学位論文要旨



No 118939
著者(漢字) 稲本,淳平
著者(英字)
著者(カナ) イナモト,ジュンペイ
標題(和) コンピュータグラフィックスアニメーションおよびバーチャルリアリティ技術を用いた動的視環境シミュレーションの再現性に関する基礎的研究
標題(洋)
報告番号 118939
報告番号 甲18939
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5671号
研究科 工学系研究科
専攻 建築学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 平手,小太郎
 東京大学 教授 鎌田,元康
 東京大学 教授 坂本,雄三
 東京大学 助教授 西出,和彦
 東京大学 助教授 佐久間,哲哉
内容要旨 要旨を表示する

研究の背景

これまでの建築設計では設計者の頭の中でイメージされたものが図面や模型等の媒体によって関係各者に伝えられていたが、空間認識能力に差のある者の間で必ずしもイメージの統一がとれているとは限らない。そこから生じる誤解や錯覚を減らす意味でも、また人間の空間想像力に限界があるという意味でも、物理特性を反映したコンピュータグラフィックス (以下CGと略す)。バーチャルリアリティ (以下VRと略す)技術を用いたシミュレーションは有効であると考えられ、特にCGはエンドユーザーレベルまで普及が進んできた。

そのような状況下、CG・VRに関連するハードウエア・ソフトウエアの進歩により、CGアニメーションやVR技術を用いて、人が動いている状態でのシミュレーションも実用レベルになりつつある。また本来人間が空間を認識する際、必ず動きの中で空間を認識・評価しており、そこには静止画を見て空間を認識する場合とは異なった要因による影響があるものと考えられ、その意味でも、より現実の状態に近いCGアニメーション・VR技術を用いた動的視環境シミュレーションが増えるものと考えられ、それらに対応するには、動きが空間の印象評価に与える影響を明らかにする必要がある。

関連既往研究と本研究の位置づけ

建築分野におけるCGアニメーション・VR技術を用いたシミュレーションや研究も徐々に増えてきており、それらは凡そ、景観・街路・サイン・街路樹等の評価シミュレーション、避難シミュレーション、施工シミュレーション、デザインエスキスツール、プレゼンテーションツール、データベース共有や住民参加型社会都市基盤整備、そして各種VRのシステム検証、シミュレーションに関する基礎研究、等に分類される。

しかし多くの研究では、CGアニメーションやVRをツールとして利用するに止まり、その動きに関して厳密に検討、設定しているものは少なく、シミュレーションとしての妥当性に疑問が残るものも見られるのが現状である。

研究の目的と概要

本研究ではCGアニメーション・VR技術を用いた動的視環境シミュレーションを簡易かつ適切に行うため、動きが加わることによる空間認識、評価への影響を中心に、シミュレーションの妥当性、提示メディアの違いによる影響に関しても検討することを目的とする。

ただしシミュレーションの対象空間の種類や規模、用途によって様々な結果が予想され、また一言で動きと言っても人間の行動は多種多様であり、人間の生態や行動に関する他分野の研究とも併せて多くの検討が必要となり、その組合せは膨大である。

そこで本研究では動的視環境シミュレーションの基礎研究の第一歩として、まず大規模空間を除くヒューマンスケールの室内視環境シミュレーションに対象を絞った。さらに今回は実験及び設備の都合上、静止画実験時は居間空間、オフィス空間を想定した実験室を採用し、動画実験時は歩行時の速度感が掴み易い廊下を採用した。また動きに関しては、建築空間内での動きとして最も代表的な直進歩行を対象とし、視点位置や視線の動き等についても検討を行った。

従って本研究は、建築空間内の動きという膨大な対象の中での代表的1ケーススタディとして位置づけられ、今後この様な基礎研究を積み重ねることによって、動的視環境シミュレーションの全体像や普遍的傾向の把握、タイプによる分類が進められるものと考える。

実験の構成としては、まず静止画での明るさ感、現実感の検証実験を行い、それを基に動的シミュレーション時の明るさ感と現実感を検証する実験を行った。

CG静止画を用いたシミュレーションにおける現実感の検証

現在のCG技術では実空間と全く同じものは作ることは出来ないし、また人間の空間認知では、空間内の全要素が詳細に見えている訳ではない点を考慮すれば、実空間と全く同じものを作る必要は無いという視点から、先端のCG技術を駆使し、時間とコストをかけて可能な限り現実に近いものを作ろうとするよりも、逆にどこまで要因を絞り込み、その再現精度を落としてもシミュレーションとして実用可能であるのかを検証する方が実用的であると思われる。

そこで人がCGを見る際にどの点に注意して見ているのか、その点がどうであれば現実感が高いのか、また現実感とその他の印象評価項目との関連性等を、実空間とそのCGシミュレーションの比較実験によって明らかにすることを目的とし、モニタ上の適切な画角の設定実験に続いて現実感の検証実験と提示メディアが現実感に与える影響を検討する実験を行った。

