学位論文要旨



No 118901
著者(漢字) 得平,茂樹
著者(英字)
著者(カナ) エヒラ,シゲキ
標題(和) シアノバクテリア Anabaena における低温応答遺伝子の発現調節解析
標題(洋) Analysis of gene expression in response to low temperature in cyanobacteria Anabaena
報告番号 118901
報告番号 甲18901
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4554号
研究科 理学系研究科
専攻 生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 大森,正之
 東京大学 教授 池内,昌彦
 東京大学 助教授 和田,元
 東京大学 助教授 西田,生郎
 埼玉大学 教授 佐藤,直樹
内容要旨 要旨を表示する

<序論>

生物は生育温度の低下に応答し、適応する能力を持っている。その過程で、低温への適応に必要な様々な遺伝子の発現が誘導され、低温への耐性を獲得する。生育温度の低下に伴い、RNA結合タンパク質や脂肪酸不飽和化酵素などをコードする遺伝子の発現が増加することが知られている。これらの遺伝子の発現の調節には、温度の低下をシグナルとして感知し、そのシグナルを発現を調節する因子まで伝達する機構が必要となる。しかし、このようなシグナル伝達系の全容は未だ明らかとなっていない。

シアノバクテリアは、酸素発生型の光合成を行う原核生物であり、葉緑体の起源となった生物であると考えられている。植物におけるストレス応答の分子機構の研究において、シアノバクテリアは、その遺伝子操作の容易さとゲノム情報の多様さから、有用なモデル生物となっている。Anabaena variabilis M3は、以前から低温への応答に関する研究に用いられてきたシアノバクテリアである。現在までに、生育温度の脂質組成への影響、低温で発現する遺伝子の同定など多くの知見が得られている。また、近縁種であるAnabaena sp. PCC 7120の全ゲノム塩基配列が2001年に決定され、DNAマイクロアレイが共同プロジェクトとして作製された。マイクロアレイは、ストレスに応答する遺伝子を網羅的に解析することができ、ストレスへの適応に重要な遺伝子の同定やストレスへの応答機構の解明において、有力な手段となる。本研究では、これら2種のAnabaenaの情報を統合し、低温応答遺伝子の発現調節機構を解明することを目的とした。本研究では、まずAnabaena DNAマイクロアレイの有効性を評価した。次に、低温において転写産物量が増加する遺伝子の同定を行い、その発現調節の解析を行った。

<結果と考察>

I.Anabaena DNA microarrayを用いた窒素欠乏による遺伝子発現の変化の解析

本研究で用いたAnabaena DNAマイクロアレイは、各スポットが約3 kbのゲノムDNAセグメントからなり、それぞれに1から8個のORFが含まれている。1枚のスライドガラスに、全ゲノム配列の約90%をカバーする2,407個のセグメントが2セットずつスポットされている。まず、このようなDNAセグメントからなるマイクロアレイにより、転写産物レベルの変化を検出することが可能であるかを評価した。マイクロアレイの評価は、Anabaena PCC 7120において最も研究が進んでいる窒素欠乏への応答を解析することで行った。Anabaena PCC 7120は、培地中の窒素源が不足するとヘテロシストと呼ばれる細胞を分化させ、窒素固定を行うことができる。アンモニアを窒素源として含む培地から、窒素源を含まない培地に細胞を移し、転写産物レベルの変化を検討した。3回の独立した実験を行い、1%の有意水準でt検定を行った。窒素欠乏24時間目において、126個のDNAセグメントにおける発現量が増加し、44個における発現量が減少した。発現量が増加したDNAセグメントにおいて、そこに含まれるORFの発現をノザンブロットにより確認すると、それぞれ少なくとも1個のORFの発現量が増加していた(図1)。従って、誘導される遺伝子を網羅的に検出できるという意味で、このマイクロアレイが発現解析にきわめて有効であることが示された。さらに、各DNAセグメントのゲノム上での位置と発現変化の関係について解析を行った(図2)。その結果、20個前後のORFを含む30 kb近い領域全体で発現量が増加していることが示された。ヘテロシスト分化の過程で、個々の遺伝子やオペロンをこえて、30 kb近い大きな領域の発現を一括して調節する機構が存在していることが示唆された。

以上のように、Anabaena DNA microarrayが遺伝子発現の変化の検出に有効であり、また、遺伝子発現の調節機構の解析にも有用であることが示された。そこで、このAnabaena DNA microarrayを用いて、低温シフトによる遺伝子発現の変化を検討し、低温に応答する遺伝子の発現調節の解析を行った。

