学位論文要旨



No 118963
著者(漢字) 呉,政祐
著者(英字)
著者(カナ) オ,ジョンウ
標題(和) 水供給システムにおける細胞周期因子を用いた細菌再増殖能の評価
標題(洋) Evaluation of bacterial regrowth potential in drinking water system using cell cycle parameters
報告番号 118963
報告番号 甲18963
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5695号
研究科 工学系研究科
専攻 都市工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 大垣,眞一郎
 東京大学 教授 国包,章一
 東京大学 助教授 滝沢,智
 東京大学 助教授 酒井,康行
 東京大学 講師 片山,浩之
内容要旨 要旨を表示する

水供給システムにおける細菌再増殖能は、水道水の安全性に関する最も重要な水質指標の一つとして認識されている。この細菌再増殖能を測定する手法としては、BDOC (Biodegradable dissolved organic carbon), AOC(Assimilable organic carbon)及びBRP(Bacterial regrowth potential)などが提案されている。また、細菌再増殖能を抑制するために塩素など残留性がある消毒剤の注入が伝統的な方法として行われている。しかし、リンや窒素など増殖に影響する栄養塩類の制御の必要性も議論されており、既存の指標では、細菌再増殖能の正確な解析が難しい場合もある。従って、新たな指標及び新しい抑制方法の開発が必要である。

本論文では、 水供給システムにおける細菌再増殖能を評価するため、比再増殖速度、及び分子生物学的な情報である細胞周期因子を導入し、新たな評価指標としてその適用性を検討した。この新たな指標を用いて、栄養塩類のさまざまな条件に対する細菌再増殖能の変化を調べ、栄養塩類の制限による抑制効果を明らかにした。

本論文では8つの章から構成されている。第1章は序論である。第2章は既存の研究の知見をとりまとめである。第3章は実験方法である。第4章はBRP法の改善及び細胞周期の測定法の検討である。

BRP法は対象水道水から分離された土着細菌を植種菌として使用する方法である。従来のBRP法は水道水から作製された植種菌液の一定量(1mL)を試料に注入する方法を採用している。しかし、従来のBRP法の植種菌液に含まれている栄養塩類の濃度を測定した結果、TOC(Total Organic Carbon)及びNO3-Nの濃度が相対的に高いことが分かった。従って、植種菌液による影響を最小にするため、遠心膜分離によって植種菌液から植種菌を分離する過程を導入した。このような植種方法の改善によってBRP法の信頼性を改善した。

細胞周期因子の定量には対数増殖期の細胞の各周期のDNA含量の比を測定しなければならない。植種菌が注入された後、6日間にわたり細菌の増殖量及び細胞の各周期の時間的な変化を観察し、その結果、細胞の各周期は2日目から安定的な分布が見られることを見出した。従って、本研究では、菌が植種された後の2日目からを対数増殖期として仮定し、この期間に採水された試料に対して細胞周期因子の定量を行った。

従来のBRP法は、細菌数検出のための染色剤としてSYTO-9を利用している。しかし、細胞周期を分析するためにはSYTO-9は使用できないのため、染色剤としてSYBR Green-Iを用いた。なお、両染色剤で染色した細菌の検出数を比較した結果、ほぼ一致する結果(r2 = 0.9964, n=7)を得たことから、本研究のBRP法の細菌数検出のための染色剤はSYBR Green-Iを用いた。

第5章は、水道水に対する細胞周期因子の適用に関する検討である。

水道水の細菌の細胞周期は研究されてきていない。しかし、DNA含量がそれぞれ異なる細菌の混合培養系では細胞周期の測定ができない。従って、水道水の混合土着細菌の増殖特性をよく反映する指標菌を選定しなければならない。 水道水から分離された混合土着細菌とPseudomonas aeruginosa, Pseudomonas fluorescens P17, Sprillum NOX及びAeromonas hydrophilaの4種類の純菌の増殖量と増殖速度を比較した。Pseudomonas aeruginosa及びPseudomonas fluorescens P17が混合土着細菌と高い相関性を示した。本研究では、比増殖速度及び細胞周期測定のための指標菌としてPseudomonas fluorescens P17を選定した。

水道水中における細菌の細胞周期の特性を詳細に検討するためにPseudomonas aeruginosa及びPseudomonas fluorescens P17の細胞周期特性を解析した。まず、細菌が分裂する過程においてDNA含量の分布を意味するDNAヒストグラムは二つのピークで分かれることが分かった。この分布特性は、遅い増殖速度で現れる特性の一つである。従って、水道水において、細菌のDNA分裂では、増殖速度が大きい場合に観察されるDNA分裂のOverlapping(以前のDNA分裂が終わる前に新たなDNA分裂が行う現象)は発生しないことが分かった。また、DNAヒストグラムから算定される各周期段階の長さは、相対的にB段階が長く、C及びD段階は短かった。すなわち水道水に対するこのPseudomonas属の細胞周期特性は、遅い増殖速度の分裂特性をよく反映していることが分かった。

