剛
著者(英字)
著者(カナ) ヨコヤマ,カズマサ
標題(和) 高次生命系におけるチロシンキナーゼ標的タンパク質の機能解析
標題(洋)
報告番号 118898
報告番号 甲18898
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4551号
研究科 理学系研究科
専攻 生物化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 秋山,徹
 東京大学 助教授 榎森,康文
 東京大学 教授 深田,吉孝
 東京大学 教授 竹縄,忠臣
 東京大学 教授 山本,雅
内容要旨 要旨を表示する

哺乳類のゲノムには約500種類のキナーゼが存在し、細胞増殖・分化、さらには免疫系や神経系の高次機能など、さまざまな生命活動の制御に関与している。しかし、それらのキナーゼの多くはあまり解析されておらず、標的基質についてはほとんど知られていない。例えばチロシンキナーゼSrcは20年以上前から精力的に解析されているにもかかわらず、これまでに知られている標的基質だけではSrcの細胞での作用の全てを説明することはできない。

チロシンキナーゼは大きく受容体型と非受容体型に分類される。受容体型は言うにおよばず、非受容体型チロシンキナーゼも多くは自身の脂質修飾や他のタンパク質との相互作用により細胞膜近傍に局在している。すなわち、チロシンキナーゼは細胞外からのシグナルを細胞内に伝える過程に関与していると考えられる。チロシンキナーゼが進化的にセリン/スレオニンキナーゼよりも後に誕生したことからも、多細胞系におけるチロシンキナーゼの重要性が示唆される。そして、免疫系や神経系などの高次生命系においては多種の細胞間における複雑な相互作用こそがその本質であると考えるならば、高次生命系をより理解するためにはチロシンキナーゼを介するシグナル伝達経路を解明することが肝要であると言える。

そこで本研究では高次生命系でのチロシンキナーゼの意義を明らかにすることを目的として、ファージ発現ライブラリーを用いた固層リン酸化法により、Src型チロシンキナーゼLynの標的タンパク質を探索した。同定した約100個の基質候補分子のうち、新規のタンパク質BANK (B cell scaffold protein with ankyrin repeats)およびNYAN (Neuronal tyrosine kinase substrate which is associated with NMDA receptor complex)ファミリーについて解析を進めた。

BANKは特定の機能ドメインを持たない755アミノ酸残基のタンパク質である。Northern blot解析、およびFACSを用いて単離したリンパ球の詳細なRT-PCR解析により、BANKはimmature Bステージ以降のB細胞に特異的に発現することを明らかにした。immature Bステージ以降のB細胞は遺伝子再編成後の機能的なB細胞抗原受容体(BCR)を発現することから、BANKはB細胞の初期発達段階においてではなく、外来抗原に対するB細胞の応答に関与していると考えられる。

ヒトB細胞株DaudiやニワトリB細胞株DT40野生型、さらにB細胞に発現するチロシンキナーゼLyn, Syk, Btkを欠損するDT40変異体の解析から、BANKはBCR刺激後きわめて短時間のうちに、一過的にSykによりチロシンリン酸化されることが分かった。

B細胞におけるBANKの役割をさらに明らかにするために、BANK過剰発現DT40 B細胞株BANK(1-755)を樹立し、BCR刺激後の生化学的応答を調べた。BANK(1-755) 細胞は、野生型DT40と比べて、BCR刺激後のLyn, Sykなどのチロシンキナーゼの活性化およびPLC-γ2のチロシンリン酸化、IP3産生に変化は見られなかったが、細胞内プールからのカルシウム放出が増大していた。これは、BANKはPI3産生とは独立の経路で細胞内プールからのカルシウム動員を制御していることを示唆する。また、BANK(1-755)細胞においてIP3受容体(IP3R)のチロシンリン酸化が増大していることを見出した。細胞内プールからのカルシウム放出はIP3受容体型カルシウムチャネルが関わっている。IP3RはSrc型チロシンキナーゼによりリン酸化されることでチャネル活性が上昇するが、BANKはこのリン酸化経路を調節することでBCR刺激後のカルシウム動員を制御している可能性が示唆された。

BANKは当初in vitro反応系でのLynの標的基質として同定した分子であり、またB細胞においてIP3Rのチロシンリン酸化を促進することから、これら3者の相互作用を培養細胞での再構成系で調べた。その結果、LynはBANKとチロシンリン酸化依存的に、BANKのアミノ酸残基367-653の領域を介して会合すること、またIP3RはBANKのアミノ酸残基1-155の領域と会合することが分かった。さらにIP3RはLynによってチロシンリン酸化されるが、BANKを共発現させるとIP3Rのチロシンリン酸化が顕著に増大した(図1A)。以上よりBANKはscaffoldタンパク質としてIP3RとLynの空間的な配置を調節していると考えられる。IP3Rと会合できない変異体BANK(155-755)はLynによるIP3Rのチロシンリン酸化を促進しなかった。また、このBANK(155-755)はB細胞においてもBCR刺激後の細胞内プールからのカルシウム動員を増大させず、むしろ減少させた。このことは3者の物理的な会合の重要性を示している。

