学位論文要旨



No 118955
著者(漢字) 松行,美帆子
著者(英字)
著者(カナ) マツユキ,ミホコ
標題(和) 開発途上国における市民社会と地域環境管理の相互作用的発展に関する研究 : タイ王国を事例として
標題(洋)
報告番号 118955
報告番号 甲18955
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5687号
研究科 工学系研究科
専攻 都市工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 大西,隆
 東京大学 教授 西村,幸夫
 東京大学 教授 原田,昇
 東京大学 助教授 小泉,秀樹
 東京大学 助教授 城所,哲夫
内容要旨 要旨を表示する

はじめに

研究の背景

アジアの開発途上国の多くは、急激な経済発展により環境破壊や都市問題深刻な状況であり、さらに、ダムなどの大規模施設への反対運動や紛争も後を絶たない。

しかし、多くの途上国ではすでに、環境法制の整備や環境アセスメント制度、都市計画制度、議会制度などの民主的な合意形成のための制度が導入されている。しかし、地域には独特の自然・社会条件があり、地域の特色に合わせた地域環境保全・管理の必要性がある。また、環境問題の「脱境界性」という特徴より、境界のない市民社会による地域レベルでの地域環境保全・管理が必要であると言える。

すなわち、地域環境の管理・保全のためには、政府による一律の制度と地方自治体による計画やプロジェクト、国会や地方議会での合意形成に加え、市民社会による合意形成、活動が必要となり、地域環境管理には多層的な対応が必要となると言える。

研究の目的

発途上国において市民社会による地域環境管理が構築されつつあるのかを明らかにする。

開発途上国において市民社会による地域環境管理が構築される背景・要因を明らかにする

開発途上国における市民社会による地域環境管理の限界を明らかにする。

日本の海外援助に関して示唆を得る。

市民社会による地域環境管理に関する既往研究レビュー

アジアにおいては、経済発展に伴い、政治意識の高い新中間層が台頭し、市民社会を形成し、民主化を進める、というモデルで解釈されることが多い。しかしながら、アジアの新中間層の政治意識分析や実際の民主化運動の参加者の階層の分析より、このアジアの市民社会モデルへの否定も多い。

タイにおける環境問題の歴史と行政制度

タイでは、1960年代以降、民間企業主導の輸入代替型工業により、高い経済成長を遂げた。このタイの経済成長は、アグロインダストリーの拡大に支えられたものであった。そのため、タイでは1970年代以降、アグロインダストリーによる環境破壊が続いた。

また、1980年代後半からは、大型公共施設への住民を中心とした反対運動が繰り広げられ、多くの計画が中止に追い込まれた。

その他のタイの環境運動としては、森林保全のあり方を巡る紛争が特徴的なものである。政府は、森林に前から住んでいた住民を移住させ、そこにマングローブを植えることにより森林再生を図ろうとしたが、それは住民を中心とした反対運動により中止になった。

環境行政制度に関しては、1975年に国家環境質保全向上法が制定され、国家環境委員会が設置された。

タイの政策における地域レベルでの環境保全

1997年憲法では、下院議員の公選制の導入、地方分権化推進、住民の条例請求権など国民参加が進んだ。また、先住住民による環境管理・保護・利用の権利や、国民が環境管理・利用・改善に参加する権利を認めている。

地方分権化の一部としての地方自治制度の改革により、今まで県自治体により統治されてきた農村部は、タンボン自治体により統治されるようになり、より住民に身近な自治体が地域の管理を行うようになった。また、地方分権化推進計画では、都市計画や開発計画が国より地方自治体へ委譲されることを規定している。その他にも、環境保全の権限を国より地方自治体に委譲することにしている。

これら新憲法、地方分権化推進計画において、市民社会が地域環境を管理する権限が拡大された要因には、憲法起草委員会、地方分権化推進委員会への新中間層の参加とその影響力の大きさがあると考えられる。

環境政策においても、市民社会による地域環境管理を推進する方向性をとっている。

新中間層の地域レベルでの環境保全に関する意識−新聞社説の分析を通じて−

新聞の環境問題に関する社説を分析することにより、タイ国民、特に新中間層が市民社会による環境管理の必要性を認識しているか、認識しているのならば、市民社会は具体的にどのような役割を担うべきかと認識しているのかを明らかにした。

