学位論文要旨



No 118903
著者(漢字) 遠藤,博寿
著者(英字)
著者(カナ) エンドウ,ヒロトシ
標題(和) 甲殻類外骨格における石灰化の分子生物学的解析
標題(洋) Molecular analysis of calcification in the crustacean exoskeleton
報告番号 118903
報告番号 甲18903
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4556号
研究科 理学系研究科
専攻 生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 渡邉,俊樹
 東京大学 教授 竹井,祥郎
 東京大学 教授 久保,健雄
 東京大学 助教授 小暮,敏博
 東京大学 助教授 藤原,晴彦
内容要旨 要旨を表示する

序説

脊椎動物の骨や貝殻等の硬組織における無機カルシウム結晶の沈着は石灰化と呼ばれ、動物界において広く見られる現象である。その分子機構の詳細は明らかになっていない部分が多いが、近年、硬組織の有機基質に含まれるタンパク質などの高分子が石灰化の過程に関与していることを示唆する報告が増えつつある。本研究では、甲殻類の外骨格における石灰化の分子機構を解析するため、クルマエビを用いて、石灰化に関与するタンパク質の同定及び解析を行うことを目的とした。

クルマエビの外骨格の石灰化は、脱皮の後の限られた時期(脱皮後期)に特異的に起こる。そのため、脱皮後期にのみ特異的に発現している遺伝子のうちのいくつかは、石灰化の過程に関与していると予測される。そこで、本研究に先立ち、当研究室のWatanabeらはDifferential Display法およびノザン解析を用いて、この時期にのみ特異的に発現するmRNAを4種類同定した。その内の一つである遺伝子crustocalcin(CCN)は、542残基のアミノ酸をコードするORFを含んでいた。しかし、のちに述べるWestern blot解析の結果(第三部)から、この遺伝子のORFはさらに5'側に続いていることが予測された。そこで、私は5'RACE法を用いてこの遺伝子の未知領域を同定することから研究を開始した。

CCNの配列解析

5'RACEの結果から、CCNの5'側にはさらに289残基のアミノ酸をコードするORFが存在することがわかった。その結果、この遺伝子は、831残基から成るタンパク質をコードしていることが明らかになった(Fig. 1)。同遺伝子にコードされるタンパク質(CCNと命名)は、N末にシグナルペプチドと予想される配列をもち、推定される分子質量及び等電点はそれぞれ約86kDa, 3.7であった。シグナルペプチドの下流には、R-R-like sequenceと名付けたキチン結合に関与する可能性のある配列が存在した。さらにその下流にはE-rich regionと名付けた121残基から成る領域があり、この部分は約48%がグルタミン酸(E)であるという特殊な一次構造を有していた。このようにグルタミン酸に富む配列は、脊椎動物の骨に含まれるbone sialoprotein(BSP)というタンパク質においても見られる。さらに、このBSPに含まれるグルタミン酸に富む領域は、リン酸カルシウムの結晶核形成を促進することが確認されている。このことから、CCNのE-rich regionも外骨格の石灰化において結晶核形成に関与している可能性が考えられた。また、C末側の約2/3を占める部分はプロリン(P)を始めとする疎水性の残基に富んでいた。この領域(P-rich regionと命名)はショウジョウバエのCa2+結合タンパク質であるカルフォチンとアミノ酸組成および配列において類似が見られた。カルフォチンは、視細胞中において、カルシウムの貯蔵や輸送に関与していると考えられている。そのため、CCNのP-rich regionも、外骨格の石灰化において、同様な役割を果たしている可能性が示唆された。

私は、これらの配列解析の結果を受け、さらにこの遺伝子の発現およびタンパク質の分布について解析を進めた。

CCNの発現解析

クルマエビの外骨格は、上クチクラ、外クチクラ、内クチクラの3層に分かれており、さらにその内側には上皮細胞が存在する(Fig. 2)。in situ hybridizationを用いて遺伝子CCNの発現細胞を検出した結果、発現はクチクラ直下の上皮細胞においてのみ確認された(Fig. 2-1)。これらの細胞は、クチクラ中に有機基質やタンパク質を分泌し、外骨格の形成に関与している。この結果およびCCNがシグナルペプチドを有することから、同タンパク質は上皮細胞で生成され外骨格中に分泌されることが予想された。そこで、外骨格中から抽出したタンパク質を用いて、Western blot解析を行った。その結果、約165 kDaのバンドが検出された。この値は配列解析から得られた理論値(約86 kDa)を大きく上回る。しかし、CCNにはリン酸化等の修飾を受ける可能性がある箇所が多く含まれること、また、pIの低いタンパク質はSDS-PAGE上では移動速度が低くなる傾向があることから、理論値と見かけの分子量に相違が生じたと考えられる。

