学位論文要旨



No 118972
著者(漢字) 澁田,靖
著者(英字)
著者(カナ) シブタ,ヤスシ
標題(和) 単層カーボンナノチューブ生成初期過程の分子動力学
標題(洋)
報告番号 118972
報告番号 甲18972
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5704号
研究科 工学系研究科
専攻 機械工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 丸山,茂夫
 東京大学 教授 庄司,正弘
 東京大学 教授 越,光男
 東京大学 教授 松本,洋一郎
 東京大学 助教授 手崎,衆
内容要旨 要旨を表示する

はじめに

1993年,飯島らによって,1層の筒状の炭素原子からなる単層カーボンナノチューブ(SWNT)が発見され,その後,SmalleyらによるNi/Co添加黒鉛を用いたレーザーオーブン法によるSWNT大量合成や,Ni/Y添加黒鉛のアーク放電法による選択的SWNT多量合成が報告されて以来,SWNTはナノテクノロジーの代表的な新素材として注目を浴びている.また最近ではこれらの方法に加え,炭化水素やアルコール等を原料とした触媒CVD法によって,より安価で大量なSWNT合成が可能となりつつある.

SWNTの生成機構の解明は,理論的に極めて興味深いとともに,大量,高純度かつ直径やカイラリティまでも制御したSWNT生成に向けて非常に重要である.これまで主に実験結果に基づき,様々な生成機構が提案されている.本研究では,長時間,大規模な計算が可能な,古典分子動力学法によって,SWNTの生成過程を直接分子シミュレートし,その生成初期機構について考察することを目的とした.まず,代表的なSWNTの生成手法である,レーザーオーブン法,触媒CVD法の2過程をシミュレートし,その生成プロセスについて考察した.さらに,触媒の種類の違いによってSWNTの生成量が大きく変化する理由を考察するため,新たに,Fe,Co,Niと炭素との相互作用の違いをできるだけ簡便に表現できるポテンシャル関数を構築し,触媒金属クラスターと炭素の凝縮過程の分子動力学法シミュレーションを行った.

遷移金属ポテンシャルの構築と分子動力学計算の概要

古典分子動力学では,得られる現象は原子間相互作用を表すポテンシャルに依存する.本研究では炭素間共有結合に関してはBrennerポテンシャルを,炭素金属間,金属原子間に関しては,山口らが開発した多体ポテンシャルを用いて,レーザーオーブン法,触媒CVD法によるSWNT生成プロセスをシミュレートした.さらに,触媒の種類の違いによってSWNTの生成量が大きく変化する理由を説明するため,密度汎関数法(DFT)による小型クラスターのエネルギー計算結果に基づき,新たにポテンシャル関数を構築し,炭素と遷移金属クラスターの相互作用を検討した.

DFT計算にはGaussian98を用い,交換相関汎関数としてB3LYPを,基底関数としてLANL2DZを採用した.金属間ポテンシャルに関してはMn (M: Fe, Co, Ni; n = 2-4)クラスターに関して,結合間距離をそれぞれ1.8 - 3.5Aの範囲で0.05 A間隔に対称を保ちながら変化させて,各点の全エネルギーを計算し,全エネルギーと仮想原子を導入した孤立状態との差を取ることによって,結合エネルギーを求めた.金属炭素間ポテンシャルに関しても同様の方法で,小型のクラスターMCn(M: Fe, Co, Ni; n = 1,3,4)について,結合間距離をそれぞれ1.5 - 3.0 Aの範囲で0.05 A間隔に対称を保ちながら変化させて,結合エネルギーを求めた.得られた結合エネルギーを一般化Morse型ポテンシャルにフィッティングして図1の関数を得た.ここで金属間ポテンシャルに関しては,結合エネルギー及び平衡原子間距離が配位数によって変化する関数,金属炭素間に関しては,引力項に配位数の増加に対して指数関数的に減衰する係数を乗じることによって,多体効果を表現している.

