学位論文要旨



No 118907
著者(漢字) 宮澤,清太
著者(英字)
著者(カナ) ミヤザワ,セイタ
標題(和) 尾索動物ホヤ原始補体系の効果機構と活性調節
標題(洋) Effector Mechanisms and Regulatory Components of the Primitive Complement System of Ascidians
報告番号 118907
報告番号 甲18907
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4560号
研究科 理学系研究科
専攻 生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 野中,勝
 東京大学 教授 田嶋,文生
 東京大学 助教授 野崎,久義
 東京大学 講師 上島,励
 東海大学 教授 松下,操
内容要旨 要旨を表示する

補体系は高等脊椎動物において特に感染初期の生体防御に重要な役割を担う自然免疫機構の1つである。哺乳類の補体系は30種以上の因子よりなる複雑なシステムであり、そこでの反応は、非自己である外来病原菌の認識、中心因子C3の活性化と外来異物表面への共有結合、およびそれに続く溶菌作用や貪食促進などの効果機構に大きく分けられる。近年の分子生物学的研究によって、中心因子C3、およびC3活性化経路の複数の因子が棘皮動物のウニや尾索動物のホヤにも存在していることが遺伝子レベルで明らかとなり、補体系が新口動物の進化の初期段階において既に存在していたということが示唆された。高等脊椎動物に見られる獲得免疫のシステムは軟骨魚類の分岐以降に出現したと考えられることから、これらの無脊椎動物および下等脊椎動物において、補体系を始めとする自然免疫が生物個体の生存に果たしてきた役割は小さくないと考えられる。しかしながら、そのような原始補体系の機構、とくに効果機構の詳細については、これまでのところほとんど知見が得られていない。これら原始補体系の機構を解明することは、高等脊椎動物へつづく補体系の進化過程を明らかにする上でも重要である。また、哺乳類の補体系においては、その強力な潜在的攻撃力が誤った活性化によって自己組織の損傷へ向かうことを防ぐため、さまざまな補体制御因子が存在し、厳密かつ適正な活性化の制御に働いている。このような「安全装置」が、いつ、どのような形で獲得されたかという問題も、免疫系の進化を考える上で興味深い。本論文では、脊索動物の中でも進化的に興味深い位置を占める尾索動物のホヤを材料とし、その原始補体系の効果機構と活性調節に関して研究を行った。

ホヤ体腔液補体成分の溶血活性の検討

哺乳類補体系においては、構造的に類似したC5からC9までの一群の後期因子が存在する。これらはC3の異物表面への結合に引き続いて病原菌細胞膜上で重合し、膜障害複合体を形成して細胞を破壊する(溶菌作用)。その活性はウサギ・ヒツジ等の赤血球を異物として用いた溶血活性として示され、これは哺乳類補体系の主要な活性測定系である。ホヤ補体系の溶血活性について検討するため、非感作ウサギ赤血球を用いてマボヤ体腔液の溶血活性を測定した。ヒト血清の第二経路による溶血活性と比較したところ、約20%程度と弱いながらも、溶血活性が認められた。しかしながらこのマボヤ体腔液の溶血活性は、熱処理による補体成分の失活や、抗ホヤC3抗体を用いたC3の吸収によっても阻害されなかったことから、補体には依存しない独立の機構によるものであることが明らかとなった。

ホヤインテグリンαサブユニット遺伝子の単離と機能解析

哺乳類補体系において溶菌作用とともに重要な効果機構が、マクロファージ等の貪食細胞上に存在する補体受容体を介した貪食促進活性である。ホヤ血球細胞上でこの貪食作用を担う分子の同定を目的として、細胞接着分子インテグリンファミリーに属する補体受容体遺伝子の単離およびその機能解析を行った。インテグリンはそれぞれ独立な遺伝子がコードするαとβの2つのサブユニットから構成される膜受容体であるが、ここではまずαサブユニットについて解析した。他種動物インテグリン配列をもとにした相同性PCRによりマボヤ血球RNAから2種類のインテグリンαサブユニット遺伝子を単離し、全長配列を決定した。うち1種(αHr1)は、哺乳類以外の動物から発見されたインテグリンとしては初めてIドメイン(VWAドメイン)と呼ばれる挿入配列を持つものであり、分子系統樹から、哺乳類補体受容体CR3/CR4のαサブユニットを含むIドメイン含有インテグリンα遺伝子のグループの中で最も古く分岐したものであることが明らかとなった。マボヤαHr1 mRNAは血球特異的に発現しており、組換えタンパク質に対して作成した抗αHr1抗体を用いた免疫染色によっても、αHr1サブユニットがマボヤ血球部分集団の細胞膜上に発現していることが観察された。さらに酵母を用いてマボヤ血球の貪食活性を測定したところ、マボヤ体腔液処理によって見られる補体依存性の貪食促進活性が抗αHr1抗体で阻害されることが明らかとなった。これらの結果から、マボヤインテグリンαHr1サブユニットがホヤ血球上で哺乳類のCR3/CR4に相当する補体受容体分子を形成していることが示唆された。

