No | 118917 | |
著者(漢字) | 中山,一大 | |
著者(英字) | ||
著者(カナ) | ナカヤマ,カズヒロ | |
標題(和) | 霊長類における体色多様性の分子基盤 | |
標題(洋) | Molecular basis for the body color variation in the primates | |
報告番号 | 118917 | |
報告番号 | 甲18917 | |
学位授与日 | 2004.03.25 | |
学位種別 | 課程博士 | |
学位種類 | 博士(理学) | |
学位記番号 | 博理第4570号 | |
研究科 | 理学系研究科 | |
専攻 | 生物科学専攻 | |
論文審査委員 | ||
内容要旨 | 霊長類の体色は非常に多様化しており、その生物学的な意義を明らかにすることは人類学における古典的な課題の一つである。例えば、ヒトの皮膚は低緯度地域の集団ほど暗色になる傾向がある。これは、上皮中の黒色の色素であるユーメラニンが、紫外線から皮膚組織を防御する役割を果たしていることに関連した適応形質であると考えられている。 ヒトの皮膚色に代表されるように、体色多様性の形成に何らかの生態学的要因が関与していることは明白であるが、これを明らかにするには、その分子基盤である遺伝子の調査が不可欠である。これまでに、哺乳類の色素形成に関連する多数の遺伝子座位が確認されているが、霊長類の体色多様性との関連性は明らかになっていない。そこで本研究では、ヒト、マカク、テナガザルにおける体色多様性の分子基盤を明らかにすることを目的に、これらの種の色素形成に関る主要な遺伝子の多様性を調査した。 メラノコルチン1レセプター (MC1R) はGタンパク質共役7回膜貫通型レセプターで、環状アデノシン1リン酸 (cAMP) を2次伝達物質として、メラノサイトにけるメラニン生合成経路を制御している。MC1R遺伝子 (MC1R) はヨーロッパ人集団で非常に多型的で、cAMP産生能を低下させるような変異が赤毛や白い皮膚などの表現形と有意に関連していることが知られているが、他の人類集団でのMC1R多型と皮膚色との関連性は不明である。そこで多様な皮膚色を有するアジア・オセアニア人におけるMC1Rの多様性を、PCRダイレクトシークエンシング、PCR-RFLP、SSCP、PCRサブクローニングなどの手法を用いて調査した。その結果、アジア・オセアニア人集団中では合計12種類のMC1Rハプロタイプが確認され、タンパク質レベルでは野生型と9種類の変異型が存在することが明らかになった。中でも、ヴェッダ、メラネシア人のような暗色の皮膚を有する集団中では専ら野生型が存在していた。この結果は、紫外線の強力な低緯度地域では、十分なユーメラニン合成を維持するためにMC1Rに機能的制約が働き、メラニン合成能を低下させるような非同義多型が集団中から浄化されてきたというこれまでの説と一致していた。一方、より明るい皮膚色を有するアジア人の集団では野生型は稀で、多数の変異型が存在していた。COS-7細胞での一過性発現と酵素免疫法によるcAMPアッセイの結果、これらの変異型は野生型よりも有意に低いcAMP産生能を示した。これらの結果から、野生型と変異型の分布頻度の差、そして機能的な差がヴェッダ、オセアニア人と他のアジア人との間に観察される皮膚色の相違の遺伝的背景であると考えられる。また、東北アジア人の間では非常に低い活性を示す変異が4種類同定された。この集団では、低頻度ではあるが金髪や非常に明るい皮膚色といった形質が確認されており、これら4種類の変異がこのような表現形と関連していると考えられる。 このようにMC1Rの多様性はモンゴロイド内における皮膚色の多様性を説明できるが、人種間の違い、例えばコーカソイド集団とネグロイド集団との間の決定的な皮膚色の相違を説明するには他の遺伝子上の多様性が必要であると考えられる。AIM-1タンパク質 (AIM-1) は脊椎動物の色素形成に重要な役割を果たしている分子である。AIM-1のメラニン生合成における機能は未だ不明であるが、高等植物のスクローストランスポーターと類似した立体構造をとることから、生体分子の膜輸送に関与していると考えられている。また、げっ歯類、魚類ではAIM-1遺伝子 (AIM1) のコード領域上の変異が体色の明化と関連していることが知られている。 ヒトAIM1上に存在する2種類の多型 (Glu272Lys と Leu374Phe) の頻度を、コーカソイド、モンゴロイド、ネグロイド、オーストラロイドの4大人種について、PCR-RFLP法、アリル特異的PCR法を用いて調査した。その結果、Leu374Pheに関して、Phe型アリルがコーカソイドにのみ高頻度 (0.89) で存在し、他の人種は全てLeu型アリルを有していることが明らかになった。類人猿、げっ歯類、魚類のAIM-1、そしてセロリのスクローストランスポーターのアミノ酸配列を比較したところ、374部位ではLeu残基が完全に保存されていることが明らかになった。