学位論文要旨



No 118960
著者(漢字) 花田,茂久
著者(英字)
著者(カナ) ハナダ,シゲヒサ
標題(和) IWA 活性汚泥モデルNo. 3へのリン除去予測モジュールの導入とそのキャリブレーション方法の確立
標題(洋)
報告番号 118960
報告番号 甲18960
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5692号
研究科 工学系研究科
専攻 都市工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 味埜,俊
 東京大学 教授 古米,弘明
 東京大学 助教授 福士,謙介
 東京大学 講師 荒巻,俊也
 東京大学 講師 鯉渕,幸生
内容要旨 要旨を表示する

近年,我が国の下水処理場は閉鎖性水域における富栄養化防止の観点から,従来行われてきた有機物除去だけでなく,窒素,リンなどの栄養塩除去を行うことが強く求められている。これにより生物学的窒素,リン除去が可能な高度処理施設の普及が更に進むものと思われる。生物学的窒素,リン除去法は従来の標準活性汚泥法よりも原理が複雑であるために,効率的な高度処理施設の設計・運転管理を行うには,これまでよりも合理的な考え方が必要となる。

一方,活性汚泥中の微生物が関わる様々な反応の原理を理解し,モデル化する試みは数多くの研究者によって行われてきた。中でも国際水学会(IWA)のTask groupによって発表されているIWA活性汚泥モデル(ASM)は最も代表的なモデルである。ASMは汚濁物質除去に関わる微生物群(従属栄養微生物群,硝化細菌群,脱窒細菌群,リン蓄積微生物群)の基質摂取,増殖,死滅といった反応の速度や化学量論を記述しており,このモデル構造をコンピューターに組み込み,計算させることにより下水処理プロセス全体の挙動を予測することができる。近年このASMを下水処理場の効率的な設計,運転に積極的に利用しようという動きが高まりつつある。

ASMを動かして下水処理プロセスの挙動を予測するためには,流入下水のモデル上の有機物組成と各種化学量論係数,動力学定数(パラメータ)の値を決定する必要がある。これらの作業を「キャリブレーション」という。しかし特に生物学的リン除去プロセスのキャリブレーションを行う際の,ASMの統一的なキャリブレーション方法は未だ確立されていない。

そこで本研究では,生物学的リン除去プロセスを対象としたASMの統一的なキャリブレーション方法の開発を目的に研究を行った。ASMの統一的なキャリブレーション方法を開発するためには,そのキャリブレーション方法がある1つの下水処理プロセスのみに適用可能というものではなく,複数の(理想的には全ての)下水処理プロセスに適用可能なものである必要がある。そのためにはキャリブレーションを行うことにより,モデルが最終的な計算結果である処理水質だけでなく,汚濁物質除去を担っている各微生物群の濃度も再現できている必要がある。なぜなら,もしモデルが各微生物群の濃度を再現できていない状態で処理水質を再現しようとすると,本来であれば処理場ごとに値を変更する必要のないパラメータを変更しなければならなくなり(つまりパラメータの一般性が保たれなくなり),キャリブレーションに余計な手間がかかることになるからである。そこで本研究では各微生物群濃度の再現性を意識してキャリブレーション方法を考案した。

まず,初めに感度解析を行うことにより下水処理プロセスの挙動に大きな影響を及ぼすパラメータを抽出した。本研究では統一的なキャリブレーション方法を開発するために,感度解析は特定の下水処理プロセスではなく,一般的な下水処理プロセスを想定した仮想嫌気-無酸素-好気リアクターを対象に行った。またキャリブレーションにより各微生物群の濃度も再現することを意識したので,水質成分だけでなく,各微生物群濃度に大きな影響を与えるパラメータを抽出した。抽出したパラメータ以外のパラメータは基本的にTask groupの推奨値で固定した。抽出したパラメータについても,それらの生物学的な意味を考慮し,回分実験で推定するもの,処理場のデータからフィッティングにより推定するもの,推奨値で固定するものに分類し,キャリブレーションを行うことにした。

