学位論文要旨



No 118912
著者(漢字) 川越,暁
著者(英字)
著者(カナ) カワコシ,アカツキ
標題(和) ナトリウム利尿ペプチドファミリーの分子進化
標題(洋) Molecular evolution of the natriuretic peptide family
報告番号 118912
報告番号 甲18912
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4565号
研究科 理学系研究科
専攻 生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 竹井,祥郎
 東京大学 教授 西田,睦
 東京大学 教授 岡,良隆
 東京大学 教授 武田,洋幸
 東京大学 助教授 兵藤,晋
内容要旨 要旨を表示する

序論

脊椎動物は、淡水、海水、そして陸上と、多様な環境で生活をしているが、それぞれの生活環境に適応するために様々な戦略をとっている。外界のイオンや水分、そして乾燥に対して、体内の水分や浸透圧を調節することも、それぞれの環境に適応するための最も重要な戦略のひとつである。海水という高い浸透圧環境への適応に関して、最も原始的な脊椎動物と考えられている円口類のメクラウナギ類は、血漿イオン濃度と浸透圧を生活の場である海水に合わせている(順応型)。軟骨魚類になると、血漿中のイオン濃度は海水の約2分の1に保っているが、尿素を蓄積させて血漿浸透圧を海水とほぼ等張に保っている(半調節型)。硬骨魚類・四肢動物になると、血漿イオン濃度と浸透圧を常に海水の約3分の1に保つシステムを獲得している(完全調節型)。このように、脊椎動物は進化の過程で体内のイオン環境を外界と独立させ、体液の恒常性を維持するシステムを獲得していったと考えられている。

心房性ナトリウム利尿ペプチド (Atrial natriuretic peptide、ANP) は、1983年にラットの心臓で初めて発見された新しい体液調節ホルモンである。その後、四肢動物ではB型NP (B-type NP、BNP) とC型NP (C-type NP、CNP) が、硬骨魚類の真骨類では心室型NP (Ventricular NP, VNP) とCNPが同定され、NPは3種のペプチドからなるファミリーを構成することがわかった。ANP, BNP, VNPは心臓から分泌される循環ホルモンで、CNPは主に脳で産生される傍分泌ホルモンである。いっぽう、軟骨魚類の板鰓類では心臓と脳からCNPのみが単離され、CNPが循環ホルモンとしても機能しているため、CNPしかないと予想される。図1に示すように、NPはCysによる分子内環状構造を形成しするが、CNPにはC-末端側のテール配列が存在しない。

哺乳類において、これら3種類のNPは、体液調節に関わる腸、腎臓、副腎、脳などに作用して、水やイオンの排出を促進するホルモンであることがわかっている。いっぽう、魚類である真骨類では、NPはナトリウムを特異的に排出させるホルモンで、海水適応に重要であることがわかっている。さらに、淡水と海水に適応できる広塩性魚のウナギでは、CNPがナトリウムの取り込みを促進することにより淡水環境への適応を促進するホルモンであることがわかってきた。これらの事実は、元来イオンの排出に関わる機能を果たしていたNPが、進化にともなう多様化により広塩性魚類で新たな機能を獲得したと考えられる。

私は、修士課程において、RNase Hを用いて特定のmRNAのみを除き、微量に発現している同族分子のmRNAを同定する方法を開発した。その方法を用いて、板鰓類にはCNPしか存在しないことをほぼ確定することができた。このことから、CNPはNPファミリーの祖先型で、板鰓類ではNP分子の多様化は起こっていないと考えられる。ここで、NPの多様化と血漿のイオン濃度の調節能に関して、相関関係がみられる。すなわち、「半調節型」の軟骨魚類から「完全調節型」の硬骨魚類に至る進化の過程で、NPファミリー分子の多様化が起こってきたように思われる。私は、イオン調節に重要な役割を果たしているNPファミリーの多様化と、脊椎動物の進化にともなう血漿イオン調節能の獲得に関係があるのではないかと考えた。

そこで本研究では、NPファミリーの分子進化を明らかにすることを目的として、脊椎動物の進化において重要な位置を占める種において、RACE法を用いNP cDNAのクローニングを行った。PCRに用いたプライマーは、全てのNP cDNAを増幅する5種類の縮重プライマーを設計した。