結果として、被験者は影の形や曲面形状の滑らかさ、質感に重点を置いて観察しており、それらに影響するパラメータとして、モデリング精度、メッシュ分割精度、ラジオシティ計算回数、テクスチャ精度、レンダリング手法ともに現実感に影響を及ぼしているが、それらの精度を過度に上げても現実感の向上は望めず、今回の実験の範囲では適度な精度を設定し得ることが分かった。また現実感以外の評定項目は現実感と異なる傾向を見せており、CGの用途や要求される質に対してパラメータを選択的に制御することで、印象を調整出来ることが示された。

提示メディアに関しては現実感よりも空間の大きさ感や寸法感に対して大きく影響し、また幅、高さ、奥行きという方向性によってもメディアの影響が異なっており、大きさや寸法が重要となるシミュレーションでは、あらかじめ提示メディアの検討が必要と言える。

VR静止画を用いたシミュレーションにおける明るさ感の検証

プロジェクタ等の性能限界に起因するVRシステムの輝度の絶対的な低さとレンジの狭さ、及び周辺光量減少は無視出来ない問題であり、今後急速に改善されるものでもない。そこでこれらのハードウエア面の制約にもかかわらず、人間側の視覚特性、特に順応輝度や周辺輝度を利用することで、明るさ感をどの程度実空間に近づけることが可能であるかを検討した。

結果としてはVR空間での明るさ感の再現には、まず提示空間における絶対的な光量の確保、つまり輝度、鉛直面照度の確保が重要であることが分かった。さらに今回の実験条件下では数倍程度までの光量差であれば、順応輝度のコントロールにより明るさ感が近似できることが示された。

動的シミュレーションにおける明るさ感の検証

明るさ感に関する研究は数多いが、それらは静止状態での明るさ感に関する研究が大半であり、しかも未だ明るさ感の定量的な捉え方に対する十全な解は無い。まして人間が歩いている時に感じる明るさ感のメカニズムについての研究は殆ど無い。

しかし静止時同様に動的シミュレーションにおいても明るさ感の影響を無視することは出来ず、本実験では実用面を重視し、動的な明るさ感のメカニズムを解明する前に、まず歩行速度と明るさ感の関係に絞って検討することを目的とした。

まず画角設定実験を行った後、平面スクリーンに投影したCGアニメーション、VRの2つを提示メディアとして、実空間での歩行時の明るさ感と、照明設定を4種類、歩行速度を5段階に変化させたシミュレーション映像の明るさ感を比較する実験を行った。

今回の対象空間においては、適切な画角は提示メディアにより異なるが、静止画と動画による差は無いことが分かった。明るさ感に関しては、CGアニメーション、VRともに、何れの照明設定においても歩行速度が速くなるにつれて明るさ感が増すという傾向が見られたが、統計的に有意差はなかった。また分散分析を行ったところ、CGアニメーション、VRともに歩行速度の効果が有意であり、さらにVRでは被験者の効果も有意であり、その点についてはさらに異なるシステムや照明環境における検討が必要である。

動的シミュレーションにおける現実感の検証

歩行という動きがシミュレーションに加わることによって現実感に対してどの様な影響があるのかを歩行速度との関係において検証すること、また速度以外の要因が現実感に与える影響を検証することを目的に、静止画実験時と同様にCGの精度を変化させた時の現実感への影響が、歩行速度によってどの様に変化するのかを検証する実験と、視点位置、視線の方向とそれらの変化が現実感に与える影響、またフレームレートと歩行速度の関係が現実感に与える影響を見る実験の2つに分けて行った。

実験は、実空間を歩行時の現実感とシミュレーション映像提示時の現実感を比較する方法を取ったが、同時に現実感以外の評価項目についても評定させ、特にアニメーションやVR映像提示時にしばしば問題となる不快感についても検証を行った。

前者の実験において、モデリング精度が低い時に歩行速度が速いと現実感が高くなる、モデリング精度が高い時に歩行速度が速すぎても遅すぎても不快感が高くなる、テクスチャは精度が低くてもマッピングしないよりはした方が現実感が高く、不快感も低い等、CG精度による現実感、不快感への影響が歩行速度によって異なることが示された。

後者の実験において、視点位置による現実感、不快感への影響は少なかった。またやや俯角をつけた視線方向がもっとも現実感が高く、視線を変化させるシミュレーションや直進歩行以外の身体の動きのシミュレーションは、かえって不快に感じることが多い。またこの傾向は特にVRで顕著である。さらに歩行速度が速い程、フレームレートの低さが不快感を与える、等の傾向が見られた。

