No | 118908 | |
著者(漢字) | ロビア,さおり | |
著者(英字) | ||
著者(カナ) | ロビア,サオリ | |
標題(和) | 鱗翅目昆虫の蛹期翅の退縮と細胞死を制御する内分泌的環境 | |
標題(洋) | Endocrinological Control of Degeneration and Programmed Cell Death in Lepidopteran Pupal Wings | |
報告番号 | 118908 | |
報告番号 | 甲18908 | |
学位授与日 | 2004.03.25 | |
学位種別 | 課程博士 | |
学位種類 | 博士(理学) | |
学位記番号 | 博理第4561号 | |
研究科 | 理学系研究科 | |
専攻 | 生物科学専攻 | |
論文審査委員 | ||
内容要旨 | 昆虫類における翅は、新たなニッチの獲得を約束し、膨大な種の形成と適応放散を可能にした進化上のホールマークといえる。翅は明らかに昆虫を利するものと思われるが、ほとんどの昆虫目で二次的に飛翔能力を失った種が数多く報告されている。鱗翅目昆虫では、翅の退縮・喪失は例外的な事象であり、無翅・短翅の種は、現在知られる15-20万種の鱗翅目のうちの1パーセントに満たない。鱗翅目昆虫においては、38上科のうち11上科、120科のうち25科において翅を欠く種が報告されている。鱗翅目の翅の喪失は幅広い科にまたがっており、特定の昆虫種やグループに限られたものではない。このことから、翅の二次的な喪失は、それぞれの種の生活史戦略の一部として環境適応的にもたらされたと考えられる。 ある種の鱗翅目昆虫のメスには翅がない。しかし、同じ種のオスの翅は、形態的にも機能的にも正常である。このようなメスのみが翅を欠損する昆虫の性的二型は、環境適応や、性戦略上重要であると考えられるが、どのようなメカニズムで生じるのかは全く不明である。私は、メスが翅を欠くアカモンドクガ (Orgyia recens) を用いて、その翅発生のメカニズムを明らかにしようと考えた。 本論文は三章からなる。第一章ではアカモンドクガ (O. recens) の蛹期の翅発生を組織学的に解析するとともに、脱皮ホルモン(エクジステロイド)の体内濃度を測定して、雌雄の翅発生過程と内分泌環境の関連を考察した。第二章ではエクジステロイドが O.recens の翅発生の雌雄差を誘導することを示し、ホルモン誘導性細胞死に対する食細胞の関与を解析した。第三章では、アカモンドクガおよびカイコの蛹期の翅退縮・細胞死の制御に幼若ホルモン (JH) が関与することを示した。 第一章「メス特異的に翅を退化させる鱗翅目昆虫-アカモンドクガの蛹期の翅発生とその性特異的なエクジステロイド濃度の変動」 鱗翅目昆虫の翅は蛹の時期に周縁部が消失し、成虫の翅が形作られる。翅の周縁部には、成虫翅の形の予定領域を示す境界構造 Bordering lacuna-BL) が存在し、BLの外側ではエクジステロイドによって細胞死がおこり、BLの内側では細胞増殖が誘導される。O. recens のオスの翅は上述したような鱗翅目昆虫特有な発生を遂げるが、メスでは蛹期初期に翅が退縮し痕跡的な翅しか生じない。そこで、O. recens の雌雄翅の性的二型がいつ、どのように生じるのか組織学的な手法で解析した。 幼虫期の翅原基は、雌雄共に正常に発達することが確認された。蛹になった直後の翅は、雌雄で全く形態に差がなく、BLが翅の縁に平行に走っていることも共通していた。蛹化して24時間後には雌雄とも形態変化は見られないが、36時間後になると、オスではBLの外側部分の細胞の密度が低くなっていたのに対して、メスの翅は表面積にして当初の20パーセント程度に基部のほうに縮んでいた。メスの退縮途中の翅組織の周縁部には、蛹化直後にみられたBLの外側の構造がまだ残っていた。O. recens のメスの翅では、「鱗翅目共通の機構である蛹期にBLの外側が細胞死する」ことと、「全体に退縮する」ことが同時に起こっていた。 鱗翅目昆虫では、蛹期のエクジステロイドが様々な組織分化を引き起こす。そこで、O. recens のメス特異的に起こる蛹期翅の細胞死にエクジステロイドが関わっている可能性を検討するため、その濃度の変動をELISA法により測定した。その結果、蛹期の雌雄で20Eの濃度変動は大きく異なり、メスでは蛹脱皮直後に急激に上昇し2日目に減少するのに対し、オスは他の鱗翅目昆虫と同様に蛹脱皮2日目から3日目にピークを迎えた。この結果は、メスでの性特異的な翅退縮にエクジステロイドが関与していることを示唆する。 第二章「アカモンドクガの雌雄の翅形成におけるエクジステロイドの作用」 性ホルモンがないとされる昆虫で性的二型がどのように形成されるのかを探る目的で、O. recens の翅形成におけるホルモンの働きに着目した。昆虫の後胚発生は主として、脱皮・変態を誘導するエクジステロイドと、現状維持に働く幼若ホルモン (JH) によって制御されている。