学位論文要旨



No 118923
著者(漢字) 竹内,渉
著者(英字)
著者(カナ) タケウチ,ワタル
標題(和) 衛星リモートセンシングによるアジアの湿原と水田分布図の作成に関する研究
標題(洋) Mapping of wetland and paddy field in Asia by satellite remote sensing
報告番号 118923
報告番号 甲18923
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5655号
研究科 工学系研究科
専攻 社会基盤工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 安岡,善文
 東京大学 教授 小池,俊雄
 東京大学 教授 柴崎,亮介
 東京大学 教授 清水,英範
 東京大学 助教授 沖,大幹
内容要旨 要旨を表示する

湿原は,野鳥など多様な生物の生息域としてラムサール条約や生物多様性条約においてその環境保護の必要性がうたわれている.また,水田は,世界の総面積のおよそ90%がアジアに分布するとされており,数十億人の食料源である米の生産場所として重要な地位を占めている.畑作に比べて高い生産性,持続可能性などの利点を持つ食料源としての水田は,これから抱える人口増加問題や水問題においてその重要性を増すと考えられる.さらに近年は,地球温暖化ガスの一つであるメタンの主要な発生源としてもその重要性が指摘されはじめた.現在,全地球レベルでの自然湿原および水田を含んだ広い意味での湿地の面積は,およそ5.7×106km2と推定されているが,湿地域での環境変動が激しく,どのような湿地がどこに分布しているのか,また,その湿地環境がどのように変動しているのか,正確な情報は極めて少ない.個々の湿地の環境特性にせよ精度の高い情報を収集し,世界に向けて発信していくことは,生物多様性の視点からも地球温暖化対策の視点からも緊急の課題であり,その意義は大きい.その基礎には定量的な湿地分布の把握がなくてはならない.時間的空間的に広い範囲の湿地観測の必要性が高まる中,急速に発展している人工衛星を利用したリモートセンシングによる観測を利用することが注目されている.衛星観測は,従来の地上での直接観測と精度や空間および時間分解能などの面で,必ずしも同等の性能を有するわけではないが,広範囲を定期的・継続的・均一的に観測できる特徴を有している.

本研究では,これまで衛星観測の適用が限られてきた湿地および水田の分布図作成について,可視・赤外のリモートセンシングを利用することにより,世界最大の泥炭湿原である西シベリア湿原と,世界最大の稲作地帯である東南アジアおよび東アジアに適用する研究を行った.本研究の特徴は,次のようにまとめることができる.

広域の湿地分布図を作成できるように,空間分解能は比較的低いが観測範囲が広く,観測頻度の高いMODISセンサを使用した.

これまでよく使用されてきたNOAA AVHRRシリーズと比べて,放射量補正・大気補正・幾何補正・合成画像作成といった前処理の精度を格段に向上させた.

データフュージョンによる空間的な高精度化,水分状態に敏感な中間赤外チャンネルの使用,地表面温度推定精度の向上を行った.

継続的に利用でき実現性のある手法とするために,陸域観測衛星 Terra で利用されているMODISセンサおよびASTERのデータを使用した.MODISはこれまで4年間観測を続けており,さらに次世代極軌道衛星観測計画 (NPOESS)のもと後継機が計画中である.

作成した分布図の実利用を促進するために,衛星データの直接受信局と連動した処理システムを構築すると共に,Web 上での衛星データ処理および公開システムを実装した.

まず,新たにMODISとASTERを利用した湿地水田分布図作成手法の開発を行った.データ取得頻度の観点から湿地・水田観測へのMODISデータの必要性を論じ,空間分解能の高精度化を行うためにミクセル分解手法を使用し,MODISとASTERデータを用いて植生・土壌・水という最も簡潔なモデルに基づいてこれを適用した.その結果,対応するチャンネルにおける線形性は高く,どのカテゴリにおける誤差率も,従来のAVHRRとTMの組み合わせよりも格段に向上した.次に,可視・近赤外・中間赤外(1.6 um)での土壌・水のスペクトル特性を利用した正規化土壌指数(NDSI)と正規化水指数(NSWI)を提案し特性解析を行った.その結果,NDXが正の値を持てば,それぞれを地表面における植生,土壌,水の存在と関連づけることができることが明らかとなった.次に,代表的な光学センサであるAVHRR/3, MODIS, ASTER, ETMの応答関数を用いて,NDXの違いによる感度特性解析を行った.その結果,NDXを正の値に持つ有意な各カテゴリにおいて,センサの違いが及ぼす影響は小さく,汎用的に利用できる指数であることが確認できた.最後に,MODISとASTERの可視近赤外データを用いてスペクトル分解を行い,スペクトルライブラリと組み合わせて,熱赤外チャンネルの放射率補正を行った.あらかじめ離散化したLUTを作成し,放射伝達モデルの係数算出の効率化を図った上で,split-window 法を用いて地表面温度を推定した.作成した地表面温度図をMODIS LSTプロダクトと比較したところ,推定精度は1度以内であった.