細胞周期特性を定量的に算定するため細胞周期因子としての有効性を検討した。細菌比再増殖速度と細胞周期因子、すなわちDNA分裂指標 Mi/Mavg(分裂初期の細胞質量/平均細胞質量)及びD/B比(D段階の長さ/B段階の長さ)の相関性を調べ、強い相関があることを明らかにした。なお、AODC(Acridine Orange Direct Count)法によって測定した実際の細菌の大きさと比再増殖速度とは強い相関を示した。この結果から、貧栄養塩類の水道水に対して、細胞周期因子を用いた細菌再増殖能による評価方法が信頼性をもつことを示した。

第6章は、栄養塩類の制限による細菌再増殖能の解析である。

栄養塩類のさまざまな条件に対する細菌再増殖能を細胞周期因子で評価した。培養温度の最適条件を決定するため、水道水の土着細菌に対して培養温度条件(37℃及び20℃)が細菌再増殖能に及ぼす影響を調べた。その結果、貧栄養塩類及び低水温に適応している水道水中の細菌は37℃より20℃の方が高い増殖量を示した。この結果より培養温度を20℃とした。

炭素(Glucose, Acetate及びHumic Acids)、窒素(NH4-N, NO2-N及びNO3-N)及びリン(PO4-P)に対する増殖特性を調べた。各栄養塩類の濃度の増加に従い増殖量は増えたが、ある特定な濃度を超えると増殖量はあまり変化しなかった。また、比再増殖速度の各濃度依存性も同様の結果となった。その特定な濃度としては、土着細菌に対しては、Glucose 0.5 mgC/L, Acetate 1.0 mgC/L, NH4-N 0.1 mgN/L, NO2-N 0.3 mgN/L, NO3-N 0.5 mgN/L, 及びPO4-P 5.0 μgP/Lであり、Pseudomonas fluorescens P17に対しては、Glucose 1.0 mgC/L, Acetate 1.0 mgC/L, NH4-N 0.5 mgN/L, NO2-N 0.3 mgN/L, NO3-N 0.5 mgN/L, 及びPO4-P 10.0 μgP/Lであった。Humic Acidsの場合は細菌の増殖があまり見られなかった。本研究では、比再増殖速度が濃度依存しなくなる対象栄養塩類の特定濃度を、「充足濃度(Sufficient Nutrient Concentration)」と定義した。この充足濃度は細菌再増殖能を抑制するための方法を開発するために有用な情報となる。

本研究で導出された充足濃度を基準にして、Glucose、NO3-NとPO4-Pをそれぞれ充足濃度の50%と10%(NO3-Nは60%と20%)と設定し、栄養塩類を一つ、二つあるいは三つを同時に制限した場合に対して、5日後の細菌再増殖量の変化を調べた。その結果、リンを同時に制限した場合の増殖抑制効果が高かった。NO3-Nは、炭素、窒素及びリンすべてが充足濃度以上である場合より、むしろ低濃度の方が高い増殖量を示した。

第7章では、細菌比再増殖速度と細胞周期因子を実際の水供給システム(東京都の金町浄水場及びその配水系統)に適用し、その有効性を検討した。

従来の急速ろ過工程(凝集沈殿−砂ろ過)及び高度処理工程(凝集沈殿−オゾン-生物活性炭-砂ろ過)の両方について水質と細菌再増殖能を測定した結果、細菌再増殖能とTOCの除去率は従来の急速ろ過工程より高度処理工程が高く現れた。そして、オゾン処理によってUV吸光度の減少及びPO4−Pの増加とともに細菌再増殖能の増加が見られた。細菌再増殖能の処理は生物活性炭工程の役割が非常に大きいことが分かった。また、各処理工程中の細菌再増殖能とリン濃度は同様の変化を示し、金町浄水場内の細菌再増殖はリンの制限によって支配されていることが分かった。この結果より、リンは細菌再増殖を制御する重要な因子であることを明らかにした。

細胞周期因子を用いて実際の細菌比再増殖速度を求めるため、第6章の実験室内で得られた細胞周期因子と細菌比再増殖速度の回帰曲線を、次式(1)のように得た。

この式(1)を用いて、金町浄水場及びその配水系統のMi/Mavg を実測し、式(1)から比再増植速度を計算し、その結果を実測の細菌比再増殖速度と比較した。計算値と実測値は高い相関(r2=0.8798, n=39)を示した。この結果は、DNAヒストグラムから実際の細菌比再増殖速度の計算が可能であることを示している。すなわち、ある水道水に存在する指標菌のDNA含量の比が測定できれば、培養しなくても細菌比再増殖速度と細菌再増殖能の導出ができることを示している。

