学位論文要旨



No 118930
著者(漢字) 石橋,睦美
著者(英字)
著者(カナ) イシバシ,ムツミ
標題(和) 居住空間における音環境の心理的評価
標題(洋)
報告番号 118930
報告番号 甲18930
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5662号
研究科 工学系研究科
専攻 建築学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 橘,秀樹
 東京大学 教授 加藤,信介
 東京大学 助教授 平手,小太郎
 東京大学 助教授 大岡,龍三
 東京大学 助教授 坂本,慎一
内容要旨 要旨を表示する

居住空間の音環境設計の基本は、その音環境を形成する室外諸音源に対し適切な遮音設計をして、かつ室内発生騒音をおさえることといえる。これらの設計では、その居住空間で目標とする音環境を達成することが建築側に求められるが、この設計目標となる基準や設計指針は居住者の要求を満たすよう設定されるべきであり、そのためには人間の主観に基づいた音環境評価の方法を検討する必要性があるといえる。

音環境に対する主観評価において、最も基本的な音の属性はラウドネス(音の大きさ)であり、音環境に関する多くの社会的問題は音の大きさに起因することが既往の研究において示されている。環境基準においても等価騒音レベルという音の大きさを表す評価指標が用いられ、居住空間の音環境設計においてまずはこのレベルをおさえることが要求されることとなった。代表的なラウドネス評価指標としてはISO 532Bに規定されているZwicker's loudness levelが挙げられ、また実用的な点からいうとA特性音圧レベル(騒音レベル)が騒音評価量として広く普及している。これに加え、きわめて簡便な方法で算出されるオクターブバンド音圧レベルの算術平均値は、既往の研究において様々な環境騒音に対し、ラウドネス評価指標としての妥当性が実験的に検討されている。このように居住空間の音環境に対してラウドネスに着目した評価方法は整備されつつある。

しかし、近隣騒音などは低いレベルの音でも問題となることが社会調査によって指摘されており、ラウドネスという基本的属性だけでなく、アノイアンス(annoyance:明確な定義はないが、本論文では生活行為への妨害感や気になるという感覚を表すものとして用いる)というさらに広い視点から音環境評価の方法を検討する必要がある。特に居住空間が日常の生活の場であることを考えると、睡眠や会話といった具体的な生活行為に対する影響を実験室実験によって定量的に把握し、音環境設計に反映させていくことが必要といえる。

この点を踏まえ、本論文では居住空間の音環境を評価する上で考慮すべき点について、まずはラウドネスという立場から、続いてアノイアンスという立場から心理的評価実験を通して検討を行い、音環境設計指針に有用な基礎資料を得ることとした。

第1章では既往の研究をラウドネス評価に関する検討とアノイアンス評価に関する検討に分類し、それぞれの評価に影響する要因をその検討結果から整理すると共に、現在の音環境評価における課題点を挙げ、その中から本論文で扱う問題点を記述している。その上で本論文の位置付けを行っている。

ラウドネス評価の課題として、既存の評価指標の妥当性を検討することが挙げられるが、本論文ではその一つとしてオクターブバンド音圧レベルの算術平均値について検討している。またアノイアンス評価については、居住空間の音環境を形成する様々な音源を対象に、特にその音の種類に着目して心理評価実験を行いラウドネス以外の要因による影響を定量的に把握し、音環境設計において考慮すべき点について検討している。

第2章では、居住空間における音環境のラウドネス評価の方法としてオクターブバンド音圧レベル算術平均値をとりあげ、まずは既往の研究にならって、様々なスペクトル特性をもつ音を対象にラウドネス評価実験を行った。その結果、環境騒音にしばしば見られる低周波数優勢で広帯域のスペクトル特性をもつ音に対し、主観量と高い相関関係が見出され、騒音に対するラウドネス評価指標としての妥当性が本研究においても確認された。そこで、この指標が主観的ラウドネスと対応が良い理由を検討するため、騒音の基本評価量であるA特性音圧レベル及びZwicker's loudness levelとの数式的関係について考察した。その結果、評価対象周波数範囲を63〜4kHzとした場合のオクターブバンド音圧レベルの算術平均値は、低周波数優勢で広帯域のスペクトル特性を対象とした場合、A特性音圧レベル及びZwicker's loudness levelの各評価量との間に高い対応関係が見られた。このことから、一般に広帯域で低周波数優勢なスペクトル特性をもつ環境騒音に対し、オクターブバンドの音圧レベルの算術平均値がラウドネス評価指標として有効であることが示唆された。