II.低温において転写産物量が増加する遺伝子の同定

Anabaena sp. PCC 7120における低温応答遺伝子を同定するため、培養温度の低下に伴う転写産物レベルの変化をマイクロアレイにより解析した。32℃で培養していた細胞を光強度を変えずに22℃に移し、30分後と2時間後における変化を検討した。2時間後までに165個のDNAセグメントにおける発現量が増加し、199個における発現量が減少した。発現量が増加したDNAセグメントには、低温で発現量が増加することが知られているrbpA1, rbpA2, desB, desA, desC, crhB, crhC, lti2等の遺伝子が含まれていた。一方、発現の減少がみられたDNAセグメントには、光で発現が抑制されるlrtAや暗所でのクロロフィル合成に関わるchlN, chlL、フィコビリソーム成分をコードするpec, cpcなどが含まれていた。Synechocystis PCC 6803において行われたアレイ解析の結果は、培養温度の低下と照射光強度の増加が転写産物レベルに及ぼす影響が互いによく似ていることを示している。本研究の結果も、培養温度の低下が相対的な光強度の増加として働いていることを示唆している。そこで、光の影響を除くため、暗所での温度シフト実験を行った。まず、暗所への移行による転写産物レベルの変化を検討し、次に暗所に移すと同時に培養温度を下げ、その転写産物レベルへの影響を検討した。その結果、光照射下での低温シフトにより発現量が変化する遺伝子は、大きく4グループに分けられた。(1)いずれの環境変化にも応答するもの、(2)光の有無に関わらず、低温に応答するもの、(3)光照射下でのみ低温に応答するもの、そして(4)光照射下で低温にすることで発現量が変化するが、温度に関わらず暗所への移行においてその逆の変化を示すものである。光の有無に関わらず、低温に応答するDNAセグメントは少なく、発現量が増加したものが12個、減少したものが16個であった。これらのセグメントに含まれるORFに関して、ノザンブロットを行い、これまでに低温において転写産物量が増加する遺伝子を15個同定した(表1)。これらの15個の遺伝子は低温への適応に重要な役割を果たしていると考えられるが、その生理的機能は分かっていない。また、rbpA1, rbpA2の遺伝子破壊株を作製したが、低温での生育に大きな影響はなかった。これは、Anabaena PCC 7120にはrbp遺伝子が多数存在するためと考えられる。

大腸菌では、リボソームに結合し翻訳を阻害する抗生物質が、遺伝子発現に対して温度シフトと同様の影響を与えることが知られており、リボソームが温度センサーとして働く可能性が示唆されている。Anabaena PCC 7120においても、32℃でtetracyclineによりrbpA1, A2等の転写産物量が増加した(図3)。生育に影響が無い濃度でもこの増加が起こり、streptomycinでは増加が起こらないため、単に翻訳の阻害により増加しているのではないことが分かる。これらの遺伝子は、リボソームの状態の変化により転写産物量の増加が起こると考えられる。

III.rbpA1発現調節の解析

rbpA1の発現調節機構を明らかにするため、lacZ遺伝子をレポーターとして用い、発現調節に働くcis配列の検索を行った。このために、primer extensionによりrbpA1の転写開始点を決定し直した。rbpA1転写産物は、120塩基の5'非翻訳領域(5'UTR)を持っていた。転写開始点の上流209塩基から下流211塩基までの配列をlacZの上流に挿入すると、lacZの発現は温度依存的となり、22℃での転写産物量は38℃と比べ約20倍に増加した(図4)。これは、この領域に温度依存的な発現を調節する配列が存在することを示している。まず、転写開始点の上流側の配列の解析を行った。上流配列を177塩基まで短くすると22℃での転写産物量は半減したが、低温での蓄積は維持された。さらに上流配列を短くしたが、上流35塩基までを含めば、低温での蓄積が起こった。上流8塩基のみでは、転写産物は全く検出されなくなったが、これはプロモーターとして機能しなくなったためと考えられる。従って、転写開始点の上流には転写を活性化する配列が存在するが、低温での転写産物の蓄積に必要な配列は他にあると考えられた。そこで、5'UTRが低温での転写産物の蓄積に及ぼす影響を検討した(図5)。5'UTRを103塩基まで持てば、22℃における転写産物量は38℃での約20倍であった。しかし、46塩基まで短くすると22℃での転写産物量は激減し、さらに4塩基のみではほとんど検出されなかった。このことは、5'UTRが22℃での転写産物の蓄積に必要であることを示している。低温で転写産物量が増加する6個のrbp遺伝子の5'UTR配列は保存されているが、その中でもよく保存されている配列BOX I, BOX IIおよびBOX IIIがある。これらの配列に変異を導入すると、22℃での転写産物量が減少した。

