学位論文要旨



No 118932
著者(漢字) 鄭,昶源
著者(英字)
著者(カナ) チョン,チャンウォン
標題(和) 韓国ミッション建築の歴史的研究
標題(洋)
報告番号 118932
報告番号 甲18932
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5664号
研究科 工学系研究科
専攻 建築学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 藤森,照信
 東京大学 教授 鈴木,博之
 東京大学 教授 難波,和彦
 東京大学 教授 伊藤,毅
 東京大学 助教授 藤井,恵介
内容要旨 要旨を表示する

はじめに(第1章)

19世紀初頭から東アジアへの進出を本格化した西欧列強において、韓国(1)は「禁断の国(2)」、「隠者の王国(3)」と紹介されていた。それは、朝鮮王朝が「己亥迫害(1839年)」をはじめ、密入国して布教活動を行ったカトリック神父や信者らを処刑するなど、1876年の開国まで強い鎖国政策を固守したからである。

ところが、1884年に最初のプロテスタント・ミッションの宣教師が入国して以来、一転して韓国は、クリスチャンの国として急成長し、1910年の世界宣教大会ではその成長ぶりを「近代史における驚くべき素晴らしい業績の一つである」と紹介されるなど、世界を驚かすことになる。また、現在においても数え切れない教会が立ち並ぶなど、キリスト教は成長を続けている。

しかし、カトリック・ミッション建築の研究が進んでいるにくらべ、圧倒的な信者の数や多様な事業を展開したプロテスタント・ミッション建築に関する既往研究は、教会建築のデザイン分析程度にとどまっており、発展過程が不明のままである。一方、韓国近代建築に関する研究は、植民地時代の近代建築の形成に甚大な影響を与えた日本からの影響や近代建築教育を受けた韓国人建築家に集中した傾向があった。

そこで本研究では、現在まで既往研究で明らかになったものが韓国近代建築のすべてなどか、また日本の以外の影響はなかったか、などの問題提起とともに、急成長を遂げたキリスト教と西洋人宣教師に着目した。また、韓国に新たに伝来したキリスト教による建築、すなわちミッション建築の誕生、定着、発展過程を究明することで、韓国近代建築におけるもう一つの発展過程を明らかにすることを目標とした。

なお、研究方法は、主に当時の来韓宣教師による報告書などの文献資料を中心に研究を行った。また、研究対象は、プロテスタント・ミッションの活動において中核となる宗派、南・北長老教、南・北メソジスト教(以上、アメリカ)、オーストラリア長老教、カナダ長老教の六つを中心に、1884年から宣教師が追放される1941年まで、宣教師が中心となって展開された戦前のミッション建築を対象にした。

宣教師の定着とミッション・ステーションの設置(第2章)

初期に入国した宣教師は、北長老教と北メソジスト教の所属であり、ともにソウルに定着し、1885年から活動を開始した。その当初、まだ布教活動は禁止されていたため、彼らは医療・教育活動からミッション事業を展開することになった。その後、布教活動の自由とともに各宗派が続々入国し、上記の六つの宗派は、宣教の担当地域を分担して韓国全域で活動を本格化する。

特に、各宗派は、韓国の主な都市に宣教師が常駐しながら活動を行う拠点としてミッション・ステーションを設置し、さらに各都市にミッション・コンパウンドを設ける。

ミッション・コンパウンドとは、宣教師らの集団居住地であり、彼らの住宅、病院、ミッション・スクールなどの施設が建てられる。このミッション・コンパウンドの設置における特徴は、「丘の上の聖地」というべく、ほとんどの敷地が都心周辺の丘に設けられた。それは、(1)韓国人住居地の衛生問題、(2)土地購入の困難、(3)経済的な理由、(4)エルサレムの聖地「シオンの丘(Mt. Zion)」のように見上げられる場所、などの理由が絡み合った結果であった。

韓屋ミッション建築の誕生(第3章)

1895年、韓国で最初に建てられた「ソレ教会」は、瓦葺の韓屋建築(4)であった。その理由は、韓国に定着した諸宗派が採用した「ネビウス宣教政策」に起因したものであった。

同政策は、韓国人教会の「自給自足(Self-Supporting)」を主な原則にしており、教会建築を韓国人自らの能力で建設可能なものとすること、あるいは韓屋建築で計画することを奨励するものであった。同政策は、韓国教会に大きな影響を及ぼすことになり、後に大都市では洋風教会が建設されるものの、田舎などでは韓屋教会が持続的に建設され、1938年の報告では全国に建つ教会建築において藁葺きの韓屋教会がもっとも多いことが分かる。

一方、ミッション・ステーションに誕生する病院、学校などの韓屋建築は、その設立当初における臨時的性格が強いものであったが、韓国人を対象にする病棟や学校の寄宿舎は、主に韓屋建築で建設された。

韓屋ミッション建築から韓洋折衷建築へ(第3章)

