学位論文要旨



No 118905
著者(漢字) 小西,美稲子
著者(英字)
著者(カナ) コニシ,ミネコ
標題(和) シロイヌナズナの新奇温度感受性突然変異体を用いた不定根形成の遺伝学的解析
標題(洋) Genetic analysis of adventitious root formation with a novel series of temperature-sensitive mutants of Arabidopsis thaliana
報告番号 118905
報告番号 甲18905
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4558号
研究科 理学系研究科
専攻 生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 杉山,宗隆
 東京大学 教授 中野,明彦
 東京大学 助教授 川口,正代司
 東京大学 教授 米田,好文
 東京大学 助教授 梅田,正明
内容要旨 要旨を表示する

序論

シロイヌナズナの胚軸をオーキシンを含む培地で培養すると不定根を生ずる。この現象は一見単純であるが、植物の発生・成長過程の様々な要素を内包しており、植物の形態形成機構の解明にとって非常に有用な実験系を提供する。不定根形成では、まず中心柱の細胞が脱分化し、その後は側根形成とほぼ同じ過程をたどる。中心柱の細胞が分裂を開始し、根の原基をつくる。原基の中に根端分裂組織の形が作られ、根は胚軸から出現する。その後、根端分裂組織が活性化され、根は自律的に成長するようになる。側根形成と比較すると、この不定根形成は、出発点が揃っており、初発段階が比較的同調している、投与したオーキシンにほぼ完全に依拠する、根の形成に向かう運命の決定が新たに起こる、などの特長を有する。本研究ではこのような利点を踏まえ、植物の形態形成(特に根形成)の基盤について新たな知見を得ることを目的に、シロイヌナズナの新奇温度感受性突然変異体を用いた不定根形成過程の解析を行った。

結果と考察

不定根形成に関わる新奇温度感受性突然変異体群の解析

まず、当研究室で選抜されていた多数のシロイヌナズナ温度感受性突然変異系統から、不定根形成に関して明瞭で安定した表現型を示すものの再選抜を行った。得られた10系統の変異体について相補性検定と染色体マッピングを行い、これらの系統における不定根形成の温度感受性が9つの遺伝子座の変異によることを明らかにした。これらの突然変異体の胚軸外植片は、許容温度である22℃ではほぼ正常に不定根を形成したが、制限温度である28℃では、まったくあるいはまれにしか不定根を形成しない、短い異常な形態の不定根を形成する等の異常を示した。制限温度下における不定根形成の表現型の特徴から、9つの変異体をおおまかに3つに分類して命名した。各グループの表現型は次の通りである。最初のグループ (root initiation defective 1〜5; rid1〜5) では、不定根形成のごく初期の段階、細胞増殖再開前後に変異の影響が見られた。2つめの root primordium defective 1 (rpd1) では、不定根原基の発達が途中で停止し、その後長期間培養しても、根端分裂組織の形成が起こらなかった。3つめのグループ (root growth defective 1〜3; rgd1〜3) では、根端分裂組織の形成・活性化までの過程は正常に進行したが、その後の成長が抑制されていると考えられた。

次に、脱分化や細胞増殖そのものに対する変異の影響を形態形成と切り離して把えるために、胚軸および根外植片からのカルス形成の温度感受性を調べた。rid1の場合、胚軸のカルス化は28℃で完全に阻害されたが、根外植片のカルス化はほとんど影響を受けなかった。この結果は、RID1遺伝子が、胚軸脱分化過程における細胞増殖能の獲得段階で機能していることを示唆している。rid2では、胚軸からのカルス化が強い温度感受性を示したのに対し、根のカルス化の感受性は部分的であった。すなわち、28℃では通常外植片全体に亘って連続的に起こるカルス化が断続的となり、カルス化しない領域が見られた。これは、培養開始時にすでに存在していた側根原基はカルス化したが、それ以外の領域の分裂を停止していた内鞘細胞からはカルス形成が起こらなかったためと考えられ、RID2は細胞分裂が再開する過程で必要とされると推測された。rpd1、rgd1、rgd2の場合は、28℃でのカルス化の抑制が胚軸と根外植片の両方で観察された。rgd3ではカルス化は正常であった。以上の結果から、RPD1、RGD1、RGD2は、不定根の発達・成長とカルス形成の両方に関わる、おそらく細胞増殖に関連した過程に、RGD3は基本的な細胞増殖ではなく、器官としての根の成長に働くことが推定された。

