学位論文要旨



No 118975
著者(漢字) 平沢,隆之
著者(英字)
著者(カナ) ヒラサワ,タカユキ
標題(和) 生態心理学的乗客行動分析に基づく快適な鉄道車内空間のデザイン手法
標題(洋)
報告番号 118975
報告番号 甲18975
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5707号
研究科 工学系研究科
専攻 産業機械工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 須田,義大
 東京大学 教授 金子,成彦
 東京大学 教授 鎌田,実
 東京大学 教授 佐々木,正人
 東京大学 助教授 曲渕,英邦
内容要旨 要旨を表示する

快適性の追求は機械工学や建築計画学の各分野で、各種の定義と評価方法を用いて個別に行われてきた。今後もそのニーズは高まる一方と考えられるが、快適な公共空間を客観的にデザインする汎用的手法は現存しない。一方、心理学では、ギブソンが提唱した生態学的アプローチが、知覚心理学を中心として意識的でない人間行動の深い理解に貴重な知見を蓄えてきた。そこで、とくに持続的な社会発展の維持に重役を期待される鉄軌道系公共交通機関を客観的な手続きに従って快適化するため、機械工学に建築計画学・知覚心理学を融合する形で、生態心理学的な人間行動分析に基づく鉄道車内空間の客観的なデザイン手法の構築を本研究の目的に定めた。

生態心理学によると「動物の意志に拘わらず環境に実在し、動物自身を含む環境が動物に与えるために備えている価値」であるアフォーダンスを、動物は環境との固有な関係において直接的に知覚する。機械的反応モデルや主観−客観あるいは心理−環境の二元論を前提とせず行動調整に着目してありのままの人間行動を分析する生態心理学的アプローチを厳密に適用すると、定性的で緻密な人間行動記述が実現する。一方で、工学デザインとしては、各種の仮定で簡略化した定量的な人間行動記述を導入した効率よいデザイン手法が実用的観点から望まれる。そこで、本研究では、通勤車両・ライトレール車両・新幹線車両の各種営業車内におけるありのままの乗客行動観察から、代表的な行動場面を対象に乗客が平均的に利用するアフォーダンスを抽出し、アフォーダンスを忠実に移植した実物大バーチャル実験空間を活用して、定量的なアフォーダンスの記述に基づく乗客行動物理モデルの構築を通じて快適性評価指標を導出した。個別の検討を総合して、デザイナが想定した最大限のアフォーダンス(設計最大アフォーダンス)を利用する状況の実現を目標とする、一般的な鉄道車内空間の快適化デザイン手法を構築した。

行動目標が明確に定められてかつ快適性評価要素が特定できる行動場面については、環境変数による行動的指標として、アフォーダンスの定量的な表現による快適性評価指標が導ける。この場合、環境要因を操作する直接的な空間デザインの検討において、行動場面ごとに導かれる各種の定量評価指標を併用して、評価指標の最適化問題として設計最大アフォーダンス利用状況の実現方法をデザイン提案する。この結果、パラメータがリストアップされた状況下で、現状の利用システムの枠組みで規定される各種制約の克服等による改良設計シナリオが定量的な根拠を以って提案できる。また、現状設計で想定した通りに設計最大アフォーダンスが洩れなく利用されるための改善シナリオも定性的に提案できる。

本研究で提案したデザイン手法に拠れば、実物大バーチャル実験空間を人間行動分析用途に活用し、人間の行動する“環境”を前面に取り扱った快適性表現によって、想定した想定・仮定の範囲内において、人間行動に即して快適性を向上させるデザイン案が客観的に検討できる。通勤車両の座席配置を中心とした車内空間レイアウトの提案、ライトレール車両の車内利用システムと運行システムの総合的な評価と改良設計シナリオの提案、基礎的な新幹線車両シミュレータ構築、において、構築したデザイン手法の有効性が示された。

