学位論文要旨



No 118928
著者(漢字) 森田,芳朗
著者(英字)
著者(カナ) モリタ,ヨシロウ
標題(和) 住環境における共同性の成立機構に関する研究 : 公/共/私の境界における所有と利用の権利関係調整手法に注目して
標題(洋)
報告番号 118928
報告番号 甲18928
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5660号
研究科 工学系研究科
専攻 建築学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 松村,秀一
 東京大学 教授 坂本,功
 東京大学 教授 長澤,秦
 東京大学 教授 伊藤,毅
 東京大学 助教授 西出,和彦
内容要旨 要旨を表示する

ストック型社会におけるハウジングの主題は、住宅の新規建設やその取得に重点が置かれてきたフロー型社会のそれとは自ずと異なってくる。一言でいえば、それは「開発から運営へ」という移行である。同時に、この主題の移行は「単体としての建物から地域的な住環境へ」というハウジングの対象の移行をも意味している。また、長期に亘って運営されるべき住環境の質を考える際、しばしば諸外国の良好な住宅地や都市の空間像が目指されるべき目標として持ち込まれるが、それらを成立させている制度的基盤に関する知識なしに、単なる形態だけの模倣にとどまるとすれば、その定着は望むべくもないだろう。なぜなら、それらの諸国においては、厳格な「公/私」の二分法が住環境形成のあり方を強く規定している日本においては見出し難い、住環境の「共同性」という概念が当然に導き出される制度的基盤が存在しているからである。

本研究は、こうした観点から、持続可能な住環境運営を図っていく際に最も重要な課題となると思われる、「公/共/私」の各主体が持つ権利や義務のあり方とそれらの調整手法に関する考察を行うことによって、日本型ストック型ハウジングへの移行に向けた予備的知見を提示することを目的としている。具体的には、(1)まず、日本の法制度の特質を確認した上で、その特質が住環境変容にいかなる影響を及ぼすかについて指摘し、(2)次いで、日本とは対照的な法制度の下で成立している特徴的な住環境の形成機構に関する事例分析を行う。(3)最後に、これらにおいて見出される「境界」のあり方を積極的に解釈することによって、日本型ストック型ハウジングに向けた予備的知見を提示した。

本論文は、上記の目的に対応する、(1)日本の住環境変容の特質に対する問題提起(第2章)、(2)特徴的な共同性の成立機構に関する事例分析(第3、4、5章)、(3)結論(第6章)の3部から構成される。以下、その構成を示す。

日本の住環境変容の特質に対する問題提起

第2章では、まず研究の対象領域を明確化するために、文献調査に基づきながら、諸外国および日本において前提とされる関連法制度の基本的な構成原理を概観した(第1節)。具体的には、(1)私的所有権に対する観念、(2)私的所有権制限の根拠、(3)土地と建物の間の法的構成、の3点に着目し、それぞれ、(1)「絶対的/相対的」所有権観念、(2)建築「自由/不自由」の原則、(3)土地建物「非一体/一体」の原則、という法原則の対照性が存在することについて確認した。日本の法原則は、いずれもこれらの前者をとっている。

第2、3節では、こうした日本の法制度の特殊性が経年的な住環境変容にもたらす影響について、事例調査および文献調査に基づきながら、考察を進めた。具体的には、まず、第2次世界大戦後に借地上の建物のみの払い下げを受けた同潤会新山下普帳住宅地区を事例としてとり上げ、(1)「土地建物非一体の原則」に起因する日本の特異な借地制度は、新山下地区の自律的な住環境形成を妨げる要因となったこと、(2)払い下げ時に土地所有権を得た他の地区は、戸建て住宅地への変貌を遂げていること、(3)これらのいずれの地区においても、計画時に意図された地区の住環境の特性は積極的に継承されているとは言い難いこと、の3点について指摘した(第2節)。

次いで、公団が共同性を意図して1960年代に開発した分譲二戸一住宅地区を事例としてとり上げ、(1)「建築自由の原則」および「土地建物非一体の原則」に起因する日本の特異な宅地志向は計画時に意図された共同性を低下させる傾向にあり、当初の連続型住宅はいまや共用部分を持たない戸建て住宅へと建て替えられつつあること、(2)類似した建物形式であるタウンハウスにおいては建物の物的変化はまったく見られないが、それは区分所有が採用された結旺にすぎないこと、(3)かつて盛んに開発が試みられた連続型住宅という住宅形式も、日本においては継承されるべき住環境の「型」としては定着するに至らなかったこと、の3点について指摘した(第3節)。