NPの祖先分子を探る

まず、NPファミリーの祖先分子を明らかにするため、最も原始的な脊椎動物に属する円口類のヌタウナギ(Eptatretus burgeri)からNP遺伝子をクローン化した。すると、脳と心臓双方より、CNPではなく、ユニークなアミノ酸配列をもつhfNPが同定された。大量に発現しているhfNPのmRNAをRNase H法を用いて除き、他のNPを探したが、3'の非翻訳領域が短いhfNPのmRNAが取れただけであった。hfNPの環状構造内は比較的CNPと類似しているが、CNPにはないテール配列をもっていた。従って、NPは元々CNPではなく、hfNPのような構造をとっていた可能性が示唆された。hfNPのプロセグメントには furin によるプロセシングシグナルが存在し、そこで切断された成熟型ペプチドがヌタウナギの血液中を循環していることをアフィニティー精製と質量分析により証明した。hfNPの構造は、大西洋産メクラウナギ (Myxine glutinosa)、クロメクラウナギ (Paramyxine atami)、ニュージーランド産メクラウナギ (Eptatretus cirrhatus) など、系統が異なるメクラウナギ類で構造が広く保存されていた。

さらに、円口類のもうひとつのグループであるヤツメウナギ類に属するフクロヤツメ (Geotria australis) 及びカワヤツメ (Lethenteron Japonica) でNPを探索したが、いずれからもhfNPではなく、CNPが同定された。CNPのプロセグメントにも furin によるプロセシングシグナルが存在し、そこで切れる成熟型CNPを含む配列で、特に保存性が高かった。hfNPのC末端のテール配列は Arg ではじまり、1塩基置換でストップコドンに変わりうる。hfNPとCNPにみられる共通の特徴から、これらは共通の遺伝子から分岐した可能性が高い。この考えは、NJ法による分子系統解析により支持される。

NP分子の多様化の過程を解明する

次に、軟骨魚類から硬骨魚類に至るNPの多様化のプロセスを追った。軟骨魚類のうち、板鰓類にCNPのみが存在することは明らかであるが、もともとあった他のNP遺伝子が偽遺伝子化してしまった可能性も考えられる。近年、真骨類に4種類のCNPが存在し、そのうち少なくとも3種類が板鰓類に存在する可能性が示唆されている(井上ら、2003)。板鰓類で同定されているCNPは、アミノ酸配列の類似性から、真骨類のCNP-3であると考えられる。そこで、より原始的な軟骨魚類に属する全頭類のゾウギンザメを用い、NPの同定を行ったところ、2種類のCNPを同定した。これら2種のCNPは共に板鰓類のCNPとの保存性が高く、軟骨魚類のなかで独自に遺伝子重複によりできたものであろう。従って、軟骨魚類にはCNP-3のみが存在すると考えられる。

そこで、NPが硬骨魚類でどのように多様化してきたのかについて、硬骨魚類の中で真骨類よりも古く分岐した軟質類に属するチョウザメ (Acipenser transmontanus) を用いて調べた。チョウザメは、淡水と海水双方によく適応する広塩性魚類である。その結果、ANP、VNP、CNPの他に、四肢動物にしか存在しないと考えられていたBNPを同定することができた。これまでは、BNPとVNPは元々相同な分子で、それぞれ四肢動物と真骨類の系統に分岐した後に独自の配列をとるようになったという考えが主流であった。しかし、チョウザメでVNPとBNPが共存することを発見したことにより、これら二つの遺伝子はもともと独立したものであることがわかた。さらに、フグのゲノムデータベースを検索することにより、真骨類にもBNPが存在することを明らかにした。その結果、NPファミリーは、これまで考えられてきた3種類ではなく、少なくとも4種類の分子から構成されていることが証明された。

NPファミリーの分子進化に関する一考察

本研究により、脊椎動物におけるNPファミリーの分子進化に関して、円口類から硬骨魚類にいたる全ての脊椎動物をカバーすることができた(図2)。NPの種類は、硬骨魚類になって多様化したが、それはこれまで考えられてきたよりもはるかに複雑なものであることが明らかとなった。井上ら (2003) により、真骨類には4種のCNP (CNP-1〜4) が存在することが示されたが、hfNPとヤツメウナギのCNPはCNP-4型である。いっぽう、軟骨魚類のCNPはCNP-3型である。CNP-3とCNP-4はエキソン・イントロン構造が類似しているため、軟骨魚類でCNP-3はゲノム重複で生じたと考えられる。これは私の仕事ではないが、カエルではCNP-3とCNP-4の2種があることがわかっている。硬骨魚類では、さらにCNPが重複され、CNP-3からANP、BNP、VNPがタンデムに重複された可能性が示唆されている。このように、図2aの段階であったNPファミリーの分子進化のプロセスが、本研究により図2bのような考え方を提示できるようになった。また、比較的単純な浸透圧調節を行うメクラウナギや軟骨魚類には1種類のNPのみが存在し、硬骨魚類や四肢動物では更に多様化して定着した。本研究では、多様化したNP分子がどのような役割を担っているのか明らかにはできないが、新たに様々な種で同定したNPを用いて、近い将来NPの多様な機能やその進化のプロセスが明らかとなってくることが期待できる。