次に既存の韓屋建築に現れた変化に目を移すと、宣教師の入国と同時に改築された宣教師住宅から現れる。また、新築の場合も初期には韓洋折衷様式の住宅が主流であった。特に、1907年の報告では、平壌の北長老教のコンパウンドにあるすべての宣教師住宅は、アメリカ式の室内に韓屋建築スタイルの外観で建てられており、その理由が初期の宣教師の韓国への同化に対する努力にあったことが分かった。

これらの韓洋折衷建築は、主に宣教師と韓国人大工の協力によって行われたものであった。特に、建築に携わった宣教師のうち、もっとも活発な活動を行った開拓宣教師としてGlaham Lee、Sharrocks、Clark、Wilsonの4名の活動を明らかにすることができた。彼らは自分が担当したミッション・ステーションの主なミッション建築を手がけており、既存の韓屋建築に見受けられない様々な変化をもたらすことになった。また、彼らの建築活動に参加した韓国人大工は、宣教師から影響を受けることになり、後に各地に建つミッション建築にその建築手法を拡大していくことになった。

一方、宣教師らは、入国当初から、韓国社会の労働を軽視する風潮や中流技術者層の不在などを指摘し、ほとんどのミッション・スクールに技術教育のための手工部(Industrial department)を設置した。そのなかには、木工を中心とした建築教育も行われ、その教育をきっかけにビルダーとして成長する者も現れる。

初期教会建築に現れる奇妙なプラニング(第3章)

韓洋折衷ミッション建築の誕生過程において、韓国教会建築の特筆すべき特徴として「L字型」のプラニングがある。

韓国教会史などの既往研究では、「L字型の教会建築」の誕生を韓国に強く根付いた儒教の影響、すなわち男女の席の分離のみを理由に捉えている。しかし、本研究ではその第一の理由がむしろ、「韓国教会の急速な成長と信者の急増」にあったことを明らかにした。それは、最初の同プラニングの教会である「章臺〓教会」が、1900年に長方形の教会として建築されたものの、増える信者のために翌年にはL字型に増・改築されたからである。クリスチャンの首都ともいわれた平壌の中心に聳え立つ巨大な「章臺〓教会」の影響力は非常に大きなものであり、それ以降「L字型」で増築する教会や、最初から「L字型」で建てられた教会が韓国の各地に現れることになる。

初期から洋風建築に取り組む北メソジスト教(第4章)

北メソジスト教は、1887年に完成する「培材学堂」の擬洋風建築を皮切りに、初期から本格的な洋風教会の建設に積極的であった。これは、同教によって設置された各ミッション・ステーションにおいても同様であった。また、このような傾向は、南メソジスト教も同様であり、メソジスト教の特徴といえる。

一方、韓国において最大の信者数を確保していた北長老教は、1900年代に入ってソウルに洋風ミッション建築を建てることになり、同教の活動の中心ともいえる平壌では1920年代に入ってから洋風建築の建設が本格化する。

洋風ミッション建築を手がけた建築宣教師と海外の建築家(第4章)

これらの洋風建築は、一般の宣教師によるものもあったが、大規模のものは建築を専門にする建築宣教師や海外の建築家が手がけることになった。

代表的な建築宣教師としては、Reed、Thompson、Loeber、Wachs、Swinehart、Soltauの6名の活動を明らかにした。彼らのなかには、アメリカで土木技師として活動した者もあり、所属した宗派の主な建築活動を任されることになった。特に、韓洋折衷建築を固守してきた平壌の北長老教も、1921年入国の Soltauによって洋風建築の本格化を図ることになった。

一方、韓国ミッション建築に関わった海外の建築家としては、Gordon、Donham、Hussy、Murphy & Dana、Richie、Dixon、Brooks、Gunnの活動を明らかにした。彼らが韓国ミッション建築に関わったきっかけは、彼らのほとんどが来韓宣教師とつながりを持っていたり、ミッション本部との関係を持っていたことから、大規模の設計依頼を受けることになった。

ヴォーリズの韓国での活動(第5章)

韓国の洋風ミッション建築を手がけた建築家の一人、ヴォーリズは、146件の建築計画とともに韓国人建築家を育て上げるなど、韓国ミッション建築においてもっとも活発な活動を行った建築家である。彼については、最初の韓国旅行(1908年)において、後に韓国での活動のきっかけとなる宣教師Gillettと出会うことをはじめ、全17回にわたる韓国訪問を中心に、その活動の詳細を明らかにした。

特に、彼の韓国での建築が日本での作風と大きく異なる点は、石材が豊富な韓国で荒石積みの石造建築を積極的に採用したことであり、その代表作は「梨花女子大学(1935〜36年)」といえる。

韓国教会の西洋化志向に対する批判と土着教会運動(第6章)