開発したキャリブレーション方法が一般性の高いものであるかどうかを評価するために,異なる3つの実下水処理プロセス(嫌気好気回分式リアクター,浅川処理場A2O系列,中川処理場A2O系列)に開発したキャリブレーション方法を適用した。キャリブレーションにあたっては,水質成分だけでなく,各微生物群濃度の再現性も評価した。但し各微生物群の濃度は直接測定することができないので,3つのキャリブレーション結果に基づいてパラメータの一般性を評価することにより,間接的に各微生物群濃度の再現性を評価することにした。また本研究では基本的に下水処理プロセスの平均的な挙動が再現できるかどうかという観点からキャリブレーション方法の適用性を評価したが,生物学的リン除去にASMを利用する場合は降雨時のリン除去の悪化など,リン除去が不安定な状況での挙動を再現できることが重要である。そこで嫌気好気回分式リアクターについては,詳細な水質モニタリングを行うことにより,開発したキャリブレーション方法により,流入水質が大きく変動し,リン除去が不安定な時の挙動が再現できるかどうかについても調べた。以下で,開発したキャリブレーション方法を実際に実下水処理プロセスに適用した結果について述べる。

まず,開発したキャリブレーション方法を,実下水を流入させた嫌気好気回分式リアクターに適用した。キャリブレーションはリアクターの平均的な挙動が再現できるように行った。開発したキャリブレーション方法をそのまま適用したところ,リアクターの挙動を再現することができず,キャリブレーション方法の修正が必要であることが判明した。まずKPHA(リン蓄積微生物のPHA含有率の半飽和定数)の推奨値(0.01 [gCOD/gCOD])からの変更を余儀なくされた。これは推奨値を用いて計算を行うと好気工程の途中でPHAが枯渇し,リン蓄積微生物がウォッシュアウトするためである。本研究ではKPHAを0.1 [gCOD/gCOD]に変更した。またYPO4(PHA貯蔵のためのポリリン酸必要量)の値が,易分解性有機物の大部分を占める酢酸と,遅分解性有機物から加水分解,発酵により生成する有機物とで異なることが示唆された。よってYPO4については回分実験で推定した値は適用できず,嫌気工程終了時のリン酸濃度を再現するように値を変更するのが妥当であることが示唆された。

次にキャリブレーションを行ったモデルが,流入水質が大きく変動し,リン除去が不安定な時のリアクターの挙動を再現できるかどうかを調べた。その結果,キャリブレーションを行ったモデルは,嫌気工程終了時のリン酸濃度や処理水のリン酸濃度,MLSS濃度の変動をほぼ再現できていた。これにより開発したキャリブレーション方法が非定常時のプロセスの挙動を大まかには再現できることが示された。しかし流入水中の有機物濃度が低い期間が続いた後しばらくの間,嫌気工程終了時のリン酸濃度が再現できなかった。この原因はXPAOの含有するポリリン酸濃度が再現できていないためであることが判明したが,ポリリン酸濃度が再現できない原因については特定できず,課題が残った。

次に開発したキャリブレーション方法を東京都の浅川,中川処理場A2O系列に適用した。その結果,嫌気好気回分式リアクターの場合と同様の方法で,アンモニア性窒素,硝酸性窒素,リン酸といった水質成分や,MLSS,汚泥TP,ポリリン酸といった汚泥成分の平均的な挙動を再現することができたが,キャリブレーションを行う上での問題も明らかになった。まず浅川,中川両ケースで,第二沈殿池における脱窒が無視できないレベルで起こっていることが示唆されたが,沈殿池における脱窒量が把握できず,沈殿池の適切なモデル化が行えなかったために硝酸性窒素の挙動が再現できないという現象が起きた。このことから好気槽末端,返送汚泥中の硝酸性窒素濃度のモニタリングを行い,二沈での脱窒量を正しく把握することがまず重要であるということが示唆された。また好気槽のDO濃度も硝酸性窒素濃度に影響を与えるため,DO濃度の正しい把握も重要であることが示唆された。

