学位論文要旨



No 118916
著者(漢字) 坂山,英俊
著者(英字)
著者(カナ) サカヤマ,ヒデトシ
標題(和) 培養株を用いた卵胞子比較形態と複数DNAマーカー解析に基づくフラスコモ属(車軸藻綱・シャジクモ目)の分類学的研究
標題(洋) A taxonomic study of Nitella (Charales, Charophyceae), based on comparative morphology of oospores and multiple DNA marker analyses using cultured material
報告番号 118916
報告番号 甲18916
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4569号
研究科 理学系研究科
専攻 生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 野崎,久義
 東京大学 教授 加藤,雅啓
 東京大学 講師 上島,励
 東京大学 助教授 樋口,正信
 山形大学 教授 原,慶明
内容要旨 要旨を表示する

車軸藻類(シャジクモ目)は系統進化学的には陸上植物に最も近縁であると考えられている植物であり,1科6属が現生する。その中でフラスコモ (Nitella) 属は最も種数が多く,世界中で約200分類群の存在が報告されている。フラスコモ属は主軸に又状分枝をした枝が輪生する形態をしており,その輪生枝の最終枝の細胞数と終端細胞の有無によって3亜属 (Nitella・Hyella・Tieffallenia) に分けられている (Wood 1965)。本属の受精に伴って形成される卵胞子(接合子)の表面構造はシャジクモ目の中で最も多様であり,平滑状,網目状,顆粒状等光学顕微鏡下で様々なものが記載されている。

Wood (1965) はフラスコモ属の種を主に栄養器官(特に輪生枝)の特徴により分類し,種以下分類群(変種や品種)を卵胞子の特徴に基づいて識別し,当時知られていた204種を53種に再編成した。そのため,多くの日本・アジア産の種はそれよりも記載年代が先行する種のシノニムであると解釈された。その後,欧米で走査型電子顕微鏡 (SEM) を用いた卵胞子表面構造の研究 (John & Moore 1987) が実施され,卵胞子形態の種の識別形質としての妥当性が示唆された。一方,近年欧米の材料を用いた分子系統解析 (McCourt et al. 1996, 1999) が実施されたが,そこで扱われた種はわずか4種であり,フラスコモ属の種の分類基準を検証する内容のものではなかった。また,過去の分類学的研究はそのほとんどが標本として固定された材料に基づくものであり,培養による成熟した藻体の観察や分子生物学的解析が伴わないものであった。私は修士論文において日本産フラスコモ属9種を用い,培養株を確立した上で,培養により成熟させた卵胞子のSEM観察と葉緑体rbcL遺伝子分子系統解析を同じ培養株で同時に行い種レベルの分類学的再検討を実施した。その結果,Wood (1962, 1965) が品種とした6分類群が独立種として認められ,SEMによる卵胞子壁表面構造の比較と分子系統解析の結果を結合するという手法が種の識別に有効であると結論された。しかしながら,この研究で扱われた材料はわずか9種であり,また,種レベルの分類学的結論が母性遺伝する葉緑体コードの一遺伝子の分子系統樹のみに依存しているという問題や,塩基配列の情報不足のためと思われる属以下の系統関係における不明瞭な部分が残されていた。本研究ではこれらの問題を解決するために,世界中から新たに15分類群・36サンプルを採集し,新たな系統解析DNAマーカー(葉緑体コード:atpB・psaB 遺伝子,核コード:5.8S rRNA 遺伝子・ITS領域)を開発し,更にこれまで用いられていないSEMによる卵胞子壁断面構造の特徴を分類形質として導入した。これらの豊富な形態・分子情報に基づき,フラスコモ属のより客観的な種の識別基準の確立と,自然分類体系構築への基盤作成を実施した。