第3章では、居住空間の音環境を形成する音の種類に着目し、アノイアンス及びラウドネスの2つの側面から心理評価実験を行い、その影響を定量的に検討した。具体的には、居住空間の一つの典型である集合住宅の居室をとりあげ、外部交通騒音の一つである道路騒音や室内発生音の空調騒音に加え、社会調査でしばしば指摘される隣戸の生活音(ロック音楽透過音)や建築設備機器の音(ポンプ音)を対象に、まず評価の基本となるラウドネスについて評価実験を行った。その上でアノイアンス評価実験として、都市部の集合住宅の居間における休養を想定した実験室実験を行った。ラウドネス評価実験の結果では、音の種類に関係なく等価騒音レベルとラウドネスの間に高い相関関係が見られ、音源による差異は見られなかった。一方、アノイアンス評価実験の結果では、同じ種類の音に限ってみると、等価騒音レベルが大きくなればアノイアンスも大きくなり、等価騒音レベルとの対応がみられたが、音源の違いについてみると、意味性をもつロック音楽透過音や純音成分を含むポンプ音は、定常無意味雑音である空調騒音に比べて、同じ等価騒音レベルであっても、アノイアンスが大きく、音の種類によりアノイアンスに差異を生じることが示された。また、ロック音楽透過音やポンプ音に対する印象評価の結果から、音の大きさ以外の要因として音の意味(内容)や音色が関係していることが示唆された。

以上の結果から、アノイアンス、ここでは居住空間における生活行為への影響は音の種類によって異なることが示され、現在空間の用途ごとに設定されている許容値は、音源特性に応じて設定する必要性が示唆された。また、アノイアンスへの影響要因として、音の意味や音色が関係していることが示され、このことから音の物理的特性だけでなく音の質的側面を捉えて評価することが必要といえる。

第4章では、複数の音から成る音環境として複合音のアノイアンスについて、第3章と同様に集合住宅の居間における休養を想定した実験室実験により、その影響を定量的に検討した。本研究では複合音を暗騒音とそれによってマスクされる音(対象音)の2つに分類し、それぞれの音の種類及び騒音レベルの組合せに着目して、暗騒音によるマスキング効果及び複合音全体の評価について検討を行った。ここでは暗騒音を外部からの透過音である道路騒音、及び室内発生音である空調騒音とし、これらによってマスクされる対象音を建築設備機器の音、隣戸の生活音であるピアノ透過音及びロック音楽透過音とした。まず、評価の基本であるラウドネス実験を行ったところ、音の種類や騒音レベルの組合せに関係なく、ラウドネスは複合音全体の等価騒音レベルと高い対応関係を示し、音の種類や騒音レベルの組合せによる差異は見られなかった。一方アノイアンス評価の実験結果では、いずれも暗騒音によってポンプ音やロック音楽透過音などがマスクされ、問題となる音の影響が小さくなっていることが示されたが、複合音全体の評価としてみると、音の種類や騒音レベルの組合せによって次のような差異が見られた。ロック音楽透過音と空調騒音の複合音では、空調騒音の等価騒音レベルが小さい場合に比べて、適度に大きい場合の方が複合音全体のアノイアンスは小さくなり、さらにその適度な大きさを超えるとアノイアンスは等価騒音レベルと対応して大きくなることが示された。一方、道路騒音とロック音楽透過音が複合すると、道路騒音が単独である場合に比べてアノイアンスは大きくなり、負の複合効果が見られた。以上の結果から、アノイアンスと等価騒音レベルの間には非線形的関係がみられ、複合音全体のラウドネスだけでなく、その音の種類や騒音レベルの関係を考慮して音環境設計を行う必要性が示唆された。また空調騒音を適度なレベルで暗騒音に用いることにより心理的マスキング効果が期待でき、変動音である道路騒音を暗騒音として用いるよりもアノイアンスは小さくなることから、まずは適切な遮音設計を行うことが重要であると考えられる。

以上、居住空間の音環境評価の方法について、音の基本属性であるラウドネスと、生活行為への妨害感や気になるといった感覚としてのアノイアンスという2つの心理的側面から検討を行った。これらの検討結果から、居住空間の音環境設計では、ラウドネス評価により最低限度の条件を満たした上で、さらにアノイアンスという点から評価することの必要性が心理評価実験を通して確認された。これは、居住空間の用途によって画一的に決められている現在の基準に、音源特性を考慮した評価項目を加え、これに対応した遮音性能設計を行うことの必要性を示唆するものである。特に音源特性としてこれまでのように物理的特性だけに着目するのではなく、音の音色や意味内容といった質的側面を捉えて、そこで営まれる生活行為への影響を検討することで、音環境設計指針に必要な基礎資料を整備していくことが重要である。

