学位論文要旨



No 118933
著者(漢字) 陳,正哲
著者(英字)
著者(カナ) チン,マサテツ
標題(和) 植民地都市景観の形成と日本生活文化の定着 : 日本植民地時代の台湾土地建物株式会社の住宅生産と都市経営
標題(洋)
報告番号 118933
報告番号 甲18933
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5665号
研究科 工学系研究科
専攻 建築学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 藤森,照信
 東京大学 教授 鈴木,博之
 東京大学 教授 難波,和彦
 東京大学 教授 伊藤,毅
 東京大学 助教授 藤井,恵介
内容要旨 要旨を表示する

はじめに

日本植民地時代の社会構造に注目してみると、当時、発達した台湾の近代都市は、植民者と被植民者が共存する複雑な社会であったことが知られているが、植民地時代(1895-1945年)中期(1920年)の台湾における内地人の職業割合を見れば、商・工業人口の占める割合が44.3%という高さを示すところにいまひとつの特徴を見ることができる。こうした植民地の社会にあっては、これら商工業者を中心とする中産階級による活発な建設活動が、都市形成において大きな役割を果たしたのではないかと考えた。このような観点から本論文は、植民地・台湾における「土地建物会社」 という存在に注目した

論文の視座・目的・課題

本論文は、台湾最初の土地建物会社である台湾建物株式会社 の発生と活動に着目することにより、日本植民地時代の民間による住宅生産及び都市経営などの都市建設事業を、経済的・社会的・政策的・建築技術的側面から多角的に解明するものである。

台湾土地建物(株)とは、植民地時代前期に導入され、台湾近代の都市開発を担った大型建設事業体である。その業務は幅広く、会社によっては、建築生産技術の開発から、都市計画に合わせた住宅地の造成、使用者が建物を取得する際の融資までを扱うものもあったという。施工を中心とする従来の工匠や請負業者ばかりであった台湾において、その存在は極めてユニークと言うべきものであった。

台湾土地建物(株)の発生と活動へ着目した本論文は、都市開発・建設に関する新たな事業体自身と、その事業体によって造られた街の特質とその形成過程、ならびにこのような事業体が台湾近代の都市形成と建設産業に与えた影響を明らかにすることを目的とする。

本論文は以上のような視座・目的に立って具体的な事例の検討を重ねていく。論述において問われるべき課題は、以下の3つである。

(1)台湾最初の土地建物会社である台湾土地建物(株)は、どのような条件で成立し、どのような特徴をもっていたか。当時の内地の土地建物会社とどのように異なり、どのような関係にあったか。

(2)土地建物会社は植民地都市の開発・建設の過程にどのような位置を占め、どのような役割を果たしたか。土地開発や家屋建設などに関する質量両面での実績はどうであったか。

(3)日本と、日本の植民地のなかに、唯一台湾にのみ生み出された独特の独占的民間建設事業体である台湾土地建物(株)は、台湾近代の住宅産業と建築業の発展にどのような影響を与えたか。

なお、本論文では調査の対象地域を、代表的な土地建物会社である台湾土地建物(株)とその子会社である第一土地建物(株)の主な経営地の存在した、台湾の台北・基隆ならびに東京の上北沢の3箇所とした。また、論述の対象地域には、台湾土地建物(株)の姉妹会社・打狗整地(株)の経営地の存在した台湾の高雄を加えた。

論文の構成・主要内容

本論文は、全6章よりなる。第1章の序論と第6章の結論を除く4章は、第2章と第5章で台湾土地建物(株)を中心に、土地建物会社の発生と影響についての論考を行い、第3章と第4章では台湾土地建物(株)の事業を、具体的な地域・時代・事例に則して考察する。

第2章ではまず、官による建設事業や、民間の建設関連業あるいは建設関連業者の構成と、実業家による建設活動に関して分析を行うことにより、台湾植民地時代初期に行われた都市建設の動向と、都市建設主体による建設事業の棲分け現像について考察する。

次に、こうした背景の下で生み出された台湾で最初の土地建物会社である台湾土地建物(株)の特質を、政府との関係・資金構成・経営者の背景・営業内容といった側面から述べる。

さらに、この時期の日本内地における土地建物会社についてふれ、それらが、住宅建設事業について、内地の都市計画事業主体に対して行った提案と、台湾において採られた台湾土地建物(株)を住宅建設の事業主体とする方法とを比較することにより、内地と台湾との住宅建設事業における類似点あるいは相違点について検証したうえで、台湾最初の土地建物会社が持つ独自性や先進的な性格について言及する。