結果と考察

Wood (1962, 1965) の種レベルの分類の再検討

SEMによる卵胞子壁“表層(表面+断面)構造”と最も多くの分類群で明らかとなっているrbcL遺伝子の塩基配列情報(1182塩基対)に基づき,フラスコモ属のより正確な種同定と分類学的再検討を実施した。調査を行った材料は,修士論文において用いた9種を含む24分類群(合計59サンプル)である。SEM観察の結果,今回新たに解析した15分類群中12分類群(表1)においてその卵胞子壁表層構造は,それぞれ Wood (1962, 1965) がこれらをシノニムとした種のタイプのものとは明らかに異なっており,分子系統解析の結果からもそれぞれ Wood (1962, 1965) の種のタイプとは系統的に分離していた(図1)。以上の結果から,この12種が独立した種であると認められた。この中で,N. megaspora と同定されたものの中に2種が存在することが,特に卵胞子壁断面構造の基本的な差異から明確となった(図1)。また,Tieffallenia 亜属において,従来SEMによる卵胞子の表面構造に基づき網目状タイプ又は結節状タイプに分類されていたものが,新たに断面構造の形態情報を加えたことにより,それぞれ2タイプ[網目状タイプI(図3-f, g)・網目状タイプII(図3-h, i);結節状タイプI(図3-n, o)・結節状タイプII(図3-j, k)]に分類されることが明確になり,rbcL系統樹においても分離していた。

核DNAマーカーを用いた葉緑体遺伝子系統樹の再検討

葉緑体DNAは母性遺伝するため,しばしば葉緑体DNAマーカー系統樹と核DNAマーカー系統樹が矛盾する。従って,葉緑体遺伝子 (rbcL) の系統解析結果を核DNAのデータから検証する必要がある。そのため,今回既にrbcL遺伝子系統樹とSEMによる卵胞子表層構造に基づいて分類学的再検討が近縁な多くの分類群で実施された Tieffallenia 亜属19種40サンプルにおいて核コードの5.8S rRNA遺伝子とその両側に隣接するITS領域の塩基配列(991 塩基対)を用いた分子系統解析を実施した。尚,これらの核コードの塩基配列はアミノ酸をコードしていないので,長さが異なる場合は二次構造を推定し,塩基配列の相同性を反映したアライメントを実施した(図2-c)。その結果,核DNAマーカー系統樹(図2-b)は葉緑体DNAマーカー (rbcL) 系統樹(図2-a)と基本的に矛盾していなかった。従って,今回解析した範囲においてrbcL遺伝子系統樹は母性遺伝の影響を受けておらず,フラスコモ属の系統関係に関する信頼できる情報とみなせた。

複数DNAマーカー(atpB, rbcL, psaB, ITS-5.8S rRNA遺伝子)による系統解析

rbcL遺伝子のみを用いた分子系統解析の結果は,一遺伝子の系統に依存しており,Tieffallenia 亜属の基部の系統関係において解析結果が不十分であった。そこで,Tieffallenia 亜属内のより信頼度の高い分子系統樹を構築しそれらの不明瞭な部分を改善するために,rbcL遺伝子(1182塩基対)に加え更にatpB遺伝子(1020塩基対)とpsaB遺伝子(1494塩基対)の塩基配列を決定し,この3つの葉緑体遺伝子塩基配列と核コードのITS-5.8S rRNA遺伝子(ギャップを除去した857塩基対)の塩基配列を結合した合計4553塩基対19種40サンプル(主要な複数の卵胞子タイプのサンプルを含む)を用いた分子系統解析を実施した。その結果,ほぼ全ての種間の系統関係が明らかとなった(図3-a)。また,卵胞子壁表層構造の形態に基づき,網目・乳頭状 (RP), スポンジ状 (SG), 微細顆粒状 (VFG), 結節状 (TUB) の4つの卵胞子クレードが全て100%のブーツ・ストラップ/カルテット・パズリング確率で解析された(図3)。一方,各卵胞子クレード内において種レベルの識別形質として Wood (1962, 1965)が重視した最終枝などの栄養器官形態は一貫していなかった(図3)。従って,Wood (1962, 1965)が種レベルの識別に用いた栄養器官の特徴よりも,卵胞子の特徴が系統を反映していることが示唆され,Tieffallenia 亜属において栄養器官形態に基づいた Wood (1962, 1965)の種のコンセプトは用いるべきではないと結論された。また,複数の卵胞子クレードに Wood (1962, 1965)が同じ節に分類した種がまたがっており,Wood (1962, 1965)の本亜属内の節レベルの分類は基本的に系統を反映していないことが明らかとなった(図3)。