特徴的な共同性の成立機構に関する事例分析

第3、4、5章では、日本とは対照的な法原則をとる諸外国において見られる「公/共/私」間の特徴的な住環境形成の分担関係に着目し、それらの関係性において「所有/利用」の権利関係調整はいかに図られているかについて考察した。本来これらの主体の組み合わせには、「公/公」「公/共」「公/私」「共/共」「共/私」「私/私」の6種類が存在し得るが、本研究は閉鎖的な「私」のあり方に対する問題提起を試みるものであるため、このうち「私」を含まない組み合わせについては考察の対象外とした。

第3章では、近代社会において生み出された絶対的所有権観念が本来いかなるものであったかを再確認するために、このうち「公/私」間に成立し得る「所有/利用」の空間的な複合形態に注目した。具体的には、まず日本の雁木帳りおよび台湾の騎楼を事例としてとり上げ、文献調査に基づきながら、(1)これら私有地内の往来空間は現在においては採用されなくなりつつあること、(2)その要因は私的所有権制限の外在性に認められること、の2点について指摘した(第1節)。

次いで、これとは対照的に今日に至るまで強固に継承されてきた私有地供出による街路形成手法であるイタリアのポルティコを事例としてとり上げ、事例調査および文献調査に基づきながら、(1)イタリアにおいて私的な所有権は、歴史的にも一貫して、公共性すなわち都市住環境の共同性との関係性においてのみ認められてきたこと、(2)つまり、ここでは私的な所有権は何ら絶対的な権能ではなく、むしろ都市共同体の側から私人に付与される制限付きの権能として観念され、したがって「公/私」間の「所有/利用」に関する境界も、必ずしも同一の境界線上には導かれないこと、(3)この私的所有権制限の内在性という観念は、20世紀以降の都市計画制度の発展過程ととも確固たる地位を得るに至ったこと、の3点について指摘した(第2節)。

第4章では、ポルティコを持つ連続型住宅を成立させているもうひとつの側面である「私/私」間の相隣関係に注目した。具体的には、まずイタリアおよびフランスの境界壁規程を取り上げ、文献調査に基づきながら、(1)利用権の根拠を所有権に求める絶対的所有権観念をとるこれらの諸国においては、境界壁に対する働きかけの根拠も主として壁の共有権に求められること、(2)そうした背景の下、連続型住宅という住環境の「型」の継承を保障するために、境界壁の共有権取得権は広範に認められていること、の2点について指摘した(第1節)。

次いで、これとは対照的に、そうした境界壁規程をむしろ利用権の側から構成してきたイギリスのパーティウォール規程をとり上げ、文献調査に基づきながら、(1)この規程において、壁に対する働きかけが認められる「オーナー」は、必ずしも狭義の所有者のみを指さないこと、(2)同様に、この規程の客体である「パーティウォール」も、必ずしも境界線上の壁のみに限定されないこと、(3)こうした広範な利用権の行使が認められる相隣関係において、仲裁者としての「サーベイヤー」の存在は大きな意味を持つこと、(4)ただし、このパーティウォール規程も、積層型の集合住宅には対応し得ず、第2次世界大戦後に普及したこの住宅形式においては、専ら所有権に根拠を持つ住環境運営形態が主流を占めてきていること、の4点について指摘した(第2節)。

第5章では、世界的にも20世紀以降に創出された住戸単位での不動産所有形態に注目し、この所有形態において「住宅の私有財産性/住環境の共有財産性」の均衡はいかに図られ得るかについて考察した。具体的には、事例調査および文献調査に基づきながら、(1)大半の諸国が採用する区分所有法制は基本的に「専有/共用」の考え方をとっていること、(2)なかでも日本の区分所有法制は、建て替え規程を持つ点において特異であること、(3)この特異な建て替え規程を導入した韓国においては、他国に類を見ないほどの建て替え実績が上げられた結旺、住宅は流通可能な財貨としての性格を強く帯びてきたこと、の3点について指摘した(第1節)。

次いで、これとは対照的な「共有/専用」による所有形態であるコーポラティブをとり上げ、事例調査および文献調査に基づきながら、(1)この所有形態により運営される住宅地において、住環境形成に関する「共/私」の分担関係は空間的にも途切れておらず、また時間のなかでも調整され得ること、(2)住宅の私有財産性が市場において保障されにくいという難点を持つこの所有形態において、各人が有する唯一の資産である住環境の運営規程は重要な意味合いを持つこと、の2点について指摘した(第2節)。

