学位論文要旨



No 118924
著者(漢字) 平林,由希子
著者(英字)
著者(カナ) ヒラバヤシ,ユキコ
標題(和) 全球主要河川の極値流量長期変動に関する研究
標題(洋) Global analysis on long term variations of extreme river discharge
報告番号 118924
報告番号 甲18924
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5656号
研究科 工学系研究科
専攻 社会基盤工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 沖,大幹
 東京大学 教授 安岡,善文
 東京大学 教授 小池,俊雄
 東京大学 教授 佐藤,慎司
 東京大学 教授 木本,昌秀
 東京大学 助教授 楊,大文
内容要旨 要旨を表示する

UNESCO の定義によれば,水文学とは地球上の水の分布・循環構造を明らかにし,かつそれと人間活動との関連をも明確にする科学的分野とされている.水文学の一分野である水文・水資源工学では人間活動に強く影響を及ぼす渇水や洪水などの原因を解明し,予測し,それらによる人間活動への被害を軽減することを第一の目的としてきた.特にこれまでの水文・水資源工学では,降水量や河川流量などの観測値から対象地域における確率統計的な長期的性質(例えば洪水の再帰確率など)を求め,それらをダム計画などの人間活動に役立ててきた.数十年に一度といった確率で生じる大規模な渇水や洪水を算定するためには,対象とする再現期間と同程度の長期間の観測データが必要である.しかし,得られる観測値の長さが不十分な所においてもともかく洪水などの再帰確率流量を求めなければならないという必要上の理由から,求める再帰期間よりもごく短い期間の観測データが極値水文量の統計的性質を推定するために用いられてきた.ところが渇水や洪水の直接の原因となる降水は数年周期のエルニーニョやそれ以上の時間スケールで振動(変動)する気候と共に変動する物理量であるため,観測データの期間が短い場合にはその期間が変動周期のどこに位置するかによって得られる極値の再帰確率が変わってしまう.さらに将来的には地球温暖化の可能性が高いと指摘されており,将来の気候変化によってこれまでに蓄積したデータの統計的性質が将来には適用することができなくなる可能性がある.

そこで考えられる手法として,気候モデルによって物理的に求められる現在及び将来の気候変動の予測結果を入力値として陸面の水熱収支を解く陸面モデル(LSM)と河川モデルを駆動し,それらのモデルから算出される長期間の水文量から大規模な渇水及び洪水の極値変動を求めることが挙げられる.しかし,温暖化実験などに用いられる数値気候モデルは近年目覚ましい発展をとげてきてはいるもののその精度や誤差はモデルにより,また対象とする領域によってまちまちである.それらを入力値として得られる河川流量の誤差も大きい.一方,気候モデルの出力値のかわりにLSMに与えられるような過去の長期の大気外力はグローバルには月降水量と月平均気温くらいしか無いため,現在のLSMと河川モデルが過去に実際に生じた数十年に一度の渇水や洪水を適切に再現できるかということを示した研究がなかった.

そこで本論文では,将来の渇水・洪水予測の信頼性を示すためにはまずは過去の大規模な渇水・洪水を再現できることを示すことが重要であるという観点から,気候モデルと同じ数百km のマクロスケールにおいて検知できる流域面積が1万km2以上の世界の主要河川を対象とし,温暖化実験などに用いられる現在のLSMと河川モデルの枠組みで数十年に一度生じるような大規模かつ深刻な渇水・洪水がどの程度再現できるのかを明示することを目的とする.

これに対する本論文における成果は以下である.

まず研究の第一段階として,気候モデルの地表面下部境界条件を与えることを目的として開発されてきた既存のLSM の陸域水循環,特に流出過程に着目した検討を行った.その結果以下のことが判明した.

TOPMODEL をマクロスケールに適用するためには,室内実験で求められた土壌の飽和透水係数を地表面から2m深さの compacted value と見なし,その値からTOPMODELの式を逆算して求めた地表面近くの飽和透水係数を用いれば,現実的な地下水流出量が再現できる.TOPMODEL の減衰係数は3.0 [1/m ] 程度がグローバルに適用できる値である.

土壌最下層の定義が4mと深いと地下に貯留できる水の量が多くなるため,タイやアマゾンのように本来土壌の乾燥度が蒸発散を制限するような場所でも蒸発散に制限がかからずに過大な蒸発散とそれに伴う河川流出の減少が生じる.また,土壌が深いと雨季の初めの流出の始まりが遅くなる.これに対し最下層深さを地表から2mにしたところ蒸発散の抑制が効き,他のLSMの結果に近づいた.

小河川流域を対象とした検証実験では,改良したモデルが元のモデルに比べて日単位の流量のピークや地下水量の変動を比較的良く再現できるようになったことが確認された.