結論

(1)今回,解析する分類群の範囲を広げ,また卵胞子の断面構造という新しい識別形質を導入し,核及び葉緑体コードの複数DNAマーカーを用いることにより,Tieffallenia 亜属の明確な種の識別基準が明らかとなった。しかし,N. furcata とN. inversa のように遺伝的に不分離ではあるが形態的に識別可能な分類群が存在した(図3)。また,従来N. megaspora と同定されてきたものの中に2種が存在することが,特に卵胞子壁断面構造の基本的な差異から明確となった(図1)。本研究では,DNA情報において不分離であった場合,形態的に不連続な単位を種として分類する立場をとった。しかし,これは自然の種を認識していない可能性があるので,今後,多くの個体を用いた集団解析を行い遺伝的・形態的変異の程度を把握する必要がある。(2)rbcL遺伝子系統樹は核DNAマーカー系統樹と矛盾しておらず(図2),母性遺伝の影響を受けていなかった。この原因としては,今回解析した Tieffallenia 亜属内の分類群は全て雌雄同株であり,このような分類群では種及び個体間の遺伝子交流がほとんど行われていない可能性が考えられる。しかし,特にアフリカ及びオーストラリアではフラスコモ属の雌雄異株の分類群が多く存在するので,今後,雌雄異株の分類群を用いた核と葉緑体DNAマーカーを用いた同様の解析が必要と考えられる。(3)Wood (1962, 1965)が提唱した Tieffallenia 亜属内の分類体系は系統を反映していないことが明らかとなったので(図3),卵胞子壁表層構造を基本とする節レベルの新分類体系を構築する必要がある。その為には,今後より多くの分類群を用いた同様のフラスコモ属の分類学的研究が望まれる。

本研究で独立種と認められた12分類群[学名は,左から本研究で採用したもの,Wood (1962, 1965) の研究で採用されているもの(カッコ内),の順で示した]

N. pseudoflabellata(a. 表面,b. 断面),N. megaspora complex 1(c. 表面,d. 断面)及びN. megaspora complex 2(e. 表面,f. 断面)の卵胞子壁表層構造の比較と系統関係.g. rbcL遺伝子系統樹の一部分の拡大図.

Tieffallenia 亜属内における葉緑DNAマーカー系統樹(a)と核DNAマーカー系統樹(b)の比較.(a)は葉緑体DNAのrbcL遺伝子の塩基配列1182塩基対に基づき,最節約法 (MP) により得られた26本のMP系統樹の厳密合意樹 (Length=215, CI=0.7442, RI=0.9382), (b)は核DNAの5.8SrRNA遺伝子とその両側に隣接するITS領域の塩基配列991塩基対(ギャップを含む)に基づき,MP法により得られた300本のMP系統樹の厳密合意樹 (Length=488, CI=0.7684, RI=0.9323)であり,枝上の値はMP法(1000回試行)のブーツ・ストラップ確率 (BP), 枝下の値は近隣結合法(JC69モデル・1000回試行)のBP及び最尤法(JC69モデル・1000回試行)のカルテット・パズリング確率(括弧内)を示している。尚,Sakayama et al. (2002)及び図2-aの結果から,Tieffallenia 亜属が姉妹群となる2つのクレードから成ることが明らかであるので,Group B(図2-a)の2種を外群として解析を実施した;c.ITS2の二次構造.

Tieffallenia 亜属内における系統関係・栄養器官形態・卵胞子壁表層構造.a. 葉緑体DNAの3遺伝子,rbcL, atpB及びpsaB遺伝子と核DNAのITS領域と5.8S rRNA遺伝子の塩基配列を結合した合計4553塩基対に基づき,最節約法(MP)により得られた3本のMP系統樹の1つ(Length=1176, CI=0.7509, RI=0.9095). 枝上の値はMP法(1000回試行)のブーツ・ストラップ確率(BP), 枝下の値は最小進化法(JC69モデル・1000回試行)のBP及び最尤法(GTR+G+Iモデル・1000回試行)のカルテット・パズリング確率(括弧内)を示している.卵胞子壁表層構造の特徴に基づいて認識された4つの卵胞子クレード,網目・乳頭状(RP), スポンジ状(SG), 微細顆粒状(VFG)及び結節状(TUB)クレードはそれぞれ,ピンク,オレンジ,黄色及び水色の背景で示した.○は2細胞性の最終枝(c), ●は2又は3細胞性の最終枝(b), ▲は伸長性の最終枝(b), ▽は短縮性の最終枝(c)をもつことを意味している;d-o.卵胞子壁表層構造[上段(又は左側):表面,下段(又は右側):断面].