これまでに得られた3つの実下水処理プロセスのキャリブレーション結果を比較し,パラメータの一般性という観点から,各微生物群濃度の再現性を評価した。その結果qPHA(リン蓄積微生物の有機物貯蔵速度定数),kSTO(従属栄養微生物の有機物貯蔵速度定数),qPP(リン蓄積微生物のポリリン酸貯蔵速度定数)といったパラメータの一般性が保たれていることが判明し,開発したキャリブレーション方法により各微生物群濃度が大まかに(平均的なレベルでは)再現できていたことが示唆された。このことから逆に,各微生物群濃度の再現性を意識してキャリブレーション方法を開発したことにより,これらのパラメータの一般性が保たれ,結果的にキャリブレーションの省力化につながることが示唆された。そして最後に本研究で得られた結果に基づき,生物学的リン除去プロセスを対象としたASMの統一的なキャリブレーション方法を提案した。本方法は感度解析などの理論的なアプローチに基づき考案し,実際に3つの異なる実下水処理プロセスに適用することにより適宜修正を行い開発した方法であるが,本方法が直ちに全ての実下水処理プロセスに適用可能であるというわけではなく,今後できる限り多くの実下水処理プロセスに適用し,その問題点や改善点を明らかにしていく必要があると考える。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、近年、急速に需要が高まっている排水からの生物学的リン除去プロセスをより合理的に設計または運転管理するために、シミュレーションモデルを実務的に利用することをめざした研究である。排水からのリン除去が、既存の有機物のみの除去を目的としたプロセスに比べ、原理が複雑な上に設計や管理の考え方も単純には整理できないものなので、その挙動を表現する数学モデルの利用に期待がかかっている。一方、国際水学会(IWA)が提案した活性汚泥モデルが世界標準として認められるようになり、具体的にこのIWAモデルをどう実務に使うかが問われている。そのような背景のもとに、本研究は最新のIWAモデルであるASM3を対象として、実際のプロセスに応用する際に最初に問題となるキャリブレーション(モデル定数をローカルな条件に合うように決定すること)の方法の提案をおこなったものである。

本論文は8章からなる。第1章は「はじめに」であり、本研究の背景と目的を述べている。

第2章は「既存の知見の整理」であり、本研究の前提となる既存の知見として、IWAモデルおよびそのキャリブレーション方法についての文献レビューの結果をまとめている。

第3章は「リン除去モジュール導入型ASM3のキャリブレーション方法の開発」と題する。対象とするリンモジュール導入型ASM3を用いた感度解析をもとに、キャリブレーションの対象とすべきパラメータを抽出し、それらのパラメータを決めるための基本的な考え方と具体的な手法を提案している。

第4章は「嫌気好気回分リアクターのキャリブレーション結果」である。本研究では実下水を処理する生物学的リン除去パイロットプラント1機と2つの実処理場について、3章で提案した方法を用いて実際にキャリブレーション作業をおこない、手法の妥当性を評価しようとしている。本章では、そのうちパイロットプラントを対象に行ったキャリブレーションの結果を説明している。その結果から、キャリブレーション手法の修正をいくつか提案した。また、細胞内蓄積有機物の代謝にかかわる反飽和定数および有機物貯蔵に必要なポリリン酸量を示す定数について再評価の必要性を指摘した。

第5章は「リン除去不安定時の挙動の再現性評価」であり、第4章と同じパイロットプラントを対象として、まったく異なった時期において第4章で評価したパラメータセットがどこまで適用できるかを確認した。その結果、きちんと評価したパラメータセットは異なる時期においても十分使えることを示した。また、リン除去効率が変動したときのデータから、いくつかのパラメータについて再評価した。

第6章は「実下水処理場のキャリブレーション結果」と題し、東京都の2つの実処理場を対象として、キャリブレーション作業をおこなった結果をまとめている。本論文で提案している方法の妥当性がおおむね示せたとしているが、一方で、沈殿地のモデル化の必要性や化学沈殿によるリン除去の寄与のより詳細なモデル化の必要性も指摘している。

第7章は「統一的なキャリブレーション方法の提案」と題し、第3章から6章までで論じてきたリン除去モジュール導入型ASM3のキャリブレーション方法に関する検討結果を総括し、統一的なキャリブレーション方法の提案をおこなっている。また、個別のパラメータごとにキャリブレーションの際の注意事項をまとめている。

第8章は「総括」であり、以上の研究から得られた成果をまとめ、今後の展望と課題について記している。

以上、本論文は、これまで系統的な研究の少なかった活性汚泥モデルのキャリブレーションに関して新たな考え方を提案するとともに、とくにリン除去を目的としたプロセスにモデルを適用する際の具体的なキャリブレーション手法を提案した。さらにその手法をいくつかの具体的なケースに適用することによりその有用性を示した。その成果は、環境浄化技術としての生物学的リン除去プロセスをより安定した技術として発展させる上で重要な基礎を与えており、さらに活性汚泥モデルの実務利用全体にとっても有効な指針を与えるものである。この成果は工学の発展に大きく寄与するものである。したがって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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