学位論文要旨



No 118977
著者(漢字) 田久保,宣晃
著者(英字)
著者(カナ) タクボ,ノブアキ
標題(和) 運転者の判断過程を考慮した運転者モデルの構築と交通事故へのITS関連の車載機器の影響に関する評価
標題(洋)
報告番号 118977
報告番号 甲18977
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5709号
研究科 工学系研究科
専攻 産業機械工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 藤岡,健彦
 東京大学 教授 藤田,隆史
 東京大学 教授 金子,成彦
 東京大学 教授 桑原,雅夫
 東京大学 教授 鎌田,実
内容要旨 要旨を表示する

本研究の目的は、以下の諸点である。

ITS(Intelligent Transportation Systems)関連の車載機器が安全に及ぼす影響を検討する。

ヒューマンエラーとITS関連の車載機器の影響を考慮したシステム制御的な運転者の運転行動モデル(特に、判断過程の情報処理を含む)を構築する。

運転行動に関連した各種課題に対して、構築したモデルを適用し、知見を得る。

本研究には二つの社会的背景と、それに対応するための学術的背景が存在する。

第一の背景は、新たな交通事故対策の必要性という社会的背景である。本研究では、交通事故の推移を分析し、交通事故件数の増加傾向、交通事故関連指標(例えば自動車台数)当たりの交通事故件数の平衡状態、運転者のヒューマンエラーによる事故の増加などの現状を明らかにした。現状に対し、運転者の運転行動を情報処理過程の面から詳細に解析し、その結果を中心とした対策を立案することが必要となる。

第二の背景は、ITS関連の車載機器の実用化という社会的背景である。ITS関連の車載機器については、安全性向上などの本来の目的が期待される反面、運転行動に様々な影響を及ぼすことが懸念されているため、影響の具体的な評価が必要とされている。本研究では、普及が先行しているカーナビゲーション装置が事故発生過程に影響した交通事故の特徴を、交通事故統計データによって分析した。分析の結果、装置の購買層や利用層(普通乗用車、若年者)が持つ交通特性や事故特性が強調された事故の傾向と、装置を利用しやすいために潜在的な危険性を有する状況が強調された事故の傾向(追突、交通閑散など)とが特徴となっていた。このような事故の防止のため、ITS関連の車載機器が運転行動に与える影響を詳細に分析、評価する手法が必要となる。

第三の背景は、第一、第二の背景に対応するために必要となる既存の手法が不十分であるという学術的背景である。社会的背景により生じる各種課題に対応するために、運転者の運転行動とその特性を情報処理過程に着目して解明することが必要不可欠であるが、複雑な人間の情報処理過程(特に判断過程)は未だに解明され尽くしていない現状にある。また、運転行動を具体的に評価するためには、運転者の情報処理過程(特に判断過程)を考慮した制御工学的シミュレーションが必要不可欠であるが、本研究で先行研究を調査したところ、「交通事故のような特殊な状況」、「判断過程とヒューマンエラー」、「車両挙動と連携した具体的なシミュレーション」などの特徴を併せ持つ知見がほとんどみられないことが明らかとなった。そこで、これらの特徴を併せ持ち、「交通事故や運転行動の検討」、「ITS関連の車載機器の評価」といった課題に対して適用可能な運転者モデルを構築することを具体的な研究対象とした。

まず、運転者の判断過程に関わる運転者モデルを、脇見行動を代表例として提案した。概念を総括した脇見行動の詳細モデルと、具体化が可能となる特徴的部分を抽出した脇見行動の簡略モデルを提案した。具体化は、「脇見時間の判断」部分と、「脇見の実行判断」部分から構成される脇見行動の簡略モデルに関して行った。一般の判断過程には、行為の要求度(必要度)と予測される危険度との比較が基本となっていると考察し、本研究で限定した脇見行動に関する知見であっても、他の判断過程の検討に資すると考える。

続いて、モデル化に関して、交通事故およびITS関連の車載機器という課題に関連する知見を得るために、カーナビゲーション装置への脇見による追突事故を対象に、詳細な事故分析を行い、車両運動状況と脇見時間を推定、抽出した。運転者属性および道路交通環境要因を加えて、脇見時間を目的変数とする重回帰分析および数量化分析を行い、脇見時間に関するモデル式を構築した。結果は、車両運動状況(自車速度、先行車速度、先行車加速度、車間時間)を主要因とし、運転者属性と道路交通環境要因を補助的要因とする統計的に有意なモデル式となった。

続いて、脇見の実行判断部分のモデル式を構築するため、また脇見時間の判断部分のデータを拡充するため、ドライビングシミュレータを用いた模擬走行実験を行った。実験は、追従走行中におけるカーナビゲーション装置への脇見行動を想定したシナリオとした。