次に、免疫組織化学によりCCNの分布を調べると同時に、硝酸銀染色を用いて外骨格の石灰化領域の詳細を調べ、タンパク質の分布領域との比較を行った(Fig. 2-2,3)。下記模式図に示したように、上クチクラには顕著な石灰化は見られなかったが、外クチクラのほぼ全領域および内クチクラの中央の一部に強い石灰化が確認された。また、CCNの分布は内クチクラの石灰化領域とほぼ一致していた。そのため、このタンパク質は、内クチクラの中央の一部の石灰化に関与している可能性が示唆された。しかしながら、CCNの石灰化への関与が促進的なものであるのか、抑制的なものであるのかは不明であったため、RT-PCRを用いて脱皮後期における石灰化の進捗と遺伝子の発現時期との関係について調べた。その結果、遺伝子CCNは、内クチクラの石灰化が起こる前である、脱皮後2時間以内にすでに発現が始まっていることがわかった。この結果から、CCNは石灰化の過程に促進的に関与していることが示唆された。

CCNの機能解析

上記の配列解析および発現解析の結果を受け、私はさらにCCNの機能解析を行うこととした。しかし、このタンパク質は、Western blotのシグナルが比較的弱いことから、外骨格中に少量しか存在しないこと、また、配列解析の結果から、不溶性画分に多く含まれることが推測されたため、生体内から十分量のタンパク質を単離/精製することは困難であると予想された。そこで、以下の解析にはいずれも大腸菌で発現させたCCNタンパク質のフラグメントを用いた。

まず、CCNがCa2+と相互作用する可能性を調べるため、以下の方法でCa2+結合能を調べた。CCNを6つのフラグメント(Fig.1下部)に分けて発現させた後、SDS-PAGEを用いて大腸菌由来のタンパク質から分離した。さらにそれらをPVDF膜に転写し、45Ca2+を含むバッファ中でインキュベートし、膜上のタンパクに結合した45Ca2+の放射線を測定した。その結果、3つのフラグメント(Fragment 2,3, および5)にCa2+結合能が確認された(Fig.1下部)。

次に、Ca2+とHCO3-を含む溶液中でのCCNの機能について調べた。現時点では、CCNが生体内において溶解した状態で存在するのか、それともキチン等の不溶性の基質に結合した状態で存在するのかは不明であるため、両方の可能性を想定し、次の二通りの実験を行った。

pH-drop assay:Ca2+とHCO3-を含む溶液中でCaCO3が形成されるとpHが低下する。このことを利用し、この溶液中にCCNの2つのCa2+結合フラグメント(Fragment 2,3)を溶解させ、pH低下に対する影響を調べたところ、E-rich regionを含む領域(Fragment 2)に顕著なpH低下抑制能(結晶成長抑制能)が確認された。

in vitro nucleation assay:Fragment 2および3をマノレトース結合タンパク質(MBP)との融合タンパクとして発現させた後、アミロースビーズに結合した状態のままCa2+とHCO3-含む溶液中でインキュベートし、ビーズ上に形成された結晶をSEMで観察した。また、対照実験としてはMBPとlaczの融合タンパクを用いた。ビーズ上に形成された結晶の数をカウントし、ビーズに結合したタンパク質の量で標準化した結果、CCNの二つのフラグメントの存在下で形成された結晶の数はコントロールよりも有意に多いという結果が得られた。

(1)と(2)の結果により、CCNは溶液に溶解している状態と基質に固定された状態とで結晶形成に関して全く相反する働きをすることが示された。では、CCNは生体内中ではどのような状態で存在しているのであろうか?このことを直接的に示すデータは現在のところ得られていないが、(1)CCNのC末側2/3の部分は疎水性アミノ酸を多く含むこと、(2)キチン結合に関与する可能性のある領域(R-R-like sequence)を含むことから、生体内(外骨格内)において、CCNは不溶性の基質に結合した状態で存在していると考えられる。よって、CCNは生体内においては結晶形成を促進していると推測される。

