学位論文要旨



No 118913
著者(漢字) 木村,有希子
著者(英字)
著者(カナ) キムラ,ユキコ
標題(和) アドレナリン、ノルアドレナリンが誘起するユウレイボヤ幼生変態機構に関する研究
標題(洋) Studies on the metamorphosis induced by adrenaline and noradrenaline in the larvae of the ascidian, Ciona savignyi
報告番号 118913
報告番号 甲18913
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4566号
研究科 理学系研究科
専攻 生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 森沢,正昭
 東京大学 教授 武田,洋幸
 東京大学 教授 雨宮,昭南
 埼玉大学 教授 末光,隆志
 東京大学 講師 吉田,学
内容要旨 要旨を表示する

幼生が成体に至る過程で、大きな形態的変化を起こすことは多くの動物種で知られている。この現象は一般に変態と呼ばれ、両生類や昆虫でその機構の詳細が明らかにされている。一方、海産無脊椎動物でも多くの種で変態が起こることが知られているが、それに関する研究は、長年形態学的な変化の記載に留まり、機構に迫る研究は行われてこなかった。しかし、最近になっていくつかの種のホヤで、分子生物学的手法の導入により、変態時に変動するシグナル分子の特定が進んでいるが、それらの分子の機能や、それらがどのように協調して変態現象に関与しているかの調節の仕組みはいまだ明らかではない。

そこで私は、ユウレイボヤ (Ciona savignyi) 幼生の変態誘起を調節する機構を解明することを目的とし、複数の海産無脊椎動物で変態を誘起し、かつ内在性の変態誘起物質として働く可能性が高いと考えられている神経伝達物質に着目して研究を行い、以下の成果を得た。

ホヤ幼生は孵化後オタマジャクシ型幼生として遊泳生活を送り、その後底質への付着などの外部からの刺激を受けるなどして尾部吸収を始まりとする変態を開始する。本研究では、まず、ユウレイボヤにおいてノルアドレナリン又はアドレナリンが幼生の尾部吸収を促進することを初めて明らかにした(図1)。さらに、ノルアドレナリン、アドレナリンによる尾部吸収は幼生の付着行動を伴わないが、付着突起を必要とすることも示された。一方、他の海産無脊椎動物の変態に影響を与えることが知られている神経伝達物質、ドーパミンやセロトニン、GABAなど、ホヤ幼生の変態を促進させることが報告されているチロキシンやアセチルコリンにはユウレイボヤの変態を促進する効果は見られなかった。

ノルアドレナリン、アドレナリンがユウレイボヤ幼生の尾部吸収を促進することから、幼生における内在性のカテコールアミンの存在をカテコールアミンの蛍光組織化学法(図2A)およびノルアドレナリンとアドレナリンの合成酵素であるドーパミンβ-ヒドロキシラーゼに対する抗体を用いた免疫染色法(図2B)により調べた。その結果ノルアドレナリン、アドレナリンは変態期幼生の脳胞付近に局在することが示唆された。

ノルアドレナリンの受容体の尾部吸収の関与について調べるために薬理学的実験を行った。βアドレナリン受容体の選択的アゴニストであるイソプロテレノルはノルアドレナリンや、アドレナリンに比べ低濃度で尾部吸収を促進した(図3)。β選択的アンタゴニストであるプロプラノロルやβ1選択的アンタゴニストであるメトプラロルはノルアドレナリンによる尾部吸収を阻害した(図4)。以上の結果はノルアドレナリンによる尾部吸収の促進にはβ1-アドレナリン受容体が介在することを示唆している。

以上の結果によりユウレイボヤ幼生変態におけるβ1-アドレナリン受容体の関与が示唆されることから、抗マウスβ1-アドレナリン受容体抗体を用いて免疫染色法によりその局在について調べた。その結果、孵化頃の幼生から神経系に受容体の発現が始まり、遊泳期、変態期にかけて強く発現することが示された。

