学位論文要旨



No 118918
著者(漢字) 増井,藤子
著者(英字)
著者(カナ) マスイ,フジコ
標題(和) マウス膣の発生に対するエストロゲン毒性作用の分子機構に関する内分泌学的研究
標題(洋) Endocrinological studies on the molecular mechanisms of toxic effects of estrogen on the developing mouse vagina
報告番号 118918
報告番号 甲18918
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4571号
研究科 理学系研究科
専攻 生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 岡,良隆
 東京大学 教授 竹井,祥郎
 筑波大学 教授 岡村,直道
 東京大学 助教授 朴,民根
 東京大学 助教授 兵藤,晋
内容要旨 要旨を表示する

エストロゲン様内分泌撹乱化学物質(EEDC)は、エストロゲン受容体(ER)に結合してエストロゲン類似作用を示すことにより、野生動物やヒトの内分泌系を撹乱して、生殖障害を引き起こす。マウスでは、周生期にエストロゲンやEEDCに曝されると、生殖器官は分化の道を誤り、奇形や不妊、癌等が誘起される。通常の成体におけるエストロゲン効果は可逆的であって、エストロゲンが消失した後までも効果が持続するということはないが、周生期においては不可逆的な変化がエストロゲンで誘導されるのである。なかでも雌性生殖輸管では、周生期EEDC曝露により成体になって輸卵管腫瘍、子宮頚部の角質化、腺疾患、膣上皮の増殖角質化及び腫瘍化などの重篤な異常が生じる。これらの病態はエストロゲン過剰症に類似している一方、卵巣の存否に関わらず同様な異常が認められることから、周生期EEDC曝露により、生殖輸管系がエストロゲン非依存下において、エストロゲンによる刺激が常にあるかのように振舞ってしまう結果、上述の病態を発生させると考えられる。

マウスの雌性生殖輸管に対するエストロゲン毒性作用の分子機構については未だ解明されていないが、膣では、周生期に17β-エストラジオール(E2)とビタミンA (VA)を同時投与すると、E2のみを投与したときに見られる膣上皮の不可逆的な増殖と角質化が起こらないことや、keratinocyte growth factor (KGF)を周生期に投与すると、E2を投与したときと同様に膣上皮の不可逆的な増殖角質化が起こること等、断片的だが興味深い現象が報告されている。これらを手がかりに、本研究では、不可逆的な異常を引き起こすEEDCの毒性作用の分子機構について知る目的で、成体マウスの膣にエストロゲン非依存的で不可逆的な増殖を引き起こす周生期エストロゲン作用の分子機構を探った。

エストロゲン毒性に対するビタミンAの抑制作用:組織形態とER発現を指標とした解析

周生期EEDCは、膣に直接的に作用して上皮を不可逆的に増殖させる。一方、EEDCは視床下部一脳下垂体系を撹乱して卵巣からの連続的なエストロゲン分泌を促し、間接的にエストロゲン依存的な膣上皮の増殖を生じさせる。膣上皮を異常増殖に導くこれら2つのEEDC作用に対する、VA同時投与の影響を知る目的で、まず、周生期にE2またはE2とVA同時投与後の膣上皮の形態を経過観察した。6日齢及び18日齢マウスでは、VAの同時投与の有無に関わらず、両群で肥厚した膣上皮が見られた。卵巣除去から10日後の35日齢では、E2単独投与群では上皮は増殖していたが、E2とVAの同時投与群では上皮の増殖は見られなかった。このことからVA同時投与は、エストロゲン依存的な膣上皮の増殖(6、18日齢)を抑制しないが、エストロゲン非依存的な膣上皮の異常増殖(35日齢)を抑制することがわかった。

次に、エストロゲン投与によって発現量が変動すると予想されるERの発現解析を行った。不可逆的に上皮が増殖している膣、及び投与したエストロゲンに依存して上皮が増殖している膣におけるERの発現量は、溶媒のみを投与した群に比べて、ともに減少した。前2群間でERの分布や発現量に差は見られなかった。周生期にエストロゲンに曝露した膣では、不可逆的にER発現の変化がみられ、エストロゲン非存在下でもエストロゲン刺激を受けた場合と同様の遺伝子発現を示した。そしてまた、VA同時投与は、エストロゲン依存的なER発現の変化は抑制しないが、エストロゲン非依存的なER発現の変化は抑制することがわかった。(Masui et a1. 2001)