B細胞においてカルシウム動員に関わるタンパク質は、免疫系におけるXid (X-linked immunodeficiency)様の表現型を共通の特徴とする。これらの多くはお互いに会合し、シグナル伝達複合体(signalosome)を形成していることが明らかにされてきた。BANKの類縁分子BCAPもまたXidグループに属し、BCAP欠損DT40細胞の解析から、BCAPは同じくXidグループタンパク質であるPI3K p85サブユニットとの会合を介して機能すると考えられていた。しかしBCAP欠損マウス由来のB細胞の生化学的解析から、BCAPはPI3Kの活性調節にはほとんど関与しておらず、むしろPLC-γ2やカルシウムチャネルを含むシグナル伝達複合体を、空間的にコンパクトな複合体にまとめることに関わっている可能性も示唆されている。従って、BANKもXid signalosomeのメンバーとして、Lyn, IP3Rそして他のXidメンバーも含む、より大きな複合体の形成に関与している可能性もある。IP3Rがカルシウムシグナル伝達複合体に含まれる可能性は以前より想定されていたが、本研究はB細胞においてこのモデルを初めて実証したものである(図1B)。

NYAN1もまた特定の機能ドメインを持たないタンパク質である。マウス各組織および単離した神経系初代培養細胞のNorthern blot解析により、NYAN1は神経細胞に特異的に発現することを明らかにした。マウス脳においてNYAN1は出生後一週間以内に発現量が減少し始めることから、NYAN1は神経細胞の後期の発達過程において機能している可能性が示唆された。

Src型キナーゼの一つであるFynの欠損マウスにおいてNYAN1のチロシンリン酸化は顕著に減少しており、NYAN1はSrc型キナーゼによりリン酸化されていると考えられる(図2A)。NYAN1のFynによりリン酸化されるチロシン残基は2箇所あり、2箇所ともPI3K p85サブユニットのSH2ドメイン結合コンセンサス配列に合致し、実際にマウス脳内でNYAN1がp85と結合することを示した。

アデノウイルスベクターにより海馬神経初代培養細胞に発現させたNYAN1はスパインの先端部に強く発現した(図2C)。さらにNYAN1がシナプス可塑性に関わるNMDA受容体複合体と会合していることを明らかにした(図2B)。

またデータベース検索により、NYAN1の2箇所のリン酸化チロシン残基周辺においてのみNYAN1と相同性を示すタンパク質が2分子存在することを明らかにし、NYAN2, NYAN3と名付けた。NYAN2, NYAN3ともに神経系に特異的に発現するが、NYAN1,2,3の間で脳内における発現部位および経時的な発現パターンは異なっていた。

NYAN2,3もFynによりチロシンリン酸化され、かつNMDA受容体複合体と会合していることから、NYANファミリーは全体的な構造はファミリー間で異なるが、機能的には共通してNMDA受容体複合体からのPI3K-Aktシグナルを制御し、神経細胞の生存・機能調節に関わっていると考えられる。

NYAN1,2,3はタンパク質の構造・大きさが異なるだけでなく、マウス染色体におけるgenome構造も互いに異なる。染色体領域全体の大きさはNyan1は10kbp以内に全てのexonが含まれるのに対し、Nyan2は250kbp以上、Nyan3は400kbpと全く異なっている。このような全体的なgenome構造の違いにも関わらず、2箇所のリン酸化チロシン残基を含むexonはNyan1,2,3とも1kbp以上の大きなexonであり、「NYANドメイン」はcDNA配列においてのみならず、genome構造においても保存されている。このように特異な形でNYANドメインが保存されていることは、このドメインの生理的な重要性を強く示唆するものであり、また神経系におけるチロシンリン酸化の重要性をも示していると考えている。

本研究で解析したBANK, NYANファミリーを始めとして、チロシンキナーゼの新規標的タンパク質を同定・解析することにより、免疫系や神経系などの高次生命系の分子基盤の理解が進むだろう。

BANKはLynとIP3Rをつなぐ新しいタイプの足場タンパク質である。(A)BANKはLynによるIP3Rのチロシンリン酸化を促進する。アンキリンリピートを欠くBANK(ΔANK)も野生型BANKと同じ活性を持つが、IP3Rと会合できない変異体BANK(155-755)は活性を持たない。(B)BANKが存在するとIP3Rのチロシンリン酸化が促進され、チャネル活性が上昇することで、カルシウム動員が促進される。