新しく導入したMODISとASTERデータの処理手法についても検討を行った.まず,MODISデータの放射量補正と幾何補正を行い,250m以内の精度を確保した.次に,MODISの可視近赤外7チャンネルについて,6Sコードを用いた放射伝達シミュレーションを行い,雲に起因する影を選択しないように検討を加えた結果,輝度温度(チャンネル31)に拘束条件を持たせた輝度温度拘束条件付き最小青チャンネル法(MinBMaxT)を提案した.AVHRRにおいて実績のある,最大NDVI法(MaxN),最大輝度温度法(MaxT),最小青チャンネル法(MinB),MinBMaxTの4つの手法を用いて実際のMODISデータに適用し,雲の除去具合,衛星天頂角,画像の滑らかさ,雪氷と雲の識別,雲の陰の5点について検討を加えた.その結果,提案するMinBMaxT法は,すべての評価について良好な結果を与えた.最後に,HDF-EOSフォーマットで提供されているASTERのレベル1bデータを対象に,UTM座標系から等緯度経度座標系に座標変換し,行政区界・海岸線境界ベクトルデータと重ね合わせて精度検証を行った結果,MODISと自動的に重ね合わせる精度を確保できた.

新たに開発した手法と衛星データを基に,現地調査の結果を参考にしながら湿地と水田分布図の作成を行った.西シベリア湿原においては,現地調査を通じて得た湿地生態系の位置情報を基に,アカマツ,シラカバ,ボグ,パルサ,水域,裸地の6つのカテゴリに土地被覆分類を行った.その結果,直径20m程度から大きいもので数kmの大小様々な池が分布し,池の周囲にはパルサおよび湿原が非常に複雑に入り組んだ地形をなしており,高空間分解能データによる分類の有効性を確認することができた.また,湿原を流れる河川沿いにはアカマツによる針葉樹林帯が卓越しており,所々にシラカバ林が混ざっていることが分かった.次に,ASTERの分類結果を基にMODISデータに線形ミクセルモデルを適用し,各カテゴリの面積比率を推定した.最後に,対応領域における最小二乗誤差を算出することによりモデルの精度検証を行った.その結果,どのカテゴリにおいても許容できる範囲の精度を確保することができた.MODISの中間赤外チャンネル6は湿地の分類に有効に働き,湿原植生の活性度が最も高くなる時期のデータを使用することにより,湿地の植生分類が可能であることがわかった.また,現地調査を行ったとしても空間的な位置情報は十分得られているとは言い難く,適切な分類カテゴリの選択や分類手法の採用が大切であることが示唆された.

水田については,単期作と多季作の観点から,東アジアと東南アジアに分けて分布図作成を行った.日本,韓国,北朝鮮を含む東アジアは,およそ一ヶ月程度の耕作時期の違いがあるものの,ほぼ同じ一期作を営んでおり,山間部を含んだ入り組んだ地形にまで水田景観をなしていることから,空間分解能が250mと最も高いチャンネル1,2, NDVIのみ用いた水田分布図作成を行った.まず,15日間MODIS合成画像を用いて評価基準画像を作成し,季節変動を失わないようにデータ圧縮を行った.これに,ASTERデータから作成した水田分布図を教師として,水田とそれ以外のカテゴリについて,クラス平均および分散を用いた判別距離を定義し,MODISデータから作成した評価基準画像のそれぞれについて判別距離を算出した.その結果,個別のチャンネルを用いるよりも,NDVIを用いた方が判別率が高いことが明らかとなった.次に,判別率の高さに従って重み付けをしたNDVI画像を作成し,カテゴリ分解を行うことにより水田の分布図を作成した.MODISデータから作成した水田分布画像を,ASTERデータから作成した水田分布画像を用いて検証した結果,5つの評価地域におけるMODISによる推定値はいずれもASTERに比較して小さい値になり,二乗平均誤差は15.3%であった.最後に,作成した水田分布画像を,現在大陸レベルで唯一入手可能なIGBP-DISデータと国際稲研究所 (IRRI)が公表している国別統計データとの比較を行った.その結果,MODISを用いて作成した水田分布画像から求めた水田面積は,IRRIが公表している値と矛盾しない結果を得た.