ホヤインテグリンβサブユニット遺伝子の単離と機能解析

続いて、このマボヤαHr1と結合してホヤ補体受容体を形成し得るインテグリンβサブユニットを同定するため、マボヤ血球から相同性PCRによってインテグリンβサブユニット遺伝子2種(βHr1,βHr2)を単離し、全長配列を決定した。分子系統樹から、αサブユニットの場合と異なり、ほとんどの脊椎動物βサブユニットは脊椎動物のみでクラスターを形成し、無脊椎動物のβサブユニットはその外側に位置することが明らかとなった。マボヤβHr1,βHr2サブユニットはゲノム配列から推定されたカタユウレイボヤβサブユニットと1つのクラスターを形成したため、これらβサブユニット遺伝子はホヤの系統で独自に起こった遺伝子重複の結果生じた特殊なものであることが示唆された。一方カタユウレイボヤゲノム配列中にはさらに2種のインテグリンβサブユニット遺伝子が存在しており、うち1種はウニβとともに無脊椎動物における一般的なβサブユニットのグループに属することが明らかとなった。マボヤβHr1,βHr2 mRNAはともにマボヤ血球に特異的な発現が見られた。組換えバキュロウイルスを作成して昆虫細胞上でマボヤαβサブユニットを共発現させ、抗αHr1抗体を用いた免疫沈降を行ったところ、βHr1,βHr2とも昆虫細胞上でαHr1と結合していることが明らかとなった。さらに、組換えタンパク質に対して作成した抗βHr1抗体を用いてマボヤ血球の免疫沈降を行ったところ、αサブユニットと見られるタンパク質がβHr1サブユニットと共沈した。抗αHr1抗体を用いたウェスタンブロットにより、このαサブユニットがαHr1であることを確認した。抗βHr1抗体を用いた免疫染色により、βHr1サブユニットはマボヤ血球のうち、Phago-amoebocyte, Fusogenic phagocyte, Vacuolated cell等の貪食活性をもつとされる細胞上に発現していることが明らかとなった。これらの観察と第二部の結果から、マボヤ血球上でαHr1βHr1インテグリンが補体受容体として機能していることが示された。このことは、原始補体系において既にC3依存性の異物貪食促進作用が存在していたことを示唆するものである。

ホヤ補体制御因子候補遺伝子の探索

ホヤ原始補体系において活性調節に関わると考えられる因子を探索するため、哺乳類補体制御因子群に共通に見られる特徴的な構造であるSCR (Short Consensus Repeat) を指標として、相同性PCRを用いたマボヤSCR含有遺伝子の増幅を試みた。また、マボヤ受精卵ESTデータベース(MAGESTデータベース)およびカタユウレイボヤESTデータベースに対してBLAST検索を行い、SCR様配列を持つクローンの探索を行った。さらに、マボヤ肝膵臓ESTライブラリを作成し、約1200クローンについて5'側領域の配列を解析して、補体制御因子遺伝子の探索を行った。これらの結果、マボヤからSCR配列を持つ3つの新規遺伝子(HrSCR-1,-2,-3)を同定した。マボヤSCR因子はそれぞれ5個、9個、1個のSCRを持ち、HrSCR-1にはC末端側に膜貫通領域と約380アミノ酸からなる細胞内領域が存在した。また、HrSCR-2はCタイプレクチン様領域を、HrSCR-3はSCRを挟む2つのEGF様配列とC末の膜貫通領域を持っていた。RT-PCRを用いた発現解析によりHrSCR-1遺伝子はすべての組織で発現が確認されたが、HrSCR-3遺伝子は鰓嚢、消化腺、生殖腺でのみ発現が見られ、HrSCR-2遺伝子は肝膵臓、生殖腺に弱い発現が見られた。HrSCR-1は、哺乳類のDAF、MCPや近年同定されたニワトリの補体制御因子Crempなどと構造上の類似性を持ち、すべての組織で発現が見られる膜タンパク質であることから、マボヤ各組織の細胞表面で補体活性化の制御を担っている可能性が高いものと考えられる。この他、カタユウレイボヤからも19個のSCRよりなるFactor H様因子を見出した。さらにマボヤからはSCRを含まない別の補体制御因子とされるClusterin遺伝子を単離した。Clusterinはこれまで脊椎動物でのみ発見されている糖タンパク質であり、その正確な機能については未知の部分が多い。脊椎動物のClusterinはさまざまな組織で発現していることが知られているが、マボヤClusterin遺伝子は鰓嚢で顕著な発現が見られた。これらホヤ補体制御因子と推定される因子の機能についてはより詳細な解析が必要であるが、ホヤ原始補体系においても哺乳類と同様の機構によって補体活性の調節が行われている可能性は極めて高いものと考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は4章からなり、第1章はホヤ体腔液の溶血活性の検討、第2章および第3章は補体受容体候補としてのホヤインテグリンα・β両サブユニット遺伝子の同定と機能解析、第4章はホヤ原始補体系活性制御因子の候補遺伝子の同定について述べられている。