本論文の構成は次の通りである。

第1章「序論」では、研究の背景と目的および方法について述べ、検討の対象とする鉄道車内空間と乗客行動場面が特定されている。

第2章「快適な鉄道車内空間レイアウトのデザイン手法」では、空間レイアウトの構成要素として座席配置を主なパラメータと定めて、異なる時間帯の利用に柔軟に対応する快適化デザイン手法を示している。通勤車両を代表的な適用先と定めて、営業通勤車内行動観察に基づいて定式化し、実物大モックアップを用いてパラメータを同定した乗客行動物理モデルから導かれる快適性と乗降容易性の定量評価指標と、管路内一様流体としての簡易な降車客流動モデルとを用いた、車内空間のデザイン手法を示している。設計最大アフォーダンスの利用をデザイン目標に定めて、路線状況に応じて良好な車内空間レイアウトを客観的に議論できることが実証された。本デザイン手法を用いた具体的な提案事例は5章にて述べられている。

第3章「快適な鉄道車内空間利用システムのデザイン手法」では、ライトレール車両を代表的な適用先と定めて、空間幾何構造と利用方式をパラメータとして、異なる車種と利用システムの統一的な評価に対応する快適化デザイン手法を示している。営業中のライトレール車内の乗客行動観察に基づいて定式化した乗客行動物理モデルの各パラメータをモックアップ乗降実験と営業車両車庫内定置実験から同定し、快適性と乗降容易性の定量評価指標と駅停車時分物理モデルが導かれている。設計最大アフォーダンスの利用をデザイン目標に定めて、大掛かりな社会実験や検討項目ごとの局所的な最適化の議論をすることなく、車内空間利用システムと運行システムを総合的に客観的に議論できることが実証された。本デザイン手法を用いた具体的な提案事例は5章にて述べられている。

第4章「快適な走行中車内環境デザインの検討手法」では、新幹線車両を代表的な適用先と定めて、人間の行動特性に即する形で走行中車内環境を模擬するシミュレータを構築する際の、視野環境と車体運動の模擬手法を示している。アイマークレコーダを用いて取得した、走行中の車内における乗客の視野環境を、新幹線座席を配置し車窓動画を投影してシミュレータのキャビン上に構築できることを示している。モーション発生装置の周波数特性を補償し、アクチュエータストローク内に動作を収めるウォッシュアウトフィルタと運動感覚閾値に適合させる閾値フィルタを導入することで、シミュレータの性能と人間の特性に即した形で、6軸のシミュレータで車体運動を模擬できることを示している。閾値実験結果の統計解析から、構築したシミュレータにおける快適性評価実験実施上の要点も示している。

第5章「快適な鉄道車内空間のデザイン手法」では、前章までに個別の車内空間について行ってきた検討を総括して、設計最大アフォーダンスの利用を目標とする鉄道車内快適化デザインのフローを示している。構築したデザイン手法の適用範囲と学術的意義について考察しており、通勤車両の座席配置と車内空間レイアウトの提案、ライトレール車両の利用システム提案と採用実績、および新幹線シミュレータ構築方法の提案と採用実績、による実用的な意義も示している。構築したデザイン手法の他分野への適用方法と今後の展望についても示している。

第6章「結論」では、本研究によって得られた成果をまとめている。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は「生態心理学的乗客行動分析に基づく快適な鉄道車内空間のデザイン手法」と題し、六章より構成されている。

人間とかかわりのある車両などのような交通機械、あるいは建築学の領域において、快適性を考慮したデザイン手法の構築は重要な課題である。従来、快適の捉え方は検討場面によって千差万別であり、各種の定義と評価手法を用いた個別のデザイン提案が行われてきた。一方、持続的な社会発展の維持のためには、公共交通機関として高速鉄道、通勤鉄道、ライトレールシステムを快適に設計することが求められているが、従来は、汎用的・客観的デザイン手法は現存しない。