モデルで表現できる流域面積が1万km2以上の河川を対象として,改良したLSM による過去の大規模な渇水・洪水の再現を行うことを試みた結果,モデルの河川流量の定量的な誤差は大きく,他のLSMと同程度の再現精度であることが判明した.年水収支では元の降水量の誤差もあり多くの流域で過小評価であった.

これらの結果をふまえ,ピーク期間のずれや定量的な問題は残るにしろ改良したLSMと河川モデルでは降水に伴う流出の増減は再現できていると判断し,これらを用いた過去の極値流量シミュレーションを行った.

数十年に一度生じるような再帰確率の低い極値流量を再現するためには,まず過去の数十年以上の大気外力が必要となる.そこでLSM で算出される河川流出量がどの大気外力に大きく影響を受けているかを調べるために,月平均値や異なる年の大気外力をLSMに与えた感度実験を行い,LSMから算定される河川流出量の変化を調べた.その結果以下が判明した.

LSMにより算定される流出量の算定結果にはモデルに与える降水強度の頻度分布と降水日数が特に大きく影響を与える.

この影響は植物の遮断蒸発過程が原因であるため,植生の葉面積指数(LAI) がある程度(2以上)大きい場所で降水データに対する河川流出量の感度が大きい。 また,植物が遮断できる最大量は2 mm であり雨季の降水日数が約10数日の地点が多いことから,月降水量が100mm前後の場所で最も感度が高い.月降水量がそれ以上でもそれ以下でも感度が下がる.

そのように降水の頻度分布に対するモデルの感度が高い地域においても,月降水量からガンマ分布法を使って作成した日降水量をLSMに与えて算出される蒸発や流出量などの水収支は,降水量の観測値をLSMに与えた時の水収支とほぼ同じになる.

降水以外の大気外力のうち,地表気圧及び気温に対するLSMの水収支への影響はあまり大きくなかった. 比湿と放射については年50mm程度の流出の変化がみられた.風速は月平均を与えた場合と6時間値を与えた場合の年流出量の差は熱帯域などで約300mmとなるなどLSMの水収支への影響が大きかったが,異なる年の6時間値を与えた場合との差はあまり大きくなく,年流出量は風速の平均値よりも標準偏差に大きく影響を受けていることが判明した.つまり風速データがない場合に他の年の風速データを用いたとしても,LSMで算定される流出量の変化はあまり大きくない.

これらの結果は,過去に月降水量しか得られない場合でも,ガンマ分布法を用いることによってその場所の統計的な河川流量の特徴を算出することができる可能性を示唆している.

以上の知見をもとに,全球範囲で利用可能なデータセットとして存在する月平均降水量と月降水日数,月平均の最大気温・最小気温のみから,統計手法と経験式を用いて過去百年分の大気外力データを作成することを試みた.まず,月降水量をガンマ分布法で日降水量に分解し,1次マルコフ連鎖モデルを用いて月内に配置した.次に,統計的に大気外力を作成する Stochastic Weather Generator を構築し,月平均の最大気温,最小気温,日降水量と,既存のデータセットから抽出した気象データの統計的性質を組み合わせることによって日単位の最大気温,最小気温,下向き短波放射を作成した.次に日平均の最大気温と最小気温から,緯度情報と三角関数を用いて3時間単位の気温を求めた.さらに放射量と水蒸気圧の関係などいくつかの経験式や統計手法を用いることによって,過去百年間(1901-2000)の月降水量と月平均の最大・最小気温のデータセットのみから過去百年の降水量,気温,下向き短波放射,下向き長波放射,地表気圧,比湿などの大気外力データセットを全球1度格子で作成した.さらに過去百年の耕作地面積率のデータを用いて,現在の土地利用分類を基礎として耕作地面積のみが過去に向かって減少する百年間の土地利用データを作成した.

最後にこれらを用いた過去百年の全球河川流量シミュレーションを行って渇水と洪水の指標を作成し,流量観測値から求めた渇水・洪水及び過去の災害データとの比較を行った.その結果以下が示された.

現在のLSMと河川モデルの枠組みで現実の大規模な渇水や洪水の分布がグローバルに再現できることが確認された.しかし観測値とモデルの百年洪水の流量の誤差は大きいため,定量的な極値シミュレーションのためにはLSMと河川モデルのさらなる改良が必要である.

30年洪水の過去のトレンド解析では,南北アメリカと東ヨーロッパで増加トレンド,アフリカでは減少トレンドが示された.また中国では降水量が増加トレンドであるにもかかわらず洪水は減少トレンドであった.

このような過去の現実の渇水・洪水と全球を対象としたLSMの結果とを対応付けて示した研究は世界でもこれまでになく,河川流量の平均や極値流量の比較のみならず,現実の渇水・洪水との比較からLSMの検証を行う新たな手法が本論文によって提示された.