ナトリウム利尿ペプデチドのアミノ酸配列。それぞれのNPで保存されているアミノ酸を影で示した。システインによるジスルフィド結合を実線で示した。テール配列を枠で囲った。

ナトリウム利尿ペプチドファミリーの分子進化。(a) これまでに明らかにされていたNPを元に考えられていたプロセス。(b) 本研究及び井上ら (2003) のデータを元に新たに考えられたプロセス。点線は、まだはっきりとは明らかになっていない過程を示す。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は4章からなり、第1章は 'Single and novel natriuretic peptide is expressed in the heart and brain of the most primitive vertebrate, the hagfish, Eptatretus burgeri'(最も原始的な脊椎動物であるメクラウナギの心臓と脳には新規ナトリウム利尿ペプチドが単独に存在する)、第2章は 'Ancestral natriuretic peptide in vertebrates:different forms are conserved in tow extant agnathan lineages'(哺乳類における祖先型ナトリウム利尿ペプチド:異なる分子種が2つの現存する無顎類で保存されている)、第3章は 'Two recently diverged CNPs are only natriuretic peptides expressed in the heart and brain of a holocephalan fish, Callorhynchus milli'(全頭類のゾウギンザメの脳と心臓には最近分岐した2種のC型ナトリウム利尿ペプチドのみが発現している)、第4章は 'Four natriuretic peptides (ANP, BNP, VNP and CNP) coexists in the sturgeon:Identification of BNP in fish lineage'(4つのナトリウム利尿ペプチドがチョウザメで共存する:魚類の系統におけるBNPの発見)について述べられている。

論文提出者の研究主題であるナトリウム利尿ペプチドファミリーは極めて多様性に富むホルモンファミリーであり、これまで軟骨魚類である板鰓類の脳と心臓にはCNPしか存在せず、硬骨魚類である真骨類の心臓にはANPとVNPが、脳にはCNPが存在することがわかっていた。また、四肢動物である両生類や哺乳類の心臓にはANPとBNPが存在し、脳にはCNPが存する。板鰓類は海水とほぼ等しい血漿浸透圧を持つが、硬骨魚類や四肢動物は海水の約3分の1に血漿浸透圧を抑えている。そこで論文提出者は、浸透圧調節ホルモンである当該ホルモンの分子進化(多様化)が、体液調節機構の進化と関連しているのではないかという作業仮説を立て、分子進化の研究を開始した。その結果、板鰓類のように高い血漿浸透圧を持つメクラウナギにも、単一のナトリウム利尿ペプチドしか存在しないことを明らかにした。メクラウナギは現存する最も原始的な脊椎動物で、ナトリウム利尿ペプチドのように変異の大きなホルモンが同定されたのは初めてである。さらに、メクラウナギと共に円口類に属するヤツメウナギにもCNPのみが存在すること、および板鰓類と同様に軟骨魚類に属する全頭類のゾウギンザメには最近分岐したCNPのみが存在することを明らかにした。ナトリウム利尿ペプチドファミリーの分子進化における第2の貢献は、原始的な硬骨魚類である軟質類に属するチョウザメで、ANP, VNP, CNPだけではなく、さらにBNPを同定したことである。その結果、VNPは真骨類におけるBNPのオルソログではなく、異なる遺伝子にコードされる第4のホルモンであることがわかった。この発見を契機として、真骨類にもBNPが存在し、ナトリウム利尿ペプチドファミリーが4種のメンバーから構成されることが明らかになった。この結果は、VNPが四肢動物でも存在する可能性を示唆し、もし同定された場合は、心不全の診断および治療に盛んに臨床応用されているBNPに置き換わる可能性を示唆する。実際に、魚類のVNPは哺乳類のBNPよりも更にウサギの心臓冠動脈の拡張作用が強力である。このように、論文提出者の貢献により、ナトリウム利尿ペプチドファミリーの分子進化に関して大きな発展をもたらした。

なお、第1章は兵藤晋、安田明和と、第2章は兵藤晋、井上広滋、小林裕太と、第3章は兵藤晋と、第4章は兵藤晋、Tes Toop, John Donald との共同研究であるが、論文提出者がほぼ全て分析および検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

従って、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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