東南アジアは,カンボジア,ラオス,ミャンマー,タイ,ベトナムを含む水田分布図を作成した.雨季の洪水を利用した天水による稲作が,大河川の沖積平野や河口部のデルタ地域で大規模に行われており,一部の地域では東アジアと同じように灌漑稲作が行われていることから,水田分布図の作成には年間を通じて取得した合成画像データを作成した.次に,東アジアの解析結果から,チャンネルの値をそのまま用いるよりも,正規化した値を用いた方が大気効果を抑制することができることが明らかとなったため,MODISデータから正規化植生・土壌・水指数と地表面温度を作成した.これらの画像から評価基準画像を作成し,季節変動を失わないようにデータ圧縮を行った.次に,乾期についてはASTERデータから作成した水田分布図を教師データとして作成し,雨季については現地調査により取得した水田の緯度経度情報を用いて教師データを作成し,評価基準画像を使用して水田の一期作と二期作を区別した分布図を求め,湛水時期と稲の生長度合いの年間変動を空間的に求めた.最後に,作成した水田分布画像を,IGBP-DISデータとIRRIが公表している国別統計データとの比較を行った結果,MODISを用いて作成した水田分布画像から求めた水田面積は,従来のAVHRRを使用して求めた推定値よりも格段に精度が向上した.

これまで難しいとされてきた湿地や水田の分布図作成を,高頻度広範囲観測データを利用することにより実現した.可視赤外データの欠点である雲をはじめとしたノイズや幾何補正誤差は,大気補正,放射量補正,幾何補正,合成画像作成手法といった前処理手法の開発により改善された.また,時間分解能と引き替えに失われる空間分解能の粗さを克服し,湛水状態に着目した時系列変動を定量化することで,分布図作成手法を確立することができた.今後の観測の継続性を考えると,MODISやそれに続く次世代環境観測衛星シリーズであるNPOESSのVIIRSセンサによる湿地水田分類図の提供および提案手法の評価はもちろんのこと,入手可能になるであろうマイクロ波による全天候型観測も視野に入れた長期的な展望が必要である.

審査要旨 要旨を表示する

湿原は、野鳥など多様な生物の生息域としてラムサール条約や生物多様性条約においてその環境保護の必要性がうたわれている。また、水田は、世界の総面積のおよそ90%がアジアに分布するとされており、数十億人の食料源である米の生産場所として重要な地位を占めている。さらに湿原や水田は、地球温暖化ガスの 一つであるメタンの主要な発生源としてもその重要性が指摘されはじめた。食糧の安定供給、生物多様性の保護、温暖化ガス(メタン)発生の管理など様々な視点から、水田や湿原の分布とその変動に関する情報を収集することは緊急の課題であるが、湿地域は湛水状態や植生の被覆状態が短期間に変動するため、その分布や環境変動を把握することは難しく、正確な情報は極めて少ない。

世界各地に分布する水田や湿原に関する情報を収集するには、地上での数少ない測定点における観測のみでは困難であり、人工衛星等を利用したリモートセンシングによる観測が不可欠である。リモートセンシング技術の進歩は、近年目覚しいものがあり、環境、災害等の監視、評価等多くの分野での応用が試みられているが、湿地のように広域に分布し、かつ地表面被覆状況が複雑で、その変動も早い地表面対象では、高頻度、高空間分解能、かつ広域の衛星画像処理が必要となるため、これまで、全球・大陸規模での分布図が作成されていなかった。

本研究では、湿原および水田などの湿地域を対象として、高精度で、その分布や変動に関する情報を抽出するための新たなリモートセンシングデータ解析手法を開発することを目的とした。特に、世界最大の泥炭湿原である西シベリア湿原と、世界最大の稲作地帯である東南アジアおよび東アジアの水田を対象として、広域・高頻度の地球観測センサーであるMODISからの衛星データを利用することにより、湛水状態を考慮したうえで湿原、水田の分布図を作成することを試みた。MODISは近年打ち上げられた比較的新しいセンサーであるが、従来、地球規模の観測に利用されてきたNOAA/AVHRRに比較し、波長のチャネル数や空間分解能が改善されており、新たなデータ手法を開発することにより、精度の高い地表面観測が可能となるものと期待されている。