得られたデータから、脇見時間の判断部分に関わるモデル式を、事故分析と同様に重回帰分析で求めた。さらに、脇見の実行判断部分について、車両運動状況を説明(入力)変数、脇見の実行・不実行を目的(出力)変数とするモデル化を試みた。目的変数が不連続な2値であることから、手法として確立している統計学の判別分析を構造同定の手法とした。また、データの集約化、時間的な推移の影響を考慮した説明変数の追加及び処理を行った。その結果、約70%の的中率(実験での判断結果とモデルでのシミュレーション結果との一致する割合)を有する脇見の実行判断モデルが得られた。

さらに、運転者の追従制御をPID制御モデルとして表現し、既構築の脇見時間の判断部分、脇見の実行判断部分と併せて、追従走行中の運転者の脇見行動を表現する統合モデルを構成した。模擬走行実験と同じ先行車条件を与えたシミュレーション結果の統計的な評価により、脇見の回数については実験データより若干少ないが、脇見時間および多くの車両運動状況の変数については実験データと統計的に有意差が無く、実験での運転者の行動と同質のモデルが構築されたことを確認した。

次に、構築したモデルを具体的な課題に適用し、モデルの適用性について評価すると共に課題に関する知見を得た。

第一は、脇見行動の危険性の評価についてである。まず、脇見時間の判断の危険性に関して、判断モデル式での脇見時間の算出結果と、同じ条件下での衝突余裕時間(現在の車両運動状況が継続した場合に何秒後に先行車に追突するかを表す物理的指標)とを比較分析した。分析によって、脇見時間の不安全な判断条件の存在とその変化要因、また、単独の運転者のモデルと複数の運転者のモデルとの結果の差を求めた。さらに、脇見の実行判断の危険性を、モデルによるシミュレーション結果と実験での運転者の行動との偏差などから検討した。実験での運転者の脇見の開始時刻と、シミュレーションでの同時刻とのギャップをパラメータとし、脇見中の衝突余裕時間の最小値を危険度の評価指標として分析を行った。分析によって、シミュレーションでの脇見の実行開始時刻に対して、実験での運転者の脇見開始時刻が遅れるほど危険性が増加することが明らかとなった。また、単独の運転者の実行判断と複数の運転者の実行判断とに差があることが明らかとなった。これらの結果から、脇見行動の危険性の評価にモデルが適用可能であることを確認した。

第二に、ITS関連の車載機器の評価の代表例として、従来、車線逸脱の危険性の視点に限られていた車載機器への注視時間の基準値の課題の検討に対して、より危険性の高い追突の視点から検討した。統合モデルの脇見時間の判断部分を定数に置き換え、脇見時間を0秒(すなわち脇見の無い基準走行条件)から5秒まで変化させてシミュレーションを行い、衝突余裕時間の分布から危険度を分析した。分析の結果、脇見のある場合に、脇見時間が1.5秒まではそれ以下の脇見時間と危険度(短い衝突余裕時間の構成率)に大差がないこと、1.5秒を超える脇見時間では急激に危険度が増加することが確認できた。

第三に、交通事故の事故再現に関するモデルの適用の可能性について検討を行った。本研究で事故分析に用いたカーナビゲーション装置への脇見行動が影響した追突事故例についてモデルを適用し、事故データの情報のみでは解消できなかった不整合性がモデルによって解消できる可能性、また、新たな知見が付加される可能性が示唆された。

本研究の特徴は、第一に交通事故に関わる情報を用いて、交通事故発生過程、ヒューマンエラーの特性、さらにITS関連の車載機器の安全への影響、について分析したことにある。通常は例外的にしか扱われない交通事故の特性を積極的に分析することで、安全の問題に関して、より実用的な知見を得たものである。第二に、これまで具体的な検討が少なかった運転者の情報処理過程、特に判断過程について、従来の制御工学的なシミュレーションとしての適用が可能な運転者モデルを、脇見行動を例として構築したことにある。第三に、このモデルを用いて、運転行動の検討やITS関連の車載機器の検討などを行い、知見を得たことにある。

本研究により、目的とした運転者の判断過程のモデル化を達成した。データ上の制約などに配慮する必要があるものの、交通事故のような危険事象、および実用化が始まったITS関連の車載機器の影響の検討がモデルにより可能であることを確認した。自動車技術の分野、また人間工学の分野で必要とされていた運転者モデルの構築とシミュレーションを具体化したことにより、運転者の特性、ITS関連の車載機器および事故分析と事故防止の検討に大きく寄与することが期待できる。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、「運転者の判断過程を考慮した運転者モデルの構築と交通事故へのITS関連の車載機器の影響に関する評価」と題し、ITS (Intelligent Transportation Systems) 関連の車載機器が安全に及ぼす影響を検討すること、ヒューマンエラーとITS関連の車載機器の影響を考慮したシステム制御的な運転者の運転行動モデル(特に、判断過程の情報処理を含む)を構築すること、および、運転行動に関連した各種課題に対して構築したモデルを適用し知見を得ることを目的としている。特に、本研究においては、制御工学分野では通常は例外的にしか扱われない交通事故の特性を積極的に分析することで安全の問題に関してより実用的な知見を得るため、また、これまで具体的な検討が少なかった運転者の情報処理過程(特に判断過程)について具体的な知見を得るために、制御工学分野で検討されているシミュレーション手法の特徴と人間工学分野で提案されている人間の情報処理の概念の特徴を兼ね備える、ドライバモデルおよびシミュレーション手法を構築することが目的となる。