第3章では、台湾土地建物(株)の中心事業である住宅地の経営に着目する。すなわちここでは、台湾土地建物(株)とその子会社である第一土地建物(株)に焦点をあて、基隆・台北・東京(上北沢)にあるそれらの代表的な経営地の歴史と現状を考察する。

また、この章の住宅地の形成過程に関しては、筆者が発掘した不動産登記の一次史料をはじめとする諸史料を用いることにより、土地取得の経緯や、当時の建築や住宅地の空間構成と住人の構成を再現し、分析する。このなかでは、従来必ずしも明確な整理がなされてこなかった、内地人向けに開発された台湾初の郊外住宅地・大正町についても言及する。

第4章では、台湾土地建物(株)の内地人商店街に対する建設活動を主な題材とし、その事業と国家である台湾総督府、ならびに庶民の都市生活との関係について論述する。

まず、台湾土地建物(株)が首都・台北の都心部などで行った商店街の改築事業を考察することによって、同社の持つ台湾総督府営繕課の別働隊としての役割と、先進的な建築技術とその能力に関して述べる。そして、工場のPR誌や「実用新案」の利用による建築技術を取り上げるなかで、台湾土地建物(株)が、植民地において、理想的・象徴的な新たな首都景観を創出することを可能にした潜在的な要因について考察する。

内地人の都市における住環境の改良事業 −すなわち台湾土地建物(株)の住宅事業− 以外の建設事業、例えば、内地人の生活に関わりの深い神社・温泉地の建設や、政府の衛生政策と庶民の都市生活に不可欠な市場建設などについてもここで述べる。

また、台北の内地人の商店街を分析することにより、既往の台湾のショップハウスに対する定見に一石を投じることになる、「町屋式ショップハウス」などの存在を新たに確認し、指摘している。

第5章は台湾土地建物(株)に対する評価と位置づけである。関連基礎資料を累年的に統計し、その結果を俯瞰したうえで、台湾土地建物(株)が台湾近代の都市と建築の発展に与えた影響を捉えていく。特に、台湾の各都市の土地建物会社を整理して分析し、台北・基隆・高雄における都市開発のパタンを提示する。

また、植民地台湾にのみ生み出された独特な土地建物会社・台湾土地建物(株)が関わった都市ごとに、土地と建設の量と質を把握することにより、台湾近代の主要都市と住宅供給産業・建築界に発生した特徴的な現象とその原因について考察する。

結論

本論文では、日本植民地時代の台湾において台湾土地建物(株)が果たした役割とその事業内容を明らかにすることによって、この時代に、台湾へ移入した大量の内地人が望んだ住居環境が、どのように創出されたか、植民者が抱く理想の植民地都市が、当時の社会環境の下で、どのように建設され実現されたか、を解明した。

このような、土地建物会社をめぐる台湾近代の都市と建築の発展に関する諸問題を、日本植民地都市史研究のかたちで検討しようとした研究の目標の1つは、植民地経営に果たした土地建物会社の位置を問うことから、植民地都市研究に新しい視点を提示することにあった。

植民地・台湾に存在した、土地建物会社という近代的な建設組織。その誕生の背景には、政府が民間会社に積極的に介入し、官民両者の持つ、政治・経済をはじめ、様々な資源を結集させることで、都市問題や住宅問題の解決を図ろうという、この時代を反映する考え方があった。

産声を上げた台湾土地建物(株)は、一方では、地場の建設産業のあり方にも影響を与え、時にはその再編を強いることにもなったが、自らの恵まれた生育環境のなかで、都市環境を、あるいは造り、あるいは造り替えて、成長していった。

造られた都市、あるいは造り替えられた都市が形づくる、その都市景観や、そこに住まう都市住民の生活の場は、否応なく変容を強いられたものであり、その点においてこれらの都市は、自ずと都市史的に重要な意味を自らの内に備える。

また、このようにして造られた都市は、植民地政府の抱く「理想の植民地都市像」と分かちがたい関係を持つ。

本論文ではこれらのことを、全編を通して強調するものである。

また、ここに述べたことと、植民地経営に果たした土地建物会社の位置を問うことから、植民地都市研究に新しい視点を提出することにこそ、台湾の日本植民地時代における都市と建築の発展に共通する特徴や、植民地政府の都市経営のパタンを見出す鍵があるのではないかと筆者は考える。

なお、本論文では、民間の建設組織である台湾土地建物(株)の建設活動を通して、台北の、今では歴史的な存在となった建物や街並みのなかに、植え付けられていたにも関わらず、これまでには認識されることのなかった建設技術的な特徴や空間構成の特質を、数多く指摘した。この台湾の首都景観の形成に深い関わりを持つ、「潜在的な」文化遺産を、どのように歴史資源として有効に利活用していくかについては、現在にあって、最も差し迫った課題であり、対応が急がれる問題である。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、近代にあって日本が最初に植民した台湾に導入された、土地建物会社という大型の建設事業体が、その都市と建築の発展に果たした役割を歴史的に明らかにしたものである。