ユウレイボヤ幼生のβ-アドレナリン受容体のcDNAクローニングを行った。その結果、哺乳類におけるβ1、β2とβ3アドレナリン受容体に類似するホヤのアドレナリン受容体様の遺伝子配列 (CsβAR) を得た(図5)。近隣結合法による系統樹解析でCsβARは哺乳類におけるβ1とβ2およびβ3アドレナリン受容体が分岐する以前の祖先型遺伝子の特徴を有することが示唆された(図6)。従って、CsβARは図4、5で示されたβ1アドレナリン受容体的薬理学的性質を持つ可能性がある。また、RT-PCR法(図7)及びノザンブロッティング法により遊泳期、変態期の幼生にCsβAR遺伝子が発現していることが明らかとなった。

まとめ

以上の結果から、ユウレイボヤでホヤ類幼生の変態開始機構が明らかになった。ホヤ類の変態は付着など外部からの刺激により開始されることが知られているが、この刺激は変態期の幼生の脳胞付近に存在する神経伝達物質ノルアドレナリン、アドレナリンの放出に働くと考えられる。さらに、この神経伝達物質のシグナルは幼生に発現するβ-アドレナリン受容体を介してユウレイボヤ幼生の変態を制御している可能性が示された。一方、ユウレイボヤにおけるβ-アドレナリン受容体のcDNAクローニングは、海産無脊椎動物の変態におけるその役割の分子生物学的解析を可能にするだけではなく、アドレナリン受容体の起源を明らかにする視点からも重要である。今後、アポトーシスなどホヤ幼生の変態時に生じることが知られている様々な現象と本研究によりはじめて明らかにされた変態開始機構を関連付けることにより、ホヤ幼生の変態機構の全体像が解明されていくと考えられる。

尾部吸収に対するノルアドレナリン (A)、アドレナリン (B) の効果孵化後2時間の幼生を薬剤処理し、孵化後10時間に尾部吸収を起こした幼生の割合を調べた。*t-test p<0.05

ノルアドレナリン、アドレナリンの幼生後期における脳胞への局在A:蛍光組織化学法によるカテコールアミンの検出像B:ノルアドレナリン合成酵素(ドーパミンβ-ヒドロキシラーゼ)の局在を示した免疫染色像bv:脳胞

尾部吸収に対する各種アドレナリン受容体アゴニストの効果▲:イソプロテレノル(β選択的アゴニスト)、□:アドレナリン、◇:ノルアドレナリン

尾部吸収に対する各種アドレナリン受容体アンタゴニストの効果PA:フェントラミン(α選択的アンタゴニスト)、PP:プロプラノロル(β選択的アンタゴニスト)、MP:メトプラロル(β1選択的アンタゴニスト)、BX:ブトキサミン(β2選択的アンタゴニスト)、NA:ノルアドレナリン

CsβARとヒトβアドレナリン受容体のアミノ酸配列比較

CsβARの近隣結合法による系統樹HT1A:5-ヒドロキシトリプタミン1A受容体、AR:アドレナリン受容体、D1/βR:ドーパミンD1/β受容体、DRD1:ドーパミン受容体D1

7CsβARのRT-PCR法による発現解析UF:未受精卵、110:110細胞期、GS:嚢胚、TB:尾芽胚、0h:孵化幼生、3h:遊泳幼生、6h:変態初期、10h:変態中期、CsTB:チューブリンβ2

審査要旨 要旨を表示する

本論文は2章からなり、第1章は、原索動物ホヤ幼生の変態は、アドレナリン又はノルアドレナリンがβ1-アドレナリン受容体に結合し、引き金が引かれること、第2章は、ホヤ幼生変態を制御しているβ-アドレナリン受容体のcDNAクローニング、について述べられている。