NYAN1はグルタミン酸受容体と会合する新規のチロシンリン酸化タンパク質である。(A)Nyan1はSrc型キナーゼによりリン酸化される。(B)Nyan1はNMDA受容体サブユニットGluRε2と会合する。(C)海馬神経初代培養細胞に発現させたNyan1はスパインの先端部に強く発現する。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は免疫系や神経系などの高次生命系での非受容体型チロシンキナーゼの標的タンパク質の同定、解析を試みたものである。本論文は2章からなり、内容を要約すると、以下のようになる。

第1章で述べられているBANKは特定の機能ドメインを持たない新規のタンパク質である。詳細な発現解析により、BANKはimmature Bステージ以降のB細胞に特異的に発現することを明らかにした。またB細胞株を用いた解析から、BANKはBCR刺激後、Sykによりチロシンリン酸化されることを明らかにした。

BANKを過剰発現するDT40 B細胞株BANK(1-755)細胞は、野生型DT40と比べて、BCR刺激後のPLC-γ2のチロシンリン酸化、IP3産生に変化は見られなかったが、細胞内プールからのカルシウム動員が増大していた。これはBANKがIP3産生とは独立の経路で細胞内プールからのカルシウム動員を制御することを示唆する。またBANK(1-755)細胞においてIP3受容体(IP3R)のチロシンリン酸化が増大していることを見出した。細胞内プールからのカルシウム放出はIP3受容体型カルシウムチャネルが関わっている。IP3RはSrc型キナーゼによるリン酸化でチャネル活性が上昇するが、BANKはこのリン酸化経路を調節することでBCR刺激後のカルシウム動員を制御している可能性が示唆された。

BANK、IP3R、Lynの3者の相互作用を培養細胞での再構成系で調べた。その結果、BANKはLynとチロシンリン酸化依存的に結合すること、またBANKはIP3Rとも結合することが分かった。さらにIP3RはLynによってチロシンリン酸化されるが、BANKを共発現させるとIP3Rのチロシンリン酸化が顕著に増大した。以上よりBANKはscaffoldタンパク質としてIP3RとLynの空間的な配置を調節することで、LynによるIP3Rのリン酸化を促進していると考えられる。IP3Rと会合できない変異体BANK(155-755)はLynによるIP3Rのチロシンリン酸化を促進しなかった。また、このBANK(155-755)はB細胞においてもBCR刺激後の細胞内プールからのカルシウム動員を増大させず、むしろ減少させた。このことは3者の物理的な会合の重要性を示している。

第2章で述べられているNYAN1もまた特定の機能ドメインを持たないタンパク質である。詳細な発現解析により、NYAN1は神経細胞に特異的に発現することを明らかにした。マウス脳においてNYAN1は出生後一週間以内に発現量が減少し始めることから、NYAN1は神経細胞の後期の発達過程において機能している可能性が示唆された。

Fyn欠損マウスにおいてNYAN1のチロシンリン酸化は顕著に減少しており、NYAN1はSrc型キナーゼによりリン酸化されていると考えられる。NYAN1のFynによりリン酸化されるチロシン残基は2箇所あり、2箇所ともPI3K p85サブユニットのSH2ドメイン結合コンセンサス配列に合致し、実際に神経細胞内でNYAN1がp85と結合し、Aktを活性化することを明らかにした。

海馬神経初代培養細胞に発現させたNYAN1はスパインの先端部に強く発現した。さらにNYAN1がシナプス可塑性に関わるNMDA受容体複合体と会合していることを明らかにした。

またデータベース検索により、NYAN1の2箇所のリン酸化チロシン残基周辺においてのみNYAN1と相同性を示すタンパク質が2分子存在することを明らかにし、NYAN2, NYAN3と名付けた。NYAN2, NYAN3ともに神経系に特異的に発現するが、NYAN1,2,3の間で脳内における発現部位および経時的な発現パターンは異なっていた。

NYAN2,3もFynによりチロシンリン酸化され、かつNMDA受容体複合体と会合していることから、NYANファミリーは全体的な構造はファミリー間で異なるが、機能的には共通してNMDA受容体複合体からのPI3K-Aktシグナルを制御し、神経細胞の生存・機能調節に関わっていると示唆された。

以上、論文提出者はBANKやNYANファミリーなどの新規標的タンパク質の同定、解析を通して、免疫系や神経系などの高次生命系において、非受容体型チロシンキナーゼシグナル伝達経路の新しい役割を明らかにした。

なお、本論文第1章はI-hsin Su、手塚 徹、保田 朋波流、御子柴 克彦、Alexander Tarakhovsky、山本 雅との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析および検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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