上記の目的を達成するため、判断過程の特徴的な例として脇見行動のモデルを提案し、ITS関連の車載機器の一種であるカーナビゲーション装置等の情報提供装置への脇見行動に関してモデルを具体化している。この際、交通事故例分析とITS関連の車載機器に対する脇見行動を含む模擬走行実験を実施し、交通事故に関わる知見およびITS関連の車載機器に関する知見をモデルに反映している。さらに、このモデルの有効性を検証するために、モデル式の構造解析および実験値との偏差の解析による脇見行動の危険性の評価、従来は車線逸脱の危険性の視点に限られていたITS関連の車載機器への注視時間の基準値の検討と提案、また、交通事故の事故再現に関するモデルの適用の可能性の検討を実施している。博士論文の内容は以下の通りである。

第1章は、「序論」と題し、本研究の背景と目的を記述している。

第2章は、「ITS関連の車載機器の現状」と題し、社会清勢、先行研究からITS関連の車載機器の現状を示している。特に、ITS関連の車載機器の一種であるカーナビゲーション装置の影響した交通事故について、交通事故統計データを用いた分析を実施している。機器が運転行動へ及ぼす影響を分析することによって、本研究の必要性が高いことを示している。

第3章は、「脇見行動モデル」と題し、運転者の判断過程に関する考察から、また、人間の情報処理モデルおよび運転者モデルに関する先行研究の検討から、本研究で具体的に検討対象とした運転者の脇見行動モデルを提案している。特に脇見行動の簡略モデルとして、脇見時間の判断と脇見の実行判断の部分からなるモデルを提案している。

第4章は、「カーナビゲーション装置への脇見が関連した交通事故の再現と脇見行動の分析」と題し、脇見行動の具体例としてITS関連の車載機器の一種であるカーナビゲーション装置への脇見を対象とすることとし、交通事故のような特殊な状況に対する適用性をモデルに含めるために、カーナビゲーション装置への脇見が影響した追突事故例の分析結果からモデルの具体化の知見を得ている。分析により得られた推定脇見時間を目的変数、脇見開始時点の車両の運動状況および運転者属性、道路交通環境要因を説明変数とする多重回帰分析と数量化理論分析によって推定脇見時間の回帰式を同定し、脇見時間の判断に関する知見とモデル式を得ている。

第5章は、「模擬走行実験による脇見行動のモデル化」と題し、ドライビングシミュレータを用いた先行車への追従時の脇見行動に関する室内模擬走行実験を実施し、得られたデータによって脇見行動の特徴を検討するとともに、運転者の脇見時間の判断、および脇見の実行判断のモデルを、多重回帰分析と判別分析によって構築している。脇見時間の判断については、事故例分析による推定脇見時間に関するモデル式と基本的な構造が類似したモデル式を得ている。また脇見の実行判断については、運転者の判断の粗さや時間経過による判断基準の変化などを考慮したモデルを構築し、実験結果に対してある程度の的中率を持つモデル式を得ている。さらに、運転者の先行車への追従制御行動についてもモデル化し、脇見時間の判断に関するモデルおよび脇見の実行判断に関するモデルと併せた統合モデルを構築している。統合モデルによるシミュレーション結果を統計的に評価し、実験結果と同質なシミュレーション結果であることを確認している。

第6章は、「脇見に関する運転者モデルによる運転行動、ITS関連の車載機器および交通事故の検討」と題し、運転者の脇見行動の評価、ITS関連の車載機器の注視基準の評価、事故再現へのモデルの適用の可能性を検討し、モデルの適用性を評価すると共に、脇見行動に関する諸課題への知見を得ている。運転者の脇見行動の評価では、モデル式の構造の解析およびシミュレーション結果と実験結果との差の検討から、危険な脇見行動を生じる車両の運動状況の条件や、脇見の実行開始タイミングの遅れによる脇見中の危険性への影響について評価している。また、各所で議論中であるITS関連の車載機器の注視時間の基準値について、多数回のシミュレーション中の危険事象の出現頻度を比較する方法により、基準値の検討資料を提案している。また、事故再現に対してモデルによるシミュレーションが寄与する可能性を示している。

第7章は、「結論」と題し、本論文で得られた知見をまとめている。

以上のように、本論文では、判断過程を含む運転者のドライバモデルの構築手法を示し、また具体的なドライバモデルを構築することにより、交通事故に関わる諸課題およびITS関連の車載機器の影響について具体的なシミュレーションで評価できるようにしたことの意義は大きい。

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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