これに対して、本論文は、定量的評価による快適な鉄道車内空間の客観的なデザイン手法の構築を目的としたものである。本研究では、通勤車両・ライトレール車両・新幹線車両の車内空間を検討対象に、営業車内での行動観察に基づく乗客行動モデルと快適性の行動的評価指標を導入している。一方、心理学では、ギブソンが提案した生態心理学において、「動物の意思に拘らず環境に存在し、動物自身を含む環境が動物に与えるために備えている価値」としてアフォーダンスを定義している。本研究では、アフォーダンス理論を活用し、提案する乗客行動モデルを実物大のバーチャル実験空間を活用して検証すると伴に、乗客が行動で利用するアフォーダンスの定量的な記述を通じて快適化デザイン手法を客観的かつ定量的に検討する手法を与えている。

第一章は「序論」と題し、研究の背景と目的および方法について述べ、生態心理学の手法をまとめると共に、検討の対象とする鉄道車内空間と乗客行動場面が特定されている。

第二章は「快適な鉄道車内空間レイアウトのデザイン手法」と題し、空間レイアウトの構成要素として主として座席配置を捉え、パラメータとして異なる時間帯の利用に柔軟に対応する快適化デザイン手法が示されている。通勤車両を代表的な適用先と定めて、営業通勤車内行動観察に基づいて定式化し、実物大モックアップを用いてパラメータを同定した乗客行動物理モデルが、設計最大アフォーダンスにより記述できることを示している。

第三章は「快適な鉄道車内空間利用システムのデザイン手法」と題し、ライトレール車両を代表的な適用先と定めて、車内の空間幾何構造とライトレールシステムの利用方式をパラメータとして、異なる車種と利用システムの統一的な評価に対応する快適化デザイン手法が示されている。営業中のライトレール車内の乗客行動観察に基づいて定式化した乗客行動物理モデルの各パラメータをモックアップ乗降実験と営業車両車庫内定置実験から同定し、快適性と乗降容易性の定量評価指標と運行に関する評価モデルを導いている。提案する設計最大アフォーダンスにより、大掛かりな社会実験や検討項目ごとの局所的な最適化の議論をすることなく、車内空間利用システムと運行システムを総合的に客観的に議論できることを示している。

第四章は「快適な走行中車内環境デザインの検討手法」と題し、新幹線車両を代表的な適用先と定めて、人間の車内行動特性を考慮した走行中車内環境を、体感と視覚により模擬するシミュレータを構築する際の、車内環境デザイン手法が示されている。アイマークレコーダを用いて走行中の車内における乗客の視野情報を取得するとともに、6軸の運動・動揺が模擬できるモーション装置に新幹線座席を配置し、車内空間を模擬したシミュレータを構築した実験を行っている。その結果を用いて、視野模擬と運動模擬の手法が示されており、モーション装置に関連した閾値フィルタを提案している。

第五章は「快適な鉄道車内空間のデザイン手法」と題し、前章までに個別の車内空間について行ってきた検討を総括している。すなわち、設計最大アフォーダンスの利用を目標とする鉄道車内を快適化するデザイン手法が示されている。構築したデザイン手法の適用範囲と学術的意義について考察しており、さらに、通勤車両における新たな座席配置と車内空間レイアウトの提案、ライトレール車両システムの改善方法の提案、および新幹線車両の走行環境を模擬するシミュレータ構築方法の提案など、実用的な意義も示されている。また、構築したデザイン手法の他分野への適用方法と今後の展望についても議論が展開されている。

第六章は「結論」と題し、本研究によって得られた成果をまとめている。

以上ようするに、本論文は、従来客観的に取り扱うことが困難であった、鉄道車内の快適性について、生態心理学におけるアフォーダンス理論を取り入れ、利用上の各種制約に応じた行動調整も緻密に表現する人間行動モデルを構築し、各種鉄道車内空間の快適化するデザイン手法を提案したものである。これにより、鉄道車内のデザインにおいて、快適性を考慮した定量的な設計が可能になるという、新たな知見を示したものである。快適化を念頭においた鉄道車両の設計に活用できるという工業技術への展開だけでなく、生態心理学の手法と機械工学を融合することにより、快適性を対象とした客観的な議論ができることを示したことは、機械工学の発展に寄与することが大きい。

よって、本論文は博士(工学)の学位論文として合格と認める。

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