学位論文要旨



No 118974
著者(漢字) 山口,浩樹
著者(英字)
著者(カナ) ヤマグチ,ヒロキ
標題(和) 二原子分子振動緩和/励起衝突モデルの構築
標題(洋)
報告番号 118974
報告番号 甲18974
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5706号
研究科 工学系研究科
専攻 機械工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 松本,洋一郎
 東京大学 教授 加藤,千幸
 東京大学 助教授 手崎,衆
 東京大学 助教授 丸山,茂夫
 東京大学 助教授 高木,周
内容要旨 要旨を表示する

近年,半導体製造,マイクロメカニズム (MEMS),宇宙工学といった様々な分野の技術開発において,希薄流が盛んに用いられている.このような気体分子の平均自由行程が大きい,あるいは代表長さが小さい流れの場合,通常の連続体理論が適用できなくなり,希薄気体力学に基づいた解析を行わなければならない.

希薄気体流の数値解析は既に工学的にも非常に重要な位置を占めており,解析手法の確立もかなり進んでいる.現在最も有力な数値解析手法の一つとされているのが,Bird (1976) によって考案された直接シミュレーションモンテカルロ法 (DSMC; direct simulation Monte Carlo) 法である.具体的には,流体を構成する分子からサンプル分子を無作為に抽出し,その運動を移動と衝突に分離して解析することで統計的にその流体の挙動を解析する手法である.このDSMC法における衝突モデルに関しては様々な研究がなされており,単原子分子気体においては精度の良い数値解析が行われている.しかし,多原子分子気体に関しては,最も簡単な等核二原子分子に対してですらモデルが確立されているとは言い難い.そのため,多くの場合は局所平衡の仮定に基づく統計論的なモデル(Borgnakke & Larsen, 1975) を用いた解析が行われてきた.しかし,近年,回転緩和過程に対しては,分子動力学法による多数回の二体衝突計算に対し統計処理を施したモデル,DMC (Dynamic Molecular Collision; Tokumasu & Matsumoto, 1999) モデルを用いることで改善されることが明らかとなった.

また,DSMC法を用いて極超音速希薄一様流中の平板周りの流れ場に対する様々な解析を行ってきた.その結果,総温 T0=1000K 程度でも振動の自由度による影響が無視できないことが分かり,振動緩和に関する解析の必要性が改めて認識された.さらには,解離,再結合反応や化学反応などには振動の自由度が強く影響する事も知られている.

以上を踏まえ,本研究では,量子分子動力学数値解析を用いた二原子分子二体衝突過程の解析により振動遷移衝突断面積を求め,合理的な等核二原子分子の振動緩和/励起衝突モデルを構築することを目的とする.なお,取り扱う分子は等核二原子分子である窒素 (N2) とする.

希薄気体領域では起こる分子衝突の大部分が二体衝突であるので二体衝突過程を解析すれば良い.解析は,Billing (1984) による半古典的 (Semiclassical) 手法に基づいて行う.半古典的手法とは,一部の自由度は量子力学で残りの自由度は古典力学で取り扱う手法である.10000K以下の比較的低温度領域を対象とするため,量子力学では振動自由度のみを扱う.回転,並進の自由度はその特性温度が相対的に低いためエネルギーが連続であると十分に見なせることから,古典力学で解析する.

半古典的手法について説明する.まず,古典力学と量子力学の両方を用いる手法であることから,系全体のシュレーディンガー方程式におけるハミルトニアンに対し,古典力学に従う項及び量子力学で取り扱う項に分離して考える.この際,古典力学では簡単のため,剛体回転子の解析となるように項を分離する.このようにすると,回転の自由度に対するハミルトニアンと剛体回転子のハミルトニアンの差分は微小であると見なせるので,量子力学的項に加え,摂動法によって解析する.系全体の波動関数はそれぞれの分子振動波動関数の積で展開する.このようにすると,解くべきシュレーディンガー方程式はこの展開係数に対して記述することができる.一方,古典力学で扱う項はエーレンフェストの定理を用いることで,系全体の波動関数で平均化されたポテンシャル場中を運動する剛体回転子の解析と同等となる.よって,展開係数に対するシュレーディンガー方程式と剛体回転子のニュートンの運動方程式を時間発展させることで二体衝突過程を半古典的に解析することができる.遷移確率は展開係数から求めることが可能である.

この半古典的手法は,微視的可逆性の原理を厳密には満たさない.それは,ポテンシャルエネルギーとして系全体の波動関数で平均化されたエーレンフェストタイプポテンシャルを採用していることにより,分子対の軌道が時間反転対象にならないためである (Billing & Jolicard, 1982) .そこで,モデル化においては励起過程のみを解析し,緩和過程は微視的可逆性の原理を満足するように決定する.