次に、rbpA1の発現調節におけるリボソームの役割を検討した。リボソームの結合状態がmRNAの安定性等に影響を与え、発現量を調節することが知られており、本研究においても低温におけるrbpA1転写産物量の増加にリボソームが関与している可能性が示唆された。リボソーム結合部位(RBS)に変異を導入したコンストラクトpMRでは、22℃における転写産物の蓄積が起こらなかった(図6)。また、RBSに変異を導入したことにより、転写産物の安定性が30%に減少していた。このことはリボソームの結合により、低温において転写産物が安定化されることを示している。しかし、図5において5'UTRを103塩基持つコンストラクトpD103では、RBSは存在しないが22℃で転写産物の蓄積が起こった。pMRとpD103の違いは、RBSの下流のコード領域の配列の有無である。そこで、pMRのコード領域にさらに変異を導入したpMR-Mを作製した。pMR-Mでは22℃での転写産物の蓄積が回復し、安定性も上がっていた。以上の結果から、コード領域内に転写産物を不安定化する配列が存在するが、リボソームが結合している状態ではその機能は阻害され、転写産物は安定化されて、蓄積すると推定された。

<まとめ>

本研究により、DNAセグメントからなるAnabaena DNA microarrayにより転写産物レベルの変化を検出できることが示された。そこで、このマイクロアレイを用い、低温シフトによる転写産物レベルの変化を光照射下と暗所の2条件で解析した。遺伝子発現に及ぼす低温の影響を光の影響と区別することで、光の有無に関わらず低温において転写産物量が増加する遺伝子を同定した。これらの遺伝子の発現は、リボソームを介して調節されている可能性が示唆された。また、rbpA1の発現調節においては、5'UTRが低温での転写産物の蓄積に必要であり、低温での転写産物の安定化には、リボソームの結合が関与していることが示唆された。

発現量が増加したDNAセグメントに含まれるORFのノザンブロット解析。一番上の横線がDNAセグメントを表し、その右に窒素欠乏24時間目における増加の割合を示す。各セグメントに含まれるORFを矢印で示してある,1.2%のアガロースゲルでRNAを分離し、ナイロンメンブレンに固定した。各図の下に示す遺伝子特異的プローブを用いてmRNAを検出した。RNAは図1と同じバッチのものを用いた。NH3:窒素欠乏前(窒素源としてアンモニアを含む)、-N:窒素欠乏24時間目。

各DNAセグメントのゲノム上での位置と発現変化。各DNAセグメントの窒素欠乏24時間目における発現量の変化の割合をゲノム上の位置に応じて示した。一番外側の2個の円はそれぞれ、右向き(赤)と左向き(青)のORFを表している。その内側の2個の円は、同様にRNA遺伝子を表す。中の太い円が変化の割合を示し、外側が増加(赤)、内側が減少(青)の割合である。4ヶ所のexpressed islandとそこに含まれるORFを示してある。

光の有無に関わらず低温シフトにより転写産物量が増加するORF

tetracyclineによる転写産物量の増加。32℃で培養した細胞(レーン1)を8個の培養試験管に分け、以下の処理を行い、2時間後に集菌した。tetracyclineを溶かすのに用いたエタノールを終濃度0.01%で加えた(レーン2)。22℃に移した(レーン3)。それぞれ示された濃度のtetracyclineを加えた(レーン4,5)。それぞれ示された濃度のstreptomycinを加えた(レーン6,7)。mRNAの検出に用いたプローブをそれぞれ図の左に示す。

rbpA1-lacZ融合遺伝子の発現調節に働くcis配列の解析。lacZ遺伝子の上流に、rbpA1の転写開始点の上流からコード領域の途中までの配列を挿入したプラスミドを作製した。転写開始点を+1としたときの5'末、3'末の位置を示してある。白い四角は5'UTRを、黒い四角はコード領域を、斜線の四角はlacZ遺伝子を表す。各プラスミドをA. variabilis M3に形質転換し、38℃で培養した細胞(白い棒グラフ)と22℃に移してから2時間後の細胞(黒い棒グラフ)からRNAを抽出し、ノザンブロットによりlacZ mRNAを測定した。

rbpA1-lacZ融合遺伝子の発現に及ぼす5'UTRの影響 様々な長さの5'UTRを含むコンストラクトを作製し,lacZ遺伝子の発現をノザンブロットにより解析した。