まとめ

CGアニメーション、VR技術を用いた動的視環境シミュレーションの基礎研究として今回の研究対象範囲においては上記の様にシミュレーション運用に有用な知見が得られたが、さらに普遍的傾向をつかむためには、今後多様な対象空間、動きについて検討していくことが必要である。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は,CGアニメーション・VR技術を用いた動的視環境シミュレーションの基礎的研究として,動きという要因が加わった時の明るさ感・現実感という空間認識や評価への影響を中心に,シミュレーションの妥当性や提示メディアの違いによる影響に関して検討することを目的としたものである。実験はヒューマンスケールの室内視環境シミュレーションに対象を絞り,静止画実験時には居間空間・オフィス空間を想定し,動画実験時には直進歩行を対象とし廊下空間を採用している。

第1章では,序論として上記の目的に加え既往研究などについてまとめている。

第2章では,静止画によるシミュレーションの再現性の検証を行っている。まず人がCGを見る際の注意点や現実感を向上させる要因また現実感とその他の印象評価項目との関連等を明らかにすることを目的とし,実空間とそのCGシミュレーションの比較実験を行い,モニタ上の適切な画角の設定,現実感の検証,提示メディアが現実感に与える影響などを検討している。結果としては,被験者は影の形や曲面形状の滑らかさ・質感に重点を置いて観察しており,モデリング精度,メッシュ分割精度,ラジオシティ計算回数,テクスチャ精度,レンダリング手法はすべて現実感に影響を及ぼしているが,それらの精度を過度に上げても現実感の向上は望めず,今回の実験の範囲では適度な精度を設定し得ることを導いている。またCGの用途や要求される質に対してパラメータを選択的に制御することで,印象を調整出来ることを示している。提示メディアに関しては,現実感よりも空間の大きさ感や寸法感に対して大きく影響し,幅,高さ,奥行きという方向性によってもメディアの影響が異なっており,大きさや寸法が重要となるシミュレーションでの提示メディアの事前検討の必要性を導いている。

つぎにVRシステムの輝度の低さとレンジの狭さ,および周辺光量減少という制約のもとで,人間側の視覚特性を利用することによる明るさ感を実空間に近似させることの可能性を検討し,結果としてVR空間での明るさ感の再現には提示空間における絶対的な光量すなわち輝度・鉛直面照度の確保が重要であること,今回の実験条件下では,数倍程度までの光量差であれば順応輝度のコントロールにより明るさ感が近似できることを導いている。

第3章では,シミュレーションの実用面を重視し,動的シミュレーションにおける明るさ感の影響を検討している。適切な画角設定の検討実験後,平面スクリーンに投影したCGアニメーション,VRの2種類を提示メディアとして,実空間での歩行時の明るさ感と照明設定・歩行速度を変化させたシミュレーション映像の明るさ感を比較する実験を行っている。結果としては,今回の対象空間においては,適切な画角は提示メディアにより異なるが,静止画と動画による差は無いことを導いている。明るさ感に関しては,CGアニメーション,VRともに,何れの照明設定においても歩行速度が速くなるにつれて明るさ感が増すという傾向を見出している。そこで歩行速度と被験者の2元配置分散分析を行い,CGアニメーション,VRともに歩行速度の効果の有意性を導いている。また実空間と提示映像には絶対的な明るさに差があったにもかかわらず被験者が感じた明るさ感では実空間とそれほど差はなく,輝度分布分析と被験者別の傾向分類から明るさ感評定への輝度分布のばらつきの影響の可能性を導いている。

第4章では,歩行という動きがシミュレーションに加わることによる現実感に対しての影響を歩行速度との関係において検証すること,および速度以外の動的要因が現実感に与える影響を検証することを目的に2つの実験を行っている。まず歩行速度によるCGの精度変化時の現実感への影響の変化するのかを検証する実験においては,モデリング精度が低い時に歩行速度が速いと現実感が高くなること,モデリング精度が高い時に歩行速度が速すぎても遅すぎても不快感が高くなること,テクスチャは精度が低くても,マッピングした時の方の現実感が高く不快感も低いこと,CG精度による現実感・不快感への影響が歩行速度によって異なること,などをを示している。つぎに視点位置・視線の方向とそれらの変化が現実感に与える影響,フレームレートと歩行速度の関係が現実感に与える影響を見る実験においては,視点位置による現実感・不快感への影響は少なかったこと,またやや俯角をつけた視線方向が最も現実感が高く,視線を変化させたり直進歩行以外の身体の動きをシミュレートしたものはかえって不快に感じさせ,この傾向は特にVRで顕著であったこと,さらに歩行速度が速いほどフレームレートの低さが不快感を与えること,などを導いている。

第5章では,本論文の内容と今後の課題を総括している。

以上,建築空間を対象とした既往研究の大半がCGアニメーションやVRをツールとして利用するにとどまり,その動きに関して厳密に検討,設定しているものは少ないというなかで,基礎的な段階ではあるものの,動きが空間の印象評価に与える影響を明らかにしたという点では画期的な研究であると考えられる。また今後より現実の状態に近い動的視環境シミュレーションが増えそうな状況を考慮すれば,本論文の工学に対する寄与は大きいといえる。

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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