総括

以上に述べた結果から、私はCCNの石灰化への関与に関して次のようなモデルを考えている。脱皮直後に遺伝子CCNは上皮細胞において発現され(第二部参照)、翻訳されたタンパク質は外骨格中へ分泌され、内クチクラへと移動する(第三部参照)。そして、キチンを主成分とする不溶性の基質に結合し、固定された状態でCaCO3の結晶形成を誘導する(第四章参照)。本研究で得られた様々な結果はいずれも以上のモデルを支持している。

CCNタンパク質の推定一時構造の模式図 数字は各領域の境界部分のアミノ酸数を示す。また、模式図下部にはCa2+結合領域(第四部参照)が+で示してある。

in situ hybridization, 免疫組織化学、及び硝酸銀染色の結果模式図 各々の方法でシグナルおよび染色が見られた部分はグレイで示してある。1:in situ hybridization: 上皮細胞でのみ発現が見られた。2: 免疫組織化学:CCNは内クチクラの一部にのみ局在していた。3: 硝酸銀染色:外クチクラは全域に、また内クチクラは一部にのみ染色が見られた。(EP,上クチクラ;EX, 外クチクラ;EN, 内クチクラ;EC, 上皮細胞)

in vitro nucleation assay, アミロースビーズ上に形成されたCaCO3結晶の電子顕微鏡写真 CaCO3結晶は矢印で示してある。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、甲殻類の外骨格に存在するcrustocalcin (CCN)というタンパク質の構造、発現および機能の研究に関して述べたものである。本論文は5章からなり、まず第一章では関連分野の従来の研究の状況および本研究の目的について述べられている。第二章はCCNの一次構造、第三章はCCNの発現の組織および時期特異性、第四章は炭酸カルシウム結晶形成におけるCCNの機能についての解析に関して述べられている。最後の第五章では、第二〜四章で述べられた諸結果に関する総合的な考察と今後の研究に関する展望が論じられている。

骨や貝殻など、石灰化した硬組織は脊椎動物・無脊椎動物を問わず広く見られるが、それらにおけるCa結晶形成の制御の分子機構に関する研究例は従来少なかった。とりわけ、無脊椎動物の硬組織でのCaCO3結晶形成の制御に関与する分子に関する知見は乏しく、貝類の外骨格(貝殻)に含まれるタンパク質がCaCO3結晶形成を促進するという報告はあったが、甲殻類を含む他の動物種では同様の機能を持つ分子は同定されていなかった。

論文提出者は甲殻類クルマエビの外骨格に含まれるCCNというタンパク質に着目し、その構造、機能、発現に関する研究を行った。まず、CCNのcDNAクローニングを行ってCCNの一次構造を明らかにし、一部に脊椎動物の骨に含まれるタンパク質と類似の配列が見られるものの全体としては新奇な配列を持つタンパク質であることを示した(第一章)。次に、CCNのmRNAの発現について調べ、外骨格に隣接する上皮細胞において石灰化に先立つ時期に発現が見られることを示した。また、免疫組織化学的解析を行い、CCNが外骨格の強く石灰化した部分に存在することを示した(第二章)。論文提出者は、CCNが石灰化を調節する能力を持つかどうかを直接調べるために、新たにin vitroでの核形成実験系を構築し、CCNはCaCO3結晶の形成を促進すること、またその関与は結晶核形成のステップで起こっていることを示した(第三章)。

上に述べたように、CaCO3結晶の形成を促進する分子に関する報告は少数であり(軟体動物で2例)、甲殻類では同様の分子に関する報告は従来無かった。また、論文提出者がin vitroでCCNの機能を調べるために用いた解析手法はオリジナルなものである。よって、本論文に述べられている内容は、研究結果の点でも用いた研究手法の点でも、学位論文として十分なオリジナリティーを有するものと考えられる。

なお、本論文第二章は、渡邉俊樹、Petra Perssonとの共同研究であるが、論文提出者が主体となって研究を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、博士(理学)の学位を授与できるとみとめる

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