学位論文要旨



No 118949
著者(漢字) 曾,憲嫻
著者(英字)
著者(カナ) ソウ,ケンカン
標題(和) 台湾における鉄筋コンクリート構築技術の地域的特徴の形成に関する史的研究
標題(洋)
報告番号 118949
報告番号 甲18949
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5681号
研究科 工学系研究科
専攻 建築学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 松村,秀一
 東京大学 教授 坂本,功
 東京大学 教授 藤森,照信
 東京大学 教授 野城,智也
 東京大学 助教授 塩原,等
内容要旨 要旨を表示する

はじめに

20世紀初めに鉄筋コンクリート(以下はRCと呼ぶ)は鉄材とセメントの量産により、急速に世界へ普及していった。その時期から戦後の直後まで、台湾と、中国東北部・中国東南部・日本・沖縄との歴史的関係により、建築設計者・技師・請負業者・建材会社の往来が直接・間接に行なわれてきた。また1950年代中旬から1960年代中旬にかけて、台湾はアメリカの影響を受けた。その期間に外国からの影響と台湾の地域要素が混合し、台湾のRC構築技術の特徴が形成されていったが、その形成過程と原因は明らかにされていなかった。

更に台湾における現在のRCに関する教科書は、日本・欧米の関連資料の抜粋・参照が一般的であり、台湾自身で実際に使われたRC構築技術を把握することは難しい。本論文はまずRC構造技術の成立以前に現れた様々なレインフォースド・コンクリート造構法について明らかにする。次にその構法と日本の関連性を探索し、更に台湾の産業・気候、外国からの技術の影響を検証し、RCが台湾の主要な建物構造として普及していく以前のRC構築技術の形成過程と原因を明らかにすることを目的とする。

本論文の視点と議題

まず、1974年以前の台湾における主要な構造としての煉瓦造がRCへ転換する経緯を明らかにし、変遷の中で歴史と結び付いた構法間の関連性を明らかにする。その関連性は産業制約に係わる材料の側面(鉄材を入れる形など)、気候の側面(ブロックによる断熱の観念からRC仮壁を設ける方法への移行など)、技術の適応の側面(建築法において、煉瓦を主とした条文がRCへ移行するなど)から一つ一つ解明する。

次に戦前に台湾は日本の植民地であったため、基本的に用いられたRC技術は日本との関連性が強いと考えられるため、日本と比較して構法の関連性を探し出す。一方でその国独自のRC技術における、地域により異なる要素を以上の3つの視点から検証する。第3の視点の「技術レベルへの適応」では以上の視点で触れていない理論・表現手法まで含めて検証する。

グローバルな建築論へと位置づけるために、台湾における戦前の技師の往来が頻繁であった中国東北部、戦後の建設業に主導的役割を果した人物の出身地である上海、気候が台湾と類似した広州・沖縄について、RC構築技術上の関連性を示す。

以上述べた課題を捉えるには、史料の限界・制約がある。本論文は包括的に論じる余裕こそないが、植民地RC技術史の分野に大きな空白の生じている現状を考える上で、より多元的な構築技術形成研究の可能性を示唆し、そのための基礎論を提示したい。

産業構造下における近代RC建築への適応

<組積造からRC造への適応>

台湾において鉄材を煉瓦造に入れた経緯を見ると、鉄材自らの形により荷重を受ける「波浪鉄板拱」から平鉄とボールトを煉瓦造に入れる耐震構法となり発展した。そして町屋のRC梁と柱にも同様な平鉄とボールトで接続する接合部構法が見られたため、煉瓦造における鉄材の役割はRCの梁・柱に移行したことを明らかにした。

煉瓦造の耐震力を向上させるためにRCを煉瓦造に部分的に使用した「補強煉瓦造」から、「RC煉瓦幕壁式構法」へ発展してきた。中国における「RC煉瓦幕壁式構法」は高層まで建てられたが、台湾における「RC煉瓦幕壁式構法」は5階以下でなければならないという制限は煉瓦の組立て方、職人レベルなどと関連すると考えられる。台湾において煉瓦造からRC造へ移行する際、煉瓦の寸法はRC建物の寸法と合わせるために、20cmを基準として変化した。煉瓦生産と密接に結びついていた窯業はRC建物が主流になった後、タイル生産に移行していった。

<RC材料面の産業制限>

セメントは植民地において大量の土木建設に用いられ、最終的に国防の需要により、基本産業の基礎が形成された。日本植民地時代に発展してきたセメント産業によって生産された大量のセメントは、戦後の政治・経済の安定とともに1960年代中旬に大量に住宅へ使用されるようになった。

1910年頃から1970年代まで、主な鉄筋材は丸鋼であった。特殊な鉄筋材については、1916(大正5)年にカーン式(Kahn Bar)の鉄筋が台湾総督府官邸に使われた。1920年代中旬頃、台湾土地建物株式会社を通じて日本とほぼ同時期にコールバーが導入された。

<特殊時期のRC構法>

台湾本島における鉄道建設が進歩するにつれて、レールに関連した修理・転用のシステムが出来た。レールの建物への使用は早くから行われたが、戦後の資源が乏しい時期に、RCの補強鉄材として再び用いられた。