このことから374部位のLeu残基は機能的に重要であり、Phe残基への置換によってAIM-1の機能が変化し、メラニン合成効率が低下することが予測される。したがって、高頻度のPhe型アリルが、コーカソイドで一般的な明るい皮膚色の遺伝的背景であることが考えられる。マウスにおいては、MC1RとAIM1の変異は体毛色の明化に相加的に作用することが知られているので、ヒトにおいても両遺伝子の多型の組み合わせによって皮膚色の多様性をより明確に説明できることが考えられる。 旧世界ザルでは、一般的にアグチ様パターンという、毛の長軸方向に沿って明帯と暗帯が繰り返す毛色のパターンが普遍的に存在している。これの形成には、MC1Rとそのアンタゴニストである agouti タンパク質(agouti)が重要な役割を果たしていると考えられている。agouti はMC1Rと結合することによって、ユーメラニン合成を抑制し、赤黄色のフェオメラニン合成を促進する。マウスでは、agouti タンパク質遺伝子 (agouti) の発現が毛周期の特定の時期に限定されることによって、2種類のメラニン色素による明暗のパターンが形成されていることが証明されている。 マカクでは、カニクイザル種群、トクザル種群に含まれる種の毛には明確なアグチ様パターンが存在し、全体的な体毛色が明灰色から暗褐色であるのに対して、シシオザル種群ではアグチ様パターンは明確でなく、体毛色は総じて黒い。このようなマカクにおける体毛色の多様性とMC1Rの多様性との関連性を探るべく、マカク18種64個体のMC1R塩基配列をダイレクトシーケンシング法で決定した。他の哺乳類では、MC1Rの恒常的活性型変異がアグチ様パターンの喪失と黒い体毛色に関連しており、このような変異を引き起こすアミノ酸置換が幾つか同定されている。しかし、マカクではこのようなアミノ酸置換は確認されなかったので、シシオザル種群における黒い体毛色には他の遺伝子の関与が考えられる。 スラウェシマカク7種は総じて黒い体毛色を呈するが、幾つかの種においては、体の全体あるいは一部分に著しい体毛色の明化が確認されている。このような体毛色の明化を示す種(ヘックザル、ムナ・ブトンザル、ブーツザル、ムーアザル)では、MC1Rの機能的に重要と予測されるアミノ酸置換が生じており、一方、著しい明化を示していない種(クロザル、ゴロンタロザル、トンケアンザル)ではこのようなアミノ酸置換は確認されなかった。この結果から、MC1Rの多様性がスラウェシマカク内での体毛色の多様性の形成に関連していることが示唆される。 また、ダイレクトシーケンシング法によって決定したマカクの agouti の塩基配列を分子進化学的に解析することによって、トクザル種群、カニクイザル種群、他の旧世界ザルでは非同義置換率が同義置換率より低いのに対して、シシオザル種群では非同義置換率が同義置換率よりも高くなっていることが明らかになった。アグチ的な体毛色は捕食者からの隠蔽効果を有すると考えられており、シシオザル種群のサルのように捕食者(主に大型のネコ類)が存在しない環境に生息している場合は、アグチ的な体毛色を保持する必要性が薄れることが予測される。そのため、シシオザル種群で明瞭なアグチ様パターンが喪失したことによって、agouti のコード領域に作用してきた機能的制約が緩和したためと考えられる。 テナガザルは種間、種内での体毛色多様性が著しく、性的二型が存在する種(ボウシテナガザル、コンカーラテナガザル、フーロックテナガザル)、性に関係なく多型的な種(シロテテナガザル、ミューラーテナガザル、アジルテナガザル、ワウワウテナガザル)、そして単型的な種(クロステナガザル、シアマン)が存在する。多型的な体毛色を示すシロテテナガザルについて、MC1Rのハプロタイプを決定した。その結果、MC1Rハプロタイプとシロテテナガザルの体色多様性との間に有意な関連性は見られなかった。しかし、in vitro における機能解析の結果、テナガザルのMC1Rは恒常的活性型に進化している可能性が示された。 一方、PCRとサザンブロッティング解析の結果、調査したテナガザル6種(ボウシテナガザル、コンカーラテナガザル、シロテテナガザル、アジルテナガザル、クロステナガザル、シアマン)では agouti が欠損していることが示された。今回解析に加えていない3種でも、その系統的な関係から、同様に agouti が欠損していると考えられる。マウスなどでは agouti のヌル変異体は、アグチパターンが消失し完全に黒い毛色を呈すること、また、テナガザルMC1Rが恒常的活性型であることを併せると、テナガザルの毛色の祖先型は、現在のクロステナガザル、シアマンのようなアグチ様パターンの無い黒色であったと推測される。agouti は他のメラノコルチンレセプター(MC2〜5R)と結合し、色素形成以外にも生理的な役割を有している。例えば、ヒトでは agouti が脂肪代謝の制御に重要な役割を果たしていることが知られており、agouti の欠損がテナガザルの生理的な特徴の形成に何らかの役割を果たしたことが考えられる。 | |