本研究で用いた半古典的手法の検証のため,遷移速度定数を算出し過去の研究結果と比較した.遷移速度定数とは単位時間,単位体積あたりの遷移数を意味する.モンテカルロ積分を用いて遷移速度定数を求めた.比較したのは,既存の数値解析結果 (Billing & Fisher, 1979) と実験結果に基づく経験式 (Millikan & White, 1963) である.1000Kから8000Kの範囲で比較を行い,全体にわたり良い一致が見られた.以上より,遷移確率を求める本手法は妥当であることが分かった.また,一度の衝突解析から遷移の成否のみ求まる準古典的 (Quasiclassical) 手法との比較を考える.準古典的手法では振動運動を古典的に捉えるために非常に小さな時間刻みが求められる上,確率が小さいほど統計量を多く取る必要がでてくる.そのことから考えても,半古典的手法は非常に小さい確率を求めるのに有効な手法であることが確認された.

振動遷移衝突断面積を求め,モデル化することを考える.DSMC法に適用することを考えると,遷移衝突断面積は衝突前の相対並進エネルギー及び回転エネルギーの関数としてモデル化されることが望ましい.また,モデルの使い易さを考えて,可能な限り解析的な関数形を利用したモデルの構築を目指す.

まず,特殊な衝突形態である共線衝突に着目する.共線衝突とは,全ての原子が同一直線上を運動する衝突であり,衝突分子対の相対方位角,回転運動,衝突径数を考えなくて良い.摂動法を用いた量子力学的理論解析手法である歪み波 (distorted wave) 法 (Jackson & Mott, 1932) を用いると,共線衝突における遷移確率が相対並進速度及び振動エネルギー遷移幅の関数として表せることが分かる.その関数形を用いて数値解析結果を整理すると,非常に良く数値解析結果を再現できることが分かる.また,この関数形において遷移確率が1となる相対並進エネルギーは振動遷移幅によらず一定となり,分子の解離エネルギーで表すことができることが明らかとなった.

次に,衝突分子対の相対方位角及び衝突径数の効果について考える.既存の二体衝突過程の理論解析においては,共線衝突の遷移確率に構造因子 (steric factor) をかけることでその効果を表す近似が広く用いられている.ここでも同様の仮定を導入してみる.一般的な衝突の遷移確率は共線衝突の場合と片方の分子軸が重心間を結ぶ直線に対して垂直な場合を内挿することで求められると仮定する (Takayanagi, 1952) .その結果を全ての角度に対して積分することで相対方位角に対する構造因子を求めることができる.また,衝突径数の構造因子は球対称ポテンシャルを仮定して重心に向かう速度成分のみが遷移に影響すると仮定することで求められる (Takayanagi,1952) .これらの構造因子を共線衝突で求めたモデル関数に適用すると,衝突前の回転エネルギーがØの場合の遷移確率を非常に良く再現できる.なお,構造因子は一定値としたが,それは多量子遷移において,また広いエネルギー範囲にわたって良く成立していることも確認された.

最後に,回転エネルギーの影響を整理する.相対並進エネルギーと同様に回転角速度が遷移と関係することが考えられる.そこで,遷移確率の関数形において,相対並進エネルギーの項を相対並進エネルギーとある割合の回転エネルギーの合計に置き換えて表すことを考える.このようにすることにより,回転エネルギーの効果も含めて遷移衝突断面積を表すことが可能となる.

以上をまとめて,衝突前の相対並進エネルギー,回転エネルギーの関数として振動遷移衝突断面積を求めるモデルを構築することが出来た.

DSMC法における衝突モデルとしては全衝突断面積及び回転,並進の自由度に対する衝突断面積,散乱角モデルが併せて必要である.二体衝突過程の解析による散乱角分布を見るとDMCモデルの構築において求められている分布と非常に良く一致しており,衝突時の軌道自体もほぼ同じと考えることができる.これは,本研究の二体衝突過程の解析が振動の自由度を含めた剛体回転子の解析と見なすことができることからも分かる.以上を考慮すると,全衝突断面積や散乱角,回転,並進のエネルギー交換に対しては既存の衝突モデルを併せて利用すれば良いということが分かる.

構築した振動遷移衝突断面積モデルの検証を行う.詳細釣合の原理は満足するようにモデルを構築したので,平衡状態を再現することはできる.そこで,DSMC法に適用し遷移速度定数を求めることによって検証を行った.

以上,DSMC法のための振動緩和/励起衝突モデルを構築した.具体的には,二体衝突過程を半古典的手法により解析し,その結果を統計的に処理することで衝突前のエネルギーに対する遷移衝突断面積を求めた.そして,既存の理論解析の成果を利用して物理的意味の明白な,また利用しやすい関数形による衝突断面積モデルを構築した.