森林保全に関しては、地域住民が森林管理に適していることを指摘し、いくつかの社説では地域住民の役割として、違法伐採者の監視や、王室森林局の調査が正当に行われるように調査に参加すること、などをあげている。

都市部での環境保全に関しては、大気汚染や水質汚染に関しては、市民社会による環境管理の必要性は言及していないが、シーチャン島の開発に関して、地域の将来の決定権は地域住民が決めるべきであることを言及しており、パタヤ市の環境問題に関しても地域住民の更なる参加の必要性を指摘している。

地域開発への反対運動を通じての地域環境管理−サムットプラカーン県クロンダン地区汚水処理場建設問題−

サムットプラカーン県クロンダン地区における大規模汚水処理場建設プロジェクトへの住民の反対運動を事例として研究を行った。地域環境保全のために必要な要素として、「制度の導入」、に加え「住民間の合意形成システムの形成」、「民主的な政治システムの確立」に焦点を当て、これらの達成の時間差によってどのような問題点が発生したか、そして、どのような地域環境保全システムが形成されつつあるのかを明らかにすることを目的としている。

この事例では、民主的な政治システムの確立は途上段階であったため、都市計画制度などは有効に機能することができなかった。一方、村落の伝統的な合意形成システムが依然有効に機能し、それが、NGOやマスコミ、そしてそれらを通じてタイ社会、特に新中間層と結びついたことによって、反対運動はより強力なものとなった。クロンダン地区は現在都市化の途上にあり、地区内に親類を持たない新住民が今後増加しており、新たな合意形成システムの形成が近い将来必要となるであろう。また、国際援助機関が援助を行う際のガイドラインでは、環境アセスメントの実施などの制度的手続きや議会の承認といった政治的な手続きのみを基準としている。しかし、援助の決定の際には、社会的な合意形成がなされているかまで踏み込んだ検討が必要となると言えよう。

市民運動を通じての地域環境管理−トラン県トラン市ヘルシー・シティ・プロジェクト−

トラン県トラン市における、地域をヘルシー・シティにするための市民を中心とした運動を事例として、都市部において、どのような市民社会による地域環境管理の方法が派生しているのかを明らかにすること、市民運動が公共性を獲得し、地域環境管理への展開していくプロセスとその限界を明らかにすることを目的としている。

トラン市における市民活動は、旧中間層を中心とした旧勢力にバンコクの新中間層が結びつくことにより生まれ、発展してきたと言える。代表性に問題があり、いかに新・旧中間層以外、特に貧困層を参加させるかが課題である。また、新住民をいかに活動に参加させるかも大きな課題である。感応性に関しては、参加者以外の住民とのコミュニケーション、特に住民から運動へ向けてのコミュニケーションが不足していた。また、透明性はあるが、アカウンタビリティが不足していた。これらより、この運動は公共性を獲得しているとは言い難いものであった。市民団体間のネットワークを用いて、ワーキング・グループの活動がなされ、さらに一連の活動への参加者がその経験を買われ、他の市民団体の活動に参加していることなどより、市民社会の形成による地域環境管理の拡大が期待される。

結論

国際援助に関して

タイにおける市民社会による地域環境管理は、地域に昔からある人的ネットワークや団体を中心として行われてきたが、今後、新住民をどのように市民社会による地域環境管理に取り入れるかが大きな課題となってくる。一方、日本も都市化による新住民の発生を経験しており、新住民をまちづくりへと取り組む努力がされている例があり、この日本の経験を国際協力に活かすことができると考えられる。

タイ型市民社会とは

市民社会を私的目的と公的目的、伝統的タイプと新タイプという2つの軸で4象限に分割して考える。クロンダンやトランの事例では、地域の市民社会の主体は、伝統的タイプで私的目的の象限と伝統的タイプで公的目的の象限に入り、NGOやマスコミなど地域の外の主体は新タイプで公的目的の象限に入る。本来私的目的に結成された団体は、今回の事例では地域環境の保全という公的領域で活動しているが、その要因として新中間層の影響が大きいと言える。以上をまとめると、伝統的社会の市民社会領域での運動の発展には新中間層の存在がかかせず、新中間層はこれらの運動の発展と手助けする触媒的な機能を担っていると言える。