また、第一章の結果より蛹期のエクジステロイドが雌雄差を生み出している可能性が示唆された。そこで、O. recens の雌雄の翅のエクジステロイドに対する細胞応答性が異なるのではないかと仮説をたて、培養実験を行った。 蛹化直後のメスの翅を、1μg/ml20-ヒドロキシエクジソン (20E) を含む溶液中で2日間培養すると1/5程度の大きさに退縮したが、オスでは周縁部の細胞のみが消失した。様々な濃度(0.1-10μg/ml)の20Eを用いて実験したところ、予想される生体内での濃度より高い濃度(5, 10μg/ml)でも細胞死は阻害されず、むしろその応答性は速まる傾向にあった。どのような20E濃度でも、メスでは全体の退縮、オスではBLの外側での細胞死だけが誘導されたことから、蛹の翅の細胞の運命は蛹化した時点で細胞ごとに決まっていると考えられる。また、TUNEL法でアポトーシスを検出すると、20Eを加え6時間培養したメスの翅の全領域でシグナルが認められたが、オスの翅ではBL外側の細胞にのみ強いシグナルがみられた。この結果は、20Eが単独でメスの翅全体での細胞死を引き起こしたことを示す。 さらに、準超薄切片作成により翅内部の組織変化を追ったところ、20E存在下38.5時間培養のメスの翅では組織全体が多数の食細胞により貪食されていたのに対し、オスでは貪食は周縁部でのみに限定されていた。蛹化直後のカイコ (Bombyx mori)個体から食細胞を取り出し培養すると、20Eの添加によって仮足の伸長が観察された。O. recens のメス特異的な蛹期の翅の細胞死には20Eにより活性化された食細胞が関与している可能性が考えられる。 第三章「鱗翅目昆虫の蛹期翅の細胞死における幼若ホルモンの作用」 O. recens の雌雄の翅のエクジステロイド応答の差は何に起因するのか?まず考えうる解答の一つ、エクジステロイドの受容体 (EcR) レベルで調節されている可能性を検証するために、EcR-AとEcR-B1 isoform をクローニングし、in situ hybridization を行ったが、雌雄での発現パターンに差はなかった。一方、エクジステロイドの作用は一般的に幼若ホルモンJHによって修飾されることが知られる。そこで、JHが雌雄の翅のエクジステロイド応答性に影響を与えている可能性を考えた。 まず蛹直後の翅培養を行い、JH添加の影響を観察した。O. recens のオスの翅は20E 1μg/mlとJH (methoprene) 1μg/ml中で2日間培養すると、メスの翅と同様に退縮した。メスの翅は methoprene 1μg/mlの添加の有無に関わらず20Eにより同様に退縮した。20E非存在下では翅の退縮は雌雄とも全くおこらなかった。また、他のJH活性物質 fenoxycarb, pyriproxyfen を用いた場合も、O. recens のオスでは methoprene と同じ条件でメス型の退縮を誘導することができた。さらに、カイコの翅では、高濃度の methoprene (5μg/ml) を添加し6時間から1日前培養した後、20Eと methoprene 存在下で培養を続けると、O. recens のメスと同様に退縮した。これらの結果から、鱗翅目昆虫の前蛹期(もしくは蛹期)のJHが蛹期の翅形成運命に影響を与えている可能性が示唆された(下図参照)。この可能性を検定するために、カイコ前蛹にJHを塗布して、培養下の翅退縮を再現できるかを試みたところ、methoprene を前蛹から蛹化直後にかけて塗布した場合に、一定の頻度で短翅型カイコを得た。これはJH制御下にある遺伝子が、蛹期翅のエクジステロイド応答性に何らかの影響を与えた結果によるものと考えられる。 エクジステロイド誘導カスケードの転写因子 Broad-Complex (BR-C)はJHの制御を受けているとの報告がある。そこでO. recens でBR-Cのコア領域をクローニングし、前蛹期、蛹期の翅を用いて northern hybridization を行ったところ、性特異的、時期特異的な発現を示すバンドが観察された。しかし、BR-Cの4つのアイソフォームのうちクローニングに成功したZ2, Z4は、雌雄の別や20E/JH処理などに関わらず常時発現していた。未同定のBR-Cアイソフォームを介したJH応答がO. recens の雌雄差を実現している可能性が考えられる。しかし、その詳細については今後の解析を待たねばならない。 O. recens 成虫。(a)オス。(b)メス。矢印は痕跡的な翅を示す。 蛹化直後の翅をクチクラごと切り出し1μg/mlの20Eを添加して2日間培養。(a) メスの翅は基部に退縮を起こした。(b)オスではBLの外側でのみ細胞死が起こった。 O. recens のメスの翅退縮のモデル。メスの翅は少なくとも前蛹期までにJH(*)によって、蛹期20Eに誘導されてBLの内側も細胞死するよう運命付けられている。O. recens のオスやカイコでもJH処理によって、BLの内側の細胞も20E誘導性細胞死を起こすことができる(破線は実験的な退縮誘導を示す)。 | |