補体系は感染の初期段階で特に重要な生体防御反応を行う自然免疫系の1つであるが、近年の研究により、獲得免疫を持たない下等脊椎動物および無脊椎動物においても補体活性化経路の複数の因子が存在することが示されている。しかし、現在までのところ原始補体系の効果機構についてはほとんど明らかになっていない。本研究は、尾索動物ホヤの原始補体系を対象として、その効果機構および活性調節機構について解析することを目的として行われた。

第1章では、哺乳類補体系において重要な効果機構の1つである溶血活性が、ホヤ体腔液中にも存在するかどうかについての検討が行われた。非感作ウサギ赤血球を用いた溶血活性測定によって、マボヤ体腔液にも濃度依存的な溶血活性が存在することが示されたが、この活性はヒト血清の補体第二経路による溶血活性に比較し約20%と弱いものであった。また、このマボヤ体腔液の溶血活性は熱処理による補体成分の失活や抗ホヤC3抗体を用いたC3の吸収によっても阻害されなかったことから、補体とは独立の機構によるものであることが示された。

第2章では、ホヤ補体受容体の同定を目的として、マボヤインテグリンαサブユニット遺伝子の単離と機能解析が行われた。マボヤ血球RNAから相同性PCRにより2種類のインテグリンαサブユニット遺伝子が単離され、全長配列が決定された。うち1種 (αHr1) は、哺乳類以外の動物から発見されたインテグリンとしては初めてIドメイン(VWAドメイン)と呼ばれる挿入配列を持つものであり、分子系統樹から、哺乳類補体受容体CR3/CR4のαサブユニットを含むIドメイン含有インテグリンα遺伝子のグループの中で最も古く分岐したものであることが明らかとなった。マボヤαHr1 mRNAは血球特異的に発現しており、組換えタンパク質に対して作成された抗αHr1抗体を用いた免疫染色によっても、αHr1サブユニットがマボヤ血球部分集団の細胞膜上に発現していることが観察された。酵母を用いたマボヤ血球の貪食活性測定により、補体依存性の貪食促進活性のみが抗αHr1抗体で阻害されることが明らかとなった。これらの結果から、マボヤインテグリンαHr1サブユニットがホヤ血球上で哺乳類のCR3/CR4に相当する補体受容体分子を形成していることが示唆された。

第3章では、マボヤαHr1と結合してホヤ補体受容体を形成するインテグリンβサブユニットの同定が行われた。マボヤ血球から相同性PCRによってインテグリンβサブユニット遺伝子2種 (βHr1,βHr2) が単離され、全長配列が決定された。分子系統樹から、αサブユニットの場合と異なり、ホヤβサブユニット遺伝子はホヤの系統で独自に起こった遺伝子重複の結果生じた特殊なものであることが示された。マボヤβHr1,βHr2 mRNAはともにマボヤ血球に特異的な発現が見られた。免疫沈降により、昆虫細胞発現系ではβHr1,βHr2サブユニットがともにαHr1と結合し得ること、またマボヤ血球上ではβHr1とαHr1が結合していることが明らかにされた。抗βHr1抗体を用いた免疫染色により、βHr1サブユニットはマボヤ血球のうち、貪食活性をもつとされる細胞上に発現していることが明らかとなった。これらの観察と第2章の結果から、マボヤ血球上でαHr1βHr1インテグリンが補体受容体として機能していることが示された。このことは、原始補体系において既にC3依存性の異物貪食促進作用が存在し、有効な効果機構として機能していたことを示すものである。

第4章では、ホヤ原始補体系の活性調節に関与する因子の探索が行われた。マボヤ肝膵臓より作成されたESTライブラリの約1200クローンについて5'側領域の配列解析が行われ、補体制御因子遺伝子の網羅的探索が試みられた。この結果、マボヤClusterin遺伝子が単離された。Clusterinはこれまで脊椎動物でのみ発見されている糖タンパク質であり、哺乳類補体系では後期経路の制御にも関わることが示唆されている。脊椎動物のClusterinはさまざまな組織で発現していることが知られているが、マボヤClusterin遺伝子は鰓嚢での顕著な発現が確認された。さらに、哺乳類補体制御因子群に共通に見られる特徴的な構造であるSCR (Short Consensus Repeat)を指標としたBLAST検索によって、マボヤ受精卵ESTデータベース(MAGESTデータベース)およびカタユウレイボヤESTデータベースからSCR様配列を持つクローンの探索が行われた。これらの結果、マボヤからSCR配列を持つ3つの新規遺伝子(HrSCR-1,-2,-3)が同定された。このうちHrSCR-1は5個のSCRと膜貫通領域を持ち、脊椎動物の膜型補体制御因子との構造上の類似性が示された。HrSCR-1遺伝子はすべての組織で発現しており、この因子がマボヤ各組織の細胞表面で補体活性化の制御を担っている可能性が示唆された。これらの結果より、ホヤ原始補体系においても哺乳類と同様の機構によって補体活性の調節が行われている可能性が極めて高いことが示された。

なお、本論文の第2章は安住薫氏および野中勝との共同研究、第3章は野中勝との共同研究であるが、論文提出者が主体となって実験および解析を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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