審査要旨 | 多様な霊長類の体色を生じさた生物学的背景は未だ不明であり、それを明らかにするには、分子基盤である関連遺伝子の研究が不可欠である。ヒトを始めとし、アジアに分布する霊長類であるマカク、テナガザルにおける体色多様性の分子基盤を解明するために、これらの種の色素形成に関る主要な遺伝子の多様性を検索したのが本論文である。 本論文は5章から構成されている。第1章に先立ち研究全体の背景の説明と位置づけがなされている。第1章では、多様な皮膚色を有するアジア・オセアニア人を対象に、Gタンパク質共役型レセプターでメラニン生合成経路を制御しているMC1R遺伝子 (MC1R) の多様性を調べた。その結果、対象集団中に合計12種類のハプロタイプが確認され、タンパク質レベルでは野生型と9種類の変異型が存在することが明らかになった。中でも、メラネシア人のような暗色の皮膚の集団では専ら野生型が分布していた。一方、明るい皮膚色を有する高緯度アジア人の集団では多数の変異型が存在していた。cAMP生成を指標とした in vitro における機能解析の結果、これらの変異型は野生型よりも有意に低い活性を示した。これらの結果から、野生型と変異型の分布頻度の差、そして機能的な差がアジア・オセアニア地域における多様な皮膚色をもたらす遺伝的背景の1つであると示したことは高く評価される。 第2章では、脊椎動物の色素形成に重要な役割を果たしているAIM-1タンパク質 (AIM-1) で見いだされた Leu374Phe 多型についてその分布を、コーカソイド、モンゴロイド、ネグロイド、オーストラロイドの4大人種について調査した。その結果、Phe型アリルがコーカソイドにのみ高頻度で存在し、他の人種は全てLeu型アリルを有していることが明らかになった。各種ホモログのアミノ酸配列を比較したところ、374部位ではLeu残基が進化上完全に保存されていることが明らかになった。このことから374部位のLeu残基は機能的に重要であり、Phe残基への置換によってAIM-1の機能が変化し、メラニン合成効率が低下することが予測された。高頻度のPhe型アリルが、コーカソイドで一般的な明るい皮膚色の遺伝的背景であることが考えられる上、その悉無的分布は新たな集団マーカーとしても注目された。 第3章では、旧世界ザルで一般的に観察されるアグチ様パターンに関し、MC1Rの関与を探るため、マカク18種のMC1Rの塩基配列を決定した。MC1Rを恒常的活性型に変化させ、アグチパタンを消失させるアミノ酸置換は、非アグチ様パタンを示すシシオザル種群において確認されず、これらの黒い体毛色には他の遺伝子の関与が考えられた。 第4章では、種間、種内での体毛色多様性が著しいテナガザルについて、MC1Rのハプロタイプを検索した。その結果、MC1Rハプロタイプとシロテテナガザルの体色多様性との間に有意な関連性は見られなかった。しかし、in vitro における機能解析の結果、テナガザルのMC1Rは恒常的活性型に進化している可能性を示した。 第5章では、各種霊長類における agouti 遺伝子の分子進化学的解析をおこなった。その結果、マカクにおいては、アグチ様パタンを示すトクザル種群、カニクイザル種群では非同義置換率が同義置換率より低いのに対して、シシオザル種群では非同義置換率が同義置換率よりも高くなっていることが明らかになった。シシオザル種群のサルのように捕食者が存在しない環境に生息している場合は、捕食者からの隠蔽効果を有すると考えられるアグチ様パタンへの制約が薄れ、遺伝的多様性が増すという解釈が成立した。一方、PCRとサザンブロッティング解析の結果から、驚くべきことに、テナガザルでは agouti が欠損していることが示された。マウスでは agouti のヌル変異体は、アグチパターンが消失し完全に黒い毛色を呈すること、テナガザルMC1Rが恒常的活性型であることを併せると、テナガザルの毛色の祖先型は、アグチ様パターンの無い黒色であったと推測された。 以上より、本論文では、ヒト・テナガザル・マカクと異なる分類群に属する霊長類の仲間でMC1R, AIM1, agouti といった色素形成関連遺伝子の分子情報を明らかにし、皮膚色・毛色を環境に対する遺伝的適応の観点から論じたことは高く評価された。 本論文は指導教員である石田貴文をはじめとした共同研究者との共著である。石田は指導教員として、竹中修・庄武孝義は霊長類試料提供者として、他はヒト試料提供者としてであり、本論文の実験・解析は論文提出者が終始主体となっておこないその論文への寄与は十分と判断される。 したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。 | |
UTokyo Repositoryリンク |