rid1、rid2では、主根断片を28℃で培養して側根を誘導した際に、側根の形態形成に異常が見られた。特にrid1では、側根原基が根端分裂組織を確立できずに異常な細胞増殖を続け、巨大な細胞塊を形成した。したがって、RID1は根端分裂組織の正常な形成にも必要であると考えられた。

rid5の原因遺伝子の同定

rid5は不定根形成において細胞増殖開始が温度感受性を示すが、胚軸外植片によるばらつきが大きく、28℃では全く細胞増殖の兆しもないもの、発根が著しく遅れるもののほかにほぼ正常に発根するものもあった。そもそも不定根形成開始はオーキシン濃度に影響され、野生型においても低濃度オーキシン下で不定根を誘導した場合にはこのような現象が見られる。そこでオーキシン濃度が発根率に与える影響を調べた結果、rid5の発根に関わるオーキシン感受性が28℃で低下することが分かった。カルス形成に関しても同様の傾向が認められた。このことは、オーキシンのシグナル伝達から細胞増殖開始に至る経路の途中で、RID5が機能していることを示唆している。一方、28℃で育てたrid5の芽生えは、根が左方向へ成長し、表皮細胞列が左巻きにねじれるなど、表層微小管が不安定化したときに特徴的に見られる表現型を示した。また、微小管重合阻害剤プロピザミドが不定根形成に与える影響を調べたところ、rid5の発根の薬剤感受性が高くなっていた。以上から、rid5の2つの表現型が、ともに微小管に関連したものであることが強く示唆された。

染色体マッピングの結果、RID5は第2染色体の69cM付近に位置付けられた。この領域には微小管結合タンパク質をコードするMOR1遺伝子が存在する。そこで、両者の関係を知るために、rid5とmor1-1の間で相補性検定を行った。不定根形成、芽生えの表現型、どちらについても相補が見られず、rid5はMOR1の突然変異アリルであることが明らかになった。rid5変異はMOR1の96番目のシステイン残基をチロシンに置換するものであり、おそらくmor1変異と同様にHEATリピートの機能に影響していると推測された。rid5のオーキシン応答に関わる表現型を考え合わせると、この結果はMOR1のHEATリピートが関与するような微小管系の制御がオーキシンによる細胞増殖活性化に必要であることを示唆しており、大変興味深い。

rpd1の解析と原因遺伝子の単離

制限温度下で不定根原基の発達が停止する変異体、rpd1について詳細な表現型解析と原因遺伝子の単離を行った。胚軸外植片から不定根ないしカルス形成を誘導し、4日目に観察したところ、どちらの場合も28℃で細胞増殖の抑制が見られた。不定根誘導開始後、経時的に観察すると、28℃でも2日目までは野生型と同様に細胞増殖が再開・進行したが、3日目に不定根原基が発達する段階になって明らかな増殖の抑制が認められた。オーキシン応答性レポーターDR5::GUSおよび内皮細胞列のマーカーEnd199の不定根形成過程における発現を調べたところ、いずれも発現のタイミングはrpd1変異に影響されず、不定根形成初期の細胞分化や極性軸の決定にはRPD1は重要でないと判断した。次にrpd1を用いた温度シフト実験により、不定根形成過程でRPD1の機能する時期を推定した。その結果、RPD1は不定根誘導後2〜3日間に不定根形成に必要な働きを終えると推測された。また、同様の温度シフト実験により、カルス形成の場合はRPD1は4日目以前、以降の両方の時期に必要とされることが分かった。以上からRPD1は、不定根原基の発達段階とカルスの発達・成長の両方において、細胞増殖の維持に関わっていると考えられた。

染色体マッピング・塩基配列解析の結果、アレリックな2つの変異体がともにAt4g33495にアミノ酸置換をもたらす変異を有することが分かった。この遺伝子を含む野生型のゲノム断片をrpd1-1に導入して相補能を確認し、At4g33495がRPD1であると結論した。RPD1は新奇のタンパク質をコードしており、機能既知の遺伝子との相同性は見つからなかった。RPD1様配列は動物や菌類のデータベースには全く見出されないが、植物の各種ESTには散見される。またシロイヌナズナのゲノム中には他に13個の類似遺伝子が存在することから、RPD1は植物に特有の遺伝子ファミリーの一員であると考えられる。