審査要旨 | 本論文は3章からなる。第1章ではアカモンドクガ(Orgyia recens)の蛹期の翅発生を組織学的に解析するとともに、脱皮ホルモン(エクジステロイド)の体内濃度を測定して、雌雄の翅発生過程と内分泌環境の関連を考察している。第2章ではエクジステロイドがアカモンドクガの翅発生の雌雄差を誘導することを示し、ホルモン誘導性細胞死に対する食細胞の関与を解析している。第3章では、アカモンドクガおよびカイコ(Bombyx mori)の蛹期の翅退縮・細胞死の制御に幼若ホルモン(JH)が関与することを示している。 鱗翅目昆虫の中で、性特異的に翅を退化させる種が存在する。形態的にも機能的にも正常な翅を持つオスに対して、メスのみが翅を欠損する性的二型は、環境適応や、性戦略上重要であると考えられるが、どのようなメカニズムで生じるのかは全く不明である。論文提出者は、メス特異的に翅を退化させているアカモンドクガが、その翅発生のメカニズムの解明に好適な材料であると考えた。 鱗翅目昆虫の蛹の翅の周縁部には、成虫翅の形の予定領域を示す境界構造(Bordering lacuna : BL)が存在し、BLの外側ではエクジステロイドによって細胞死が、内側では細胞増殖がそれぞれ誘導される。アカモンドクガのオスの翅は上述と同様の発生を遂げるが、メスでは蛹期初期に翅が退縮し痕跡的な翅しか生じない。第1章では、アカモンドクガの雌雄翅の性的二型がいつ、どのように生じるのか組織学的な手法で解析した。その結果、幼虫期の翅原基は、雌雄共に正常に発達し、蛹になった直後の翅は雌雄で形態に差がなく、BLが翅の縁に平行に走っていることも共通していた。蛹化して36時間後になると、オスではBLの外側部分の細胞の密度が低くなっていたのに対して、メスの翅は表面積にして蛹化直後の翅の20パーセント程度に基部のほうに縮んでいた。メスの退縮途中の翅組織の周縁部には、蛹化直後にみられたBLの外側の構造がまだ残っていたことから、メスの翅では「BLの外側が細胞死する」ことと、「全体に退縮する」ことが同時に起こっていた。 鱗翅目昆虫では、蛹期のエクジステロイドが様々な組織分化を引き起こす。そこで、アカモンドクガのメス特異的に起こる蛹期翅の細胞死にエクジステロイドが関わっている可能性を検討するため、体液中のホルモン濃度の変動をELISA法により測定した。その結果、蛹期の雌雄で20Eの濃度変動は大きく異なり、メスでは蛹脱皮1日後に、オスでは3日目にピークを迎えた。性特異的な翅発生にエクジステロイドの濃度変動が関与している可能性が考えられた。 第2章では、アカモンドクガの雌雄の蛹期における翅発生に対するエクジステロイドの影響を、培養実験を用いて解析している。蛹化直後のメスの翅を、1μg/ml20-ヒドロキシエクジソン(20E)を含む溶液中で2日間培養すると1/5程度の大きさに退縮したが、オスでは周縁部の細胞のみが消失した。どのような20E濃度でも、メスでは全体の退縮、オスではBLの外側での細胞死だけが誘導されたことから、蛹の翅の細胞の運命は蛹化した時点で細胞ごとに決まっていると考えられる。また、培養翅の準超薄切片の観察により、蛹期翅の細胞死は食細胞による上皮細胞の貪食によって進行していることが明らかとなった。 エクジステロイドの作用は一般的に幼若ホルモン(JH)によって修飾されることが知られる。第3章ではJHが雌雄の翅のエクジステロイド応答性に影響を与えている可能性を検証している。蛹の翅培養を行い、JH添加の影響を観察した。アカモンドクガのオスの翅は20E1μg/mlとJH (methoprene) 1μg/ml中で2日間培養すると、メスの翅と同様に退縮した。メスの翅は methoprene 1μg/mlの添加の有無に関わらず20Eにより同様に退縮した。20E非存在下では翅の退縮は雌雄とも全くおこらなかった。さらに、カイコの翅では、高濃度の methoprene(5μg/ml)を添加し6時間前培養した後、20Eとmethoprene存在下で培養を続けると、アカモンドクガのメスと同様に退縮した。このことにより、鱗翅目昆虫ではJHが蛹期の翅形成運命に影響を与えている可能性が示唆された。 以上の結果から、アカモンドクガのメスでは前蛹期までにJHによってBLの内側でも細胞死を起こすよう運命付けられており、蛹期のエクジステロイドの引き金によって、退縮することが示唆された。 なお、本論文第2章は、新津修平・藤原晴彦との、また本論文第1章・第3章は、藤原晴彦との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析および検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。 したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。 | |
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