幼生が成体に至る過程で、大きな形態的変化、即ち変態を起こすことは多くの動物種で知られており、両生類や昆虫でその機構の詳細が明らかにされている。一方、海産無脊椎動物でも多くの種で変態が起こることが知られているが、その機構に迫る研究は行われてこなかった。ホヤ幼生は孵化後オタマジャクシ型幼生として遊泳生活を送り、その後付着などの外部からの刺激を受けるなどして尾部吸収を始まりとする変態を開始する。第1章ではユウレイボヤ (Ciona savignyi) で、ノルアドレナリン又はアドレナリンが幼生の尾部吸収を促進することを初めて明らかにした。さらに、ノルアドレナリン、アドレナリンによる尾部吸収は幼生の付着行動を伴わないが、付着突起を必要とすることも示された。一方、他の海産無脊椎動物の変態に影響を与えることが知られている神経伝達物質であるドーパミンやセロトニン、GABAなど、またホヤ幼生の変態を促進させることが報告されているチロキシンやアセチルコリンにはユウレイボヤの変態を促進する効果は見られなかった。次にノルアドレナリン等がユウレイボヤ幼生の尾部吸収を促進することから、幼生における内在性のカテコールアミンの存在をカテコールアミンの蛍光組織化学法、ノルアドレナリンとアドレナリンの合成酵素であるドーパミンβ-ヒドロキシラーゼに対する免疫染色法により調べた。その結果ノルアドレナリン、アドレナリンは変態期ホヤ幼生の脳胞付近に局在することが示唆された。さらに尾部吸収に関与すると考えられるノルアドレナリン等の受容体について調べるために薬理学的実験を行った。βアドレナリン受容体の選択的アゴニストであるイソプロテレノルはノルアドレナリンや、アドレナリンに比べ低濃度で尾部吸収を促進した。β選択的アンタゴニストであるプロプラノロルやβ1選択的アンタゴニストであるメトプラロルはノルアドレナリンによる尾部吸収を阻害した。以上の結果はノルアドレナリンによる尾部吸収の促進にはβ1-アドレナリン受容体が介在することを示唆している。

以上の結果によりユウレイボヤ幼生変態におけるβ1-アドレナリン受容体の関与が示唆されることから、抗マウスβ1-アドレナリン受容体抗体を用いて免疫染色法によりその局在について調べた。その結果、孵化頃の幼生から神経系に受容体の発現が始まり、遊泳期、変態期にかけて強く発現することが示された。

第2章ではユウレイボヤ幼生のβ-アドレナリン受容体のクローニングを行った。その結果、哺乳類におけるβ1とβ2、β3-アドレナリン受容体に類似の遺伝子配列 (CsβAR) を得た。近隣結合法による系統解析でCsβARは哺乳類におけるβ1とβ2、β3-アドレナリン受容体が分岐する以前の祖先型遺伝子の特徴を有することが示唆された。このことから、CsβARはβ1-アドレナリン受容体的薬理学的性質を持つ可能性もある。また、RT-PCR法及びノザンブロッティング法により変態期の幼生にこの遺伝子が発現していることが明らかとなった。

以上の結果から、ユウレイボヤでホヤ類幼生の変態開始機構が明らかになった。ホヤ類の変態は付着など外部からの刺激により開始されることが知られているが、この刺激は変態期の幼生の脳胞付近に存在する神経伝達物質ノルアドレナリン、アドレナリンの放出に働くと考えられる。さらに、この神経伝達物質のシグナルは幼生に発現するβ-アドレナリン受容体を介してユウレイボヤ幼生の変態を制御している可能性が示された。一方、ユウレイボヤにおけるβ-アドレナリン受容体のcDNAクローニングは、海産無脊椎動物の変態におけるその役割の分子生物学的解析を可能にするだけではなく、アドレナリン受容体の起源を明らかにする視点からも重要である。今後、アポトーシスなどホヤ幼生の変態時に生じることが知られている様々な現象と本研究によりはじめて明らかにされた変態開始機構を関連付けることにより、ホヤ幼生の変態機構の全体像が解明されていくと考えられる。

なお、本論文の第1章と第2章は森沢、吉田との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析及び検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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