単層カーボンナノチューブ生成初期過程の分子動力学法シミュレーション

レーザーオーブン法・アーク放電法によるSWNT生成の分子シミュレーション

一辺585 Aの周期境界立方体セルに2500個の炭素原子と25個のNi原子をランダムに配置し,制御温度3000 Kでクラスタリング過程のシミュレーションを行った.6 ns後,数個のNi原子を持つ炭素数100前後からなる3次元ランダムケージ構造をもつクラスターが多く観測された.また,系内のNiC60を取り出し,制御温度2500 Kで長時間アニールすると,Ni原子は約1 〜 10 nsの間隔でほぼ等確率に炭素ケージの内側と外側を出入りし,その度にダングリングボンドをもつ炭素が生じる.このようなNi原子の存在は,クラスターの安定化を妨げるとともに,クラスターの反応性を維持する働きがあると考えられる.次に,6 nsの状態から,時間圧縮のため,0.5 fsあたり6 × 10-5 Aの割合でセルサイズを縮小しながら,制御温度2000 K でシミュレートした.図2に代表的なクラスターの生成過程を示す.前駆体クラスター同士が緩やかに衝突を繰り返しながら成長した.アニーリングは全く追いついていないが,得られたクラスター構造はアスペクト比の大きい,チューブ状構造であった.Ni原子はSWNTの胴体のように,6員環のみで構成された部分を好まず,両端などの不安定な部分に集まり,Niクラスターを構成し始めた.

触媒CVDによるSWNT生成の分子シミュレーション

まず始めに,Ni原子n個をfcc構造に配置し(n=32, 108, 256, 500, 864),2 nsの間,2000 Kでアニールし,触媒金属クラスターの初期座標を準備した.孤立炭素原子間にLennard-Jonesポテンシャルを働かせ反応を禁止させることにより,炭素源分子が金属表面で解離し,炭素原子を連続的に供給する過程を仮想的に表現した.一辺20 nmの周期境界立方体セルに500個の孤立炭素原子と,用意した触媒金属クラスターの1つをランダムに配置し,制御温度2500 Kでクラスタリング過程のシミュレーションを行った.図3にNi108系の時間発展を示す.初期段階ではすべての炭素原子が触媒金属表面から取り込まれるが,金属原子数の約2倍の炭素が取り込まれたところで飽和し,続いて結晶化した部分の縁から炭素が表面に析出した.グラファイト構造が触媒表面を覆うにつれて,触媒に取り込まれる炭素の割合が減少する.やがて析出した炭素同士が結合し,触媒表面から浮いたキャップ構造となった.ここで,直径はおよそ1.3 nmとなった.さらに炭素が取り込まれると,キャップ構造が次第に持ち上げられ,SWNTの成長がスタートした.

図4にNi32,Ni256でのクラスター構造の時間発展を示す.Ni32では,クラスター内に六員環構造を形成しはじめると,グラファイト格子の両面に金属原子が規則的に並んだ平面構造を取り始める.析出したグラファイトがキャップ構造を作るが,触媒金属のサイズが小さいため,金属のすべての面がグラファイトで覆われてしまい,それ以上,炭素原子を取り込むことができなくなってしまう.一方Ni256では,炭素が飽和,析出後も金属表面が残っているため,連続的に炭素が供給される.また特定の大きさの結晶表面部分を囲む形で,結晶の配向が変化している部位からグラファイトが連続的に析出し,これらがキャップ構造を形成,成長している点が特徴的である.このようなプロセスで成長する場合,囲まれる結晶表面の大きさがキャップ構造の直径を決めると考えられる.

遷移金属クラスターと炭素の相互作用に関する分子動力学シミュレーション

鉄(Fe),コバルト(Co),ニッケル(Ni)の原子108個をfcc構造に配置し,2 nsの間,1500 Kでアニールし,触媒金属クラスターの初期座標を準備し,これと500個の孤立炭素原子を一辺20 nmの周期境界立方体セルにランダムに配置し,制御温度1500 Kでクラスタリング過程のシミュレーションを行った.構築したポテンシャルを用いる以外は前章と同じ計算方法を採用した.

5 ns前後からCoクラスター内で結晶化したCo原子の間に六員環ネットワークが形成され,結晶部分を維持しながら連続的にグラファイトを形成し,周りからこれを析出した.一方,Fe系では,取り込まれる炭素が増加しても,Fe原子が結晶構造を作ることはなく,部分的に六員環構造を形成するが,結晶構造に沿って連続的にグラファイトが生成されることはなかった.Ni系はCo系ほど強くはないが,結晶構造の間にグラファイトを生成している部分が確認でき,Fe系のみが異なる様相を示した.またFe系ではクラスター表面部分で六員環が生成される傾向が強く,表面全体をグラファイトが覆う傾向がある(図5).