土地建物会社は、植民地の建設と経営という、日本が19世紀末に直面した、かつて経験したことのない課題を解決するための試みであり、そのため自ずと植民地都市の形成に深く関与する存在であった。台湾近代の都市史研究は、近年、その成果の蓄積が著しいが、それでもほぼ全てが都市計画史に終始した状態にあり、視点の極端な官への偏在が問題となっている。そこで、本研究は、植民地の都市を考えるうえで、官と同様に欠くことのできない民間の建設活動に対する考察を、土地建物会社という民間の会社を通しておこなうことによって、植民地の都市や社会の研究に新しい視点を提示することを試みている。

その際、技術という建築に直接に関わりの深い要素にのみ拘泥することなく、経済をはじめ、社会や政策といった多くの観点から植民地都市を俯瞰することがなされている。これも本論文の特徴である。これによりそれぞれの観点によって獲得された知見が、羅列に留まることなく、相対化され、かつ有機的に総合されており、本論文の価値をより高いものとしている。

論文は、まず土地建物会社というユニークな建設事業体の発生と制度について、日本と台湾との比較研究を通して、その特質と互いの関連性を明らかにする。ここでの論述では、政府が民間会社に積極的に介入し、官民双方の持つ、政治・経済をはじめ、様々な資源を結集させることで、都市問題や住宅問題の解決を図ろうとした、まさにこの時代を反映する発想のあったことが指摘されている。そしてここで、土地建物会社が、日本がその後、内地で構想をすることになる住宅建築会社の先鞭をつけるものとして、実験的に試みられたものであったことが指摘されているが、これは近代日本の住宅史を考えるうえで大きな意味をもつ。

次に、土地建物会社の事業の中心をなした住宅供給と住宅地の経営について、多くの一次史料を駆使して考察を行っている。その史料をもとに、ここに示された台北最初の郊外住宅地・大正町は、異なる文化的背景をもつ植民地に、日本人のための町が、日本でのありようをほぼそのままのかたちで実現されたものである。そのため台湾における日本文化の受け皿となり、また逆に、起居様式をはじめとした数々の建築文化が、ここを起点とするかたちで広がっていったことが、平面の構成や室内あるいは配置の計画といった建築の立場を通して明らかにされている。そして何よりも、町全体が、そのままに移植されたことの影響を、都市景観の形成という立場から指摘しており、興味深い論考となっている。

続いて、土地建物会社が、首都景観の改造と生成という事業に果たした役割と意義について論じている。ここで論文は、日本の町家文化と台湾のショップハウス文化を融和して生み出された「町家式ショップハウス」の存在をまず指摘する。ここでは、建物とそれらの集合がかたちづくる街区の景観を、内と外、和と洋という概念に着目して分析を施したのみでなく、そうした構成がなされた背景にあった植民政策との関連性についても述べている。そして、それらの住宅の生産にあたって適用された技術である「鉄網コンクリート」の解明をはじめとして、ここで示されたことは、これまでのショップハウスの定見に対して、認識を新たにさせるもので貴重である。

最後に、ここまでに得られた知見に加え、諸史料から統計をおこなうことによって、土地建物会社をめぐる当時の台湾の様相を捉えたうえで、土地建物会社が、台湾の近代において、その都市と建築の発展に、与え、残した功罪を、様々に考察、評価している。ここでは、本論文が特に注目した台湾土地建物株式会社ばかりでなく、類似の土地建物会社の活動との比較がなされているが、例えば、これらの会社が重点を置いて開発した諸都市における建設活動のパタンを明らかにすることを通して、土地建物会社の活動や事業に共通する性質や問題が抽出・整理されており意義深い。さらに、台湾の住宅供給体系やその設計の体制に占めた土地建物会社の位置を述べ、その今日に至るまで残る影響に対して加えられた考察は、今日の、台湾の建築界のありようを考えるうえで興味深く、また納得しやすいものである。

以上、政策・制度、政治・経済、社会・文化、産業・技術といった多くの側面を横断的に扱いながら、ぞれぞれに一次史料がふんだんに活用され、丹念な分析が施されたうえで、質の高い考察がなされた本論文は、明らかにした事実ばかりでなく、明らかにするための方法の面においても、わが国とその植民地の建築・都市史研究に大きな一石を投じたといえるものであり、従来の断片的な捉え方を超えて、今後の研究における新しい展望を拓いたということのできる労作である。

よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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