KGF毒性に対するビタミンAの抑制作用

周生期E2投与による膣上皮の不可逆的増殖だけでなく、KGFによって引き起こされる膣上皮の不可逆的な増殖を、VAが抑制するかどうかを確かめるため、周生期にKGFとVAを同時投与した時の膣上皮の形態的変化を調べた。その結果、VAは周生期KGF投与による膣上皮の不可逆的な増殖と角質化を抑えた。一方、E2の場合と異なり、KGFの投与直後には上皮は増殖しなかった。VAがE2及びKGFによって引き起こされる膣上皮の不可逆的増殖の発現をともに抑制したことから、E2とKGFは、エストロゲン非依存的な膣上皮の増殖角質化を起こす作用において分子機構を共有することが示唆された。(Masui et al. 2003)

エストロゲン毒性作用をKGFが仲介する可能性についての検討

I章の結果からE2とKGFは不可逆的な膣上皮の増殖を起こす作用において分子機構を共有すると考えられる。そこで、KGFが未分化な膣組織でEEDC作用を仲介する分子である可能性を検証することにした。まず、KGFが膣に直接作用して不可逆的な膣上皮の増殖角質化を引き起こすか否かを確かめた。視床下部-脳下垂体-卵巣系をはじめ膣以外の機能が乱されることにより間接的に膣上皮の不可逆的増殖が起こる可能性を排除するため、単離した周生期膣に ex vivo で薬剤投与する方法を用いた。KGFとヘパリン(KGFの標的細胞内への情報伝達に必要)を与えた膣組織を、卵巣除去した成熟雌マウスの腎被膜下へ移植し、35日後に移植体の組織観察をしたところ、膣上皮の増殖が見られた。この結果より、KGFは周生期の膣上皮に直接作用して不可逆的増殖を引き起こすことがわかった。KGF及びKGF受容体の発現が周生期マウスの膣に見られるという結果も得ていることから、周生期に与えられたKGFは、KGF受容体を介してKGFシグナルを増強することにより、不可逆的な上皮の増殖を引き起こすと考えられる。一方、E2とヘパリンを同時投与したところ、E2のみの投与時にはみられる膣上皮の不可逆的増殖が、認められなかった。従って、ヘパリンはKGF-KGF受容体情報伝達系の関わる段階よりも前の段階で、周生期E2の不可逆的作用の発現を抑えると考えられる。

次に、膣上皮の不可逆的な増殖を引き起こすE2作用の発現にKGFシグナル伝達系が必要かどうか検証するため、前述の ex vivo 系を用いて、E2作用に対するKGF中和抗体及びKGF受容体阻害剤の影響を調べた。その結果、両者ともE2の作用を抑制した。従って、EEDCが膣上皮の不可逆的な増殖を引き起こす際には内在性のKGF-KGF受容体情報伝達系を必要とすることが示唆された。他方、周生期膣のKGFシグナル伝達系を阻害しても、その後のエストロゲン依存的な上皮の増殖能は保たれていた。

上述の結果からEEDCはKGFの作用を増強することで膣上皮の不可逆的変化を引き起こすと考えられた。そこで、EEDCの毒性作用はKGFの発現増加を伴うのではないかと考え、周生期膣でのKGF mRNA発現量に対するE2投与の影響を調べたが、KGF mRNAの発現量は増えなかった。以上の結果からEEDCは、周生期の膣に対して、KGFの発現誘導を介さずにKGF-KGF受容体情報伝達系に関わる分子に作用し、KGFシグナルを増強することにより毒性を発揮していると考えられる。(Masui et a1. in preparation)

周生期エストロゲン曝露のマーカーとしての膣TFF1遺伝子発現

膣に対するEEDC毒性作用に関わる分子を同定するための手がかりとして、周生期E2投与により発現量が変化する遺伝子を、DNAマイクロアレイを利用して検索した。周生期に不可逆的毒性を示す濃度又は不可逆的な毒性を示さない低濃度のエストロゲンを4日間投与してから24時間後のマウスの膣組織において、およそ1万種の遺伝子発現量を比較した。その結果両群間で発現量に差の見られた遺伝子の内、十数個の遺伝子について、E2又は溶媒投与群間でmRNA発現量を比較した。ほとんどの遺伝子は膣の発生段階に関わらずE2依存的で一過的な発現量の増加を示した中で、trefoil factor 1 (TFF1)遺伝子は、周生期E2投与により発現量が増えるが、通常の成体ではE2により発現増加が見られず、周生期E2投与により上皮が不可逆的に増殖している膣においてエストロゲン非依存的に高発現を示した。さらに、特異的抗体を用いた免疫組織化学により、TFF1が不可逆的増殖をしている膣上皮に局在していることが確認された。周生期E2投与によって、成体になっても、膣上皮でエストロゲン非依存的に連続的に活性化されるTFF1は、周生期EEDC曝露のマーカー分子として有効であるばかりでなく、不可逆的変化の上皮から間充織への誘導現象を説明する鍵分子となる可能性がある。(Masui et al. in preparation)