図6にFe,Co,Ni各クラスター内部で生成された五,六員環の個数の時間履歴を示す.Co系では始めから多くの六員環を生成する一方,Ni,Fe系では30 nsあたりまではほぼ同じペースで六員環を生成するが,50 nsあたりでFeクラスター内の六員環生成速度が急激に遅くなり,その後,Ni系の個数とに差が生じる.これより,Feクラスターは他に比べてグラファイト化作用が小さく,このグラファイト化作用の大小がSWNTの触媒能を決定していると考えられる.

Potential functions for a metal-carbon cluster.

Growth Process of a tubular structure.

Growth process of the cap structure at 2500K for Ni108.

Aggregation of carbon atoms on a Ni32 and Ni256 cluster.

Co108 and Fe108 clusters after 100 ns calculation at 1500 K

Number of hexagonal and pentagonal rings in metal-carbon clusters.

審査要旨 要旨を表示する

本論文は「単層カーボンナノチューブ生成初期過程の分子動力学」と題し,ナノテクノロジーの中心素材として注目を集めている単層カーボンナノチューブの生成機構に関して,特に実験的観察が困難な生成初期過程の分子動力学法を用いた解明を試みたものであり,論文は全5章よりなっている.

第1章は,「序論」であり,本研究と関連して,単層カーボンナノチューブ発見の経緯,合成方法,応用などについて述べるとともに,これまでに提案されている単層カーボンナノチューブの生成モデルを系統的に整理している.また,炭素と遷移金属を含む分子シミュレーションに関して,計算手法,ポテンシャル関数などをレビューし,本論文の研究目的について述べている.

第2章は,「分子動力学法の概要とポテンシャル関数の構築」であり,本研究で用いた分子動力学法シミュレーションの概要と実際に計算で用いた既存のポテンシャル関数,温度制御法について述べている.さらに,炭素とさまざまな触媒金属の相互作用を検討するための手段を提案するため,密度汎関数法による小型クラスターの量子化学計算から得られた一連のエネルギー値を一般化Tersoff型関数にフィッティングすることによって新たなポテンシャル関数を構築している.

第3章は,「単層カーボンナノチューブ生成初期過程の分子動力学法シミュレーション」であり,上記の計算手法を用いることによって,レーザーオーブン法と触媒CVD法それぞれの生成初期過程のシミュレーションを行い,計算結果から両過程の違いについて検討している.この結果,レーザーオーブン法では,数個の金属をもつランダムケージ状クラスターが生成され,これらの衝突によってナノチューブ状物質に成長する一方,触媒CVD法では,金属炭素混合クラスターから,炭素が飽和,析出する過程でナノチューブのキャップ構造が生成されるとの結果を得ている.

また計算結果と相図や実験結果と比較することにより,新たな触媒CVD過程の単層カーボンナノチューブ生成モデルについて検討している.この結果,触媒CVD過程では,クラスター内で飽和したグラファイト構造は,ランダムに析出するのではなく,特定の結晶構造の隙間から連続的に析出し,さらに適度な結晶を囲むように円筒状に析出したグラファイト構造が,先端を閉じてキャップ構造を形成し,その後も炭素が連続的に供給されることによって,キャップ構造が徐々に持ち上げられ,単層カーボンナノチューブへと成長するとのモデルを提案している.

第4章は,「遷移金属クラスターと炭素の相互作用に関する分子動力学法シミュレーション」であり,第2章で構築したポテンシャル関数により触媒金属と炭素の混合クラスターからの炭素の析出過程の分子動力学法シミュレーションを行い,触媒金属の違いが単層カーボンナノチューブ生成に与える影響について検討している.各金属が炭素をグラファイト化する能力の違いから,触媒能の違いについて議論しているが,実際に動力学的に孤立炭素が触媒金属の作用によってグラファイト化していく過程の再現に成功した例はなく,非常に有益な知見が得られている.さらに構築したポテンシャル関数を用いてカーバイド結晶構造を再現することでポテンシャル関数の一般性を検証を行っている.

第5章は「結論」であり,上記の研究結果をまとめたものである.

以上を要するに,本論文は分子動力学法を用いて単層カーボンナノチューブ生成初期過程についてシミュレーションを行い,その結果に基づき,新たな単層カーボンナノチューブ生成モデルを提案したものであり,ナノスケールの核生成に関する重要な知見を与えており,分子熱工学の発展に寄与するものと考えられる.

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる.

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