まとめと展望

不定根形成に関わるシロイヌナズナの新奇温度感受性突然変異体9種について解析を行い、各変異体の原因遺伝子の機能を推定した。

不定根形成やカルス形成におけるオーキシン要求性の上昇をもたらすrid5変異が、微小管結合タンパク質をコードする遺伝子MOR1の新しい変異アリルであることを明らかにした。これにより、オーキシン情報伝達から細胞増殖再活性化に至る経路に微小管系が関与する可能性を示した。

不定根原基の発達が抑制される変異体rpd1の表現型解析を行い、原基的な細胞増殖の維持に原因遺伝子RPD1が関与していることを示した。RPD1を単離して、植物に特有の新奇タンパク質をコードしていることを明らかにした。

本研究で得られた結果を総合すると、各遺伝子の働きと不定根形成およびカルス形成の素過程との関係は図1のようにまとめられる。今後は、全ての遺伝子の単離と、より詳細な表現型解析を進め、不定根形成の全体像を明らかにしていきたい。

不定根形成過程における各遺伝子の機能の位置付け 胚軸外植片は培養開始時には細胞増殖能がなく、培養開始後、細胞増殖能を獲得する。ここでRID1が働く。一方、根外植片は、もともと増殖能を持っており、増殖能を獲得した胚軸外植片と同等の状態である。増殖能を持った外植片は、次に細胞分裂を再開する。ここでRID2が働く。その後、細胞分裂が繰り返されて不定根原基(CIM培養の場合はカルス)が発達する。RPD1はここで必要とされる。不定根の根端分裂組織が確立する過程でRID1が再び働く。RGD3は成熟した不定根が成長を続けるのに必要である。RGD1、RGD2は不定根とカルスの両方の成長に関与している。MOR1 (RID5) は胚軸外植片が、オーキシンに応答して細胞増殖を開始する過程において、微小管の制御という形で働いていると考えられる。なお、当研究室で解析が進められているSRD2の作用点は、RID1の作用点とほぼ一致する。

審査要旨 要旨を表示する

本論文の主要部分は3章からなり、第1章には新たに確立した不定根形成に関わるシロイヌナズナ温度感受性突然変異体群の体系的解析が、第2章にはこれらのうち細胞増殖の再開に関してオーキシン感受性の低下を示したrid5変異体の詳細な解析が、第3章には根原基発達に異常のあるrpd1変異体の解析と責任遺伝子RPD1のクローニングがそれぞれ述べられている。また、主要部3章に先立つ序章では、研究の背景として植物の側生器官・不定器官形成に関する知見が側根形成を中心にまとめられており、これと関連づけて研究の意義と目的が記されている。研究全体を統括した総合考察と展望は、3章とは別に終章として記述されている。

本研究では、自ら単離・確立した、9種10系統ものシロイヌナズナの温度感受性突然変異体を駆使して、不定根形成を中心に細胞増殖および形態形成の分子遺伝学的解析を実行している。これによって不定根形成過程の遺伝学的解剖を行い、細胞増殖能の獲得、細胞周期への再進入、細胞分裂活性の維持を弁別するなどの成果を上げている。特異な表現型を示したrid5変異体、rpd1変異体については、さらに詳細な解析を行い、責任遺伝子を同定している。rid5の解析では、表層微小管系とオーキシン情報伝達の関連が示されているが、これは本研究の中でも特筆すべき成果と言える。rpd1の解析では、原基に特徴的な速い細胞分裂が頂端分裂組織における細胞分裂とは異質である可能性を示したほか、植物に特有の新遺伝子ファミリーとしてRPD1とその関連遺伝子を提起している。研究全体を通して得られた結果は質・量ともに膨大であり、不定根形成の各素過程といろいろな遺伝子機能を結びつけることに成功しているだけでなく、植物の細胞増殖制御、オーキシン応答機構、器官形成機構に関し重要な新情報をもたらしている。

本論文は、これらの研究成果をわかりやすい図表と正確かつ明快な英文で記述している。実験結果についての考察では、精緻な論理展開により仮説が検証され、合理的な結論が導かれている。また、当該分野の文献は、過不足なく適切に引用されている。

なお、本論文に記載された研究は、主査である杉山宗隆(東京大学大学院理学系研究科助教授)との共同研究であるが、論文提出者が主体となって実験および論証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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