本研究で新たに開発された手法は、以下のようにまとめることができる。まず、広域観測データから画素単位以上の詳細な情報を得るために、広域・高頻度観測センサーMODISと高空間分解能観測センサーASTERからのデータを併用することにより局所的な情報を広域に外挿し、一画素内における土地被覆カテゴリの面積被覆率を推定するためのカテゴリ分解手法を開発した。また、湿地や水田の湛水状態を把握するために、植生や土壌、水の混合状態を表すMODIS正規化植生・土壌・水指標を開発した。この指数は、従来から使用されているAVHRRからの正規化植生指数 (NDVI) に比較し、地表面の湛水状態を反映しており、湿地の評価には有効である。さらに、湿原、水田を評価するうえで重要なパラメータである地表面温度を高精度で推定するために、カテゴリ分解によって推定した土地被覆カテゴリ面積比率により、一画素内の放射率を評価したうえで温度を推定するカテゴリ被覆率調整地表面温度推定手法を開発した。

開発された新たな衛星データ解析手法を利用して、西シベリア湿地の湿原分布図ならびに、東南アジア、東アジアにおける水田分布図を作成した。西シベリア湿原においては、上記のカテゴリ分解手法により、アカマツ、シラカバ、ボグ(湿原)、パルサ(湿原)、水域、裸地の6カテゴリの面積比率を推定した。これは、従来利用されている最尤法などの画素単位でのカテゴリ分類に比較し、画素内の面積比率を推定することができるため、湿地抽出の精度が大きく向上する。

水田については、単期作と多期作の観点から、東アジアと東南アジアに分けて分布図作成を行った。日本,韓国,北朝鮮を含む東アジでは、毎日観測されるMODISから雲を除去して15日毎の雲無し合成画像を作成し、稲の成長パターンを植生指数(NDVI)の時系列データから評価することにより水田分布図を作成した。高解像度データであるASTERデータから作成した水田分布画像を用いて一部の地域で検証した結果、二乗平均誤差は約15.3%であった。東南アジアでは、MODISデータから正規化植生・土壌・水指数とカテゴリ被覆率調整地表面温度の分布画像を作成し、これらの画像から水田の植え付け時期の違いや一期作、二期作の違い等を考慮した分布図を求め、湛水時期と稲の生長度合いの年間変動を空間的に求めた。作成した水田分布を、IGBP-DISデータ(AVHRRから作成)とIRRIが公表している国別統計データと比較した結果、MODISを用いて作成した水田分布画像から求めた水田面積は、従来のAVHRRを使用して求めた推定値よりも格段に精度が高いことが明らかとなった。

本論文の構成を以下にまとめた。

第1章では、水田、湿地観測の重要性、リモートセンシング利用の必要性、本研究の独自性などをまとめた。

第2章では、本論文の独自性の核となる湿地・水田分布図作成の高精度化手法の開発について述べた。新たに開発した手法として、ミクセル分解手法、正規化植生・土壌・水指数、カテゴリ被覆率調整地表面温度推定手法について紹介した。

第3章では、MODIS雲なし合成画像作成の前処理手法の開発について述べた。放射量補正・幾何補正・大気補正・合成処理などの前処理の改善点について記述した。

第4,5,6章では,湿地・水田分布図の作成について述べた。第4章では,MODISデータのカテゴリ分解に基づく、西シベリアにおける湿原分布図作成結果について述べた。第5章では、MODIS時系列合成画像による、東アジア水田分布図作成結果について、また、第6章では、東南アジアにおける水田分布図作成結果について記述した。

第7章では結論および今後の展望をまとめた。

本論文は、これまで全球・大陸レベルでの広域分布情報が得られていなかった湿原、水田を対象として、精度の高い分布図、またその環境変動図を作成したことに独創性を有する。また、得られた分布図は有用性に富むものと評価できる。さらに、本研究では、Web によるデータ配布システムを独自に構築し、衛星データや得られた分布図を世界に発信することにより成果の公開に貢献した。

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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