学位論文要旨



No 118909
著者(漢字) 伊地知,伸行
著者(英字)
著者(カナ) イジチ,ノブユキ
標題(和) 兵隊アブラムシのカースト分化機構の形態学的・組織学的・生態学的解析
標題(洋) Morphological, histological and ecological analyses of the differentiation mechanism of aphid soldier caste
報告番号 118909
報告番号 甲18909
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4562号
研究科 理学系研究科
専攻 生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 松本,忠夫
 東京大学 教授 久保,健雄
 東京大学 助教授 藤原,晴彦
 東京大学 助教授 朴,民根
 産業技術総合研究所 主任研究員 深津,武馬
内容要旨 要旨を表示する

アリ、ハチ、シロアリ類などとともに、一部のアブラムシ類は高度な社会性を有することが知られている。アブラムシ類においては前社会性から真社会性までさまざまな発達段階の社会性が見られ、そのような真社会性は独立に複数回獲得されたと考えられている。真社会性のアブラムシの1令幼虫には顕著な形態的二型がみられ、片方は脱皮・成長し、繁殖に参加するが、もう片方は高度に形態が特殊化しており、外敵に対して攻撃を行う不妊の兵隊カーストである。兵隊と普通個体は同一の母虫から単為生殖によって産出されるクローンであるにも関わらず、行動・形態・妊性といった形質が全く異なる。したがって、胚発生の過程で兵隊への発生スイッチングがおこると考えられるが、兵隊分化の発生プロセスについての研究は皆無である。そこで、本研究では系統的に独立に進化したと考えられる2種類の真社会性アブラムシ、タケツノアブラムシ (Pseudoregma bambucicola) とクサボタンワタムシ (Colophina arma) を対象として、胚発生のいつから形質の差異が生じるのかを明らかにする目的で形態・細胞レベルでの解析を行った。

形態解析の結果、形態的二型が識別可能な発生ステージは2種間で異なり、タケツノアブラムシではクチクラの形成が始まる胚発生の後期であったのに対し、クサボタンワタムシでは胚反転後の筋肉形成時というより早い発生ステージであった。したがって、タケツノアブラムシよりもクサボタンワタムシの方が兵隊分化の発生ステージが早いことが示唆された。

クサボタンワタムシの兵隊はアブラムシの繁殖に必須である細胞内共生細菌、ブフネラを欠いているという報告がある。そこで共生細菌の欠如を兵隊の指標にすることを目的として、カースト間の微生物の感染様式を組織化学的に精査したところ、季節によって兵隊へのブフネラ感染様式が異なることが明らかとなった。7月上旬にはブフネラが感染する発生ステージ(胚盤葉)からブフネラが欠如している卵巣小管1対が観察され、形態的に兵隊と区別できる胚(兵隊胚)においてはブフネラの感染は認められなかった。7月下旬にもブフネラが感染していない卵巣小管は存在したが、ブフネラ感染・非感染の胚が混在する卵巣小管も低頻度ながら観察された。しかしブフネラ感染の兵隊胚は認められなかった。8月上旬から9月上旬ではブフネラ感染の兵隊胚が低頻度で観察され、9月下旬から10月上旬では多くの兵隊胚がブフネラに感染していた。以上の観察から、ブフネラ感染の有無は兵隊の指標には使えないこと、またブフネラ感染の有無とカースト分化のスイッチングは独立の現象であることが判明した。

以上の結果を基に、自然状態における兵隊産出に関係する要因を明らかにする目的で、野外集団における兵隊産出の調査を行った。タケツノアブラムシではコロニーサイズが大きくなると兵隊率が高くなることが報告されている。しかしクサボタンワタムシの野外における兵隊率を調べたところ、コロニーサイズに相関はなかった。胚の形態解析に基づいて算出した予定兵隊率は、コロニーサイズや実現兵隊率とは相関がなく、季節にしたがって変化しており、翅芽虫が出現する9月下旬に最大となり、越冬モルフが出現する10月初旬から下旬に0%になった。クサボタンワタムシは秋期に多数産出される有翅虫や越冬モルフを防衛するために、兵隊生産を増大させている可能性がある。このような季節に同調した予定兵隊率の変化は、日長や温度などの環境要因が本種における兵隊産生を調節している可能性を示唆するものである。

クサボタンワタムシの予定兵隊率を調節している環境要因について、実験生理学的に調べた。多くのアブラムシでは、短日処理によって有翅虫(産性虫)が誘導されることが分かっている。そこで、鉢植えのクサボタン (Clematis stans) 上で維持しているクサボタンワタムシを用いて日長操作実験を行った。温度一定の条件下 (20℃) で長日条件 (16L:8D) 下で維持している系統の成虫をG0世代、そのG0世代が産んだ1令幼虫をG1世代とし、1令のG1世代を長日条件 (16L:8D) と短日条件(8L:16D)で飼育した。短日処理したG1世代(SG1)の成虫では、多数の兵隊胚が誘導されたが、長日条件のG1世代(LG1)ではそのような兵隊産生の増加は見られなかった。短日処理したG2世代(SG2)の成虫は、無翅虫もしくは有翅の産性虫であった。これら無翅成虫の体内の胚は、ほとんどが越冬モルフであった。長日条件では、G2世代(LG2)に産性虫も越冬モルフもまったく誘導されず、いずれの世代でも予定兵隊率はほぼ一定であった。以上のことから、クサボタンワタムシの兵隊産生は日長に応答して変化することが明らかとなった。これは社会性アブラムシにおいて兵隊誘導の至近要因が日長であることを実験的に示したはじめての研究である。アブラムシの越冬モルフが短日処理によって誘導されることも新発見である。このように兵隊の増加および産性虫、越冬モルフの誘導が短日刺激により連動して起こるという機構は、クサボタンワタムシの生活史によく適合しているように思われる。