審査要旨 要旨を表示する

「居住空間における音環境の心理的評価」と題する本論文では、住宅の居室などの居住環境における音環境設計の指針を確立することを目的とし、各種の騒音に対する人間の聴覚心理的反応について主として実験的に行った研究の成果を取りまとめている。

まず第1章では、関連する既往の研究をラウドネス評価に関するものとアノイアンス評価に関するものに分類し、それぞれの評価に影響する要因を整理すると共に現在の音環境評価における問題点を挙げ、その中から本論文で対象とする問題点を記述している。

第2章では、居住空間における音環境のラウドネス評価の方法として新たに提案されているオクターブバンド音圧レベル算術平均値をとりあげ、まずは既往の研究にならって、様々なスペクトル特性をもつ音を対象にラウドネス評価実験について述べている。この実験の結果、環境騒音にしばしば見られる低周波数優勢で広帯域のスペクトル特性をもつ音に対して主観量と高い相関関係があり、騒音に対するラウドネス評価指標としての妥当性を確認している。またその理由について、騒音の基本評価量であるA特性音圧レベル及びZwickerの loudness levelとの関係を数式的に考察している。

第3章では、居住空間の音環境を形成する音の種類に着目し、アノイアンス及びラウドネスの2つの側面から心理評価実験を行い、その影響を定量的に検討している。具体的には、居住空間の一つの典型である集合住宅の居室をとりあげ、外部騒音として一般的な道路騒音や室内発生音の空調騒音に加えて、隣戸の生活音(ロック音楽透過音)や建築設備機器の音(ポンプ音)を対象として、実験室における音場シミュレーション手法によってラウドネス、アノイアンスに関する評価実験を行っている。その結果、ラウドネスについては、音の種類・属性に関係なく等価騒音レベルとの間に高い相関関係を見出している。一方、アノイアンスについては、同一の騒音については等価騒音レベルが大きくなれば反応も大きくなるが、騒音の種類・属性によって大きく反応が異なり、特に意味性をもつロック音楽透過音や純音成分を含むポンプ音は定常無意味雑音である空調騒音などに比べてアノイアンスは大きい事を見出している。これらの実験結果から、居住環境における騒音の生活行為への影響は音の種類によって異なること、したがって騒音の許容値を設定する際にも音の種類・質的特性を考慮する必要があることを述べている。

第4章では、複数の音が存在する音環境におけるアノイアンスに関して、前章と同様に集合住宅の居間においてくつろいでいる状況を想定した実験室実験により、その影響を定量的に検討している。内容としては、複合音を暗騒音と対象音に分類し、それぞれの音の種類及びレベルの組合せについて、暗騒音によるマスキング効果及び複合音全体の評価について検討を行っている。この実験では、暗騒音としては道路交通騒音および空調騒音、対象音としては隣戸から透過するピアノの音、ロック音楽、および建築設備(ポンプ)の音を用いている。実験の結果としては、複合音の場合にも、ラウドネスについては等価騒音レベルで表される騒音の物理的大きさとの相関が高いが、アノイアンス反応としては、騒音の組み合わせ及びレベルによって反応はきわめて複雑であることを見出している。たとえばロック音楽透過音と空調騒音が複合した場合には、後者のレベルが適度に大きい方が全体のアノイアンスは減少し、そのレベルを超えるとアノイアンスは増加すること、また道路交通騒音とロック音楽透過音が複合した場合には、道路騒音が単独である場合に比べてアノイアンスは一様に大きくなることなど、複合騒音によるアノイアンスはきわめて複雑であることを示している。これらの結果から、居住空間における音環境の評価方法を検討する上で、単に騒音の物理的大きさだけでなく、騒音の種類、組み合わせなどについても十分考慮する必要があることを述べている。

以上に述べたように、本論文では居住空間の音環境評価ならびに設計指針を確立するための基礎的検討として、音の基本属性であるラウドネスとアノイアンスの二つの側面に着目し、既往の研究結果を整理した上で計画した聴感評価実験の結果をとりまとめている。その成果は、今後の居住空間における音環境の保全を考えていく上で貴重な知見と言える。

よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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