第8章において、水道水のような低濃度系における細菌再増殖能を、新しい細菌細胞周期により評価したことと、また、栄養塩類の細菌再増殖能への影響を明らかにしたことをとりまとめて示した。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、「Evaluation of bacterial regrowth potential in drinking water system using cell cycle parameters(水供給システムにおける細胞周期因子を用いた細菌再増殖能の評価)」と題し、水供給システムにおける細菌再増殖能を評価するため、分子生物学的な情報である細胞周期因子を導入し、新たな評価指標としての適用性、ならびに、栄養塩類の制限による細菌再増殖能の抑制効果を検討した成果である。

本論文は8つの章から構成されている。第1章は、序論である。第2章は、既存の研究の知見をとりまとめている。第3章は、本研究で用いた実験方法を説明している。第4章は、BRP法の改善及び細胞周期の測定法に関する成果である。

BRP法は対象水道水から分離された土着細菌を植種菌として使用する方法である。従来のBRP法を改善し、植種菌液に含まれている栄養塩類を遠心膜分離によって植種菌液から除く過程を導入し、BRP法を改善し、その信頼性を確立している。

細胞周期因子の定量には対数増殖期の細胞の各周期のDNA含量の比を測定しなければならないとし、対数増殖期の期間に採水された試料に対して細胞周期因子の定量を行うことの必要性を示している。また、細胞周期を分析するためにはSYTO-9は使用できないため、染色剤としてSYBR Green-Iが有効であることを示している。

第5章は、水道水に対する細胞周期因子の適用に関する成果を説明している。

水道水から分離された混合土着細菌と4種類の純菌Pseudomonas aeruginosa, Pseudomonas fluorescens P17, Sprillum NOX及びAeromonas hydrophilaの増殖量と増殖速度を比較し、水道水の混合土着細菌の増殖特性をよく反映する指標菌としてPseudomonas fluorescens P17を選定している。

Pseudomonas aeruginosa及びPseudomonas fluorescens P17の細胞周期特性を解析し、細菌が分裂する過程においてDNA含量の分布を意味するDNAヒストグラムは二つのピークで分かれること示し、遅い増殖速度で現れる特性の一つであるとしている。また、DNAヒストグラムから算定される各周期段階の長さは、相対的にB段階が長く、C及びD段階は短かく、遅い増殖速度の分裂特性をよく反映していることも明らかにしている。

細菌比再増殖速度と細胞周期因子、すなわちDNA分裂指標 (分裂初期の細胞質量/平均細胞質量)及びD/B比(D段階の長さ/B段階の長さ)の相関性を調べ、強い相関があることを明らかにしている。この結果から、貧栄養塩類の水道水に対して、細胞周期因子を用いた細菌再増殖能による評価方法が有効であるとしている。

第6章は、栄養塩類の制限による細菌再増殖能の解析に関する成果である。

炭素(Glucose, Acetate及びHumic Acids)、窒素(NH4-N, NO2-N及びNO3-N)及びリン(PO4-P)に対する増殖特性を調べ、比再増殖速度が濃度依存しなくなる栄養塩類の特定濃度の存在を示し、「充足濃度(Sufficient Nutrient Concentration)」と定義している。この充足濃度は細菌再増殖能を抑制するための方法を開発するために有用な情報であることを示している。充足濃度を基準にして、栄養塩類を一つ、二つあるいは三つを同時に制限した場合、リンを制限した場合に増殖抑制効果が高いことを明らかにしている。

第7章では、細菌比再増殖速度と細胞周期因子を実際の水供給システム(東京都の金町浄水場及びその配水系統)に適用し、その有効性を示している。

急速ろ過工程(凝集沈殿−砂ろ過)及び高度処理工程(凝集沈殿−オゾン-生物活性炭-砂ろ過)の両者について、水質と細菌再増殖能を測定し、各処理工程中の細菌再増殖能とリン濃度は同様の変化を示し、金町浄水場内の細菌再増殖はリンの制限によって支配されていることを明らかにしている。この結果より、リンは細菌再増殖を制御する重要な因子であることを明解に示している。

さらに、細胞周期因子を用いて実際の細菌比再増殖速度を求める方法の実証を行っている。金町浄水場及びその配水系統のDNA分裂指標の実測値から、第6章の実験室内で得られた細胞周期因子と細菌比再増殖速度の回帰曲線を用いて、その細菌比再増植速度を計算し、実測の細菌比再増殖速度の値と高い相関を示すことを明らかにしている。この結果は、水道水に存在する指標菌のDNA含量の比が測定できれば、培養操作なしに細菌比再増殖速度の導出ができる可能性を拓いたことを示している。

第8章はまとめである。

このように、本論文は、水道水のような低濃度栄養塩系における細菌再増殖能を、細菌細胞周期により評価する新しい方法を開発し、加えて、栄養塩類の細菌再増殖能への影響に新しい概念を加えたものであり、都市環境工学の学術分野に大いに貢献する成果である。

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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