本研究のまとめ(I)ビタミンAは、周生期エストロゲンもしくはKGF曝露による膣上皮の不可逆的な変化を抑制するが、エストロゲン依存的な変化は抑制しないことを明らかにした。(II)エストロゲンが周生期膣に内在するKGF-KGF受容体情報伝達系の働きを増強することを通して、膣上皮の不可逆的な増殖を引き起こすことを明らかにした。(III)周生期エストロゲン曝露の有効な膣上皮分子マーカーであるTFF1を発見した。

Fujiko Masui, Manabu Matsuda, Yasuhisa Akazome, Tatsuhiko Imaoka, Takao Mori. Prevention of neonatal estrogen imprinting by vitamin A as indicated by estrogen receptor expression in the mouse vagina. Cell & Tissue Research (2001) 306:441-447Fujiko Masui, Manabu Matsuda, Takao Mori. Vitamin A prevents the irreversible proliferation of vaginal epithelium induced by neonatal injection of keratinocyte growth factor in mice. Cell & Tissue Research (2003) 311:251-258Fujiko Masui, Manabu Matsuda, Takao Mori, Yoshitaka Oka. Involvement of keratinocyte growth factor (KGF)-KGF receptor signaling in developmental estrogenization syndrome of mouse vagina. In preparation.Fujiko Masui, Manabu Matsuda, Takao Mori, Yoshitaka Oka. Persistent trefoil factor 1 expression imprinted by neonatal estrogenization on mouse vagina. In preparation.
審査要旨 要旨を表示する

エストロゲン様内分泌撹乱化学物質(EEDC)は、エストロゲン受容体(ER)に結合してエストロゲン類似作用を示すことにより、野生動物やヒトの内分泌系を撹乱して、生殖障害を引き起こす。マウスでは、周生期にエストロゲンやEEDCに曝されると、生殖器官は分化の道を誤り、奇形や不妊、癌等が誘起される。通常の成体におけるエストロゲン効果は可逆的であって、エストロゲンが消失した後までも効果が持続するということはないが、周生期においては不可逆的な変化がエストロゲンで誘導されるのである。なかでも雌性生殖輸管では、周生期EEDC曝露により成体になって輸卵管腫瘍、子宮頚部の角質化、腺疾患、膣上皮の増殖角質化及び腫瘍化などの重篤な異常が生じる。これらの病態はエストロゲン過剰症に類似している一方、卵巣の存否に関わらず同様な異常が認められることから、周生期EEDC曝露により、生殖輸管系がエストロゲン非依存下において、エストロゲンによる刺激が常にあるかのように振舞ってしまう結果、上述の病態を発生させると考えられる。

マウスの雌性生殖輸管に対するエストロゲン毒性作用の分子機構については未だ解明されていないが、膣では、周生期に17□-エストラジオール(E2)とビタミンA(VA)を同時投与すると、E2のみを投与したときに見られる膣上皮の不可逆的な増殖と角質化が起こらないことや、keratinocyte growth factor (KGF)を周生期に投与すると、E2を投与したときと同様に膣上皮の不可逆的な増殖角質化が起こること等、断片的だが興味深い現象が報告されている。これらを手がかりに、本研究では、不可逆的な異常を引き起こすEEDCの毒性作用の分子機構について知る目的で、成体マウスの膣にエストロゲン非依存的で不可逆的な増殖を引き起こす周生期エストロゲン作用の分子機構を探った。

(I)ビタミンAは、周生期エストロゲンもしくはKGF曝露による膣上皮の不可逆的な変化を抑制するが、エストロゲン依存的な変化は抑制しないことを明らかにした。

(II)エストロゲンが周生期膣に内在するKGF-KGF受容体情報伝達系の働きを増強することを通して、膣上皮の不可逆的な増殖を引き起こすことを明らかにした。

(III)周生期エストロゲン曝露の有効な膣上皮分子マーカーであるTFF1を発見した。

これらの論文の各章で示された研究成果は内分泌撹乱化学物質の生殖輸管に対する影響の基本的なメカニズムを理解する上で大変重要な知見であり、論文提出者の研究成果は博士(理学)の学位を受けるにふさわしいと判定した。

なお、本論文の第1章から第3章までのすべては、守隆夫、松田学、岡良隆らとの共同研究であるが、いずれも論文提出者が主体となって分析及び検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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