洋風ミッション建築が定着しつつあった1930年代、宣教師のなかには韓国キリスト教の西洋化志向の問題、宣教師の韓国化への努力の欠如などを指摘する声があった。これらの問題提起とともに「泰和女子館(1939年)」や「金化教会(1940年?)」では、韓国的建築表現が試みられており、韓国ミッション建築が再び韓洋折衷建築に回帰する傾向を見せるが、戦争によって戦前のミッション建築は終わりを告げる。

以上のアメリカ宣教師が主導した韓国ミッション建築は、韓国近代建築の形成に甚大な影響を与えた要素の一つとして位置づけすることができる。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、開港以降の韓国に新たに伝来した西洋の宗教であるキリスト教が、韓国の近代建築の発展に果たした役割や影響を歴史的に明らかにしたものである。

韓国におけるキリスト教は、アジアにおいては異例的に、伝来直後から急成長を遂げており、現在に至るまで国の中心的な宗教として発展している。韓国近代建築の形成に関する研究は、近年、その成果の蓄積が著しいが、主に植民地時代の日本との関係に焦点があてられており、より多角的な視点で論じられてこなかったという問題がある。そうした中、本研究はキリスト教によるミッション建築の通史的な考察を行うことによって、韓国近代建築の形成におけるもう一つの発展過程を提示することを試みている。

その際、ミッション事業によって完成された建築物の編年的な羅列という通史研究にとどまることなく、宣教政策や各建築物誕生の背景などの発展過程における影響を明確化したことが本論文の特徴である。特に、当時の宣教師による様々な報告書などの一次資料をふんだんに活用することによって、建築の主体であった宣教師による建築活動が究明できたことは、本論文の価値をより高いものとしている。

論文は、まず韓国に各宣教団体が定着する過程を都市的観点から明らかにしている。韓国に定着するアメリカを中心とした六つの宗派は、活動の重複を避けるため、宣教地域を分割する政策をとっていたが、各々宣教活動の拠点として半島の主な都市30ヶ所にミッション・ステーションを設置したことで、その都市はミッション建築の中心地として成長することになる。また、各々の拠点都市に宣教活動の中心地として設置されたミッション・コンパウンドは、そのすべてが衛生的な理由などから意図的に都心周辺の丘の上に開拓されたことなど、都市におけるその立地的分析とともに開拓過程における特徴を明らかにしている。

次に、既存の韓国地域にあった韓屋建築を継承した韓屋ミッション建築と宣教師の入国に伴って現れる韓洋折衷ミッション建築の誕生経緯について論じている。韓国で最初に完成された教会建築を皮切りに、ほとんどの教会が韓屋建築で計画されたことは、既存の民家建築様式で教会を建てることを進めた「ネビウス宣教政策」の影響であったことを指摘している。また、韓屋教会が誕生する一方で、既存の韓屋建築に現れた変化は、宣教師の住宅から始まった。アメリカン・スタイルの内部に韓国式の外観の韓洋折衷様式の住宅は、韓国への同化を意識した宣教師らの試みであったことを究明している。特に、韓洋折衷ミッション建築の誕生としての開拓宣教師の活動や開拓宣教師から影響を受けた韓国人大工による同建築様式の全国各地への拡散過程を明らかにした体系的な論述は、既存の地域建築文化の近代化・西洋化への漸次的変容を明らかにするという興味深い論考となっている。

続いて、韓洋折衷ミッション建築とともに洋風ミッション建築も誕生するが、それはメソジスト教が早い段階から同建築に積極的であったことを指摘している。同時に、これらの洋風建築は、建築を専門にする建築宣教師や海外の建築家が中枢であったこと、またその施工活動は中国人ビルダーが掌握したことを明らかにしており、韓国近代建築が日本人を中心に展開されたという定見に対して、それと異なる成長過程があったことを指摘している。

一方、日本の代表的なミッション建築家であるヴォーリズは、韓国においても多数の作品を残している。そこで、ヴォーリズが行った韓国訪問の全17回を明らかにし、韓国訪問に伴う建築活動、そして彼の影響までを深く掘り下げたことは、日韓ミッション建築の関係史を深めるものとして貴重である。

最後に、韓国ミッション建築が持つ総体的な特徴として、韓屋建築の増改築に始まり、韓洋折衷建築の過程を辿りながら洋風建築へと発展した明確な発展過程を体系的に論じたこと、さらに、その発展過程を現象学的な分析にとどまることなく、韓国に定着していた宗派ことに比較分析を行ったことで、各宗派による異なる建築的特徴を明らかにし、またそこには各宗派による異なる建築思想が起因していたことまでを明らかにしたことは、極めて意義深いものであることを強調したい。

以上、韓国ミッション建築の形成に影響を与えた宣教政策や建築思想をはじめ、宣教師や建築家などの建築活動の主体を中心に、豊富な一次資料をもとに質の高い分析と考察がなされた本論文は、その形成過程の全体像を明らかにしており、西洋から紹介・導入された異文化が東洋という地域建築文化に与えた影響に関する今後の究明における新しい展望を拓いたものと言えるよう。

よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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