結論として,本論文により温暖化実験に使われるような現在のマクロ陸面モデルでは過去に対応した渇水や洪水が再現できることが示されるとともに,将来の水資源計画に陸面モデルを用いることの有用性が示された.

審査要旨 要旨を表示する

地球規模の環境変動に伴い、洪水や渇水の頻度が変化することが懸念されており、地球温暖化等によって、水循環がどう変化するか、等に関する研究が焦眉の急となっている。しかし、そうした将来予測が蓋然性を持つためには、長期にわたる過去の水循環変動やそれに伴う洪水や渇水等が適切に表現できることが大前提となる。

本研究は、陸面水文植生モデル(Land Surface Model ; 以下LSMと略する)ならびに河川流路網を用いて、20世紀100年間におよぶ水循環の変動を、南極を除く陸面全体に関して数値シミュレーションによって再現したものである。場所と期間によっては存在する水循環の観測値や洪水や渇水などの記録と比較検証することによってその精度が確認され、LSMと河川流路網とによりグローバルかつ長期の水循環の変動を再現できることが示されている。

まず研究の準備段階として気候モデルの地表面下部境界条件を与えることを目的として開発されてきた既存のLSM(当該研究では東京大学気候システム研究センターと国立環境研究所で開発されたMATSIROを利用)の陸域水循環に関して、特に流出過程の吟味を行い、標準設定で利用されている土壌物理パラメータや層厚などをより適切に設定することで流出シミュレーションの精度が向上することを示し、以後の研究ではそれらが用いられている。

LSMを用いて長期シミュレーションを行うためには降水量や陸面に入射する放射エネルギーなど、いわゆる外力が長期にわたり日単位、あるいは3時間単位といった細かい時間スケールで必要となる。そうした観測データは20世紀の最後10〜20年分しか揃っておらず、長期に利用可能な観測に基づくグローバルデータセットは、イーストアングリア大学(イギリス)Climate Research Unit(CRU)が編集した月降水量、月降水日数、月平均最高気温、月平均最低気温しかない。そこで、本研究では、時間的分割が年流量に及ぼす影響を調べた上で、降水量に関しては1次マルコフ連鎖によって生起する日降水量がガンマ分布に従う様に月降水量から日降水量時系列が作成された。この際の統計的パラメータは近年のグローバル降水量データから同定され、また、オリジナルのCRUデータでは考慮されていなかった風速補正も加えられている。下向きの放射量や地表面付近の気温、風速、湿度等他の外力に関しては、統計的 weather generator を構築して、日降水量時系列ならびに月平均の最高気温、最低気温情報からすべて作成された。

この100年間の外力、ならびに、境界条件としての土地利用の変化の推定値をLSMに与えることにより、100年間の地表面水エネルギー収支が算定された。これにより算定される流出量は河川流路網を用いて集計され、統計解析によって洪水、渇水の超過確率によって指標化され、河川流量の実測値から作成された同様の指標や新聞記事などから作成された歴史的災害データと比較された。その結果、本研究による長期グローバル水循環シミュレーションはそれら実測をよく再現していることが示され、LSMと河川モデルにより数十年に一度のような大規模な渇水及び洪水を再現できるということが示されている。しかし、半乾燥地や高緯度に関して、年流量の年々変動の再現性が他の地域に比べて悪い点も見られ、今後、LSMそのもの、パラメータ、外力作成などに関して改良の余地があることも指摘されている。

さらに、流量のみならず、ユーラシアや北米における積雪面積や土壌水分量などの長期変動に関して、観測がある期間については実測推定値と本研究シミュレーションの算定値とが良く対応していることも示されている。これは水循環シミュレーションの妥当性が裏づけされているのみならず、土壌水分や積雪、あるいは流量に関する長期観測データが存在しない地域、期間について、本研究で示された手法によりデータ補間ができる可能性を示すものであり、地球規模環境変動研究としても高く評価される。

30年確率洪水の生起回数に関する、20世紀100年間のトレンド解析では、南北アメリカと東ヨーロッパで増加トレンド、アフリカでは減少トレンドであり、また、中国では降水量が増加トレンドであるにもかかわらず洪水は減少トレンドであることなども示されている。このように,本論文では現在のLSMと河川流路網の枠組みで現実の大規模な渇水や洪水の分布がグローバルに再現できることが確認され、過去100年の洪水の増減傾向が示されている。

この様に、現実の渇水・洪水をグローバルに100年分算定した研究は世界でも他に類をみず、また、本研究で用いられた手法により地球温暖化に伴う水循環変動といった、今後100年の洪水や渇水の変動を推計可能な枠組みも示されるなど、水資源工学への貢献は極めて大きい。

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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