審査要旨 要旨を表示する

アリ、ハチ、シロアリ類などとともに、一部のアブラムシ類は高度な社会性を有することが知られている。アブラムシ類においては前社会性から真社会性まで、さまざまな社会性の発達段階が見られ、真社会性は独立に複数回獲得されたと考えられている。また、真社会性のアブラムシの1齢幼虫には顕著な形態的二型がみられ、片方は脱皮・成長し、繁殖に参加するが、もう片方は高度に形態が特殊化しており、外敵に対して攻撃を行う不妊の兵隊カーストである。普通個体と兵隊は同一の母虫から単為生殖によって産出されるクローンであるにも関わらず、行動・形態・妊性といった形質が全く異なる。したがって、胚発生の過程で兵隊への発生スイッチングがおこると考えられるが、兵隊分化の発生プロセスについての研究は皆無である。

そこで、本論文では系統的に独立に進化したと考えられる2種類の真社会性アブラムシ、タケツノアブラムシ(Pseudoregma bambucicola)とクサボタンワタムシ(Colophina arma)を対象として、胚発生のいつからカースト間の形質的差異が生じるのかを明らかにする目的で形態・細胞レベルでの解析を行っっている。

第1章では、本論文の背景についてたいへんよく解説している。

第2、3章では、形態解析を行った結果、形態的二型が識別可能な発生ステージは2種間で異なり、タケツノアブラムシではクチクラの形成が始まる胚発生の後期であったのに対し、クサボタンワタムシでは胚反転後の筋肉形成時というより早い発生ステージであったことを示している。そして、タケツノアブラムシよりもクサボタンワタムシの方が兵隊分化の発生ステージが早いことを示唆している。

第4章では、クサボタンワタムシの兵隊は繁殖虫では必須となっている細胞内共生細菌のブフネラを欠いているという報告があるので、共生細菌の欠如を兵隊の指標にすることを目的として、カースト間の微生物の感染様式を組織化学的に精査し、季節によって兵隊へのブフネラ感染様式が異なることを明らかにさせている。7月上旬にはブフネラが感染する発生ステージ(胚盤葉)からブフネラが欠如している卵巣小管1対が観察されたが、形態的に兵隊と区別できる胚(兵隊胚)においてはブフネラの感染は認めていない。7月下旬にもブフネラが感染していない卵巣小管は存在したが、ブフネラ感染・非感染の胚が混在する卵巣小管も低頻度ながら観察したが、ブフネラ感染の兵隊胚は認めていない。しかし、8月上旬から9月上旬ではブフネラ感染の兵隊胚が低頻度で観察され、9月下旬から10月上旬では多くの兵隊胚がブフネラへの感染を認めている。以上の観察結果から、ブフネラ感染の有無は兵隊の指標には使えないこと、またブフネラ感染の有無とカースト分化のスイッチングは独立の現象であることが判明させている。

第5章では、自然状態における兵隊産出に関係する要因を明らかにする目的で、野外集団における兵隊産出の調査を行っている。タケツノアブラムシではコロニーサイズが大きくなると兵隊率が高くなることが先行研究で報告されているが、、本研究でクサボタンワタムシの野外における兵隊率を調べたところ、コロニーサイズとの相関はなかった。胚の形態解析に基づいて算出した予定兵隊率は、コロニーサイズや実現兵隊率とは相関がなく、季節にしたがって変化しており、翅芽虫が出現する9月下旬に最大となり、越冬モルフが出現する10月初旬から下旬に0%になった。クサボタンワタムシは秋期に多数産出される有翅虫や越冬モルフを防衛するために、兵隊生産を増大させている可能性があると考察している。このような季節に同調した予定兵隊率の変化は、日長や温度などの環境要因が本種における兵隊産生を調節している可能性を示唆するものである。

第6章では、クサボタンワタムシの予定兵隊率を調節している環境要因について、実験生理学的に調べている。先行研究により、多くのアブラムシでは短日処理によって有翅虫(産性虫)が誘導されることが分かっているので、鉢植えのクサボタン (Clematis stans) 上で維持しているクサボタンワタムシを用いて日長操作実験を行っている。温度一定の条件下 (20℃) で長日条件 (16L:8D) 下で維持している系統の成虫をG0世代、そのG0世代が産んだ1令幼虫をG1世代とし、1齢のG1世代を長日条件 (16L:8D) と短日条件(8L:16D)で飼育している。短日処理したG1世代(SG1)の成虫では、多数の兵隊胚が誘導されたが、長日条件のG1世代(LG1)ではそのような兵隊産生の増加は見られていない。短日処理したG2世代(SG2)の成虫は、無翅虫もしくは有翅の産性虫であった。これら無翅成虫の体内の胚は、ほとんどが越冬モルフであった。長日条件では、G2世代(LG2)に産性虫も越冬モルフもまったく誘導されず、いずれの世代でも予定兵隊率はほぼ一定であった。以上のことから、クサボタンワタムシの兵隊産生は日長に応答して変化することを明らかにしている。

以上、社会性アブラムシにおいて兵隊誘導の至近要因が日長であることを実験的に示した初めての研究である。また、アブラムシの越冬モルフが短日処理によって誘導されることも新発見である。このように兵隊の増加および産性虫、越冬モルフの誘導が短日刺激により連動して起こるという機構は、クサボタンワタムシの生活史によく適合していることを良く考察している。

なお、本論文には松本忠夫、深津武馬、三浦徹、柴尾晴信らとの共同研究の部分を含むが、いずれも論文提出者が主体となって調査、分析、検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。したがって、本審査委員会は全会一致で、本論文を博士(理学)の学位を授与するのにふさわしいものと認定する。

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