戦後に短期間で住宅を解決するために導入されたパネル構法は、台湾に一般的に用いられた骨組の間に煉瓦を積み込む構法とは異なるものであった。そのため、パネルの接合部の処理は極めて不得意なところであり、導入されたものの寿命は短かった。近代RC構築技術を定着させる上で、関連する技術を支える地方の産業があるかどうかは重要な要素であったと考えられる。

気候への適応

<気候への配慮によるRC主体構法の形成と材料の問題>

RC材は、木造部材に代わる耐久性材料・防蟻材として、屋根と床に使用されることで発展してきた。RCに関する研究においても耐久性という観念が引き続き用いられ、コンクリートの材料性質レベルに研究と調査の重点が置かれた。

気候に基づいた構法の考慮は軍営からテストされたと考えられる。陸軍はイギリスの植民地インドの事例を参考にしてテストを始めた。高温多湿による通風に対する配慮は、植民地時代末期に考慮すべき主な観念として定められた。通風に対する配慮によって、開放式の骨組式構法の選択へと傾いていったと考えられる。

<RC過渡期における気候配慮型RCの各部構法>

過渡期における気候配慮型RCの各部構法は、屋根については、栗山氏によって発明された防暑ブロック屋根は、防暑ブロックの空気層により断熱するものである。また併用された換気塔を通じて室内の熱空気が抜けるようになっている。また竹島ベンチレーターもその排熱効果から重点的に用いられた。RCの骨組に用いられた壁については、栗山氏の防暑ブロック壁、二重壁が用いられた。前者は通風の道を設けていなかったため、結果として室内の熱気が溜まり実用的ではなかった。後者は構築手順の複雑さなど不経済であったために、その後に事例は見つからなかった。それらの構法は1930年代後半にすべて消失したため、過渡期のRC構法と考えられる。

<気候配慮によるRCの各部構法の確立>

RCの各部構法の確立については、陸屋根は陸軍により台湾へ導入されたが、アスファルトは熱帯においては深刻な問題であった。最終的にモルタル防水や更に工夫されたタイル貼り構法へ発展してきた。戦後はアスファルト防水構法は改良され再び主流になった。

壁の構造体の断熱に対する考慮は、外壁から仮壁を作り、断熱する構法があった。外壁以外にはスクリーンブロック壁、日射調整装置の大面積のルーバーを利用した。しかしコストや接合部の漏水などの問題により、台湾では最も簡便なRC壁構法(内装油ペンキー塗り・RC壁・外装タイル貼り)に戻り、現在まで続いている。そのため近代の台湾における気候に配慮したRC構法は極めて限定されたものであると言わざるを得ない。

技術レベルへの適応

<日本植民地時代に蓄積されたRC構築の知識>

台湾のRCの技術教育内容と体制の側から見ると、RC理論には重点が置かれず、基本的に技術者を育てることを目的としたものであった。

台湾の建築仕様・基準の側から見ると、1935年以前、台湾におけるRC建物は外国のパンフレット・日本の「コンクリートと鉄筋コンクリートの施工仕様書」に従って建てられていた。「台湾都市計画令施行規則」(1937年発布)、「建築技術規則」(1945発布、1974改正)の発布と改正以降も日本の構造計算表を用いて施工していたという史実により、基準法より現場で蓄積された知識がRC造の構築における主な根拠であったと考えられる。

<日系RC構築技術の継承>

主体構法については、「RC骨組・耐震壁併用式構法」は基隆港埠頭合同庁舎を建てる際に台湾へ導入された。また「RC壁式構法」は鉄道の営繕機構が駅を建設する時に用いられたが、その後に直面した戦争の資源不足の問題で、鉄材とセメントを節約し簡便な構法で建物を建てるという政策の影響により普及しなかった。1935年の台湾大震災において、構法に関する改良意見と実現した改良の重点は「亭仔脚」の剛節の要求、梁と壁・臥梁と柱など接合部に関するものであった。台湾における地震の改良の重点は接合部の剛性の強調であった。これは日本で1923(大正12)年の関東大震災後に耐震壁の配置が主張されたのとは大きく異なるところである。

また外壁の構法に影響を与える型枠に関しては、小幅木を組み合わせた型枠の形・寸法などにより日本から取り入れられたと考えられる。

<米系システムの導入>

全体の台湾建築界について言えば、近代都市計画機構が米顧問の勧めに従って設立され、施工仕様はACIコードの基準に従って変化し、また建築図面システム・RC品質のコントロールも米式で発展してきた。

1949年に国民政府と共に上海の請負業者が台湾へ来た。上海も欧米のシステムであるから、米援時期における米軍の工程もそれらの請負業者に依頼された。アメリカと中国で主に発展してきた「RC剛節骨組式構法」は、そのような人為的要素により自然に台湾のRC構法の主流となっていった。米援時期に台湾に導入された部位構法については、プレキャスト屋根以外では、フラットスラブ床が地下室の室内の高さを確保するために用いられた。また沖縄美軍の標準によってアルミサッシの開発が始まり、台湾におけるRC建物の主な窓の構法として普及した。