結論

第6章では、本研究の到達点を示し、残された今後の課題を整理した。

審査要旨 要旨を表示する

提出された学位請求論文「住環境における共同性の成立機構に関する研究-公/共/私の境界における所有と利用の権利関係調整手法に注目して-」は、日本を含む複数の国において、住環境運営に関わる権利及び義務のあり方を規定する制度的な基盤を明らかにした上で、日本における今後の住環境運営の方向性を見極めようとした論文であり、全6章からなっている。

第1章「序論」では、先ず、研究の背景、目的、既往の関連研究の成果等を明らかにしている。その中で、持続可能な住環境運営において「公/共/私」の各主体が持つ権利や義務のあり方とそれらの調整手法が重要であることを指摘した上で、そのことに関連する日本の法制度の特質が住環境変容にいかなる影響を及ぼすかを明らかにすること、日本とは対照的な法制度の下で成立している特徴的な住環境の形成機構を解明すること、そこで見出される空間の境界のあり方をこれからの日本の住環境運営に寄与する形で整理すること、の3つを具体的な目的として設定している。

第2章では、先ず、文献調査に基づき、諸外国および日本において前提とされる関連法制度の基本的な構成原理を明らかにしている。具体的には、「絶対的/相対的」所有権観念、建築「自由/不自由」の原則、土地建物「非一体/一体」の原則、という法原則の対照性の存在を指摘し、日本の法原則が、いずれもこれらの前者をとっていることを明らかにしている。次に、こうした日本の法制度の特殊性が経年的な住環境変容にもたらす影響を、事例調査によって明らかにしている。同潤会新山下町住宅地区の調査では、「土地建物非一体の原則」が自律的な住環境形成を妨げる要因となったこと、計画時に意図された地区の住環境の特性は積極的に継承されているとは言い難いこと等を指摘している。旧住宅公団が1960年代に開発した分譲二戸一住宅地区の調査では、「建築自由の原則」および「土地建物非一体の原則」に起因する日本の特異な宅地志向が計画時に意図された共同性を低下させる傾向にあること等を指摘している。

第3章では、「公/私」間に成立し得る「所有/利用」の空間的な複合形態の可能性を明らかにしている。具体的には、先ず日本の雁木および台湾の騎楼に関する文献調査に基づき、私有地内の往来空間が、私的所有権制限の外在性のために採用されなくなりつつあることを指摘している。次いで、これとは対照的に今日に至るまで継承されてきた私有地供出による街路形成手法であるイタリアのポルティコに関する現地調査および文献調査に基づきながら、そこでの私的所有権制限の内在性を明らかにし、それが20世紀以降の都市計画制度の発展過程ととも確固たる地位を得たことを明らかにしている。

第4章では、「私/私」間の相隣関係の調整の可能性を明らかにしている。具体的には、先ずイタリアおよびフランスの境界壁規程に関する文献調査により、境界壁に対する働きかけの根拠が主として壁の共有権に求められ、その取得権が広範に認められていることが、連続型住宅の継承を可能にしていることを指摘している。次いで、これとは対照的に、境界壁規程をむしろ利用権の側から構成してきたイギリスのパーティウォール規程に関する文献調査によって、広範な利用権の行使が認められる相隣関係において、仲裁者としての「サーベイヤー」の存在が大きな意味を持つこと等を指摘している。

第5章では、積層型集合住宅における「私/共」間の権利関係の調整の可能性を明らかにしている。具体的には、多くの国が採用する区分所有法制は基本的に「専有/共用」の考え方をとっていること、日本の区分所有法制は建て替え規程を持つ点において韓国とともに特異であること、建て替え規程を導入した韓国では住宅が流通可能な財貨としての性格を強く帯びてきたこと等を指摘している。次いで、区分所有とは対照的なコーポラティブについて、この所有形態により運営される住宅地において、住環境形成に関する「共/私」の分担関係は空間的にも途切れていないこと、各人が有する唯一の資産である住環境の運営規程が重要な意味を持つことを指摘している。

第6章「結論」では、前5章で明らかになった住環境運営に関わる権利関係調整の多様な手法を、これからの日本の住環境運営に寄与する形で整理した上で、関連する今後の研究課題を見極め、本論文の結論としている。

以上、本論文は、綿密な文献調査と広範な事例実態調査に基づき、これまで明らかにされていなかった空間に関する権利関係調整手法と住環境運営の実態との関係を明らかにした論文であり、建築学の発展に寄与するところが大きい。

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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