審査要旨 要旨を表示する

本論文は3章からなり、第1章はフラスコモ属の培養株を用いた走査電子顕微鏡による卵胞子壁の表面と断面構造と葉緑体rbcL遺伝子の塩基配列情報に基づく正確な種同定と分類学的再検討、第2章は核DNAマーカーを用いたフラスコモ属の葉緑体遺伝子系統樹の再検討、第3章は複数DNAマーカーによるフラスコモ属の系統解析について述べられている。

車軸藻類(シャジクモ目)は系統進化学的には陸上植物に最も近縁であると考えられている植物である。その中でフラスコモ (Nitella) 属は最も種数が多く、3亜属 (Nitella・Hyella・Tieffallenia) に分類され、世界中で約200分類群の存在が報告されている。Wood (1962, 1965)はフラスコモ属の種を主に栄養器官の特徴により分類し、種以下分類群を卵胞子の特徴に基づいて識別し、当時知られていた204種を53種に再編成した。そのため、多くの日本・アジア産の種はそれよりも記載年代が先行する種のシノニムであると解釈された。その後、車軸藻類の系統分類学的研究としては過去の分類学的研究で用いられた古い標本を使用した卵胞子(受精卵)の走査型電子顕微鏡 (SEM) を用いた種レベルの識別・同定、または限られた種の培養株を用いたrbcL遺伝子・18SrDNA遺伝子を用いた属・種レベルの系統解析は実施されてはいたが、形態学的な種レベルの分類学的識別基準をDNA等の独立したデータから検証するような研究は実施されていなかった。論文提出者は修士論文において、採集したフラスコモ属の材料をすべて培養株とすることにより、成熟した卵胞子のSEM形態と分子系統解析を結合させた種レベルの分類学的再検討の方法論を世界に先駆けて確立した。しかし、この研究で扱われた材料はわずか9種であり、また、種レベルの分類学的結論が母性遺伝する葉緑体コードの一遺伝子の分子系統樹のみに依存しているという問題や、塩基配列の情報不足のためと思われる属以下の系統関係における不明瞭な部分が残されていた。本論文ではこれらの問題を解決するために、世界中から新たに15分類群・36サンプルを採集し、新たな系統解析DNAマーカーを開発し、更にこれまで用いられていないSEMによる卵胞子壁断面構造の特徴を分類形質として導入した。

第1章では解析する分類群の範囲を広げ、また卵胞子の断面構造という新しい識別形質を導入し、フラスコモ属23種の実体を明らかにした。第2章では、近縁な多くの分類群を含む Tieffallenia 亜属19種40サンプルを用いた核コードのITS-5.8S rRNA遺伝子を用いた分子系統解析を実施した。その結果、葉緑体rbcL遺伝子系統樹は核DNAマーカー系統樹と矛盾しておらず、解析した範囲においてrbcL遺伝子系統樹は系統関係に関する信頼できる情報とみなせた。第3章では Tieffallenia 亜属内のより信頼度の高い分子系統樹を構築するために、rbcL遺伝子に加え更にatpB遺伝子とpsaB遺伝子の塩基配列を決定し、この3つの葉緑体遺伝子塩基配列と核コードのITS-5.8S rRNA遺伝子の塩基配列を結合した合計4553塩基対19種40サンプルを用いた分子系統解析を実施した。その結果、ほぼ全ての種間の系統関係が明らかとなり、卵胞子壁表層構造の形形態に基づき、網目・乳頭状、スポンジ状、微細顆粒状、結節状の4つの卵胞子クレードが高い信頼度で解析された。一方、各卵胞子クレード内において種レベルの識別形質として Wood (1962, 1965)が重視した栄養器官形態は一貫していなかった。従って、Wood (1962, 1965)が種レベルの識別に用いた栄養器官の特徴よりも、卵胞子の特徴が系統を反映していることが示唆され、Tieffallenia 亜属において栄養器官形態に基づいた Wood (1962, 1965)の種のコンセプトは用いるべきではないと結論された。また、複数の卵胞子クレードに Wood (1962, 1965)が同じ節に分類した種がまたがっており、Wood (1962, 1965)の本亜属内の節レベルの分類は基本的に系統を反映していないことが明らかとなった。したがって、卵胞子壁表層構造を基本とする節レベルの新分類体系を構築すべきであると結論された。

以上のように論文提出者は本論文において、自ら開発した手法に基づく微細形態と分子系統を組み合わせた極めてオリジナリティーの高い分類学的研究を実施し、フラスコモ属の新分類体系構築の基盤を形成した。

なお、本論文第1章と3章は、原慶明・野崎久義との共同研究であるが、論文提出者が主体となって観察及び解析を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

UTokyo Repositoryリンク