結論

本論文は台湾におけるRC構造技術における初の史的研究であり、各種の側面の史料により構成された探索的な研究である。本論文は、その時期の産業・気候・技術レベルなど様々な視点から当時のRC構築技術へ接近した。以上の糸口を発見したことに基づき、1930年代から導入された特定の部品・構法に絞って発展史の研究、国境を渡る伝統建物とRCについての詳細な空間構成システム・寸法・構法の研究、アメリカ援助によりアジアに導入されたRC構築技術に関する研究は今後の課題と考えられる。

産業制約とRC構築主体の変遷の関係 発注の主軸(筆者製表)

気候に関する論説・各部の発明とRC主体構法の変遷関係 発展の主軸(筆者製表)

日本からの影響 発展の主軸(筆者製表)

審査要旨 要旨を表示する

提出された学位請求論文「台湾における鉄筋コンクリート構築技術の地域的特徴の形成に関する史的研究」は、これまで明らかにされていなかった台湾における鉄筋コンクリート構築技術の独自の特徴とその形成の過程を歴史的に明らかにした論文であり、序論と本論4章とからなっている。

「序論」では、先ず研究の背景、目的、既往の関連研究の成果等を明らかにしている。その中で、台湾での鉄筋コンクリート(以下「RC」)構造技術の一般化以前に現れた様々な構法について明らかにすること、それらの構法における日本の影響を明らかにすること、台湾の産業・気候、及びアメリカ等からの影響を明らかにすること、の3つを具体的な目的として設定し、そのことによって台湾でのRC構築技術の形成過程と原因を明らかにするとしている。

第1章「産業構造下における近代RC建築への適応」では、台湾でRC構造が一般化する以前に現れた各種の構法と、それらがその後のRC構法に及ぼした影響を明らかにしている。具体的には、煉瓦造の耐震性能を向上させるためにRCを煉瓦造に部分的に使用した「補強煉瓦造」から、「RC煉瓦幕壁式構法」へと発展した過程を詳細に明らかにし、セメント、鉄筋材の供給面における制約、また現場施工技術水準の影響を解明している。

第2章「気候への適応」では、RC主体構法、各部構法の一般化の過程での気候条件への配慮の影響を明らかにしている。具体的には、先ず、台湾でのRC主体構法の形成に見られる独自の気候への配慮を明らかにしている。その中で、RC材が木材に代わる耐久性材料、防蟻材として、屋根と床に使用されることで発展してきたこと、気候条件に配慮した構法が、日本軍による実験を通して考案され、通風を重視する開放性の高い骨組式構法へと傾いていったことを明らかにしている。次に、RC過渡期における気候配慮型RCの各部構法を明らかにしている。ここでは、屋根について、栗山による防暑ブロック屋根、竹島ベンチレーター等の技術が、壁について、栗山による防暑ブロック壁、二重壁等の技術が存在したが、1930年代後半にすべて消失したことを明らかにしている。最後に、気候配慮によるRC各部構法の確立の過程を明らかにしている。具体的には、屋根構法に関しては、熱帯地方におけるアスファルトの劣化等の問題を回避すべく、モルタル防水、タイル貼り構法が発展した経緯、戦後アスファルト防水構法が改良され再び主流になった経緯を明らかにしている。壁構法に関しては、スクリーンブロック壁、大面積のルーバー等の利用が一時的なものにとどまり、内装油ペンキー塗り、外装タイル貼りの構法が定着した経緯を明らかにしている。その上で、近代台湾においては、気候に配慮したRC構法の利用が極めて限定されたものであったと結論付けている。

第3章「技術レベルへの適応」では、台湾でのRC技術の変遷過程における日本、アメリカの影響を明らかにしている。具体的には、先ず、日本植民地時代に蓄積されたRC構築の知識を明らかにしている。台湾のRC技術教育においてRC理論に重点が置かれなかったこと、仕様書や基準における日本の影響が、台湾独自の関連規則の発布、改正以降も強かったことを明らかにしている。同時に、主体構法、各部構法において日本から持ち込まれ、定着した技術を明らかにしている。次に、戦後アメリカからの技術的な影響の内容を明らかにしている。その中で、施工仕様がACIコードの基準に従って変化し、建築図面、品質管理方法もアメリカ方式で発展たこと、アメリカで一般的であったRC剛節骨組式構法が台湾のRC構法の主流となった経緯、プレキャスト屋根、フラットスラブ床といった各部構法がアメリカから導入され定着したことを明らかにしている。

第4章「結論」では、前3章で明らかになった台湾でのRC構築技術の地域的特徴の形成過程をまとめた上で、関連する今後の研究課題を抽出、整理し、本論文の結論としている。

以上、本論文は、膨大な史料調査及び関係者への聞取り調査等によって、これまで明らかにされていなかった台湾でのRC構築技術の地域的特徴の形成過程を歴史的に明らかにした論文であり、建築学の発展に寄与するところが大きい。

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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