市民社会と地域環境管理の発展

市民社会による地域環境管理の発展は以下のようなプロセスをとると考えられる。

新中間層と伝統的タイプの市民団体により市民社会が形成され、地域環境の管理を行う。その活動が市民、特に新中間層に伝えられると、彼らの意識変化を促進される。すると、新中間層が制度の設計に参加することにより、市民社会による地域環境管理がしやすいように制度が変更される。その制度が市民社会による地域環境の発展を下から支える。また地域環境管理に参加することにより、参加者はネットワークや他のアクターとのパートナーシップを築き、それが市民社会を発展させ、それにより地域環境管理・保全のための活動が発展していく。すなわち、市民社会と市民社会による地域環境管理は相互作用を及ぼし、発展していると考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

アジアの開発途上国の多くは、急激な経済発展により環境破壊や都市問題深刻な状況であり、さらに、ダムなどの大規模施設への反対運動や紛争も後を絶たない。しかし、多くの途上国ではすでに、環境法制の整備や環境アセスメント制度、都市計画制度、議会制度などの民主的な合意形成のための制度が導入されている。しかし、地域には独特の自然・社会条件があり、地域の特色に合わせた地域環境保全・管理の必要性がある。また、環境問題の「脱境界性」という特徴より、境界のない市民社会による地域レベルでの地域環境保全・管理が必要であると言える。すなわち、地域環境の管理・保全のためには、政府による一律の制度と地方自治体による計画やプロジェクト、国会や地方議会での合意形成に加え、市民社会による合意形成、活動が必要となり、地域環境管理には多層的な対応が必要となると言える。

以上のような問題意識のもとで、本研究ではタイを対象国として事例分析を行い、次のような結論を導き出している。タイでは、1960年代以降、民間企業主導の輸入代替型工業により、高い経済成長を遂げた。このタイの経済成長は、アグロインダストリーの拡大に支えられたものであった。そのため、タイでは1970年代以降、アグロインダストリーによる環境破壊が続いた。また、1980年代後半からは、大型公共施設への住民を中心とした反対運動が繰り広げられ、多くの計画が中止に追い込まれた。

1997年憲法では、下院議員の公選制の導入、地方分権化推進、住民の条例請求権など国民参加が進んだ。また、先住住民による環境管理・保護・利用の権利や、国民が環境管理・利用・改善に参加する権利を認めている。地方分権化の一部としての地方自治制度の改革により、今まで県自治体により統治されてきた農村部は、タンボン自治体により統治されるようになり、より住民に身近な自治体が地域の管理を行うようになった。また、地方分権化推進計画では、都市計画や開発計画が国より地方自治体へ委譲されることを規定している。その他にも、環境保全の権限を国より地方自治体に委譲することにしている。本研究はmこれら新憲法、地方分権化推進計画において、市民社会が地域環境を管理する権限が拡大された要因には、憲法起草委員会、地方分権化推進委員会への新中間層の参加とその影響力の大きさがあることを、とくに新聞の環境問題に関する社説を分析することにより分析している。

さらに、本研究は、具体的な環境運動として、サムットプラカーン県の大規模汚水処理場建設プロジェクトに関わる紛争と、トラン市ヘルシー・シティ・プロジェクトに関わる環境運動を取り上げて詳細な検討を行った。

サムットプラカーン県クロンダン地区における大規模汚水処理場建設プロジェクトへの住民の反対運動を事例として研究を行った。地域環境保全のために必要な要素として、「制度の導入」、に加え「住民間の合意形成システムの形成」、「民主的な政治システムの確立」に焦点を当て、これらの達成の時間差によってどのような問題点が発生したか、そして、どのような地域環境保全システムが形成されつつあるのかを明らかにしている。

トラン県トラン市における、地域をヘルシー・シティにするための市民を中心とした運動を事例として、都市部において、どのような市民社会による地域環境管理の方法が派生しているのかを明らかにすること、市民運動が公共性を獲得し、地域環境管理への展開していくプロセスとその限界を明らかにしている。

本研究は、結論として、新中間層と伝統的タイプの市民団体により市民社会が形成され、地域環境の管理を行い、また、地域環境管理に参加することにより、参加者はネットワークや他のアクターとのパートナーシップを築き、それが市民社会を発展させ、それにより地域環境管理・保全のための活動が発展していくという相互作用を実証的に明らかにした。

本研究は、アジアの発展途上国における地域環境政策の課題をタイを事例として詳細に明らかにし、優れた学術的価値を有している。さらに、その分析を通じて今後の制度改善のための有益な提言を行っている。

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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