審査要旨 要旨を表示する

本論文では量子分子動力学を用いて二体衝突過程を詳細に解析することにより,ミクロスケールからの情報のみに基づく合理的な等核二原子分子の振動緩和/励起衝突モデルを構築することを目的としている.

近年,半導体製造プロセスをはじめとするナノテクノロジー分野や人工衛星,国際宇宙ステーションに代表される宇宙開発分野の重要性が日々高まっており,それらの系に対する数値解析が求められている.このような希薄気体流の数値解析手法としてはDSMC(Direct Simulation Monte Carlo)法が広く一般に用いられている.しかし,DSMC法において多原子分子の内部自由度の非平衡を取り扱うことは非常に難しく,等核二原子分子気体においても局所平衡を仮定した統計論的なモデルによる解析がほとんどである.一方,回転の自由度に対しては二体衝突過程を詳細に解析し,その統計量からモデルを構築することも行われており,そのモデルが実験をより良く再現できることが既に明らかとなっている.更に,振動の自由度は化学反応にも大きな影響を与えることが知られており,詳細な物理に基づく衝突モデルが求められている.

以上のような背景を踏まえ,本論文では二体衝突過程の詳細な解析に基づく,内部自由度の非平衡に対応した振動緩和/励起衝突断面積モデルを提案する.まず,半古典的手法を導入することで,二体衝突過程を解析する.その結果を利用して,DSMC解析において用いることができるような関数形に基づく振動遷移衝突断面積モデルを構築する.このような経験的要素を極力排除した,自由度間非平衡に対応する等核二原子分子の振動衝突断面積モデルを構築することが本論文の内容であり,全6章から構成される.本論文においては等核二原子分子として窒素を採用している.

第1章は「序論」であり,研究の目的と既存の振動緩和モデルの概要と問題点,そして解析的及び数値的な手法による既存の二体衝突過程解析手法の概要を述べている.

第2章は「衝突過程の解析」であり,二体衝突過程の解析に用いた半古典的解析手法について述べている.この手法は,振動の自由度のみを量子力学的に,回転と並進の自由度を古典力学により取り扱う手法である.具体的には原子核の分子内振動運動は波動関数を用いて,また回転,並進運動は分子動力学法に基づいて解析を行う.これは振動特性温度が回転及び並進の特性温度に比べて非常に高いためである.このようにすることにより振動準位を離散的に解析するが可能となる.その一方で計算負荷はそれ程大きくない.平衡状態を再現するための条件となる微視的可逆性の原理を厳密には満たさない手法ではあるが,実用上問題ない範囲でこの原理を満たしていることを確認している.

第3章は「遷移速度定数」であり,手法の妥当性を検証するため,既存の実験結果を整理した経験式及び半古典的数値解析結果と比較,検証している.その結果,統計誤差の範囲内で良く一致していることが示されている.

第4章は「衝突断面積モデルの構築」であり,既存の理論的解析の様々な成果を効果的に用いて振動緩和/励起衝突断面積を関数化したモデルを提案している.まず,基本的な関数形は量子力学に基づく摂動法を用いた解析的手法である歪み波法に基づいて決定している.そして,既存の研究で知られている構造因子を用いることが可能であることを確認し,さらに回転運動の効果は,相対並進エネルギーに回転エネルギーを組み込んだエネルギー全体が衝突断面積に寄与すると考えることで新しくモデル化している.このモデルは広いエネルギー範囲に渡って二体衝突過程の数値解析結果を再現する.また,基底状態同士の衝突のみならず様々な振動準位間の衝突に対しても適用可能である.この関数化は各項の物理的意味が明白であり,他の分子種に拡張する際も共線衝突のみを解析すれば良いように構築されている.散乱各分布が古典的軌道解析の結果とほぼ一致することから,回転非弾性衝突過程及び散乱角の決定には既存のモデルを利用することで解析が可能である.

第5章は「モデルの検証」である.モデルの構築に当たって,微視的可逆性の原理を満たすように考慮してあるため,平衡状態は再現可能である.そこで,構築したモデルによる緩和時間が第3章で示した遷移速度定数から求まる緩和時間と一致することを,貯気槽問題にDSMC法を適用することで確認した.これにより,モデルの妥当性を示している.

そして,第6章が「結論」である.本研究では,DSMC法に適用可能な振動緩和/励起衝突断面積モデルの構築を行った.

並進・回転・振動の自由度間非平衡を前提としたDSMC法に対する振動緩和/励起衝突モデルの構築という試み自体が新しく,独創的である.特に,本研究はその結果を物理的意味の明白な関数により振動緩和/励起衝突モデルを構築したという点で非常に優れた論文である.

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる.

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