リボソームによる転写産物の安定化。リボソーム結合部位(RBS)をHind III認識配列(H)に変えたコンストラクトpMRとさらにそのコード領域内の配列CGTAGGをAGTCTAに変えたコンストラクトpMR-Mを作製した。mRNAの半減期は、以下のように求めた。22℃で2時間培養した細胞にRifampicinを終濃度100μg ml-1で加え、加えた直後、5分後、10分後、20分後、40分後に集菌し、RNAを抽出した。primer extensionにより、各時間におけるmRNA量を測定し、半減期を算出した。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は4章からなり、第1章はシアノバクテリアの環境ストレス応答に関して、これまでに蓄積されている一般的知識について、第2章ではAnabaena DNAマイクロアレイを用いた窒素欠乏による遺伝子発現の変化の解析について、第3章では低温において転写産物量が増加する遺伝子の同定について、第4章では低温誘導性遺伝子rbpA1の発現調節の解析結果について述べられている。これまで、環境変化により発現量が増加し、その変化への適応に重要な役割を果たす遺伝子が多く知られている。しかし、それらの遺伝子の発現調節に関しては、未だ明らかとなっていない点が多く残されている。本研究では、シアノバクテリアAnabaenaにおける窒素源の欠乏と生育温度の低下に応答する遺伝子の発現調節機構を解析した。

Anabaena sp. PCC 7120は、細胞が数珠のように連なった糸状性のシアノバクテリアで、培地中の窒素源が不足するとヘテロシストと呼ばれる細胞を分化させ、窒素固定を行うことができる。第二章においては、培地中の窒素源を除いたあとでの遺伝子発現の変化をDNAマイクロアレイにより解析した。その結果、培地中の窒素源を除いたあと24時間までに、一過的にでも発現量が増加するORFが約600個あると推定された。また、ヘテロシスト分化の過程で、発現量が増加するORFが集中して存在しているゲノム領域が4ヶ所あった。このような場所では、20個前後のORFを含む30 kb近い領域全体の発現が増加していた。ヘテロシスト分化の過程で、個々の遺伝子やオペロンをこえて、30 kb近い大きな領域の発現を一括して調節する機構が存在していることが示唆された。さらに、本研究で用いたAnabaena DNAマイクロアレイが転写産物量の変化を的確に検出することができ、遺伝子の発現調節の研究において有用であることが示された。

第3章においては、生育温度の低下に伴う遺伝子発現の変化をDNAマイクロアレイにより解析した。光合成生物においては、光照射下での低温へのシフトは、生育温度の低下であると同時に相対的な光強度の増加として働き、光化学系の酸化還元状態に影響を及ぼす。このような複合的な影響が、低温への応答機構の解明を複雑なものとしている。そこで、低温の影響を光化学系の酸化還元状態の影響から分離するために、光照射下での低温シフト、暗所へのシフト、そして暗所での低温シフトの3条件における遺伝子発現の変化をマイクロアレイにより解析した。その結果、光化学系の酸化還元状態に関わらず、低温により転写産物量が増加するORFを15個同定した。これらのORFは、低温への適応において、重要な役割を果たしていると考えられる。また、その発現調節機構の解析は、低温シグナルの伝達機構の解明につながると期待される。

第4章においては、低温により転写産物量が増加するORFの内の一つ、rbpA1の発現調節機構を明らかにするため、lacZ遺伝子をレポーターとして用い、発現調節に働くcis配列の検索を行った。転写産物の低温での蓄積には、rbpA1の5'非翻訳領域(5'-UTR)が必要であり、また、5'-UTRによりプロモーター非依存的に転写産物の蓄積が起こることが示された。5'-UTRによる転写産物の蓄積は、主に転写産物の安定化によりなされ、その安定化にはリボソームの結合が必要であることも示された。さらに、テトラサイクリンにより引き起こされるリボソームの状態変化により、低温応答遺伝子の転写産物量が高温においても増加することが示された。リボソームは、低温においてその構造が不安定化することが知られており、リボソームの状態変化が低温応答遺伝子の発現を調節している可能性が示唆された。

シアノバクテリアSynechocystis PCC 6803において、2成分制御系が低温シグナルの伝達に働くことが示されている。しかし、マイクロアレイ解析により、そのほかにも低温シグナルの伝達系が存在していることが示唆されていた。本研究では、低温の影響を光化学系の酸化還元状態の影響から分離することで、生育温度の低下に応答して転写産物量が増加する遺伝子を同定した。そして、その発現調節解析により、シアノバクテリアにリボソームの状態変化を介したもう一つの低温シグナル伝達系が存在することを示した。

なお、本論文の第2章、第3章、第4章は、佐藤直樹、大森正之との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析及び検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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